Kizuki Forest〜気づきの杜〜 -2ページ目

Kizuki Forest〜気づきの杜〜

京都、舞鶴を拠点に植木屋をしています、増茂です。

こんばんは。日々歩一歩のShoです。

今日の気づきをシェアします。



昨日、イルチ・ブレインヨガ東大阪スタジオさん主催の

『祈り~サムシンググレートとの対話~』の上映会に参加させて頂きました。


僕自身がこの映画の自主上映会を開催したいと思っていて、

自主上映会をやるのも初めてなもんで、上映会のお手伝いをさせてもらえないかと

スタジオイルチさんに電話で問い合わせてみたところ、

こころ良く承諾してくださりました。


映画を見るのはこれで3回目。

ん~やっぱりいい!!

僕も同じ会場で上映会をやろうと考えていて、

会場の雰囲気も掴めてとても助かりました。


そして、ヨガスタジオさん主催ということで、

映画の後に、身体を動かしてみたり、

みんなで円になって、気を流したり。

2人組になって意図的に笑顔であいさつしてみたり。

色々と盛りだくさんな企画をされていて、感心しました。


そ、そ、それで!

偶然なのか、必然なのか。

たまたま僕とペアーになった方が女性の方だったのですが、

なんだか見覚えのある方でして、

『なんだか以前会ったような気がします』

なんて言って。

でも最初話した感じでは勘違いだったかなぁって感じで、

向こうも 『そうですか?』って感じで、

それが、


話しをしていくうちに、、、


看護師をされているようで、、、


まっ、まっ、まっさか!


ビックリしました!


前職で訪問入浴という介護の仕事をしてたのですが、

その時に派遣の看護師として来てはった人だったのです!!

そうそう。フランス語を喋る方だということで、

僕はイタリア語喋るとかで、

喋ったのを思い出して。

二人ともビックリな再会に話しが尽きませんでした笑


そんな偶然か必然な出会いもあったりな上映会だったのですが、

話しを戻しますと、

スタジオイルチさんが上映会場にオーラ診断のコーナーを設けられていて、

僕もやったことがなかったので、

どんなものか試しにオーラ写真を撮ってもらいました。

それがコチラ↓

オーラ写真


真っ赤です!!笑

自分でもビックリしました。

オーラは日々変化するもので、人によっても違うもので、

むらさき、青、緑、水色、なんかも色として現れるんですが、

真っ赤でした^^;


それで、どんな感じかと言いますと、

行動派!

考える前に行動してしまう。ハイ!その通りです^^;

オーラの色でいい悪いとかではないんですが、

あまりにもどどーーっんと真っ赤だったもんで、ビックリでした。


ヨガスタジオの方にみてもらって言われた事が、

行動力はすごくある。

ただ、怒りもある。

怒り??

この時は僕の中ではなんとなくそんな感じなのかなって感じで、

もひとつしっくり腑に落ちてはなかったです。


そして、来ました! 今日!

ほんとうなら休みなのに、今日は休日出勤で、

朝から現場行って、一日仕事で、

現場から帰って来て、会社で片付けして、

明日の準備をしている時に、

なんでオレばっかがやらんといかんのだ!

と怒っている自分に気づいたのです。

そうそう!

自分でも行動する方が自分に合ってると思ってたのですが、


この行動の源が怒りから来ていたんだと気づきました!


怒ることで自分を行動に駆り立てているような感じです。


そういや、なんだか昔からイライラして物事をやりがちだ。


行動するんだけど、その根っこの方にはいつも怒りがふつふつとしている。


そこが僕の行動の原動力になってた。


職場から帰宅して、

なんとなく瞑想してみた。


昨日、スタジオイルチさんから

呼吸がすごく大切だと聞いたのを思い出して、


子どもってお腹で呼吸してる。

だから周波数が低くて、喜びに充ちている。

大人になると、胸で呼吸をするようになって、

周波数も高くなる。頭で考えることが増えて行く。


僕が今日会社から帰って来て、身体に感じたのは、ほてり。

気が頭の方に昇っていて、カーーッと頭の方に血が昇ってる感じ。


それで、呼吸を感じながら、瞑想してみた。

最初はとっても呼吸が荒い。

沈めようと、吐く息をゆっっっくり、なが~~~く、

しようとするんだけど、、、

すぐにまた呼吸が荒くなる。

そんな繰り返しでしてると、徐々にお腹で呼吸できるようになってきて、

なんとも言えないリラックス感を味わった。

カーーーーっとしていた気もすっかり落ち着いて、

ゆっくりとした感じになった。


この途中、何度か怒りの感情が出てきた。

小さい頃姉ちゃんにいじめられて泣きながら怒ってたことが出て来たんだけど、

根っこはまだもっと奥にある感じ。

今日はどこに僕の怒りの根っこがあるのかは掴めなかったんだけど、

いずれ見つけたいと思った。


それにしても、落ち着くなぁ。

こんなにリラックスできたのは久々かってくらいに。

うん。呼吸は大事です。


それで、今度、ブレインヨガをやってみようと思ってます^^

家から近いし、仕事帰りに行けそうで、

自分のエネルギーがどんなふうに変化するのかがとても楽しみです。


怒りの行動力とはおさらばです。


怒りの行動力からは人との深い繋がりが生まれないから。


もっと、根っこの方で繋がれるものにたどり着けそう。


そんな風に感じています。


ブレインヨガ? なに? 脳ヨガ?


??ばっかりですが、


またどんな感じかアップしたいと思います。



最後までおつきあいありがとうございました。


Mahalo

こんばんは。 気づきの森の住人、Shoです。

今日は新月ですね!

新月の時は浄化のパワーが大きくなると言われています。

そして、ものごとを新しく始めるのにいい時であるとも言われています。

自分のこれからのことを思い描くのにもとてもいい日です。

ただここで、勘違いしてはいけないのが、

願い事です。

例えば、

〇〇になれますように。

〇〇がもらえますように。

といった願いを想うのではなく、


これから何をどうしたいのか自分で決め、

未来の自分の姿を想い描くことです。


そして、そのことを紙に書き出してみることをお勧めします。

なりたい自分の姿、これからやりたいこと、

いくつでも、書けるだけ書くのがいいです。

書いているうちにワクワクしてきます。


何かを始めるときってワクワクしますもんね^^


僕は、今日が新月だと気づいたのはついさっきなのですが、

タイミングよく新しい一歩を踏み出していました。


ここ最近ずっと、『祈り~サムシンググレートとの対話』の自主上映会をしたくて、

会場を探しまくってたのですが、なかなかいいところが見つからず、

四苦八苦してたのですが、

つい一昨日だったかな?いいところを見つけ、

今日の昼過ぎに,

その会場へ申請書類を出しに行ってきました^^イエイv

場所も見させていただき、いいイメージが湧いてきました。

たくさんの人で溢れていて、とても良い時間になりそうなイメージです。

やさしく、落ち着きのある雰囲気ですが、

気づきに溢れ、澄んだ空気感に包まれている感じです。

いい日にするぞ~っとワクワクしています。


新しいスタートのきっかけには新月の今日がいいですよ*


あっそうそう!

これいいです!


The Moon Age Calendar


月の満ち欠けが一目で分かるカレンダーなんですが、

自分でアレンジして印刷できます!

これをどこかに貼っておけば、月の満ち欠けがとっても分かり易いです^^

こういったものを無料でシェアしてくださることに感謝~☆

みなさまもぜひ~☆


Mahalo~




こんばんは。

今日は昨日の初体験の続きです。


最後に観た映画がとても強烈だったのですが、

名張毒ぶどう酒事件をご存知ですか?

『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』


独房から無実を訴え続けている死刑囚、奥西 勝さんの映画です。


僕自身、この事件の事、そして半世紀近く

拘置所に閉じ込められ無実を訴え続けている人がいることを、

初めて知りました。


それは昭和36年(1961年)三重県名張市の小さな村の懇談会で、

ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡する事件が起こるのですが、

その犯人として逮捕されたのが、

奥西勝さん。当時34歳。


奥西さんは一旦は自白するのですが、

それは、警察により自白を強制されたと訴え、無実を主張します。


1審では無罪を勝ち取ったものの、

2審で逆転死刑判決を受けます。

昭和47年、事件から11年後、最高裁にて死刑が確定。


奥西さんはそれ以来、死刑執行の恐怖と闘いながら、

再審を求め続け、再審請求を何度も出しますが、全て棄却されます。


いつ死刑が執行されるか分からないなか、

3畳一間の拘置所の中で半世紀近く閉じ込められている

奥西さんの心境は測りしれないです。


孤独なんて言葉では表せない孤独。

自分がと思うとゾッとするどころか、

想像することさえ拒否したい気持ちです。


でもそれがまかり通っている今の日本の社会の現状。

司法の問題だけじゃないように思います。


事件から44年後の平成17年4月、

名古屋高裁は奥西さんの再審請求を受理し、再審を決定します。

しかし、検察が異議申し立てをし、

平成18年、奥西さんの再審開始決定は

名古屋高裁の別の裁判官によって、

取り消されてしまいます。

平成21年、最高裁は名古屋高裁に審理を差し戻します。

しかし、ここでもまた、平成24年、名古屋高裁は

再審開始決定を取り消すのです。。。


今もなお無実を訴え続ける52年という年月。

測りしれません。


どうすればいいんだろう。。。

奥西さんの一生は何なのだろう。。。


人ごとじゃなくてまじでなんなんだよ!!!


52年という年月です。


僕が生まれるずっと前から。。。


生まれた時も。。。


二十歳になった時も。。。


今も。。。

んんんんんんんんん!!!


とりあえず今すぐに出来る事をということで、

署名を送ることにします。


こちらから『名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会』

署名は郵送のみになるのですが、

一緒に送りませんか?


Mahalo



こんばんは。

今日は生まれて初めての体験をしてきました!

なんだと思います?


それは。。。



映画3本ぶっ続けに観る!笑 です。


最近よく出かけることの多いシアターセブンにて映画を

まとめて見てきました。

最初は2本だけのつもりだったのですが、もうひとつ見たい映画が

ちょうどその2本の映画の間にあったので、まとめて見ちゃいました。


実はこれには裏話があって、

ある人に『祈り~サムシンググレートとの対話~』の自主上映会を

やりたいんだって話しをしたら、

この映画3本を観てから本当にやりたいか決めて!と

カツを入れてもらい、

それがきっかけでこの映画は観ようって思ってたところ、

3本立て続けにまとめて観るとは思ってなかったんですが、

ちょーど上手い具合に上映時間がかぶってなくて観てしまいました。


最初に見たのは、『生き抜く~南三陸町人々の一年~』です。

毎日放送MBSによる震災直後からの南三陸町の人々をとらえた

記録ドキュメンタリー映画です。


もう、なんとも言葉が出なかったです。


最愛の妻をなくした男の人や、

行方不明の娘を探すためにいち早く海の仕事を再開させた漁師の人や、

避難所での孤独、ストレスに苛まれる女性。

一人一人カメラに対して笑顔も見せるんですが、

その裏には今にも溢れ出しそうな悲しみの涙が感じられて、

それぞれがこの現実と向き合う姿には胸がいたくなりました。


仮設住宅に入りながら、妻をなくして一人で子どもを育てるお父さんは

妻のことを子どもに話すたびに涙が溢れて来て、

子どもには目が痛いっとかってうそついて、

参観日にはこどものお弁当を作って、

どんなに絶望の中にありながらも生きて行こうとする

姿に胸が熱くなるとともに、涙が溢れてきました。

震災から2年経ったいまでも、ものすごい現実と向き合い続けながら、

生活をしている人々のことをどこか忘れていたというか、

知ろうとしなかった自分がいたことに気づかされました。


自分ではどうしようもない自然の脅威。

その絶望の中でも生き抜こうとする人々。


そこから感じたものは、

今の自分の直面している現実の軽さと、ありがたさ。

まだまだ自分にはやれることがたくさんあるし、

やりたいことがたくさんあるから、

まっさきにそれをやって行くんだってことでした。



そして2本目は、池谷薫監督作品、『先祖になる』です。

こちらも震災をテーマにした作品で、

陸前高田市で農林業を営む77歳のきこりのおじいちゃんを捉えた映画です。


息子を津波で流され失ってしまったおじいちゃん、佐藤直志さんなんですが、

避難はせずに、津波に流されずに残ったわが家にとどまって、

またどうにかその土地に根付いて暮らしを再開します。


周りからは頑固にとどまっていないで仮設住宅に移らないかと言われるんですが、

おじいちゃんはいっこうに動こうとしないばかりか、

土に種を撒き、

田んぼを借りてお米の苗を植え、

そして、家を新しく立て直そうと、山に入って木を伐り出します。

僕は、放射能のこともあるし、移住した方がいいんじゃないかって気持ちが

すごくあったんですが、

それだけでは事がすまない、

その土地に生きてきた人の気持ち、想いが、

その土地にはあって、

そこで暮らし続けて生きたいって気持ちがよく伝わってきました。


僕自身、出身は舞鶴で、田舎で、

今は大阪に住んでますが、

ちょくちょく実家に帰るし、

今もそうやって帰れる故郷があることは当たり前で

当たり前に故郷があるお陰で

なんていうか安心感があるっていうか

帰れる場所があることって、

かけがえのないものなんですよね。


なので、

自然とともに生まれた土地で暮らし続けたい気持ちが、

おじいちゃんの気持ちがすごく伝わってきました。

その土地に生まれ育った人にしかない感覚かもしれないけれど、

日本っていう国のもともとの姿があるように感じました。

大地と共に生きる。

僕自身これからもっと考えて行きたいテーマです。


そしてそして、3本目は。。。。。

長くなったというか、眠たくなってきたので、Zzz…(*´?`*)。o○

続きはまた明日書きます。


ではでは。また明日*


Mahalo
昨日は幼馴染がやっているカフェ&レストラン蔵六に初めて行ってきました。


こないだ出席した三十路式で久々に会って、高校卒業して以来!?、お店を経営してるっていうんで行ってきました。


蔵六は京阪の枚方市駅から歩いてすぐのところにあって、お店の雰囲気もよくって心地よい空間で、素敵なところでした。



久々に会った友だちから10年ぽっかりと空いた時間を埋め合わせるように色々と話を聞いて、

まぁほんとに飲食一筋で頑張ってて、ひたすら走り続けてて、感心しました。



今ようやくお店も回るようになってきてて、

でも今に至るまで本当にたくさんの失敗があって、苦労があって、困難があって、

今に至ってて、ものすごい頑張ってきて今あるんだなぁって、


今の姿は凄く素敵で、
輝いてて、
そんな今の自分にもすごく謙虚で、


なんていうかこれまで頑張ってきたものがそのまんま彼女の姿になってて、
かっこよかったぁ。



これからも色んなことにチャレンジしたいっていう彼女の目は輝いてて、
ほんまに素敵やわぁって思いました。


そして色々と話を聞いてて気づいたことは

「やる!」ってこと。


「私がする」ってこと。


最近自分の中でやりたいって想ってることがなかなか前に進めれずにもんもんとしてたんだけど、


ただ単にこの「やる!」ってのがなくなってた。


「やりたいなぁ」とか


「やれたらなぁ」とか


自分でやろうって決めたことを誰かを当てにしてたり、


そのうちになんとかなるってほったらかしてて、


自分でするってことを意図してなかったんやって気づかせてもらいました。


なんでもそうなんだけど、やっぱりここがしっかりしてるかしてないかで、


自分の行動はまったく違うし、
モチベーションも違ってくる。


自分の中に今かけていた意図が、このタイミングですっと入ってきたようやったなぁ。


彼女の言葉はなんていうかとても軽やかなんだけど、確信度が高い!


そのウラにはやっぱり「私やるよ!」って意図が入ってる感じがしました。


入っているというよりも意図そのものな感じっていえばいいかな。


そんな彼女からの気づきを僕はノートにこう書き込んだ。


「私がする!」


そしたらそれを見た彼女はこう付け加えた。


「私が骨折する!」


そう。骨折する。


痛いよねー骨折。


実際には僕はしたことないから想像なんだけど(^^;;


でもさ、骨折すると分かってて骨折しに行く人ってあんまいないよなぁって思う。


でもなんかねぇ、彼女のワクワクから伝わってくる骨折ってなんだか気持ちのいい感じがするんだよねぇ。

マゾとかじゃなくて(^^;;


骨折する覚悟でやってみるってよりも、

本当に骨折しに行くって感じなんだけど、

なんだか笑えてきちゃって。


僕も骨折したいかも~ってインスパイアされちゃいました^ ^


片手骨折しても、

もう片手あるわけだし、

もう片手骨折しても、

脚があるしね。


死ぬわけじゃないんだもんね。


だから、ぶち当たってやってみるって。

それだけなんだよなぁって。


迷いはある。どんなことでも。

でも迷ってるんだったらやってみたらってこと。

ぶち当たって骨折してもいいんじゃん!


あとから笑い話になるだけなんだからね^ ^


そんなことを感じた素敵な時間でした。


ほんっと幼馴染っていいなぁ*


ありがとうね!


またふらっと遊びに行きまーす。


Mahalo
こんばんは。今日から4月が始まりました。

もう4月なのかと、こんなにも早く過ぎて行く日常の中に、

また新しい始まりを感じています。


春の陽気は心地よく、

仕事に忙しく、それ以上にやりたいことが多くて、

伝えたいことが多くて、

なのに自分のなまけ心に負けそうになりながら、

今日もブログに何か書けることが、

実はほんとうに幸せなことで、

こんな日常を過ごせてることが、

実はとても有り難いことなんだと、

気づかせてくれる、

そんな映画を昨日は見てきました。


昨日は友だちを誘ってシアターセブンに『祈り~サムシンググレートとの対話~』

見に行ってきました。

この映画を見るのは2度目でしたが、

やっぱりよかったです。


初めて見た時、

僕は大粒の涙を流していました。


それは何か偉大なもの、サムシンググレートへの

感謝の気持ちからくるもので、

これまで自分が歩んで来た道のりは

何か大きな意図に見守られていたんだという畏敬の念が

涌き上ってきました。


自分が選んだ道じゃないと思っていたものが、

もっと大きな意図によって

与えられたものだったと心の深い深いところから感じ、

自分からは喜んで経験しようとしなかっただろう苦い経験が

授かりものだったと腑に落ち、

これまで凝り固まっていた何かが解け

自分の中で大きなシフトが起こりました。


こちら↓で僕が大粒の涙を流した言葉を紹介しています。

『無名兵士の祈り』


今この映画『祈り』を自主上映しようともくろんでいるのですが、

自主上映じたい初めてで、仲間を集めています。

興味のある方いらっしゃれば、声をかけてください。


そして昨日はもう一本映画を見て来たんですが、


衝撃!!でした!


『僕のうしろに道はできる~奇跡が奇跡でなくなる日に向かって~』


この映画は

特別支援学校教諭として一緒に働いていた、

宮ぷーこと宮本俊也さんが

重い脳幹出血で突然倒れ、植物状態になり、

ドクターからはもう身体を動かすことはもちろん

話しができるようになる日も

二度と来ないと言われたところから始まるのですが、、、


同僚のかっこちゃんこと山元加津子さんは

そうじゃないと信じて、

宮ぷーにずっと声をかけ続けます。


ずっと、ずっと、声をかけ続けます。


毎日仕事終わりに宮ぷーのところに通って、

声をかけ続けるんです。


そうするとほんの少しだけまぶたの動きから

彼がサインをだしてることに気づくんです。


植物状態とされていた人がです!


僕自身映画を見ながらまだ信じられなかったけど、そうなんです。


そして、次第に目を開けるようになって、

目で合図できるようになって、、、


今度は首を動かせるようになるんです!!


『うん。』『ううん。』って意思疎通ができるようになるんです!!


もう本当にビックリです。


そして、Let's Chatという装置を使って会話ができるようにもなり、

助けてもらいながら座れるようにもなっていきます。


そしてまた、そんな宮ぷーのことを知った人たちが、

生きる喜びを取り戻して行ったりと周りへと連鎖していきます。


でもその裏には本当に辛いリハビリがあって、


孤独な夜があって、


伝えられないもどかしさがあって、


もう見てるだけで僕はくじけそうになるのに、


それに向かって行く宮ぷーの姿と、


学校で教諭として働きながら


いつもずっと宮ぷーのことを支え続けるかっこちゃんの姿に


僕はもう言葉がなくなりました。


人と人とがここまで力を引き出し合えるのか。


どんな状況の中でだって、こんなにも幸せの中で生きてけるものなのかと、


ほんとに人間の素晴らしさを感じた映画でした。



大阪ですと、シアターセブンで上映されています。

コチラです↓

シアターセブン/僕のうしろに道はできる



こんな映画を見た後に、昨日の‘シメ’は

パーティーに出席してきました。


三十路式ごっつええパーティです。


800人程が集まってたようです。


幼馴染みで、もう高校の時から会ってないんじゃないかって

友人との再開があったり、


高校の時、顔は知ってるけれど喋ったことのなかった同級生と

初めて喋ったり。


三十路になるまでに、それぞれが、それぞれの道をたどってきてて、

すごくいい刺激をもらいました。


なんかみんなほんとに頑張ってる!


オレもがんばらんとーーー!!!って

元気をもらってきました!


一日一日を大切にして生きて生きたいです*


みんなありがとう!


Mahalo
今日はカレンダーを見ているとこんなことに気づきました。

今日、3月25日は『電気記念日』だそうです。

調べて見ると、

1878年のこの日、銀座木挽町に設置された中央電信局の開局祝賀会が、

東京・虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部の前身の一つ)の講堂で行われ、

イギリス人教授エルトンによりアーク灯50個が灯された。

この日が日本で初めて電灯が灯されたとされている。



1927年(昭和2年)に、日本電気協会が上記のことを記念して、

3月25日を『電気記念日』と定めています。


日本に初めて電気が灯ってからまだ百数十年しか経ってないんですね。

そう思うと電気の歴史は意外と浅いものです。

電気があることで、僕たちの暮らしは随分と変わりました。

電気のお陰で今の僕たちの生活が成り立っていますが、



そんな電気がどこから来ているのか。

どうやって作られているのか。

コンセントの向こう側ってどこに繋がっているのか。。。


電気があることが当たり前過ぎて、そんなことすら考えてなかったけれど、

今一度自分に問うてみる必要があるんじゃないかと感じます。


僕たちのこれからの暮らしは、電気の源(発電所)ともっと身近な

ところで繋がっていく暮らしが必要だと思います。


大型の発電所に頼るのではなくて、

地域分散型の、地域ごとの発電所によって、

電気をまかなうことで、

自分の生活と電気との関わりを深めることで、

自分の使っている電気に責任を持てるような気がします。


今はどちらかと言えば、お金を払っているんだから、

電気があって当たり前な感覚と言えばいいでしょうか。

無責任な感じがします。


色々と調べてみると、

もうすでに電気(エネルギー)の革命は始まっています。


第4の革命エネルギー・デモクラシーという映画や

GREENPEACEによる自然エネルギー革命などからも情報を得ることができます。


僕もこれからどんどん勉強していきたい分野です。


自然エネルギー記念日や、再生可能エネルギー記念日なるものが

将来あるとすれば、

それはまさに『今』から始まるんじゃないかなぁ。

そんなことを感じた日でした。


Mahalo

こんばんは。お久しぶりです。

久しぶりにブログをアップする気がします。

日常のあれやこれやに追われて。。。というのは言い訳で。。。

やる気モードが停滞していました^^;


さて今日は僕がとても共感した正木高志さんの言葉をシェアしたいと思います。

正木さんについては以前こちらで紹介させていただきました。→『蝶になる日』

正木さんのブログから引用させていただきます。


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『生命平和憲法へ』

日米両国あげての憲法改正キャンペーンの前に平和憲法は風前の灯です。

戦略をたて直さないかぎり、このままだと護憲側はきっと押し切られてしまうでしょう。

「改正対護憲」という対比そのものに、護憲が保守的であるようなマイナスイメージがつきまといます。

そこで9条を守る側も「憲法改正」の立場を取るほうが有利ではないかと考えます。

311は歴史の時空を変えました。311以前と以後では、旧約聖書の時代と新約聖書の時代のような違いがあります。

芋虫の文明から蝶の文明へ歴史が転換しようとしているのです。

フクシマの経験から私たち日本人は、戦争放棄だけでは平和が守れないことを深く知りました。

原発事故による巨大な環境破壊は市民の平和な生活を根こそぎ破壊してしまいました。

ヒロシマをくり返さないために平和憲法が作られたように、フクシマをくり返さないための生命憲法が必要です。

9条は一字一句変えないで、「平和憲法」から「生命平和憲法」へ、憲法を改正する必要があるのではないでしょうか。

豊かな自然の上にのみ国民の幸福な生活が築かれることを前文に掲げ、

それを脅かす環境破壊を引起こす危険のある原発の建設や運転を許さない環境条項をいれたらよいでしょう。

これからの地球市民社会のモデルとなるような高い理念を掲げた憲法改正案を提示することができたら、

おなじ改憲の土俵の上で、時代錯誤の自民党草案との対比が明確になります。

それは韓国や中国の市民から大歓迎されるでしょう。

世界中の識者やアーティストからも賛同がよせられるでしょう。

そして何よりも日本の若者たちの憲法問題への関心を呼び覚ますことになると思います。

正木高志 Butterfly Systemより

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改憲の話しに関しては、個人的な意見として憲法9条は守っていきたいと思っていますが、

正木さんの仰るように保守的なマイナスなイメージになると太刀打ちできないです。

日本が改めて憲法9条を選ぶことが、世界に向けて大きな波紋になると思います。

平和の波紋です。


日本という国がこの地球上でとても大きな役割を担っていることを

僕たち日本人が再認識することで

この世界をもっともっといい方向へ変えて行けると感じています。


そして、日本人から地球人へと僕たちの意識がシフトしたときに、

自分が日本人であったことに誇りを持って言える。

そんな誇りの持てる人種でありたいなと感じます。


みなさん一緒に頑張りましょう^^ 

ってか、オレがんばれーってことですね^^; 

ガンバルンバーーーーー!!!

Mahalo

こんにちは。今日は春分の日ですね。

今日は新たな始まりの日です。


今日は世界中でお祝いがされているということで、

ものすごいエネルギーが世界中に満ち溢れている日です。


春分の日についてちょっと綴ってみます。


星々の間を移動している太陽。

その太陽の通り道は『黄道』と呼ばれています。

また、地球の赤道を点にまで伸ばしたものを『天の赤道』といいます。

この黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わります。


その交点の一方を『春分点』

もう一方を『秋分点』と呼んでいます。


太陽がこの『春分点』を通過した日が今日、春分の日になります。


この春分の日は世界中で祈りが捧げられたり、お祝いがなされています。


日本ではお彼岸として仏様やご先祖様に祈りを捧げ、

西洋では、春分後の最初の満月の次の日曜日にキリストの復活祭(イースター)をお祝いします。

そして、イラン暦の元日『ノウルーズ(新しい日)』は春分の日に当たり、

中央アジアからアフリカに及ぶ広い地域で祭日として祝われています。


また、マヤ暦では春分を基準にお正月が算出されています。


春分の日は陽の東西を問わず、

始まりや区切りのエネルギーが大きな日であると言えると思います。


春分の日は太陽が新しい軌道を歩み始める日です。

それを祝福する人のエネルギーが世界中に広がっています。


なので、僕たちも新しい目標を立てたり、

新しいことを始めるのにはとてもいい日だと思います。


この祝福のエネルギーに満ち溢れている日に、

これからのことを想い、

自分の軌道をみすえていくにはちょうど良い機会です。


僕も今日はなにか新しいことを取り入れたいなぁと思っています。


余談ですが、

この春分の日は

昭和23年に『国民の祝日に関する法律』により、

『自然をたたえ、生物をいつくしむ日』と制定されています。



この地球に生きとし生ける全てのものが平和でありますように。


みなさんもいい春分の日、スタートの日、祈りの日、にしてください。


Mahalo


昨日は『とどけ!ふくしまへ!』という反原発・支援コンサートがあり、

バンドのメンバーと一緒に出演してきました。

コンサートにはおよそ100人の方が集まってくださり、

その方たちの前で演奏させていただきました。

ライブ



僕が今一緒に活動しているバンドでは、メッセージを大切に唄っています。

福島の事故のあと、たくさんの方がこれまでの暮らしを

見直すことになったと思いますが、

僕を含め、メンバーのみんなも同じで、

原発のことや福島のことを音楽を通して伝えています。


僕はアフリカのドラム‘ジェンベ’という楽器を叩いています。

こんな楽器です↓

ジェンベ


3曲演奏したのですが、最初の曲は当日に音合わせをした曲で

僕もどういったリズムを刻めばいいか模索しながらで、

『ちゃんとあわせなきゃ』

『音がはずれないようにしなきゃ』

といったことばかりが頭にあって、

リズムをとることに必死で太鼓を見ながら下を向いて演奏していました。


途中でそのことに気づいて、

前を見て演奏することを心がけるようにしました。

2曲目、3曲目とボーカルの村上さんの想いが爆発し、

それに感化され、僕も思いっきり演奏しました。


その時感じたのは、頭で考えてるときと

思いきった感じのまま演奏するときの違いです。

僕は演奏中、頭で考えることがよくあります。

『もっとこんな感じがいいか』

『うまくあってるか』

『テンポは乱れてないか』

よく気にしてしまいがちです。


思いきって演奏してしまうと、それだけで、叩く音に違いが現れるように感じました。

スカッとした音というのでしょうか、切れのある音が出てきました。

想いを楽器を通して伝える上で、

聞き手の心に響く何かを伝えるには

上手い下手を超えて、

自分の想いをぶつけることが必要なのかなと感じました。

もちろんスキルを身につけることで表現の幅は大きくなります。


ちゃんとあわせなきゃとか、

奇麗に上手に叩かなきゃとか、

そんなことばかり考えていましたが、

音楽を通じて大切なことを伝えていくうえで、

想いのままに表現してみることの大切さに気づかされました。


そして、前を向いて演奏するのは気持ちいい~♩

なんて言うんでしょうか。清々しい感じです。


これは普段の生活の中でも僕が注意していることで、

ついつい下を向いて何か考えながら歩いてたりする時に

気づいて、上を向くようにしています。

悩んでいる時も上を向いて悩むと

いい答えが出てくると聞いたことがあります。

下を向いて歩くか、上を向いて歩くかで

人生も大きく変わってゆくでしょうね。


それにしても、自分の表現するもので、

人に何かを伝えれることができるのは

とても嬉しいもんです^^

また次のライブが楽しみになりました♩



Mahalo