Kizuki Forest〜気づきの杜〜 -3ページ目

Kizuki Forest〜気づきの杜〜

京都、舞鶴を拠点に植木屋をしています、増茂です。

こんばんは。

最近、暮らしのなかに暦を取り入れることを意識しているShoです。

菜虫化蝶(なむしちょうとなる)

3月15日~19日にあたる七十二候の言葉です。

七十二候・・・古代中国において考案された暦で、節分を基準に1年を24等分し四季の移ろいを表した二四節気を、さらに5日ずつに分け、動植物の成長や行動、気象の変化などを表したもの。


青虫が春の訪れとともに、美しい蝶に生まれ変わるという、

ささやかながら美しい自然の移ろいを表しています。

僕はこの言葉から、

正木高志さんの『蝶文明』という本を思い出しました。

正木さんの綴る言葉に深く感銘を受けたのを覚えています。


その『蝶文明』の冒頭がコチラです。

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一本の木がありました。

春になって、イモ虫の赤ちゃんがいっせいに生まれました。

お日さまの光をいっぱい浴びたやわらかな木の葉を食べて、

マナもすくすく育ちました。


暖かくなるにつれて木のあちこちで卵がかえり、

イモ虫がふえ、大きくなって、食べる量もふえました。

みるみる葉を食べつくして、ほかのブループと競い合い、

争いながら、枝から枝へと移動してゆきます。


あるときマナは、

『このままみんなが木の葉を食べてゆけば、

きっと木は死んでしまうわ』

と心配になりました。

『葉っぱが食べられてしまったら、木が枯れて、

だれも生きてゆけなくなるのではないかしら?』


初夏になると、太ったイモ虫たちの食べる量はますますふえて、

葉は虫食いだらけになりました。

木はやせ細り、すっかり弱ってしまいました。

病んだ葉っぱを食べたイモ虫たちも病気になりました。


マナは木が燃えてみんな死んでしまう夢を見て泣きだしました。

この木はみんなのお母さんよ。私にいったいなにができるでしょう?

マナは木のために祈りました。

『ごめんなさい、ゆるして』


そのすべてを木はしずかに見ていました。

マナはサナギになりました。


木のお母さんがいいました。

『だいじょうぶ、心配しなくてもいいのよ。

あなたは愛にめざめたから、それでいいの。』

『もうじきあなたは蝶になる。

蝶になったらだれも葉っぱを食べないわ。

花の蜜をもとめるの。

そして蜜の甘さに、酔って踊りまわる。

そうすると花に実がつくのよ』


夏になりました。

木には花が咲いて甘い蜜の香りがただよっています。

蝶になったマナが透きとおった大きな羽を広げて花と遊んでいます。

枝にはすっかり緑がよみがえり、

花にはふっくら実がなりました。


正木高志『蝶文明』より
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僕たちは今まさにサナギから蝶へと生まれ変わろうとしている最中だと思います。

僕たちが食べつくそうとしている地球は

何も言わずにただ僕たちを見守ってくれています。

僕たちが蝶へと生まれ変わることが

これまでむしばみ続けてきた地球への恩返しになるように思います。


僕たちの意識は繋がっていて、


『気づき』はもう始まっている。


日本人というアイデンティティーから

地球人というアイデンティティーへのシフト。



その波紋は初めは小さなものかもしれませんが、

広がり続けています。

今も広がり続けています。


こんな話しがあります。

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明治維新の前、日本は60余りの小国に分かれていて

それぞれの国には国主がいて、

隣の国に行くにはパスポート(手形)が必要でした。

人々は藩に帰属し、藩主に仕えていました。

それが維新後になると日本人というひとつの国家の国民になりました。


維新の5年前には99%の人が、

自分のことを薩摩人だとか、肥後人だと考えていました。

日本人と考える少数の人は脱藩者になりました。


それが維新の5年後には逆に99%の人が

自分は日本人だと考えるようになりました。


ほんのわずか10年で

人の意識はそれほど変わるものだということです。

正木高志『蝶文明』より
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そう。だから『私は地球人だ』ということが当たり前の感覚になる日は

もうそう遠くない未来にあって、

そんな日、僕たちは地球に感謝し、地球とたわむれて、

踊りまわっているだろう。


・・・・・・・・・

そんなことを妄想した1日でした。


でもほんと僕もその蝶になりたいね。

ちょーーなりたいね^^;・・・(いやーごめんなさい。ついつい!)


はぁ今日も1日お疲れさまでした。

明日もがんばろ!


Mahalo

Aloha Ahiahi(アロハ アヒアヒ)!! 

ハワイ語で『こんばんは』です。

今日は昨日の続きを書こうと思います。


先週の日曜に原発国民投票のデモ&集会へ東京へ行って来たとお伝えしました。

原発国民投票とは、

原発に賛成の人もいていいし、

原発に反対の人もいていい。

これからの原発のことを国民みんなで投票して

どうするか決めていこう。

大事なことは、みんなで決めようという提案です。

この『国民投票』というのがとても意味のあることだと感じています。

原発のことについて一人一人がどういう意思を持っているか、

どう考えているかを問うことになるからです。

それは自分が責任を持つことに繋がるように思います。


僕はこれまで政治のことや、原発のことについては

無知というよりも無関心でした。

この無関心というのはいいポジションで、

すべてをお国任せ、政治任せ、他人任せにしておきながら、

何か問題が起こるとぶーたれる

政治家が悪いとぶーたれる

すべてを他人任せにしておいて、

自分はただただぶーたれるだけの

無責任なポジションにいたのだと気づきました。

なので、これまでずっとぶーたれてきた自分にも

原発事故の責任があると今では感じ始めています。


なので、まずはこの無関心という良いポジションから脱すること。

そのきっかけとなるのが『原発国民投票』になるんじゃないかなぁと思います。

僕自身、この国民投票のことを聞いたのはごく最近ですが、

とてもいいアイデアだと思い、紹介させて頂きました。


マザーテレサも言っています。

『愛の反対は憎しみではなく無関心だ』とね。


自分から関心を持つことにより

そのこと(人)について自分との接点ができ

そのこと(人)に関わることによって

自分の中に責任感が生まれ

自分のものごととしてとらえる視点が生まれるんだと感じました。


自分のこととして考えれないとほったらかしになりますからね。


そんな気づきを得た1日でした。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


Mahalo
こんばんは。 この日曜に東京に行ってきました。

ものすごい黄砂?で街から見渡す空が真っ黄色でビックリしました。


日曜日に東京へ行くつもりはさらさらなかったのですが、友だちに誘われて思い立って行くことにしました。

土曜日のお昼まで行くかどうか悩んでて、友だちに返事をしなきゃいけなくて、

悩んだ末行くことにしました。


行くと決めれば、それに向けて宇宙が動き出します。

というと聞こえはいいですが、

それは何もしなくても勝手にやってくれるということではなくて、

自分もそれに向けて最大限の行動をしているということです。


自分が意図を持って動いていると、偶然やナイスタイミングなことに巡り合います。

それは自分が意図を持ってやっているから成り立ちます。


土曜日の仕事は普段のペースでやれば、電車の時間に間に合わなくなりますが、

懸命にこなして、なんとか早く終わらせることができました。

そして、渋滞にも巻き込まれつつ会社に着き、仕事を終わらせ、

一旦帰宅し、シャワーを浴びて、用意して、パパッと電車に乗って待ち合わせ場所へ向かいました。


その間、まぁロスのないこと。余計なことがないのです。

そして、友だちと無事に合流することが出来ました。

自分でも間に合ったことが不思議な感じがする程、短時間で、ものすごい量のことをこなしていました。


後から感じたのは、自分の中にはっきりとした意図があったことです。

意図を持ってものごとをこなすことは、

何気なくやっているよりも圧倒的に効率がいいし、

結果うまくいきます。


逆に言えば、何か物事がうまくいかない時には、

自分がどういったことを意図してその物事に当たっているかに目を向けてみると

その理由が現れてくると感じます。


ただ単にやっているのか、意図をもってやっているのか

その差は歴然です。


意図を持つことにより、普段の何倍もの力が出せるということです。

なので、普段から意図を持って行動することを心がけることが大切だと感じました。

これを書いてるのは自分への戒めでもありますが。。。^^


ちなみに意図を持つ秘訣は自分が決めることです。

自分が決めたことはやりますもんね☆



ところで、東京に何しに行ったかというと、

『原発国民投票』のデモ&集いに参加してきました。


何それ?って感じですか? 

僕も初めて聞いたとき何だそれ?って感じでした。

簡単に言えば、原発の是非を国民投票で決めよう!ということです。

原発反対!でもいいし、原発賛成!!でもいいし。


その原発のことを国民みんなで決めよう。

大事なことはみんなで決めよう!という提案です。


国民投票の動きは広まってきてはいますが、

まだまだ知らない人がたくさんいるので、街中をデモ行進して、

知ってもらおうという企画に友だちが参加するので

僕も興味津々で一緒に着いて行ったというわけです。


明日は、この原発国民投票のことで、気づいたことをアップしたいと思います。


それでは~今日も1日ありがとうございました。

明日は晴れるかな☆


Mahalo


こんばんは。

今日は世界中で祈りの声が響いていたことと思います。

あれから2年。 忘れられない日です。

多くの命がこの世を後にし、残された私たちのことをいつも見ています。


『私にできることって何だろう?』

一人一人が心の中で想った言葉です。


僕は心の中で想いました。

『想ったことをどれだけ行動できたのだろうか。。。』

『想ったことにどれだけ時間をかけれたのだろうか。。。』


日々の暮らしの中でそれをやっていくには力がいります。

余計な努力が必要です。


それでも、今日という日を思い出すことで

僕の心はこう言います。

『まだまだできるんじゃない?』

『一人じゃないよ』

『前に進もうよ』


僕は想った。

その言葉はあなたの言葉かもしれないと。

僕はあなたの言葉を聴いただけなのかもしれないと。

だから僕も前に進もうと思えることが出来るのかもしれないと。

だから僕は今の道を歩いてるのかもしれないと。


そんなあなたに詩を捧げます。



『あなたが居てくれたことを想って』


あなたは私たちに命の大切さを教えてくれました

あなたは私たちに失う悲しみを教えてくれました

あなたは私たちに在ることへの喜びを教えてくれました

あなたは私たちに心の痛みを教えてくれました

あなたは私たちに人生は泣くことだと教えてくれました

あたなは私たちに人生は笑うことだと教えてくれました

あなたは私たちにさよならの辛さを教えてくれました

あなたは私たちに家族の温もりを教えてくれました

あなたは私たちにまた会えることの尊さを教えてくれました

あたなは私たちにこのすべてが有り難いことだと教えてくれました

あなたとともにした時間はここに在り

今も在り

ずっと在り続けます

安らかに

いつまでも微笑みとともに

いつまでも




Mahalo


今日は僕が書いた詩を紹介したいと思います。

最近はじめたギターを弾きながら

自分の想いを感じたままに声にだして唄ってみるというふうにして

出てきた言葉です。

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『3月10日』


あなたはどこにいた?

何をしてた?

覚えてるかい?

今日が3月10日かもしれないでしょ

だからお祝いをしよう

あたたとの出会いにお祝いをしよう

3月10日にお別れした場所がある

もう帰れない故郷がある

だからさ、3月10日

今日が3月10日かもしれないって話だよ

だから僕はお祝いがしたいんだ

あなたとこうやって会えたことを

こうやってこの場所に帰ってこれたことを

今日もありがとう あなたを感じれたことを

今日もありがとう 静かな朝を迎えれたことを

今日もありがとう 帰ってくる場所があることを

今日もありがとう あなたの顔が見れたことを

今日もありがとう あなたの声が聴けたことを

今日もありがとう あなたの香りがしたことを

今日もありがとう あなたと出逢えたことを


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今日は今から東京へ向かいます。

明日、全国各地で色んなデモや集いが行われることだと思います。

東京では、0310 原発ゼロ☆大行動があります。

これからの未来の子どもたちのことを想うと

僕は原発とは僕たちの世代でさよならしておかなければいけないと思っています。

そんな想いで参加してきます。

明日はどんな繋がりがあるのか楽しみです。

明日の出会いに感謝です。先に感謝しとこ(笑)


Mahalo




今日は渡り鳥の雁(がん)の群れの話をシェアしたいと思います。

雁の群れはV字編隊で何千キロという距離を渡っていく鳥です。


どうしてV字編隊なのかということですが、

これには理由があります。


先頭の雁が羽ばたくことにより上昇気流が起こります。

そのお陰で後続の雁は普通に飛ぶよりも楽に飛ぶことができます。

先頭の雁は疲れると後ろにまわり、別の雁と先頭を交代します。

後ろに続く雁は先頭を飛ぶ雁を「グーグー」と励まします。

決して「もっと早く飛べグー」などとヤジを飛ばしません。笑


こうしてV字編隊で飛ぶことにより

1羽で飛ぶよりも70%も飛行距離を伸ばすことができるとされています。

70%もです!


そしてさらに驚くのは、

群れの一羽がケガや病気で群れから離れると、

別の2羽が編隊を離れ、その雁の後を追いかけます。

この2羽はケガした雁が回復するまで

あるいは息をひきとるまで

一緒に側で付き添います。

そしてその後新しい群れに加わるか、

新しい編隊を作って元の群れに追いついて行くと言われています。


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雁のこうした行動は本能なのでしょうか。

知識があるわけじゃないですし。

お互いを助け合い励まし合うことにより

何千キロという長い道のりを超えてゆく本能。


それは僕たち人間にも言えることだと思います。

僕たちも助け合い励まし合うことで困難な道のりを超えてゆける。

1人では到底乗り越えることのできないようなことも

仲間がいてくれることで立ち向かって行ける。

僕たちが暮らしを営んでいるこの地球は

まさに今、競争の時代から、共生の時代へ

シフトしていく時だと感じています。

そのためにも、自分から。

自分から与えることです。

何か人にいいことされると気分いいんですよね。

そして自分も人に何かできないかなって考える。

その一人目に自分がなることで、

世の中は気づきに溢れ、優しさが溢れる。

だから僕もその一人目になりたい。

雁の群れの一羽になりたい。


明日はなにか一つ人にいいことをしてみよう。

気づきのきっかけになれることがきっと何かあるはずです。


そんなことを感じたお話しでした。


Mahalo
今日は『慈しみ練習』を紹介したいと思います。

僕が参加していたアバターコースでのワークの一つです。

僕は普段、電車に乗ったときによくこの練習をします。

ちょっと離れた人に対してこの練習をやるのですが、

人って注意を受けると気づくんですよね。

じーーーーっと見てるもんだから笑

でも、色んな人に対してやってると、

その人たちが他人ではないんだなぁって気持ちになってきます。

自分と同じなんだなぁって。

人との壁がなくなっていることに気づきます。

自分が勝手に価値判断してるんですよね。

この練習を何人かにやると、

人に対してやさしい気持ちになります。

そして、実は僕はとてもあがり症で、

人前にでるとものすごく緊張してしまって

パニックになるのですが、

この練習をすることで、ステージの上から見える人に対して

やさしい気持ちになり、落ち着いていられるようになってきました。

どの人も自分と同じなんだという視点は、

人に対するやさしさを与えてくれます。


慈しみ練習

やり方
この練習は、人が集まるところであればどんな場所でもできます。
(空港、ショッピングモール、公園、海岸など)
目立たないように少し離れた場所から、
見知らぬ人に対して行ってください。
5つのステップ全てを、同じ人物に対して行うようにしてください。

期待される成果
個人的な心の平和


ステップ1 その人に注意を向けながら、自分にこう言ってください。
『まるで私のよう。この人も人生の幸せを探している』

ステップ2 その人に注意を向けながら、自分にこう言ってください。
『まるで私のよう。この人も人生の苦しみから逃れようとしている。』

ステップ3 その人に注意を向けながら、自分にこう言ってください。
『まるで私のよう。この人も悲しみや、孤独、絶望を知っている。』

ステップ4 その人に注意を向けながら、自分にこう言ってください。
『まるで私のよう。この人も自分のニーズを満たそうとしている』

ステップ5 その人に注意を向けながら、自分にこう言ってください。
『まるで私のよう。この人も人生について学んでいる』



バリエーション
1.カップルや家族の者同士が、お互いの理解を深めるために行うこともできます。

2.自分の記憶にまだ存在している長年の敵や、敵対者に対して行うこともできます。

3.地球外の生命体に対して行うこともできます。


これはハリー・パルマー著『リサーフェシング®意識を探求するテクニック』の中にある30の練習のうちの1つです。

アバターコース®、リサーフェシング®はスターズ・エッジ社の登録商標です。

今日は春の陽気を感じるような暖かさでした。

これからますます気温も上がり春まっしぐらですね。

春を感じているのは僕たち人間だけではなく、虫たちも春の陽気を感じ、

土の中から顔を出し始めます。



今日、啓蟄(けいちつ)という言葉を職場で耳にしました。

3月5日から19日頃までの二十四節気に当たるのがこの啓蟄という言葉です。

*二十四節気・・・古代中国において太陰暦を使用していた時代に考案された暦で、節分を基準に1年を24等分し約15日ごとに分け、季節の変化を表したもの。


『啓』とは『ひらく、開放する、(夜が)あける』という意味があり、

『蟄』とは『冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる』という意味があります。


つまり啓蟄とは

地中の中で冬ごもりをしていた虫たちが、

早春の光を求めて温もった土を啓(ひら)き、

這い出してくるという意味になります。


虫たちも春の陽気に土から顔をだすんですね。

なにかブログにアップするいい虫の写真が撮れないかなと

見回してましたが、見つかりませんでした。

今日はまだ顔をだしただけで、二度寝したんでしょうかね笑


春へと移り変わる自然の摂理。

そんな自然をそばで感じながら

丁寧な暮らしを心がけて生きたいです。


Mahalo

こんばんは。今日は素敵な記事をご紹介します。

もう読まれた方も多いかもしれませんが、

『イチロー選手の目標設定術』について

月刊『致知(ちち)』さんにて投稿されていた記事です。

この月刊『致知』さんは、人間力を高める雑誌創りに力を入れられて34年にもなる月刊誌さんです。

こちらが記事元のリンクになります。↓(続きを読むには登録が必要となります。)
http://www.chichi.co.jp/episode/3025.html
下記に転記いたします。

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「誰よりもやった練習です」


イチロー選手の目標設定術
奥村幸治

オリックスで打撃投手を務めていた頃、不調に陥った選手に「投げましょうか?」と声を掛けると、ほとんどの場合、「頼む」と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたいと思うのが人情というものだろう。

そんな中、私の申し出に一人だけ
首を振った選手がいた。

当時二十歳だったイチロー選手である。


試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は
「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」と言う。
「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか?そうなっては、自分の能力って絶対に発揮できないですよ。バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。

「初めてお父さんとキャッチボールした時、
どんな気持ちになりましたか?またやりたいなと思ったでしょ。その気持ちなんですよ。そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、絶対に技術って向上していくと思いますよ」

イチロー選手のプロ入り三年目の年、
彼の専属打撃投手となった私は、寮生活で一年間寝食をともにし、多くのことを教わった。
彼と初めて出会ったのは、私が二十歳、彼が十九歳の時だった。
初めてそのバッティングを見た時、年下にこんなに凄い選手がいるのかと舌を巻いたが、最も驚いたのは、彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていたイチロー選手は、夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。
そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、
一軍入りを果たした彼は、全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。
不思議に思って尋ねてみたところ「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」とのことだった。

一軍でまだ何の実績もない選手が、
自分のいまやるべきことは何かをちゃんと理解して行動している。私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、彼の取る行動や言葉のすべては、他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。目標って高くし過ぎると絶対にダメなんですよね。必死に頑張っても、その目標に届かなければどうなりますか?諦めたり、挫折感を味わうでしょう。それは、目標の設定ミスなんです。頑張れば何とか手が届くところに目標を設定すればずっと諦めないでいられる。そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」

二軍時代のイチロー選手は、
マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、普通の選手に同じことをやれと言っても、それだけの時間、集中してスイングすることはできない。
それがなぜ彼には可能なのかといえば、私はこの「目標設定の仕方」あるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、
その日にクリアしなければならない課題がある。その手応えをしっかりと自分で掴むまで、時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、継続する力、つまりルーティンをいかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手にこんな質問をしたことがあった。「いままでに、これだけはやったな、と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。


「僕は高校生活の三年間、一日にたった十分ですが、寝る前に必ず素振りをしました。その十分の素振りを一年三百六十五日、三年間続けました。これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を務めているが、それと比して考えてみると、彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると何をやってもすぐできるようになる。下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、 下手な子は粘り強くそれを続けいつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、できるようになった後もなお練習を続けるため、結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、ひたすら継続を重ねる。私はこれこそが、彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

2000年に結成した私の少年野球チームは当時九名の部員だったが、現在百名を越える数になり、その中から多くの甲子園球児が生まれていった。

現在、プロで活躍している田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から学んだことを折に触れては話し、野球に取り組む姿勢としてそれを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、それに向けての継続を怠らなければ、必ず次の段階へと自分を押し上げていくことができる。

そしてそれは、人生を生き抜く力にも繋がっていることを、野球を通して伝えていければと考えている。

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イチロー選手はほんとに素晴らしい方です。

目標設定を自分の中で確立し、そしてそれに忠実に行動している。

見習うところがたくさんあります。

まずは身近な目標を創ることかぁ。フムフム。

そういや!身近な目標の導き方に、こういったものがありました。

一つ大きな目標があるとして、そこから逆算して、今の自分の地点までたどっていく。

どういうことかというと、

例えば 『大富豪になる』という大きな目標があるとすれば、

それを達成する前はどういった自分である必要があるかというと、

『ネットビジネスの会社を運営している』ということになり、

そのためには何をする必要があるかというと、『ネットビジネスについて学ぶ』が必要で、

さらにそのためには、『良い先生(教材)を探す』

さらにさらにそのためには、『色んなセミナーに参加してみる』

といった感じのやり方です。かなりザックリと言ってみましたが^^;

逆算して行き、今の自分の地点まで戻って来た時に、

今何をすればいいのかが明確になる。

スモールステップにしてみれば、とりあえず今すべきことが明確であるし、

さらに次のステップもはっきりしているので、脱線しにくいです。

よろしければ、自分の目標に当てはめて、試してみてください。


いや~それにしてもイチロー選手には勇気をもらいました!

Mahalo

ブログの名前を変更しました!

Kizuki Forest~気づきの森~

どういったことを発信していこうか、していきたいのか、自分の心の中で自問自答する日を経て、

このタイトルで生きたいと思います。

『気づき』『森』というキーワード。


『気づき』について

自分の経験から、そしてみなさんの経験からも、何か自分の中で変化が起きる瞬間。

それが何かに『気づいた』時だと思います。

自分が『気づく』ことで自分の経験として初めて変化が起きる。自己変革が起きる瞬間。

いくら他人に同じことを言われていたとしても、自分の『気づき』として経験しない限り変革は起きないと思います。

この『気づくこと』は自分の歩む人生に大きく関わってきました。


『気づくこと』で、これまでネガティブに思っていたことが、そうじゃなかったと分かり、

『気づくこと』で、これまで親に対して抱いていた感情が解き放たれ、

『気づくこと』で、これまで自分の経験してきたことが意味のあるものだと感謝し、

『気づくこと』で、それはただの価値判断だったと知り、

『気づくこと』で、今の自分の環境、仲間、親のありがたみを感じ、

『気づくこと』で、今までの道はすべて自分が選んでいたんだと腑に落ちる。


『気づき』の重要なこと。それは自分で』気づくこと。

そうじゃないと腑に落ちない。そう腑に落ちない。

『あっ、そうかー!!』 『そうやったんや!!』『あーーー↑!!』

まさにこの言葉です^^

『気づき』が与えてくれる恩恵は誰もが感じたことがあることだと思います。


そんな『気づき』をこのブログではテーマにしていきたいと思います。


そして、『森』について

この『森』に関しては、自分がただ好きなだけです^^;

なんで『森』なんでしょうね。

好きなものに理由はいらない!と言いたいところですが、

『森』は僕が大切にしていきたいことを包容していると表現したらいいでしょうか。

『大自然』『母なる大地』『地球』『あるがまま』


日本はとくに『森』に囲まれた国です。

『森』の豊かさのお陰で人間の営みがあるんですよね。

『森』がなくなれば僕たちは生きていけないというくらいに。

『森』は『木』が集まってできていますが、色んな種類の『木』によって成り立っています。

一種類だけでは成り立ちません。

それは僕たち『人間』と同じです。

色んな人がいて成り立っている。だから人それぞれでいいんですよね。

『あるがまま』でいいんですよね。

そんなことを『森』に感じています。

『森』についてはまた詳しく書きたいと思います。


さぁて、これからどんなことを書いていこうかな。

見に来てくれる人がなにかに気づくきっかけになれるようなことを発信していきたいですね。

みなさんもこの『森』の住人になってくださいね。

Kizuki Forest~気づきの森~

これからよろしくお願いします。


Mahalo