無関心という良いポジション | Kizuki Forest〜気づきの杜〜

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京都、舞鶴を拠点に植木屋をしています、増茂です。

Aloha Ahiahi(アロハ アヒアヒ)!! 

ハワイ語で『こんばんは』です。

今日は昨日の続きを書こうと思います。


先週の日曜に原発国民投票のデモ&集会へ東京へ行って来たとお伝えしました。

原発国民投票とは、

原発に賛成の人もいていいし、

原発に反対の人もいていい。

これからの原発のことを国民みんなで投票して

どうするか決めていこう。

大事なことは、みんなで決めようという提案です。

この『国民投票』というのがとても意味のあることだと感じています。

原発のことについて一人一人がどういう意思を持っているか、

どう考えているかを問うことになるからです。

それは自分が責任を持つことに繋がるように思います。


僕はこれまで政治のことや、原発のことについては

無知というよりも無関心でした。

この無関心というのはいいポジションで、

すべてをお国任せ、政治任せ、他人任せにしておきながら、

何か問題が起こるとぶーたれる

政治家が悪いとぶーたれる

すべてを他人任せにしておいて、

自分はただただぶーたれるだけの

無責任なポジションにいたのだと気づきました。

なので、これまでずっとぶーたれてきた自分にも

原発事故の責任があると今では感じ始めています。


なので、まずはこの無関心という良いポジションから脱すること。

そのきっかけとなるのが『原発国民投票』になるんじゃないかなぁと思います。

僕自身、この国民投票のことを聞いたのはごく最近ですが、

とてもいいアイデアだと思い、紹介させて頂きました。


マザーテレサも言っています。

『愛の反対は憎しみではなく無関心だ』とね。


自分から関心を持つことにより

そのこと(人)について自分との接点ができ

そのこと(人)に関わることによって

自分の中に責任感が生まれ

自分のものごととしてとらえる視点が生まれるんだと感じました。


自分のこととして考えれないとほったらかしになりますからね。


そんな気づきを得た1日でした。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


Mahalo