映画メシの誘惑:『グリーンブック』のフライドチキン | シネマの万華鏡

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はちみつバードの七夕企画「#愛されフード」参加記事第2弾!

前回は納豆だのゴーヤだの、あらぬ方角に飛び火しましたが、今回はまっとうな映画ブログに戻って、「おいしい映画」をお題に書いてみたいと思います。

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映画を観ていると、たいてい一度は食べるシーンがありますよね。一家団欒の食事にパーティ、学校や職場のランチタイム、放課後の寄り道、デート・・・何気ないシーンでも、登場人物たちが食べてるものがとても気になるものです。

中には『ローマの休日』のジェラートみたいに、聖地巡礼の必須アイテムになったものも。ヘプバーン気分でスペイン階段に腰かけてジェラートを食べる観光客があまりにも多いので、最近ではついにスペイン階段に腰かけること自体が禁止になってしまったとか・・・映画の影響力ってすごいもんです。

皆さんにとっての食の名場面は、どの映画のシーンですか? 私は何かな・・・いろいろ思い浮かぶ作品があって迷ってしまうのですが、そんな中で今日は「日本人も大好きな食べ物」が登場する作品をピックアップしてみました。

ということで、今日の「愛されフード」は『グリーンブック』(2018年)のフライドチキンです。

 

『グリーンブック』は2019年のアカデミー賞(作品賞など3部門)受賞作。

主人公は、ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めるイタリア系移民・トニー(ヴィゴ・モーテンセン)。ナイトクラブの改装工事で職にあぶれていたところ、たまたま運転手を募集していた黒人ピアニスト・シャーリー(マハーシャラ・アリ)に雇われることに。トニーの運転で、2人は南部のコンサートツアーに旅立ちます。

時代は1960年代。この時代に黒人ピアニストが南部へ行く・・・となれば、何が起こるか?もう観ていない方にもうっすら想像がつくと思います。しかしそこは主人公がイタリア人とあって、根深い人種差別問題もラテン系のおおらかさでふわっと大団円、決してシリアスになりすぎないのが身上のヒューマンドラマです。

見どころは、自身人種偏見を持っていたトニーが、シャーリーとの交流を通じて変わっていくこと。そしてシャーリーも。がさつで脳天気なトニーと、英才教育を受けて育ち、神経質で孤独なシャーリーとのでこぼこコンビぶりも楽しい! 

あの超がつく美形のヴィゴ・モーテンセンががさつで能天気?!と意外に思われるでしょうね。そうなんです、役作りのために激太りしたヴィゴの渾身の演技にも(そしてシャツからはみ出したお腹にも)目が釘付けです。

ちなみにシャーリーもトニーも実在の人物。シャーリーはカーネギーホールの最上階に住んでいたほどの人気ピアニストだったようです。

 

 

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さて、フライドチキンが登場するのは、2人の車がケンタッキー州に入り、トニーがロードサイドにフライドチキン店を見つけて、

「おお!ケンタッキーでフライドチキン! 本場のフライドチキン食おうぜ!」

と騒ぎだす場面から。嫌がるシャーリーを無視して、トニーはさっさと店の前で車を止め、チキンを買いに走ります。どっちが雇い主か?という感じですが、万事この調子。

ほどなく巨大なチキンバーレルを抱えて上機嫌で戻ってきたトニー。運転しながら手づかみでムシャムシャやり始めます。

「こりゃうめえ! 今まで食ったチキンで一番うまいぞ、あんたも食ってみろよ」

てな調子。どうしてくれる、この男。

しかしシャーリーは食べない。

「黒人だからフライドチキンが好きだと思うのは偏見だ、私はフライドチキンを食べたこともない」

と、彼は不機嫌です。

「嘘だろ?黒人と言えばフライドチキンにコーンミールにあぶら菜じゃないか」

と驚いてみせるトニー。

実はこの場面は、この会話を抜きにしては語れないところです。フライドチキンは奴隷制時代の黒人のソウルフード。骨のない部位を白人が食べ、残りの骨が多い部位が黒人用に回されたために、この調理法が生まれたとか。「黒人の食べ物」ゆえに、白人はフライドチキンを食べたがらなかった時代があった。つまりフライドチキンは、アメリカではかつての差別の象徴なんですね。

だから、「黒人と言えばフライドチキンだろ?」というトニーの発言は立派な差別・侮蔑なんですね。でも、それに全く気づいていないトニーの言い分はこう。

「なんで?「イタリア人はみんなピザとスパゲティが好きなんだろ?」と言われても俺は気にしないよ」

それとこれとは ち が う・・・でも、ザッパーなトニーには言うだけムダです。

そこへいくとシャーリーは「金持ち喧嘩せず」。怒っても仕方ない相手に本気で怒ったりはしません。逆に、素手でぐいぐいチキンを鼻先に突き付けてくるトニーに「ナイフとフォークがないから食べられない」「不衛生だろう・・・」とぼやきながらも、最後にはチキンを受け取ります。初めて手づかみで物を食べる人みたいに(実際そうだったのかも)、指3本でつまんで。

そして、フライドチキンをおっかなびっくり齧るんです。

このそっと齧る一口が可愛らしくて! どうやらシャーリーにもなかなか美味しかったようです。

ただ、問題がもう1つ。

「で、骨はどうするんだ?」

するとトニーは車の窓を開けて、

「こうすんだ!」

と、ぽいっ。

それを見たシャーリーは、マネして自分もぽいっ。

シャーリーとポイ捨て仲間になったことが嬉しかったのか、調子に乗ったトニーはジュースのカップまでポイ捨てしてしまい、さすがにシャーリーに叱られて、拾いに戻る羽目に。

「ンでだよ、そのうちリスが食うって!(←食いません)」

とぶつくさ言いながら車をバックさせて拾うトニー。

こうして2人の旅は続きます。

チキンはこの後南部のコンサート会場でも登場します。どんな場面かは映画本編でお楽しみくださいね。

 

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何も知らなかったとは言え、白人のトニーが黒人のシャーリーにフライドチキンを無理強いする場面は、不快に感じた方もいらしたかもしれません。

2019年のアカデミー賞授賞式で本作が作品賞に選ばれた時、同じく作品賞にノミネートされていた『ブラッククランズマン』の監督スパイク・リーは席を蹴って出て行ったという話も。

スパイク・リーは黒人に対する人種差別問題をテーマにした作品を作り続けてきた人で、その彼にしてみれば、『グリーンブック』は白人サイドから見たご都合主義な大団円ドラマに思えたんじゃないでしょうか。

この作品をめぐる賛否両論を目にするにつけ、トニーとシャーリーが2人してフライドチキンを食べるこのシーンは、かなりきわどい場面だということに気づかされます。

ただ、個人的に思うのは、フライドチキンと黒人を結び付けるのも差別的ステレオタイプなら、フライドチキンと黒人は結び付けちゃいけないという考え方もまた、紋切り型過ぎるのではないかということ。

人間と人間の関係の問題なのだから、相手に悪意があるのか、そうじゃなくて一緒にフライドチキンを食べて「ケンタ最高!」と言い合える人間なのか、その時々で相手の人間性を見極めることができたら、それが一番なんじゃないかと。

 

美味しそうなだけでなく、アメリカ人種問題史とフライドチキンの関係についても教えてくれる作品。皆さんは本作を観てどう感じられるでしょうか? でも、作品の賛否は分かれたとしても、本作を観れば必ずフライドチキンが食べたくなっちゃうことだけは保証します。それもチキンバーレルでw