24. 若手旋斗との対面
『ふくちゃん』の家で飲んで以来、響の住むマンションに馬込警部補が姿を見せることはなかった。それどころか、嶋咲枝殺しの依頼人である斉藤もやって来ない。麻薬取引のボスの部下である木崎すらやってこなかった。響が遠出して水道橋で会う女、玲香に会う事もなかった。会ったのはせいぜい式羽(しきば=風俗店店長)くらいで、一緒にナンパしに行き、一度だけ女を抱いた。後はいつもどおり居酒屋『ふくちゃん』に通っていた。かんさんととっちゃんとはよく飲んでいた。でも、響がさくらと会う事はなかった。
そんな関係の毎日が流れていた。
世間は盆休みに入っていた。上野の通りを休めない会社員が歩いていた。
朝8時だった。響は自分が住むマンションの入口付近で待ち合わせをするかのように、壁に凭れ(もたれ)て立っていた。馬込警部補は姿を見せなかった。特別な用が彼にあるわけではなかったけれど、響は今、行き場を見失っていた。
時々行く高級喫茶に入った。コーヒーとホットドッグを頼んだ。新聞を読んだ。世の中の人は北京オリンピックに話に沸いていた。響には興味がなかった。ゆっくりするつもりだったが、騒がしくて落ち着かないので、コーヒーを飲み干すとすぐに喫茶店を出た。
外に出ると意外な男が立っていた。居酒屋『ふくちゃん』でギター片手に歌を歌う歌い人だった。彼は人見知りの激しい男なので挨拶もしないかと思っていたが、響の姿を確認すると意外にも近づいてきた。
「やあ」と彼は挨拶をした。歌以外の彼の声を聞くのは、まるで初めてのようだった。澄んだ綺麗な声をしていた。
「珍しいですね。こんなところで」と、響は返した。
少しもじもじして、彼は口を開いた。
「時間はあるかい?ちょっと付いてきてほしいんだ」
さらに意外な事に、歌い人は響に用があるみたいだった。響は退屈していたので、断る理由が浮かばなかった。
歌い人は路上に駐車していたスターレットに響を誘った。そしてスターレットは昭和通りを浅草方面に向けて走り出した。
「驚いたかい?急に現れて」
歌い人は話しかけてきた。
「そうですね」
と、響は答えた。
「僕の本名は知っている?」
「いや」
と、響は答える。
「僕の本名は柏木守(かしきまもる)っていう。一応知っていたほうが便利だろうと思って」
響は変な事を言うなと感じた。
「いったいどこへ行くんですか?」
「まあ、辿り着いたら話す」
そのまま、車は錦糸町方面へ向かい、さらに江東区の方へと向かっていった。
東陽町あたりの狭い路地にある中華料理屋の前で車は停った。柏木は響に車を降りるよう合図して、響が車を降りると、そこに入れるのかというくらい左右幅のない狭い駐車場に車を入れた。ボンネットは路上に飛び出していた。
壁すれすれをすり抜けて柏木は降りてきた。そして中華料理屋に響を誘った。
朝9時前、もちろん中華料理屋はやっていない。中に入れば、客はもちろん、店員もいない。
カウンターといくつかのテーブル席がある。その空間を抜けて、奥の扉をくぐる。そして2階へ通じる木の階段を上ってゆく。昭和の匂いがする築30年といったところの建物だ。2階の廊下を抜け、一番表側になる部屋のふすまを開いた。
「若手(わかて)さん、お待たせしました」
と、柏木は言った。
若手と呼ばれた男は窓際にある低い椅子(座椅子の底を少しあげたような椅子)に座って、頭にタオルを被っていた。クーラーの効かない部屋のようで扇風機が回っていたが、すでに朝から部屋の中は蒸していた。
その男に危険な匂いはあったが、嫌いな匂いではなかった。響は若手と呼ばれた男に第一印象から妙な親近感を抱(いだ)かされていた。
若手はタオルをどけて、顔を見せた。鋭い目の、ほっそりした顔つきの男だった。無精ひげが生えていた。髪は長髪だ。ちなみに響の髪も長めで、歌い人(柏木)の髪も長い。髪の長い3人が集まった(余談)。齢は30半ばといったところだろうか。身長は座っているが180cm以上はあるようだ。若手は目をぎらりとさせて、響を見つめた。
若手:「君が響君か。今日はよく来てくれたね」
柏木が畳のその場に腰を下ろし、響もその横に胡坐(あぐら)をかいて座った。
柏木:「彼の話を聞いてほしい」
響は何も言わなかった。
若手:「俺の名前は若手旋斗(わかてせんと)と言う。君に来てもらったのにはそれなりの理由
がある。どこから話したらいいか、少し難しい。これはとても複雑で、長い話なんだ。
まずは、言ってしまうと、俺は君がどんな仕事をしているかを知っている。
それは君の育ての親にあたる男が何をしていたかを知っているからだ。
名前を言ってしまえば月島雅弘(つきしままさひろ)通称まさの事を、俺は知っている。
しかし、彼と俺は知り合いでも何でもない。一方的に俺が彼の事を知っているだけだ」
響はそこまでの話で、彼らが警察ではないかと勘繰(かんぐ)った。
しかし、若手はその勘をすぐに打ち消した。
若手:「言っておくが、俺は警察組織とかそういった類(たぐい)の者ではない。彼(柏木)も同じだ。
まあ、俺はそういう場所に在籍していた事もあった。しかし今は関係ない。全くね。
話は戻るが、俺はまさを追っていた。
そして彼をある居酒屋で見つけてからそこにいる柏木にまさを付かせた。
ずっと見張っておいてもらったんだ。
この数年間、彼はその居酒屋でずっと歌っていたそうだが、
柏木があの店にいた本当の理由はまさを見張る事にあったんだ」
柏木はぺこりと頭を下げて、響を見た。響はまるで勘付いていなかった。勘のいい響でさえ、彼が何者かを気にする事がなかった。
若手:「話を少し変えよう。
これは俺の考えなのだが、世の中には表と裏がある。
君にもその事はわかるだろう。自分がしている事が裏の仕事だという事はわかっているはずだ。
そして俺がどちらかというと、俺も裏の人間だ。警察組織は表だ。
世の中には表と裏があり、大半は表、表の世界でこの世は成り立っている。
時代が荒れていたときには裏が表立つ事もあっただろう。
この平和な世界の中じゃ、世の中は表で大半が成り立っている。
世の中を平和に保つために世の中は表を保っている。
ここまでは理解してもらえるかな?」
響はこくりと頷く。
若手:「俺はここから表を光、裏を闇と言い表す。いいね。
世の中は平和を保つために光の世界を拡げてゆく。光は法や良識で守られている。
欲望も含め、法や良識が認めれば全て光になる。
つまりは法や良識が許せば、何をやっても許されるという事だ。
もう一つ、世の中には上位と下位がある。上位の人間は下位の人間を支配する。
どうすれば上位になれるかといえば、単純に賢い人間は上位になれるし、バカな人間は下位になる。
法や良識を上手に扱える奴らは、この世の上位に存在し、
うまい言葉を並べて自分の行為を肯定し、自分の地位を守る。
それは一部の人間だけの世界だがね。
上位は上位の人間だけで、自分の地位を守ったり、
自分の地位を脅かすものを排除したりするんだよ。
彼らは良識や常識と名目付けた自分の地位を守るための知恵を持って偉そうに生きているんだ。
そんな物事には気づかずに、平和に暮らすこともできる。
世の中が成り立っているのはそんな事を気にせず平和に生きている下位の人間がたくさんいるからだ。
その事がとても大切な事だ。
ここまで、いいかな?」
響は頭をフル回転させ、彼の言っている事を理解する。
『光=法=良識=常識。上位と下位。上位=法を操る。下位=法に操られるという事か』
そして頷く。
若手:「闇は上位と下位の間、もしくは上位と上位の争いの中で生まれる。
誰だって妬みや恨みを抱く。不幸が重なれば重なるほど、人は闇を広げてゆく。
誰だってうまくいかない事があれば劣等感から妬みや恨みを持つ。
だからといってすぐにそれが闇に繋がるかというとそういうわけでもない。
人というのは努力や別の満足でそういった怒りを鎮(しず)める力を持っている。
人はそこに感動したり、喜びを感じたりする。
一般的には闇に繋がる程の怒りを持つこともないだろう。
でも一部の人間は違う。いつまでも強い劣等感を引き摺り、光に反発する。
闇の世界はそうやって生まれた。俺もそうやって闇の中で暮らすようになった。
闇に暮らすもの全てが怒りや劣等感で暮らしているわけではない。
引き摺り込まれて暮らすものもいる。君はどちらというと闇に引き摺り込まれた方だろう。
まさという男に会わなければ、君はそんな事はしていなかったはずだ」
響にはわからなかった。自分は確かにまさに会わなければ、麻薬を運ぶ事などなかっただろうが、まさがいなかったらまともに生きていけたかというとそうとも言い切れない気がした。だから響は頷く事も否定する事もなく、ただ若手の話を聞き続けた。
若手:「ここで本題に入ろう。俺はさっきも言ったように、闇に引き摺り込まれた人間だ。
世の中に対する怒りや劣等感を捨てきる事ができなかった。
一度は光に生きようと誓ったが、結局運命はそうさせてはくれなかった。
俺の親は俺が幼い頃に麻薬に手を染めて、おかげで俺は酷い幼少時代の中で育った。
6歳の時に孤児院に入れられ、10歳の時に伯父(おじ)に引き取られた。
俺は俺のような子供を作ってはいけないと警察官を目指した。
運のいい事に伯父は親父と違いまともな人間だったから、俺が無事に警官になるまで育ててくれた。
そして俺は少し変な部署に入れられたが、
そこで麻薬に関する捜査を行い、結構な所持者や売人を捕まえた。
でもやっていくうちにそれは永遠に続くゲームのように思えた。
経験値を上げるごとに俺は上手に売人を捕まえる事ができた。捕まえる頻度も上げた。
上司は俺を褒(ほ)めた。
だから何だというんだろう。俺のやりたかった事が何なのか、疑問は膨れていった。
ねずみ捕りと変わらない。何の答えにも繋がらない。そう思った。
俺は麻薬の根源となる部分に手を付けようとした。
組織犯罪の上部に手を付けようと。
でも上司に止められた。それは自分の課の仕事を超えた仕事に値するからだ。
俺は到底、納得できなかった。
俺は自分が組織犯罪に関わる部への異動も含め、どうにかならないかと持ちかけた。
上司は相談に乗ってくれたが結局は駄目だった。
上層部がそれを許さなかった。俺には理解できなかった。何かがおかしくて仕方なかった。
何かに抑えつけれている。そう思ったときに、俺はその事実の全てが知りたくなった。
そしてそのためには今ある地位の全てを捨てなくてはならないと感じ取った。
先で言ったところの上位と下位の間に生まれた闇だ。
俺は自ら警察を去り、麻薬を扱う真の犯人を突き止めようと考えた。
さて、お分かりかな?」
響 :「俺は、真の犯人でもなんでもない」
若手:「そんな事は百も承知だ。
俺はさっきも言ったように、君が闇に引き摺り込まれた人間だと思っている。
俺は君のしている仕事を恨んでいる。だが、君自身は恨んでいない。
柏木は君が決して悪い人間ではないと言っていた」
柏木は少し照れたように笑顔を浮かべ、響を見た。
若手:「俺も君に会ってみて、そう思う。俺が望むのは、君に力を貸してほしいという事だけだよ。
俺らの仲間になって、世の上層にいる汚い奴らを消し去りたいだけなんだ。
光を操れる者は闇も操れる。光と闇で言ったら、闇より光の方が常に上位にある。
光を操る者のさらに上位は闇も操っているだよ。
君はその者の正体を知っているのか?」
響の脳裏にはすぐに嶋咲枝の姿が浮かんだ。光と闇を操る者、彼女がまさしくその者であった。そして響はその女を殺したいと思っていた。若手の仲間になる事は自分の意思に比例していた。
響 :「知らない。俺は、ただ仕事をしているだけだ」
若手:「そうか、まあいい。君はどちらにしても、俺たちにとって重要な人間だ。
そうでなくてはわざわざ姿を晒(さら)して君の前に出てはこないさ。
俺は柏木を信じている。君はまさとは違い、もっと真実に近い人間だとね」
響 :「真実に近い?」
若手:「君も俺らと同じく、真実を求めている。
本当に正しい物を求め、常識や良識がいかに愚かなものであるかという事を知っている。
俺は君にそういった意思をを感じるよ」
響は嘘を付いたし、若手のいう事を理解しようとはしなかった。若手という男の事が嫌いにはなれなかったし、その男のいう事を信じる事もできた。それでも響は誘いに対して、縦に首を振る事はできなかった。それは、嶋咲枝に対する復讐は自分で果たすものだと決めていたからかもしれない。響の意思は若手が想像するよりも遥かに強いものだったのだろう。
若手:「まあいい。君がどうするかは君に任せる。
君に仕事を与える人間に俺らの事を伝えてもいい。いずれ俺はその者と会いたいと思っている。
どういう形であっても、そうしないとならない。そろそろその時期が近づいてきているのさ。
俺はそう思い、君を今日ここに呼んだ。
一番大切な事は、君が俺という存在を知った事なんだ。それだけで十分だ」
若手はそう言うと、またタオルを頭に被って、眠ったように静かになってしまった。
柏木:「とても残念だよ。君は僕らの仲間になってくれると思っていた。とりあえず、送ってくよ」
柏木がそう言って、二人は立ち上がった。部屋を出て、階段を下りると、食堂に一人の見知らぬ男がいた。白い割ぽう着を着ているところから店の主人のようだ。
柏木:「金子さん、今日のところは、話は決裂です」
金子:「そうか」
金子という40くらいの店主はニコリと響に微笑んだ。
『彼も闇の人間なのだろうか』と響はふと思った。
中華料理店を出て、柏木が運転し、上野に帰るその途中で話を始める。
柏木:「これからも、僕は『ふくちゃん』の店で歌わせていただきます。今日の事は忘れてください。
僕は歌を歌うのも好きなんです。
若手さんと同じく、親父が狂わなければ、まともにミュージシャンを目指していたかもしれませんね。
もし、今日の事に興味があるのなら、こちらに電話してください」
柏木はそう言って、携帯電話番号の書かれたメモを渡す。
柏木:「それから、できれば、運びの仕事は控えめにしてください。響君に恨みはない。
でもその事が行われる事が、僕にはどうしても許せないんですよ。恨みはない」
響はどうとも答えること出来なかった。
ただピリピリした柏木の表情、思い出される彼の歌声が響の心に今までにない申し訳ないと思える感情を与えていた。
太陽は高いところまで上がっていった。車のクーラーは効いているが、それでも熱気を消せない暑い一日になりそうな予感がした。
第4章終
23. 日暮里スーパー爆破事件
その日、月島雅弘(つきしままさひろ=通称まさ)は銚子港まで魚(漁師が運んだ白い粉)まで取りに行き、日暮里のスーパーへと向かった。五月晴れ(さつきばれ)の一日だった。
まさにとっては低収入の仕事だった。それでも1tトラックは手配せずとも依頼者が貸し出してくれたし、スーパーに魚を届けたら近くの月極(つきぎめ)駐車場にトラックを乗り捨てておけばいいだけの楽な仕事だったので承諾(しょうだく)した。
狭い路地にあるスーパーに着いたのは午前11時だった。裏の搬入口に回り、トラックを付けた。
車から降りると、笑顔を浮かべる眼鏡を掛けた男が近づいてきた。胸に『店員 松嶋』という名札を付けていた。まさはその名札を確認すると、男に声を掛けた。
「こんちは、取れたての、活きのいいのを持ってきたよ」
「ありがとうございます。ちょっと待ってください」
男は優しい声で答えて、遠くから台車を持ってきた。
「これで乗りますかねえ」
「ああ、一箱だけだからね」
まさはそう答えて、トラックの後ろを開け、中から白い発泡スチロールの箱を取り出し、その台車の上に置いた。トラックの中には他に何も入っていなかった。
「ああ、これ、サイン」
まさはそう言って、納品書を渡した。男は受け取り、それにサインをした。
「それから、これを」
眼鏡の男はそう言って、厚手のエプロンのポケットに入っていた封筒をまさに渡した。
まさは中身を確認し、(万札の束に)にこりと笑って、「それじゃあ、どうも」と挨拶をした。
松嶋(眼鏡を掛けたスーパーの店員)は白い発泡スチロールの乗った台車をスーパーの倉庫へと運んだ。トラックが去っていくのを確認し、倉庫とスーパーの店内とが繋がっているドアの前までそれを運ぶと、中身を開いた。中にはスポーツバックが入っていた。そしてそのジッパーを開くと、中には白い粉がつめられていた。松嶋はジッパーをすぐさま閉めて、小さな南京錠で鍵を掛けた。
「まつしまさ~ん」
遠くで誰かが松嶋を呼ぶ声がした。アルバイトの木村の声だ。大学を卒業して就職せずにフリーターをしている柔(やわ)な男だ。
松嶋は面倒に思ったが、舌打ちをして、木村の方へと向かった。木村は倉庫の中の生活用品が置かれた場所で、柵に囲まれた大きな台車を動かせずに困っていたのだ。白い発泡スチロールの箱からは少し離れ、店内とを結ぶ別の扉がある場所で、松嶋は木村を手伝って、大きな台車の置き場を移動させた。
「すみません。奥にあるサランラップが取れなくて。どこかのおばさんが大量に買い込んで、なくなっちゃったんですよ。急に」
木村は松嶋にそう説明をした。松嶋は汗一つ流さずに、クールに微笑んで、「そう、しかたないねえ」と答えた。
田山夫妻は午前のうちに買い物を済まそうと、スーパーへ来ていた。久々に夫婦揃っての買い物だった。魚売り場のコーナーで買い物をしていた。近くでは『アルバイト 小野』という名札を付けた女性が二段の台車に乗せた刺身を陳列クーラーに並べていた。
「今日は刺身にしようかねえ」
妻のさゆりは夫にそう訊ねた。
「ああ、最近食べてないなあ」と夫は答えた。
店内にはまだそれ程の客はいなかった。午前中はだいたいそんなものだ。店員の小野は無愛想な女で、「いらっしゃいませ」も言わずに黙々と刺身を並べていた。
倉庫には店員の松嶋とアルバイトの木村だけがいた。
「松嶋さん、何か他にやっておくことはありますか?」
「ああ、大丈夫だよ」と、松嶋はにこやかに答えた。
そして松嶋は先ほどの発泡スチロールの方へと向かった。その場にそれは無事に置かれていた。それは今日一日、冷凍庫の一番奥に保管しておき、夜になったら、ある場所でばら撒く事になっていた代物だ。
木村はこの後の作業が気になって、一度は陳列棚にサランラップを並べに行こうとしたが、松嶋の側へやってきていた。松嶋は少しドキッとした。
「松嶋さん、サランラップの後はどうします?(何か他に仕事あります?)」
「いや、とりあえず、並べておいで。その後は、倉庫を少し整理してもらうよ」と松嶋は答えた。
そして発泡スチロールの置かれた台車を動かした。プチっと何かの音がした。嫌な予感が松嶋の脳裏によぎった。しかし何もかもが遅かった。それが引き金だったのだ。
地響きのような大きな音がどこからともなく響いてきた。
近くでパトロールと称した買出しに出掛けていた警察官の馬込(馬込)はその音にただならぬ嫌な予感を受けた。とても近い場所のようだった。すでに足はその方向へ走り出していた。
突然、黒い煙がモクモクと立ち昇ってくるのが見えた。大通りから路地に入り、走って駆けつけると、スーパーの中から何人もの客が駆け出てきていた。辺りを火災ベルの音が鳴り響いていた。
馬込は心臓をばくばくさせながら、出てきた若いアルバイトに訊ねた。
「どうしたんですか?」
アルバイトの女は目を丸くして、若干放心状態にあるようだった。馬込は警察手帳を見せ、「警察です」と女に自分の身分を説明した。
女はスーパーの中を指差して、「あの、急にドカンと音がして、それで爆風が」
馬込はそれを聞くと、警察に応援の電話を掛けた。すでに救急車や消防車はその場へと向かっている様子だった。
消防車が何台も狭い路地に入り込み、救急車もやってきた。消火活動が行われ、やがて負傷者が運び出された。
馬込は辺りを見回した。たくさんの野次馬が駆けつけてきていて、辺りは騒然としていた。野次馬たちが何事かとスーパーの方を覗き込む中、嫌な笑みを浮かべる一人の男が馬込の目に付いた。いかつい顔をした男だった。男は不適(ふてき)な笑みを何度か馬込に見せると、その場から離れていった。馬込はその男を追おうとしたが携帯に別の連絡が入った。状況を確認したいという先輩警官からの電話だった。
まさはとんでもないことが起こったなと思いながらも不思議と笑いが止まらなかった。何かがおかしくておかしくて仕方がなかった。笑いながらスーパーから少し離れた住宅街の隅で、突っ立って不思議な状況を眺めていた。
2時間くらいが過ぎただろうか。辺りはマスコミなどが駆けつけ、より一層騒がしくなっていた。まさはそろそろ帰ろうかと家路へと足を歩み出した。一人の少年が急に駆けて来て、まさにぶつかり路上にしりもちを付いた。顔は少年ではあるが、身長はまさよりも大きかった。ひょろひょろしていて、おどおどとしていた。そして何よりも不思議な事に靴を履いていなかった。
「どうした、ぼうず。どこから来た」と、まさは気さくに訊ねた。
少年は答えなかった。
まさは無視して行こうとした。
「何かあったの?」と少年はまさに声を掛けた。
「ああ、スーパーが爆発したんだ」
と、まさは少年に教えてあげた。
そしてまさは少年の方に再び体を寄せ、倒れている少年に顔を近づけた。
「変なガキだな。今頃駆けつけてくるし、ぶつかっても謝りもしないか」
少年は外国から来たばかりの留学生のように、まさの言葉を読み取ろうとしているようだった。
「急に行き場がなくなったんだ。どうしたらいいだろう」
と、少年はまさの顔をのぞき返してそう言った。
まさは大いにでかい声で笑った。
「ほんと、変な事言うガキだな。いいや、俺について来い」
少し間をおいて
「いいですか?」
と、少年が答える。
まさは頷いた。
『今日は変な一日だな』
付いてくる裸足の少年を見ながら、まさは思った。本当に変な一日だった。
そしてまさはその少年を『上野響』と名づけた。まさはその少年をそれから6年間世話する事となる。ある五月の晴れた一日だった。
なお、この話に出てくるスーパーの店員は全員、この事故で死亡する。
日暮里スーパー爆破事件による死者5名、負傷者15名(負傷者は全員軽傷)。
死亡者の氏名
松嶋康孝(まつしまやすたか) 37歳 男性=店員 既婚 妻一人 子供 娘が一人
木村誠也(きむらせいや) 23歳 男性=アルバイト 未婚 両親と同居 弟と妹が一人ずつ
小野さやか(おのさやか) 34歳 女性=アルバイト 未婚 両親と同居 妹=結婚
田山さゆり(たやまさゆり) 60歳 女性=客 田山誠一郎の妻 子供なし
田山誠一郎(たやませいいちろう) 73歳 男性=客 田山さゆりの夫 子供なし
7年前に起きたこの事件の犯人は未だ捕まっていない。事件後、爆弾装置が見つかったため、何者かが爆弾を仕掛けた事はわかっている。動機は不明。スーパーへの恨み、死亡した被害者個人への恨みから調査を進めているが、警察は未だにその起因をつかめていない。この事故での犠牲者松嶋、田山夫妻は周囲の評判から事件の未関係であるとされ、大学を卒業して就職せずにいた木村と、婚期を逃して未だ独身の小野への何らかの恨みある犯行との考えが主流となり、警察による捜査が行われた。その後何人かの容疑者を絞り込まれたが、全ての容疑者に爆弾を仕掛けた証拠が特定できないまま、決定的な証拠は何一つつかめていない。事件の真相は未だ謎のままである。
以上、23話。
24話へ続く(現在へ戻る)
りょうち流 小説の書き方
小説も中盤に入ってきた。
この辺りになると、話の矛盾が気になり、最初ほどテンポよく書けなくなってゆく。
小説の書き方に関する話だが、僕にはいくつかの書き方がある。
今回の「夕陽虹無(ゆうひにじむ)」においてはすでに、僕の頭の中では一度完成している話である。
だから一気に書こうと思えば書けるが、今回は時間軸を現在に合わせたのでそうはいかない。
「夕陽虹無」は学生の頃に一度考えて、レポート用紙10枚くらいに一度あらすじをずらっと
書き綴った事がある。今はそのレポート用紙も何処かへ行ってしまい、断片的な端書(はしがき)を
追いながら、、また頭の中の記憶を掘り返しながら進めている。
いくつかのポイントとなるシーンはそれなりに掘り返せるが、つなぎつなぎはどうしていたか
覚えていない。キャラクターの名前も完全には残っていなかったので、替わっている。
また当時では描けなかったきめ細かい部分、表現力は大いに変更している。
(いまだに至らないところあるが
)
最近はインターネットで何でも調べられるので便利だ。
フィクションなので特に実際と違っていてもいいのだが、多少の臨場感がないと
なんか引いてしまう。
また実際にその場に言ってみることもある。
僕は当時、高知県に住んでいたが、今は東京にいる。舞台は当時も今も東京だったので、
今の方が行動しながら書くことが出来る。
自分が書いた文章が読み手にどう繋がるのかは未だに疑問だ。
自分の書いたイメージと読み手のイメージ、それはどこまで共通するものなのだろう?
細かく書こうとすれば表現力も必要だし、細かすぎて文も長くなる。
携帯小説的に単純な文章で書けば、だいたいを読み手のイメージに頼る事となるのだろう。
小説の表現は、ここをこう伝えたい、ここは読み手に任せるといった考えを持って書くことも
大切なのかもしれない。
「夕陽虹無」はまだ構想中の部分が多々ある。大学時代の原作より巧妙に物語を繋げ、
完成させたいと考えている。中盤から後半にかけての仕上げ、特に終盤は原作にプラスα
したイメージを現在練り上げ中である。
話は戻るが、僕の小説の書き方にはいくつかある。
1.今回のようにもともと考えていた作品に肉付けして完成させる。
2.全く無のところから生まれたファーストインパクトを広げて、物語としてゆく。
3.いくつかイメージしていた物語を混ぜ合わせてしまう。
4.世界観から描き、そこにキャラクターを住ませて、連続小説にする
1はしっかりとした構想が必要、2はいいイメージが必要、3はうまくリンクする事が必要である。
個人的には2の手法が好きだ
。なぜなら自分も書いていて結論がわからない。
どっちに転ぶ事もできると、想像の自由が広がるからだ。しかし書くのは一番苦労する。
何度となく行き詰まり挫折する![]()
1の手法は飽きてしまう事が多々ある。今回は公開しているので、見てくれている人がいると信じ、
飽きずに完成させようと思う。ただ今回においては意外といろいろと構想する点があるので、
ほどよく楽しく書けている。
3の手法は、物語のイメージがいくつかあるのだが、どれも薄っぺらい場合に使う。
つなげ合わせが難しいときに挫折する。でも無駄に構築されたイメージが溜まるとよくやる手法だ。
あっちこっちから繋ぎ合わせればいいので、イメージが足りなくなることはない。
4はファンタジーやSF的な小説を書くときにやる。というか、未だ完成させた作品はないが、
僕の中にはいくつかの現実と違う世界を想像している。その世界に住む人を想像し、描く。
きっとこの世界が育った時に、3の手法とドッキングして、物語を完成させればいいのだと思う。
ファンタジーはいつか描いてみたいと思っている。
小説の書き方は人それぞれ、ほとんど学んでやるものではないと思うので、個々に編み出すしか
ないとは思う。
これらはあくまで僕がこの10数年間で得た書き方である。
これから小説を書こうとしている方、もしくは現在書いている方がいましたら、
アマチュア=素人=書き好きの小説の書き方であるが、参考にしていただければ幸いです![]()
22. 涼の誕生
春先のまだ肌寒い朝だった。
それでも日の出の早まった時節(じせつ)だ。
田山さゆりは家の外に出た。予想通りの肌寒さだが、心地よい日差しのある朝だった。
彼女は軒先で背伸びをして、体をほぐした。そして散歩にでも出掛けようとした。
でも一人の女がそうさせてはくれなかった。その女は田山の家のコンクリートで出来た塀にもたれていた。
「どうかしました」と、田山は声を掛けた。
女は苦しそうな呼吸をし、顔中に汗をかいていた。女は腹に手をあてていた。そのお腹は膨れていた。
田山さゆりの目に、女はまだ10代にしか見えなかった。でもその腹の膨れ具合からして、彼女が妊娠していて今にも生まれそうである事を田山さゆりは理解した。
さゆりは47歳になっていたが、妊娠経験はなかった。しかし彼女は若い頃、看護婦をしていたため、出産にも立ち会ったこともあった。だからその女の子が妊娠して陣痛を起こしていることは経験から思い返された。
「いま、救急車呼ぶわね」と田山は言った。
女の子は首をぶるぶる横に振った。
「ごめんなさい。それは困るんです」
辺りを見渡しても、まだ人の歩いている時間ではなかった。おまけに細い路地のため、近所の人間以外はほとんど通らない道だ。田山は女がどうしてこんな所に来たのか分からなかったが、とにかく助けてあげなくてはならないという気持ちにだけはさせられた。
「わかったわ。とにかく家の中へ」
そして田山さゆりはその女の子の肩を抱いて、自宅に入った。女を畳の応接間に通し、その場に寝かせた。
何事かと寝ていた主人が起きてきて、その女の子の姿を見た。
さゆり:「彼女は妊娠しているの。今にも生まれそうなの」
主人 :「妊娠しているって、おまえ。どうするつもりだ」
さゆり:「ここで産むわ。彼女は医者に行きたくないって言ってるから」
主人:「おい」
さゆり:「大丈夫。昔、お産の仕方もしっかり勉強させられたの」
田山さゆりは本当言えばほとんどお産の仕方なんて覚えていなかった。実際に自分が赤子を取り上げた事もなかった。それでもなぜか、このときはその女の子を救いたい気持ちに駆(か)られていた。その気持ちで頭の中がいっぱいになっていた。
「大丈夫よ」
田山は女を元気付け、夫を指示しながら、過去の記憶を探り、女の体から出てこようとする子供を待った。何もわからないはずなのに、田山もその女の子も女の本能がそうさせたのか、子供を産む体勢をしっかり整えていった。
結果、無事に男の子が産まれた。
無事に産まれたはよかったが、産んだ母親となったその女の子は生まれた赤ん坊を見ると、泣き出し、涙が止まらなくなってしまっていた。生まれた赤ん坊も泣いたが、その母親はそれ以上に泣いていた。
女の子は一日中泣いてばかりだったので、田山は産まれた赤子の世話をしながら、その子が泣き止むのをしばらく待つこととした。
夜になっても女はしくしくと泣いていた。田山も疲れたので、夜中12時に就寝した。
赤子の泣く声で目覚めさせられると、そこにはすでに女の子の姿がなくなっていた。
代わりに広告の裏にマジックペンで書かれたメモが残されていた。
『本当にごめんなさい。ご迷惑をお掛けしているのに、もっとご迷惑を掛けなければなりません。わたしはその子を育てる事ができません。本当はわたしがその子をどうにかしないとならないのですが、ごめんなさい。どうする事もできません。どうかその子を施設に預けてください。よろしくお願いします。本当にごめんなさい』
震えている汚い文字でそう書かれていた。
田山さゆりは夫と相談して考えた。結果、しばらくその子を預かる事とした。母親である女の子が気を変えて戻ってくる事も考えられたからだ。
でも本当の真(しん)の部分には別の理由があった。田山夫妻は結婚して20年になるが、子供が一人もいなかった。いなかったというよりはできなかった。二人は愛し合っていたし、病院にもいったが子供を作る面でも問題はなかった。毎年旅行には子宝の神が祭られている神社をわざわざ選んで出掛けた。それでも二人が子供に恵まれる事はなかった。
夫はすでに60を迎えていて、その年には定年していた。さゆりもパート程度で働いていたが、時間は十分にもてあましていた。夫の退職金と年金、預貯金を合わせれば、もう一人増えても十分に食べていけるお金も残されていた。逆に定年を迎えて無趣味とんなった夫にとっては楽しみが出来た気がしていた。
最初は1週間、やがて1ヶ月、2ヶ月、そう思ううちに、1年が過ぎていた。
田山夫妻はその子を涼(りょう)と名づけて育てていた。
少しずつ涼が成長するにつれ、いろいろな不安が出てきた。すでに田山夫妻は涼の事をわが子のように可愛がっていたので、手放せない状態になっていた。
田山夫妻は互いの両親も亡くなっていたし、姉妹とも疎遠だったために訪ねて来る親戚もいなかった。夫においては兄弟や多くの親戚を戦争で亡くしていたために本当に親戚といえる親戚がいなかった。
しかも夫は寡黙(かもく)な性格であるために友人もほとんどいなかった。さゆりには友人こそいたが、家まで訪ねて来るような関係ではなかった。
さゆりは若い頃、看護婦をしていたので、昔の後輩が今も看護婦をしていたため、彼女らから子供用の薬や予防注射を手に入れることができた。後輩たちはなぜさゆりが子供用の者をそんなに欲しがるのか不思議に思っていたが、若い頃、主任として勤めていたさゆりに頭の上がらない後輩たちだったために、さゆりの言う適当な嘘を素直に聞いた。
涼はそのようにして育てられた。夫は定年後の生活を涼の教育に費やし、さゆりも病気にならないよう健康に気遣いながら涼を育てた。たまに持ち上がる問題はあったが、二人は知恵を絞り合い、涼が一歩も家から外に出ることなく育てる方法を徐々に見出した。
その事はずっとうまくいっていた。これから先もずっとずっとうまくいくと思っていた。
そして田山涼は13歳になった。あんな事件に巻き込まれるとは、田山夫妻は全く想像もしていなかった。
23話へ続く
21. 意外な場所で
雷鳴の轟(とどろ)く夜だった。響は一杯飲みに行こうかと考えていた。
でもあまりの土砂降りに諦(あきら)めて、何もしない時間を家で過ごすこととした。
22時過ぎに雨は止んだ。
転寝(うたたね)していた響は眠い目を擦(こす)り、目を覚ました。
外に出てみると、熱気に包まれていた空気は爽(さわ)やかな空気に変わっていた。雨が止み、雨宿りから動き出した人々が多く見受けられた。響はマンションの外でそんな光景を目にしていた。
そんな中、一人だけ周りと違う行動を取っている人影があった。彼は雨が止んだ事にも気づかずに傘を被ったまま、マンション脇の花壇に腰掛けていた。
「何してんの?」と響は声を掛けてあげた。
馬込は傘を横にずらして、上から覗く響の顔を見上げ返した。
「あ、あああ(°д°;)」と間抜けな声を上げた。
響はなぜだか馬込警部補を『ふくちゃん』の店に連れて行ってみようと考え、そうした。
今回のストーリーは馬込+居酒屋『ふくちゃん』という不思議な組合せである。
馬込警部補に声をかけ、馬込警部補を『ふくちゃん』の店に連れてくる事は安易な行動だった。『ふくちゃん』は、まさがよく通っていた居酒屋であり、自分もよく通う居酒屋である。馬込警部補という刑事を連れて行くのは面倒な事になり得る行為であった。でも響はそうしてみた。
『ふくちゃん』の店は不定期に日・月・火が閉まっている事があるが、その日は開いていた。
店の中は本当に閑散(かんさん)としていて、歌い人が端にいるだけだった。しかも歌も歌わず、珍しく酎ハイを飲んでいるようだった。
響はその店がまさや自分と関係がある事を馬込に伝えてはいなかった。店に入ると女将のふくちゃんも不思議な空気を感じ、いつも座るカウンターでなく、端っこの座敷席を勧めた。歌い人はちらっとこちらを見て、また自分一人の世界へと帰っていった。
馬込:「やっと会えましたねえ」
響 :「で、まだ何か用があるんですか?」
馬込:「…、いやそれが特に」
響 :「じゃあ、家のマンションの前、うろちょろしないでくださいよ」
馬込:「まあ、なんというか、他に思いつくところなく、中本さん(響の偽名)にもう一度お会いしたいなあと」
ふくちゃんがやってきて、注文を訊ねた。
響はビールを頼んだ。馬込もオフという事でビールを頼んだ。
響 :「何か、進展しました?」
馬込:「さあ、世の中では、刃物事件だのなんだのでして、
わたしの求めている事件(日暮里スーパー爆破事件)には興味がおありにないようで。
(警視庁)本部も本部でして、世間に流され、刃物ばかり追いかけているようで。
バカですよね。あわよくば、棚から牡丹餅(たなからぼたもち)的に刃物犯が、
爆破犯に繋がらないかとかと考えている奴もいるんですよ。やり方がくだらない」
ふくちゃんが生ジョッキを持ってくる。
響が口をつけると、馬込はそいつをグビグビと飲み込んだ。
馬込:「ぷはああ、うまいですねええ」
そこからはしばらく世間の犯罪話に移った。
響は特に興味のないニュース番組のように馬込の話を聞き流した。酒も進むと馬込の話はより長くなった。より長く、より愚痴っぽかった。でも響はかんさんやとっちゃんにその系統の話は嫌なほど聞かされているので聞き慣れていた。
馬込の話;
「結局何をしているのか、わたしもわからないんですよ。何をしたらいいんですかねえ。
わたしが追っている月島雅弘(まさ)さんは亡くなってしまいましたし、
彼と関係のある人物も特に見つからない。
過去のデータを拾い集めても膨大なゴミしか見えてこない。
いったいどこに答えがあるのか、わたしにはわからない。
いやあ、最近思うのですがね、わたしは実に才能がないなあと思うんですよ。
今日もあなたに声をかけられるまで、わたしはあなたに気づかなかった。
ただあそこに行く事が日課になっていたんですよ。
7年間、わたしは同じ事件を追いかけてきました。それも同じです。
わたしはただの事件を追うことが日課になっているだけなんです。
警部補になるまでは、わたしは才能のある人間だと信じていました。
キャリアへの道を挫折無く進んできました。
だからわたしは少なからず自分を自負(じふ)しているんです。
叶えたい夢を叶えて、わたしは少なからず道に悩む一般人に比べて、遥かに違う、
選ばれた道を迷うことなく進んできたんです。
でも今では情けなくてしかたないですよ。最初の事件を7年も追いかけているんです。
未だ解決できずに。わたしが憧(あこが)れる古畑任三郎なら、もうとっくに解決してますよ」
「あれはドラマだからね」と、響は口を挟む。
馬込の話の続き;
「それはそうであっても、7年ですよ。7年間、わたしは一つの業績も残していない。
いくつも追いかけてはいくつも埋もれた、たくさんの行き止まりにあってばかりで、
どこにも結果が出ないまま、7年間を過ごしてきたんです。
わたしは自分の中でまとめたノートを何度も何度も読み直し、
たくさんの線を引っ張って、事件の結論に至ろうと試(こころ)みました。
でも結局7年間同じでした。
その間に、同僚は小さな事件でもいくつか解決したり、犯人をしょっ引いたり、出世したり、
そうでなくても結婚し家庭を築いたりしている。
わたしはこの7年間、何も解決しないまま、周りから邪魔にされて仕事をしてきました。
周りが変化してゆくなか、わたしは何一つ変わらない今を続けています。
情けない。
だけど、だけどねえ、わたしは周りの奴と違う。わたしにはきっと才能がある。
そう信じて、ずっと事件(日暮里スーパー爆破事件)を解決しようと追いかけてきたんです。
周りの奴らにバカにされながら、
生活安全課未然処理特殊捜査班という名目ばかりの窓際部署に送られながらも
事件を追いかけてきました。結局、わたしは何もできていない」
馬込はずっと俯(うつむ)いて話していたが、顔を上げて響のつまらなそうな顔をちら見した。
馬込:「いやあ、またくだらない話をしてしまいましたね。母親譲りで話が長く、父親譲りで酒癖が悪い
ものでして、どうも申し訳ない。
それでですね、わたしが今言える事を『あなたしかいない』という事なんですよ。
わかります?言っていること」
響 :「さあね。あなたが望むのは結構ですが、俺に期待しても何も出てきませんよ」
響は数日前のかんさんの説教を思い出し、そう答えた。
馬込:「( ̄へ  ̄ 凸、そうですか。それしかないんですか」
馬込は怒って、目の前に置かれたビールジョッキの残りを一気に飲み干した。
「今日はこれにておいとまさせていただきます。また今度、飲みましょう」
そう言って、勘定を払い、外へと出て行った。長い話の後はあっけなかった。
馬込はこの店が響とまさのなじみの店である事に全く勘付(かんづ)かないままに出て行ってしまった。それは響の思うとおりだった。彼はそういった勘が働かない。そういった人物だという事を響は見抜いていた。またその事を確信に変えた。
店の中には誰もいなくなっていた。時間は深夜12時を回っていた。
歌い人も知らず知らずのうちに姿を消していた。
ふくちゃんが馬込について、聞いていた。
響 :「警察さ」
ふくちゃん:「警察って、何?何か調べられているの?わたしは面倒事はゴメンだよ」
響 :「いや、何か、日暮里スーパー爆破事件について調べているらしい」
ふくちゃん:「そういえばそんな事件、昔あったねえ。だいぶ前だったけど。
それが、何で?」
響 :「さあ、どうやら、その事件とまささんが関係しているみたいなんだけどね」
ふくちゃん:「いやだねえ。あの人は常連だったけど、わたしはそれ以上の事は知らないよ」
響 :「もし聞いてきたら、そう答えておけばいいんですよ」
ふくちゃん:「響ちゃんは大丈夫なの?彼と関わっているのはむしろあなただものねえ」
響 :「僕も面倒事はゴメンなんで、中本龍平っていう偽名を使っていますんで」
ふくちゃん:「わかったよ。大丈夫なんでしょ?」
響 :「ああ、あの事件は僕がまささんに会う前だから、僕もその事は何も知らないんでね」
ふくちゃん:「そうかい。あんたも賢いねえ」
響 :「一杯、やり直させてもらってもいい?」
ふくちゃん:「(^-^)/どうぞ」
響はその後、一杯飲んだ。そしてそれだけ飲み直して、居酒屋『ふくちゃん』を後にした。
22へ続く