小説と未来 -125ページ目

28.フリーライター前野正の行動

 前野正は嶋咲枝を追いかけるのを止めていた。しかし彼は嶋咲枝に関する記事を書くことを諦(あきら)めたわけではない。前野正は嶋咲枝の過去を探す事にしたのだ。



 今回の話は、五十嵐邸にいた男、そして嶋咲枝殺しを失敗したホテルの近くの公園で、響に声をかけてきた前野正という男がメインの話である。



 過去を探す手始めに、前野は嶋咲枝が以前務めていた会社に行ってみた。

 会社の入口で社員の出待ちをし、出てくる社員に嶋咲枝の事を聞き回った。しかしほとんど誰も相手にしてくれなかった。

 それでも続ける中で、一人のOLが前野の問いかけに答えてくれた。

「嶋さん?ええ、もちろん知ってますよ。彼女が勤めているとき、わたしも見かけた事くらいはあるわ。全然部署は違ったけど、嶋さんはうちの部署にもやってきたから覚えている。うちの部長も彼女が来るとたじたじで、言い負けしてましたから。彼女の側(そば)には確か、山下さんという女性がよく一緒にいたわ。彼女なら詳しいかもしれないけど、ずいぶん見ないから辞めちゃったのかな?」


 それで前野は今度、山下という女性を探した。

 これにもだいぶ時間が掛かった。なぜなら山下さんは結婚して、吉原(よしはら)という姓に変わっていたからだ。しかも会社を辞めて、今は専業主婦をしているそうだ。唯一運が良かった事に、今は別の社屋に移ってしまっているが、当時一緒に働いていた男性と社内結婚をしたという事で、山下さんの事が判明した。彼の夫に問い合わせ、さらに旧姓山下さんに繋がることができた。


 旧姓山下こと吉原実紀子さんは前野の取材を快く承諾してくれて、家にも招いてくれた。

 吉原実紀子は、荻窪にある立派なマンションの9階で暮らしていた。


前野:「こんにちは」


吉原:「いらっしゃい。どうぞ」


前野:「あ、おじゃましてもいいですか」


吉原:「ええ、もちろん」


前野:「では、失礼して、お邪魔します」


 吉原実紀子は前野正を迎え入れると、コーヒーを出し、前野をダイニングの椅子に座らせた。


前野:「すみません。今日は」


吉原:「いいんですよ。取材なんて初めてで、楽しみにしてましたから」


前野:「そうは言いましても、まだろくに記事を載せたことのないフリーライターですから」


吉原:「よくはわかりませんが、子供も保育園に行き出し、夫は忙しいので、最近昼間は退屈で、

    そんなわたしに用があるだけでも、嬉しいかぎりです」


前野:「いえいえ、ほんと、わたしなんかですみません。

    それで、知っている限りでかまいませんので、嶋咲枝さんについてお話いただければ」


吉原:「そうですね。女とは会社ではよく一緒でしたが、話す事はほとんど仕事の話でした。

    わたしは彼女が誰と何を話したかをしっかり記憶しておけばよかっただけなんです。

    言った言わないの証人みたいなもので。

    嶋さんは仕事熱心で、信念も強く、こうと決めた事は曲げない人でしたから、

    よく上司の許可もなく、別の部署にいろいろなプレゼンをしてました。

    内容がいつもしっかりしていて筋が通っていたので、

    やり方に反発する人もいましたけど、ほとんど通してしまって。

    とにかくすごかったです。

    わたしは特にあれこれ言うタイプではなかったので、

    彼女にはわたしがちょうどよかったのかもしれません」


前野:「そうですか。それが今の彼女の政治家としての活躍に繋がっているのですね


吉原:「そうかもしれませんね。たまに彼女をテレビで見かけますが、彼女は一緒に仕事をしていた

    頃とほとんど変わっていません。というか若すぎますよね。

    10年前と彼女は何も変わってない感じがしますから」


前野:「私生活について、何かご存知(ごぞんじ)ではありませんか?」


吉原:「そうですね。嶋さんと一緒に私生活で会う事はありませんでした。

    まあ、ほとんどの人と会社の付き合いはその程度でしたが、

    彼女の場合、特に私生活が見えませんでしたね。

    家に帰ってからの話とか、恋愛話とか、過去の話とか、嶋さんと話した記憶がないんです。

    彼女は本当に仕事の事しか話しませんでした。

    普通、忘年会とかの飲み会では私生活の話も出ますが、

    彼女の口からは何も出てこなかった気がします。

    そういう話になると彼女は徹底的に聞き役に回るんです。

    だから逆に彼女には、変な噂が絶えませんでした。

    こんな事をいうとあれですけど、今と変わらず、彼女にはいろいろな男沙汰が付いて回ってました。

    どこどこのだれだれと不倫してるとかね」


前野:「今と変わらないですね。その、他に何か、彼女が執着していた事とかなかったですか?」


吉原:「執着(しゅうちゃく)?んんんん、全然、思いつきませんねえ、ごめんなさい」


前野:「そうですか。ありがとうございました」


 話はそのくらいで終わった。

 前野が知りたかった重要な部分は吉原からは出てきそうにはなかった。前野は嶋咲枝のオーラの基が知りたかった。しかし彼女の話は『あの頃からオーラがあった』という話だけで、その根源となる部分には辿り着きそうにはなかった。

 だから前野は吉原にそれ以上の取材をする事を止めた。無意味だったのだ。



 前野は数日後、思い切って、嶋咲枝の実家を訪れた。世田谷にある閑静な住宅街に、嶋咲枝の実家はあった。今も嶋咲枝の両親が暮らしている


『ピンポーン』と外玄関のチャイムを鳴らした。

「はい」

 運がよく、一人の男がすぐに出た。

「あ、すみません、わたくし、前野正という記者です。今日は嶋咲枝様のお父様にほんの少しでいいので、お話を窺えればと思いまして、お伺いさせていただきました」

 前野はレコーダーをインターホンに当てて、音を録(と)る。

「わたしが咲枝の父親だが、特に話す事はありませんが」

「すみません。彼女が政治家として活躍している事について一言」

「特に言える事はないね」

「そこを何とか」

「わたしはね、あの子には普通の女性になってほしかった。普通に結婚して、子供生んで、そういう子であってくれればよかったんでね

「と、いいますと、彼女が政治家になったことには反対で

「余計な事はいいたくないが、そう受け取ってくれてもかまいませんよ

「彼女について、他に何か…」

「すみませんが、これくらいにしておいてくれませんか。あの子とはあまり話もしてませんし、言える事はそのくらいですよ」

「あの」

 しかし、すでに応答はなかった。


 前野は嶋咲枝のオーラについて、少しだけ何かが分かりかけた気がした。その根源は彼女の家族にあるのでは?と、前野は疑った。


 取材はまだまだ続く。この先も前野は嶋咲枝の家族を追う事とした。

27. 神社の静寂に包まれて

 玲香と会った翌日の昼間、響はかんさんの神社にいた。

 昨日までの暑さが嘘のように涼しい一日だ。

 神社は静寂(せいじゃく)に包まれていた。蝉の声も聞こえなかった。

 どこからかやってきた観光客がちらほら見受けられた。年齢は若干高め、若者が少ないのも静けさを感じる要因かもしれない。

 響は本殿(ほんでん)を通り過ぎ、裏にある社務所(しゃむしょ)に向かった。

 入口では2人の巫女さんがお札やお守りを売っていた。

 響は年上の方の巫女に尋ねた。

美坂さくら(かんさんの孫娘)はいますか?」

 年上の巫女は顔を上げて、響の顔を覗き込んだ。

「少々お待ちください」

 そう言うと、彼女は裏の方へと行ってしまった。

 数分待った後に、美坂さくらは社務所の入口より外に出てきた。彼女は巫女の姿でなく、グレーのスカートタイプのスーツを着ていた。


さくら:「響さん、どうされたんですか?」

響 :「いや、ちょっと」

さくら:「珍しいですね。こんな時間に」


 響は深々と被っている帽子をつばを下げ、頷いた。さくらは近づいてきて、深々と被る帽子の内側を覗き込んだ。


さくら:「どうされたんですか?その顔」

響 :「いや、ちょっと」

さくら:「家へいらしてください。手当てしますから」


 さくらはお札を売る巫女に挨拶をする。

「ちょっと外すわね。上をよろしく」

「ええ、構いませんよ。どうぞ」と、年上の巫女は嬉しそうな顔をして答えた。


 二人は本殿の前を過ぎて、境内の階段を下っていった。そして美坂さくらとかんさんの家に着いた。

 さくらはそのまま玄関の扉を開けようとしたが閉まっていたので、鍵を外した。

「おじいちゃあん」とさくらはかんさんを呼ぶ。が、かんさんの声はしない。「どこかいったのかなあ。

どうぞ、あがってください」

 家に上がり、入って廊下の最初の左手にある居間に通される。ちゃぶ台やテレビの置かれた和室だ。新聞が開いたまま置かれいてる。スポーツ面で野球に関する事が載った記事のページだ。

 響は新聞の置かれた反対側へと周り、そこにある座布団に座った。さくらはサイドボードで何かを探している。障子はあるが窓のない部屋なので、部屋は仄(ほの)かな明かりしかない。今日は曇っているせいもあるのか、なんとなく暗い。

 さくらは救急箱からいくつかの薬を取り出してきた。そして響の前に座った。

「喧嘩でもしたんですか?」

 彼女は薬の口を開けながら、響にそう尋ねた。

 響は答えなかった。

 さくらは響の深々と被った帽子を脱がし、長い前髪をあげて顔を覗き込んだ。とても近くにさくらの顔があった。少し化粧をしていた。眉の辺りの化粧が少しザツだった。さくらの長い髪がぱさりと前に落ちてきた。黒く艶(つや)のある綺麗な髪だった。いい匂いが響の心をくすぐった。さくらはそんな響の心の内など気にもせず、響の顔に綿棒で薬を付けた。

「沁(し)みますか?」

「少しだけ」

 さくらはにこりと微笑んだ。「これで大丈夫かな?」とさくらは言って、綿棒を離し、姿勢をまっすぐした正座に直した。

 本当は響には言いたい事があった。

あなたはあなたが思う一番大切な人にあなたを伝えるのよ』と、昨日一晩を共にした玲香が響に伝えた言葉が頭の中に残っている。響には目の前にいる女性がその一番大切な人に当たるのかはわからなかった。それでも響には他に思い当たる相手がいなかった。


さくら:「どうしんたですか?何か、用があったんですよね」

響 :「うん、まあ」


 響はそう言って、自分の座る座布団を後ろに少しずらした。さくらとの距離感があまりに近すぎて、頭がぽんわりとしてきてしまったためだ。


響 :「さくらちゃんは、、、、」言葉が出てこない。

さくら:「何ですか?」と笑顔で。

響 :「まささんが亡くなって、一年が経つ」の方向性を替えて、話し出す。

    あの人にはいろいろと世話になった。かんさんともまささんがいたから仲良くなったわけで

    さくらちゃんともそれで会えた」

さくら:「そうですね。わたしはまささんて少し恐い感じの人だからあまり話せなかったけどね」

響 :「俺もあの人の事はよくわかってはいなかった。ただ、いい人だった。

    周りの人が言うほど恐い人じゃない。あの人は優しい人だった」

さくら:「そうかもしれませんね。でもおじいちゃんは、まささんは危険な人だと言ってた。

    あの人にはあまり近づかない方がいいってね。ごめんなさい。そう言われたの」

響 :「俺にはわからない。それはそれで構わない。でも俺にはまささんが必要だった」


 話はそこで止まった。しんとした静けさが辺りを包んでいた。さくらには響が何を言おうとしているのか皆目見当(かいもくけんとう)が付かなかった。それは響自身も何を伝えればいいのか全く分かっていなかったからだ。少なくとも、嶋咲枝や麻薬の事を一言として話すことは出来そうになかった。その事を伝えれば全てが壊れてしまうと、響は心の内で感じていた。自分は自分を伝えることができない。

 話はつっかえ棒にぶつかり止ってしまった。正しくはそうだ。恨みだの仇(かたき)だの口に出来ない。


「何か、飲みますか?」

 間が持たなくなったさくらがそう尋ね、響は素直に頷いた。

 さくらは立ち上がり、台所へと行ってしまった。響は頭の中を整理しなくてはならなかった。何を伝えればいいか、何を伝えるべきか。

 数分後、お盆に氷の入った麦茶を載せたさくらが戻ってきた。

 彼女はさっきと場所を移し、テレビの前の座布団に腰を下ろした。響の斜め前だ。

「どうぞ」と言って、さくらは響に麦茶の入ったコップを渡した。響はグビッと飲んだ。思ったより喉が渇いていた。だからほとんど中身が空になるくらい一気にグビグビと飲み込んでしまった。


響 :「俺の本当の両親は亡くなってしまった。ある事故で死んでしまったんだ

さくら:「そうなんですか」

響 :「それでたまたま、まささんに出会ったんだ。俺は家出をしてきたわけでもない。

    帰る場所がなくなった。今じゃ、まささんも亡くなって、本当に帰る場所がなくなった

さくら:「・・・」

響 :「それで、どうしようかと思っている

さくら:「どうするんですか?」

響 :「わからない」

さくら:「そんな話をしに来たんですか!」


 さくらのその言葉は詰まっていた物がふっと壊れた感じだった。さくらは真剣な眼差しをしていた。


響 :「わからない。ただ、何かを話そうとして、さくらちゃんにそんな話を」

さくら:「わたしは忙しいんです。そういう話なら、また今度にしてください


 さくらの強まった声に、響は言葉を失った。なんて答えていいか、わからなかった。全てがわからないままだった。ただ、これ以上何を言っても仕方ない気がした。慰めてほしいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。助けてほしいわけでもなかった。気がついたら、自分が行き場のない人間だという話をしていた。それでどうするかなんて何もわからなかった。


「ごめんなさい。忙しいんです」と、さくらは弱い声で付け足した。


 そして立ち上がり、お盆の上に麦茶を戻し、台所へと行ってしまった。

 さくらは自分でもなんで怒ったように響を突き返そうとしたのか、わからなかった。でも本当はもっと期待をしていた。さくらはもっと人生の全てを変えてしまうような期待を、響に望んでいた。なぜそんな期待を抱いたのかわからないが、さくらはとても期待していた。だからとても落胆した。『わからない』なんて言ってほしくなかった。望むならどんな形でもいいからもっと誘ってほしかった。でも、そんな期待を抱いた自分も、期待ばかりをしているだけで何もできない自分も情けない気がした。


 台所の流し台でぼうっとしていると、響が居間から出てきた。彼は台所をちらっと覗き、「行くね」とさくらに伝えた。「ええ、どうぞ」と、さくらは答えた。さくらはそんな態度しか取れない自分に後悔していたが、どうする事もできなかった。


 家を出て、響は自分が何をしているのか、より一層分からなくなっていった。頭が混乱していた。


 帰り道、響は全てを考えるのを止めることにした。『どこかに少しだけ、幸せを望んでいた自分がいたのだろう』と響は思った。そして『だけど、それを考えれば混乱する』と感じた。だから、ただ流される事とした。嶋咲枝、木崎、斉藤(殺しの依頼人)、若手旋斗(謎の組織のボス)、そういった意思を持った存在にいいように扱われたほうが楽な気がしてきた。


 心が痛かったから、幸せを望む事を止めることとした


 いつものマンションの中を抜け、いつもの裏路地から地下へと扉を開き降りてゆく。暗い地下の扉を開き、中へ入って電機をつければいつもの場所がある。


 ここが自分の場所なのだ。


と、響は自分の心に言い聞かせた。


 どうなるかなんて知らないさ。



第28話へ続く

26.人の心を読まれたい男

 鏡には情けない顔をした男が映っていた。自分だ。


 響は自分の顔に向かって笑みを投げかけてみる。二日前よりはましだ。腫れは引いている。でもまだ顔のあちらこちらが青かったり赤かったりしている。

 誰もここにはやってこないから問題はない。だけど、その事が響にはむしろ不安でたまらなかった。もう誰もここにやってこないまま、この世の中から自分の存在の全てを忘れ去れてしまうような恐れを響は感じた。

 だから深々と鍔(つば)付き帽子をかぶって家を出た。


 どこへ行く当てもなくふらふらしていたら、水道橋のベンチにやってきていた。夕方前の時間で、夏休みで東京ドームに向かう家族連れが多く見受けられた。働いている背広の男たちもあちこちにいる。

 響は橘玲香に会いたかった。酷い顔をしていたから、誰にも会いたくなかったが、橘玲香だけになら会っても構わない気がしていた。

『きっと後腐れもなく別れられる仲だから』との事を響は頭の中で呟いた。

 しかし会えるかどうかはわからなかった。度目は偶然2度目は、橘玲香が『会いたかったから会えたんだ』と言っていたが、実際はそれも偶然だったのかもしれない。3度目の偶然が起きることはない

 電車が何本も過ぎ去ってゆく。乗っては降り、降りては乗りゆく乗客の流れを見過ごす。誰も駅のベンチに座る男の事など気にも留めない。たまに疲れたサラリーマンが響の横に座り、ちらっと響の方を見るが、電車が来ればすぐに立ち上がり、次の目的地に向かっていく。


 どれだけ時が過ぎたろう。1時間、2時間。

 あきらめて、その場を立ち去り、反対ホームに回りこんだ。電車はやってきたが、心残りか、響はそこにあったベンチに腰を下ろそうとした。でもそのイスの上にはマジックで落書きがされていたお決まりの卑猥ないたずらマークとその下にカタカナで、謎の電話番号が書かれていた。それほど古いものではなさそうだった。

 響はその番号を頭に覚え、公衆電話から電話してみた。

「はい、YMSK出張サービスセンターです」と、女が出た。

「玲香か?」と、響は尋ねた。

「レイカさん?レイカさんは土日のみの登録となっています。他の出張レディーでよろしければ」

 どこかの店のようだ。レイカというのはそこに登録している女の名前だろう。普通に考えて、その女が橘玲香と一致することはないのだが、響はなんとなくひっかかりこんな回答をコールガールにしてみた。

「玲香に今、連絡してほしい。水道橋の駅で一時間ほど待っていると」

「えええと、連絡は取ってみますが、ダメだった場合は、いかがなさいますか?別のものを送りますか」

「その必要はない」

 響はそうとだけ言うと電話を切った。


 橘玲香がやってきたのは、ちょうどきっかり一時間が経った頃だった。女はベンチに座る深々と帽子をかぶる背の高い男を見つけるなり、帽子を取って、男の顔を見た。


玲香:「酷い顔ね。間違った方向へ進んでしまったのね


響 :「そんな事はどうでもいい。今日はいなかったな」


玲香:「わたしだっていつも暇なわけじゃない。それにあなたにはだいぶ会ってないから、

    しばらくあなたの事を忘れていたの。でもあなたはいつかわたしに会いに来る。

    そう思ったからそうしておいたの」


響 :「いいのか?そんなわけのわかんないところに入って」


玲香:「変な心配してくれるのね。大丈夫よ。つまらない男とはある程度までしかしないから」


響 :「そうか」


玲香:「それより、酷い目に遭(あ)ったのね。それでわたしに会いたくなったんでしょ?」


響 :「別に会いたくなったとか、そんなんじゃない。ただ他に会う相手がいなかった


玲香:「誰でもよかったの?」


響 :「そうではない」


玲香:「じゃあ、わたしに、会いに来たって事ね


響 :「そうじゃない、そんなんじゃなくて、たた‥‥」


玲香:「まあ、いいわ。行きましょ?」


 二人はいつもと違うホテルへ行った。2度ほど行った場所は同じビジネスホテルだったが、その日は少し大きめの1階にレストランがあるしっかりしたホテルだった。

 いきなり部屋に入る前に、その日はホテルのレストランでディナーを取った。

 玲香は響の顔がどうしても気になるようだ。響の顔をじろじろ見つめる。響が玲香に会うのは、嶋咲枝に銃を向ける一件よりも前の事だ。橘玲香は響に関しては何も知らないが、とても不思議な人の心を読み取る力を持っている。会うことで、玲香は響から何かを読み取ろうとする。


玲香:「手を出してはいけないところに手を出したのね(勘)」


響 :「そうかもしれないけれど、それ(嶋咲枝殺害)は俺の問題だ。俺にしか出来ない」


玲香:「思い込みすぎよ。あなたでなくても、誰かが結論の出る方向へ進めてくれる。

    あなたが関わる必要はないんじゃない?解決しない出来事はない

    無視していればいい。全ての人が忘れてしまえば、それはそれで解決よ。

    わたしはそう思うけれど」


響 :「俺の気持ち(嶋咲枝に対する恨み)はどこへ向かう?


玲香:「それなら、わたしにおいでドキドキわたしがいただくわ(*^▽^*)

    いくらでも、どんなに大きなものでも、わたしが吸い取ってあげるわ♪(*^ ・^)ノ⌒☆

    答えに急ぐことはないよ。もしピンチなら、その時はその時かんがえればいい。

    あなたは今を急ごうとしすぎるのよ


響 :「俺は進みたいんだ(嶋咲枝を殺したい)。答えの出る方へ


玲香:「そうだとしたら、あなたの向かう方向は間違っているわ。

    あなたはあなたが思う一番大切な人にあなたを伝えるべきよ。

    それが本当のあなたがしたいこと。あなたが向かう方向よ」


響 :「大切な人なんて。俺にはいない


玲香:「しょうがないなあ。だとしたら、まずはわたしがあなたの気持ちを吸い取ってあげるわラブラブ


 二人は夕食を済ませるとホテルの一室に向かった。

 そして激しく抱き合った。

「素敵よ。それでいいの。だから間違った方向に向かわないで」

 玲香は何も知らない。響の暗に込められた言葉の真実を知りはしない。でも玲香は響が向かおうとしている方向が正しくないことを感じ取っていた。響の体から溢れ出す怒りの感情を愛するという想いに変えてしまいたかった。弟を思う姉のように玲香は響を愛した。

 不思議な感情だった。惹(ひ)かれるものがお互いにはあるが、恋人や結婚相手になることはない。ただ愛しいというエネルギーが働いて、二人を結びつけあった。玲香はそれでも響には他の男にはない特別な魅力を感じていた。愛おしさを感じさせる強いエネルギー、玲香はその愛おしさが欲しくて、ただ欲しいだけで、響に会っていたのかもしれない。

 二人はその夜、一日中抱き合った。全ての怒りが響から抜け落ちるまで、何度も何度も抱き合った。夜が明けたことにさえ気づかないくらい。


27話へ続く

主な登場人物相関図


主な登場人物相関図

(第4章 終了時における登場人物相関図です)


夕陽虹無相関図

登場人物が増えたため、主な登場人物相関図を作成しました。


参考にしてください。

25. 2丁めの拳銃

 いつからになるか、響は迷い出していた。

 いろいろな迷いが多く、何に迷っているのかさえわからなくなっている。


 上野響(うえのひびき)は 恨みある女 嶋咲枝(しまさきえ)の殺害を目的としている。

 しかしその目的はなかなか果たせない。同じ目的を持つ 若手旋斗(わかてせんと)との

 出会いもあったが、響はまだその男と手を組む気にはなれなかった。

 若手旋斗は麻薬への恨みを持っている。麻薬の運び屋である響とは本来敵対関係にある。

 一方、馬込警部補(まごめけいぶほ)は日暮里スーパー爆破事件の真犯人を追っている。

 そこには育ての親である まさ、田山夫妻との繋がりがある。

 スーパー爆破事件の真実はまだ解き明かされていない。

 事件に関わったものはほとんど死んでしまった。

 事件の真相は明らかになるのか、物語は佳境(かきょう)へと向かってゆく。 



 嶋咲枝を殺害する事だけが今日も忘れられない響きである。ただしどこへ向かったらいいか、方向性は見失っていた。嶋咲枝の部下、木崎に島咲枝にもう一度あわせてもらう頼む事はもはや不可能である。今は嶋咲枝がどこで何をしているかも、響にはわからない。

 すると答えは一つだけ残っていた。前野正(まえのただし)というフリーライターがいる。あの男なら嶋咲枝の居場所を知っているだろう。前野は嶋を好むフリーライターだ。だが、響が嶋咲枝の殺害を考えていると前野正に知られてしまったら、前野はすぐに響から遠ざかるだろう。チャンスは何度もあるわけじゃない。前野というカードを使えるのはただ一度だけだ。

 どう動くか、響にはその方法が見出せなかった。だから考えては答えに至らないまま、毎日は過ぎていった。ずっとぼけっとして家の中で時間を送っていた。


 ある日の夜、響が住む地下の部屋の玄関口に人の気配がした。玄関口までは地下へ入る入口の鍵を開けないと入ってくれない。響以外で鍵を持っているのは、マンションの管理人木崎だけだ。唯一それを構わずに入ってきた男が一人いる。響に殺しの依頼をしてきた斉藤だ。

 響は玄関前まで行って、中からドアを開けた。そこには斉藤が立っていた。

 木崎に拳銃を奪われて以来、拳銃を与えてくれた斉藤に会うのは、響にとって気の引けることだった。


 爽やかなサラリーマン風が常だった斉藤だが、その日は少し違い、極めてどんよりしていた。

「どうした?」と尋ねようとした響だが、そう尋ねたのは斉藤の方だった。

 斉藤が響に尋ねた。

 響はむしろ斉藤に『おまえこそおかしいぞ?』と言いたかったがその言葉を口から出さず、ただ玄関のドアを押さえて立っていた。


 次の瞬間、響は後ろに倒れていた。そして斉藤が響の上に乗っかり、マウントポジションを取っていた。

「おい、きさま、何やってんだ!ああ、もう1カ月も経つじゃねえか!

 その間連絡もなく、何もしてねえのか!!」


 玄関の扉が自然と閉まると同時に、斉藤は響にそう罵倒を浴びせた。いつもはただのサラリーマン風の男がその日は借金の取立て人のように恐ろしい顔を浮かべていた。

 響はあまりの豹変振り(ひょうへんぶり)にあっけらかんとしていた。

「おい!!なんじゃ!何か答えろや!」

 胸倉を掴んで体を揺すられ、響は息が詰まった。すぐに呼吸を落ち着かせ、口を開いた。

「やろうとはした。まだ途中なんだ。準備が整っていない」

 斉藤は般若(はんにゃ)のような表情で響の顔を嘗(な)めるように見つめていた。そして斉藤はにやりと笑った。響は少しほっとした。

 しかし次の瞬間、響の顔面は鈍い痺れ(しびれ)を感じていた。斉藤が響の顔面を殴りつけていたのだ。響は瞬時に腕で防御体勢を作っていた。それでも斉藤の拳(こぶし)は容赦(ようしゃ)なく飛んできた。顔面を防御すればボディーに、ボディーを防御すれば顔面に、フック、ストレートと斉藤の腕は伸びてきた。響は的確なそのパンチを防ぎきる事ができずにボロボロにされていた。響は恐れというよりどうしようもない諦めを感じていた。反撃をする気もなかった。

「いいか!よく聞け!貴様のやるべき事は生ぬるい考えでできるもんじゃない。貴様はとんでもなく大きな事をしようとしているんだ。のんびりやってる暇なんてない。貴様の考えなどどうでもいい!用はやるかやらないかだ!正直に言え!やる気はあるのか!?」

「やる気はある」

 響は震える声でそう答えた。声は自然と震えていた。「ただ…」

「何だ。他に何か言いたいか?」

「銃をなくした」

 響は何もかもが面倒でそう言った。これ以上ぼこぼこにされてもどうでもよかった。しかし斉藤の手は飛んではこなかった。斉藤は背広の胸を開いて、内ポケットから小さな拳銃を取り出した。そしてそれを床の上に置いた。

「いいか。これが最後のチャンスだ。まあ、おまえに頼りっぱなしの俺にも問題があった。俺はおまえが仕事を済ませてくれればいい」

 斉藤はそう言って、響から身を離した。

「悪かったな。もう一度だけ、あの女を殺(や)る機会を作ろう。その時に連絡する」

 斉藤はポケットからハンカチを出し、額の汗をぬぐった。そしてそのまま閉ざされた玄関のドアを開き、その外へと出て行った。

 響の体はボロボロで痛みをあちらこちらで感じていた。起き上がると自然とむせ、咳き込み、血を吐いた。玄関のドアに鍵をして、ふらふらの足で、洗面所に向かった。そこで何度も唾を吐き、水を飲んだ。顔を上げると酷く腫れた顔の自分が映っていた。

『酷いな。しばらく誰にも会えそうにない』

 響は心の内でそう呟いた。何もしなくても、すでに動き出した列車はレールに従い進んでいくしかない。自ら選択せずとも、答えは一つしかない。嶋咲枝殺害に向かうことのみしか、響の歩む道には残されていなかった。


26話へ続く