25. 2丁めの拳銃
いつからになるか、響は迷い出していた。
いろいろな迷いが多く、何に迷っているのかさえわからなくなっている。
上野響(うえのひびき)は 恨みある女 嶋咲枝(しまさきえ)の殺害を目的としている。
しかしその目的はなかなか果たせない。同じ目的を持つ 若手旋斗(わかてせんと)との
出会いもあったが、響はまだその男と手を組む気にはなれなかった。
若手旋斗は麻薬への恨みを持っている。麻薬の運び屋である響とは本来敵対関係にある。
一方、馬込警部補(まごめけいぶほ)は日暮里スーパー爆破事件の真犯人を追っている。
そこには育ての親である まさ、田山夫妻との繋がりがある。
スーパー爆破事件の真実はまだ解き明かされていない。
事件に関わったものはほとんど死んでしまった。
事件の真相は明らかになるのか、物語は佳境(かきょう)へと向かってゆく。
嶋咲枝を殺害する事だけが今日も忘れられない響きである。ただしどこへ向かったらいいか、方向性は見失っていた。嶋咲枝の部下、木崎に島咲枝にもう一度あわせてもらう頼む事はもはや不可能である。今は嶋咲枝がどこで何をしているかも、響にはわからない。
すると答えは一つだけ残っていた。前野正(まえのただし)というフリーライターがいる。あの男なら嶋咲枝の居場所を知っているだろう。前野は嶋を好むフリーライターだ。だが、響が嶋咲枝の殺害を考えていると前野正に知られてしまったら、前野はすぐに響から遠ざかるだろう。チャンスは何度もあるわけじゃない。前野というカードを使えるのはただ一度だけだ。
どう動くか、響にはその方法が見出せなかった。だから考えては答えに至らないまま、毎日は過ぎていった。ずっとぼけっとして家の中で時間を送っていた。
ある日の夜、響が住む地下の部屋の玄関口に人の気配がした。玄関口までは地下へ入る入口の鍵を開けないと入ってくれない。響以外で鍵を持っているのは、マンションの管理人と木崎だけだ。唯一それを構わずに入ってきた男が一人いる。響に殺しの依頼をしてきた斉藤だ。
響は玄関前まで行って、中からドアを開けた。そこには斉藤が立っていた。
木崎に拳銃を奪われて以来、拳銃を与えてくれた斉藤に会うのは、響にとって気の引けることだった。
爽やかなサラリーマン風が常だった斉藤だが、その日は少し違い、極めてどんよりしていた。
「どうした?」と尋ねようとした響だが、そう尋ねたのは斉藤の方だった。
斉藤が響に尋ねた。
響はむしろ斉藤に『おまえこそおかしいぞ?』と言いたかったがその言葉を口から出さず、ただ玄関のドアを押さえて立っていた。
次の瞬間、響は後ろに倒れていた。そして斉藤が響の上に乗っかり、マウントポジションを取っていた。
「おい、きさま、何やってんだ!ああ、もう1カ月も経つじゃねえか!
その間連絡もなく、何もしてねえのか!!」
玄関の扉が自然と閉まると同時に、斉藤は響にそう罵倒を浴びせた。いつもはただのサラリーマン風の男がその日は借金の取立て人のように恐ろしい顔を浮かべていた。
響はあまりの豹変振り(ひょうへんぶり)にあっけらかんとしていた。
「おい!!なんじゃ!何か答えろや!」
胸倉を掴んで体を揺すられ、響は息が詰まった。すぐに呼吸を落ち着かせ、口を開いた。
「やろうとはした。まだ途中なんだ。準備が整っていない」
斉藤は般若(はんにゃ)のような表情で響の顔を嘗(な)めるように見つめていた。そして斉藤はにやりと笑った。響は少しほっとした。
しかし次の瞬間、響の顔面は鈍い痺れ(しびれ)を感じていた。斉藤が響の顔面を殴りつけていたのだ。響は瞬時に腕で防御体勢を作っていた。それでも斉藤の拳(こぶし)は容赦(ようしゃ)なく飛んできた。顔面を防御すればボディーに、ボディーを防御すれば顔面に、フック、ストレートと斉藤の腕は伸びてきた。響は的確なそのパンチを防ぎきる事ができずにボロボロにされていた。響は恐れというよりどうしようもない諦めを感じていた。反撃をする気もなかった。
「いいか!よく聞け!貴様のやるべき事は生ぬるい考えでできるもんじゃない。貴様はとんでもなく大きな事をしようとしているんだ。のんびりやってる暇なんてない。貴様の考えなどどうでもいい!用はやるかやらないかだ!正直に言え!やる気はあるのか!?」
「やる気はある」
響は震える声でそう答えた。声は自然と震えていた。「ただ…」
「何だ。他に何か言いたいか?」
「銃をなくした」
響は何もかもが面倒でそう言った。これ以上ぼこぼこにされてもどうでもよかった。しかし斉藤の手は飛んではこなかった。斉藤は背広の胸を開いて、内ポケットから小さな拳銃を取り出した。そしてそれを床の上に置いた。
「いいか。これが最後のチャンスだ。まあ、おまえに頼りっぱなしの俺にも問題があった。俺はおまえが仕事を済ませてくれればいい」
斉藤はそう言って、響から身を離した。
「悪かったな。もう一度だけ、あの女を殺(や)る機会を作ろう。その時に連絡する」
斉藤はポケットからハンカチを出し、額の汗をぬぐった。そしてそのまま閉ざされた玄関のドアを開き、その外へと出て行った。
響の体はボロボロで痛みをあちらこちらで感じていた。起き上がると自然とむせ、咳き込み、血を吐いた。玄関のドアに鍵をして、ふらふらの足で、洗面所に向かった。そこで何度も唾を吐き、水を飲んだ。顔を上げると酷く腫れた顔の自分が映っていた。
『酷いな。しばらく誰にも会えそうにない』
響は心の内でそう呟いた。何もしなくても、すでに動き出した列車はレールに従い進んでいくしかない。自ら選択せずとも、答えは一つしかない。嶋咲枝殺害に向かうことのみしか、響の歩む道には残されていなかった。
26話へ続く