27. 神社の静寂に包まれて
玲香と会った翌日の昼間、響はかんさんの神社にいた。
昨日までの暑さが嘘のように涼しい一日だ。
神社は静寂(せいじゃく)に包まれていた。蝉の声も聞こえなかった。
どこからかやってきた観光客がちらほら見受けられた。年齢は若干高め、若者が少ないのも静けさを感じる要因かもしれない。
響は本殿(ほんでん)を通り過ぎ、裏にある社務所(しゃむしょ)に向かった。
入口では2人の巫女さんがお札やお守りを売っていた。
響は年上の方の巫女に尋ねた。
「美坂さくら(かんさんの孫娘)はいますか?」
年上の巫女は顔を上げて、響の顔を覗き込んだ。
「少々お待ちください」
そう言うと、彼女は裏の方へと行ってしまった。
数分待った後に、美坂さくらは社務所の入口より外に出てきた。彼女は巫女の姿でなく、グレーのスカートタイプのスーツを着ていた。
さくら:「響さん、どうされたんですか?」
響 :「いや、ちょっと」
さくら:「珍しいですね。こんな時間に」
響は深々と被っている帽子をつばを下げ、頷いた。さくらは近づいてきて、深々と被る帽子の内側を覗き込んだ。
さくら:「どうされたんですか?その顔」
響 :「いや、ちょっと」
さくら:「家へいらしてください。手当てしますから」
さくらはお札を売る巫女に挨拶をする。
「ちょっと外すわね。上をよろしく」
「ええ、構いませんよ。どうぞ」と、年上の巫女は嬉しそうな顔をして答えた。
二人は本殿の前を過ぎて、境内の階段を下っていった。そして美坂さくらとかんさんの家に着いた。
さくらはそのまま玄関の扉を開けようとしたが閉まっていたので、鍵を外した。
「おじいちゃあん」とさくらはかんさんを呼ぶ。が、かんさんの声はしない。「どこかいったのかなあ。
どうぞ、あがってください」
家に上がり、入って廊下の最初の左手にある居間に通される。ちゃぶ台やテレビの置かれた和室だ。新聞が開いたまま置かれいてる。スポーツ面で野球に関する事が載った記事のページだ。
響は新聞の置かれた反対側へと周り、そこにある座布団に座った。さくらはサイドボードで何かを探している。障子はあるが窓のない部屋なので、部屋は仄(ほの)かな明かりしかない。今日は曇っているせいもあるのか、なんとなく暗い。
さくらは救急箱からいくつかの薬を取り出してきた。そして響の前に座った。
「喧嘩でもしたんですか?」
彼女は薬の口を開けながら、響にそう尋ねた。
響は答えなかった。
さくらは響の深々と被った帽子を脱がし、長い前髪をあげて顔を覗き込んだ。とても近くにさくらの顔があった。少し化粧をしていた。眉の辺りの化粧が少しザツだった。さくらの長い髪がぱさりと前に落ちてきた。黒く艶(つや)のある綺麗な髪だった。いい匂いが響の心をくすぐった。さくらはそんな響の心の内など気にもせず、響の顔に綿棒で薬を付けた。
「沁(し)みますか?」
「少しだけ」
さくらはにこりと微笑んだ。「これで大丈夫かな?」とさくらは言って、綿棒を離し、姿勢をまっすぐした正座に直した。
本当は響には言いたい事があった。
『あなたはあなたが思う一番大切な人にあなたを伝えるのよ』と、昨日一晩を共にした玲香が響に伝えた言葉が頭の中に残っている。響には目の前にいる女性がその一番大切な人に当たるのかはわからなかった。それでも響には他に思い当たる相手がいなかった。
さくら:「どうしんたですか?何か、用があったんですよね」
響 :「うん、まあ」
響はそう言って、自分の座る座布団を後ろに少しずらした。さくらとの距離感があまりに近すぎて、頭がぽんわりとしてきてしまったためだ。
響 :「さくらちゃんは、、、、」言葉が出てこない。
さくら:「何ですか?」と笑顔で。
響 :「まささんが亡くなって、一年が経つ」話の方向性を替えて、話し出す。
あの人にはいろいろと世話になった。かんさんともまささんがいたから仲良くなったわけで
さくらちゃんともそれで会えた」
さくら:「そうですね。わたしはまささんて少し恐い感じの人だからあまり話せなかったけどね」
響 :「俺もあの人の事はよくわかってはいなかった。ただ、いい人だった。
周りの人が言うほど恐い人じゃない。あの人は優しい人だった」
さくら:「そうかもしれませんね。でもおじいちゃんは、まささんは危険な人だと言ってた。
あの人にはあまり近づかない方がいいってね。ごめんなさい。そう言われたの」
響 :「俺にはわからない。それはそれで構わない。でも俺にはまささんが必要だった」
話はそこで止まった。しんとした静けさが辺りを包んでいた。さくらには響が何を言おうとしているのか皆目見当(かいもくけんとう)が付かなかった。それは響自身も何を伝えればいいのか全く分かっていなかったからだ。少なくとも、嶋咲枝や麻薬の事を一言として話すことは出来そうになかった。その事を伝えれば全てが壊れてしまうと、響は心の内で感じていた。自分は自分を伝えることができない。
話はつっかえ棒にぶつかり止ってしまった。正しくはそうだ。恨みだの仇(かたき)だの口に出来ない。
「何か、飲みますか?」
間が持たなくなったさくらがそう尋ね、響は素直に頷いた。
さくらは立ち上がり、台所へと行ってしまった。響は頭の中を整理しなくてはならなかった。何を伝えればいいか、何を伝えるべきか。
数分後、お盆に氷の入った麦茶を載せたさくらが戻ってきた。
彼女はさっきと場所を移し、テレビの前の座布団に腰を下ろした。響の斜め前だ。
「どうぞ」と言って、さくらは響に麦茶の入ったコップを渡した。響はグビッと飲んだ。思ったより喉が渇いていた。だからほとんど中身が空になるくらい一気にグビグビと飲み込んでしまった。
響 :「俺の本当の両親は亡くなってしまった。ある事故で死んでしまったんだ」
さくら:「そうなんですか」
響 :「それでたまたま、まささんに出会ったんだ。俺は家出をしてきたわけでもない。
帰る場所がなくなった。今じゃ、まささんも亡くなって、本当に帰る場所がなくなった」
さくら:「・・・」
響 :「それで、どうしようかと思っている」
さくら:「どうするんですか?」
響 :「わからない」
さくら:「そんな話をしに来たんですか!」
さくらのその言葉は詰まっていた物がふっと壊れた感じだった。さくらは真剣な眼差しをしていた。
響 :「わからない。ただ、何かを話そうとして、さくらちゃんにそんな話を」
さくら:「わたしは忙しいんです。そういう話なら、また今度にしてください」
さくらの強まった声に、響は言葉を失った。なんて答えていいか、わからなかった。全てがわからないままだった。ただ、これ以上何を言っても仕方ない気がした。慰めてほしいわけでも、同情してほしいわけでもなかった。助けてほしいわけでもなかった。気がついたら、自分が行き場のない人間だという話をしていた。それでどうするかなんて何もわからなかった。
「ごめんなさい。忙しいんです」と、さくらは弱い声で付け足した。
そして立ち上がり、お盆の上に麦茶を戻し、台所へと行ってしまった。
さくらは自分でもなんで怒ったように響を突き返そうとしたのか、わからなかった。でも本当はもっと期待をしていた。さくらはもっと人生の全てを変えてしまうような期待を、響に望んでいた。なぜそんな期待を抱いたのかわからないが、さくらはとても期待していた。だからとても落胆した。『わからない』なんて言ってほしくなかった。望むならどんな形でもいいからもっと誘ってほしかった。でも、そんな期待を抱いた自分も、期待ばかりをしているだけで何もできない自分も情けない気がした。
台所の流し台でぼうっとしていると、響が居間から出てきた。彼は台所をちらっと覗き、「行くね」とさくらに伝えた。「ええ、どうぞ」と、さくらは答えた。さくらはそんな態度しか取れない自分に後悔していたが、どうする事もできなかった。
家を出て、響は自分が何をしているのか、より一層分からなくなっていった。頭が混乱していた。
帰り道、響は全てを考えるのを止めることにした。『どこかに少しだけ、幸せを望んでいた自分がいたのだろう』と響は思った。そして『だけど、それを考えれば混乱する』と感じた。だから、ただ流される事とした。嶋咲枝、木崎、斉藤(殺しの依頼人)、若手旋斗(謎の組織のボス)、そういった意思を持った存在にいいように扱われたほうが楽な気がしてきた。
心が痛かったから、幸せを望む事を止めることとした。
いつものマンションの中を抜け、いつもの裏路地から地下へと扉を開き降りてゆく。暗い地下の扉を開き、中へ入って電機をつければいつもの場所がある。
ここが自分の場所なのだ。
と、響は自分の心に言い聞かせた。
どうなるかなんて知らないさ。
第28話へ続く