24. 若手旋斗との対面 | 小説と未来

24. 若手旋斗との対面


 『ふくちゃん』の家で飲んで以来、響の住むマンションに馬込警部補が姿を見せることはなかった。それどころか、嶋咲枝殺しの依頼人である斉藤もやって来ない。麻薬取引のボスの部下である木崎すらやってこなかった。響が遠出して水道橋で会う女、玲香に会う事もなかった。会ったのはせいぜい式羽(しきば=風俗店店長)くらいで、一緒にナンパしに行き、一度だけ女を抱いた。後はいつもどおり居酒屋『ふくちゃん』に通っていた。かんさんととっちゃんとはよく飲んでいた。でも、響がさくらと会う事はなかった。

 そんな関係の毎日が流れていた。


 世間は盆休みに入っていた。上野の通りを休めない会社員が歩いていた。

 朝8時だった。響は自分が住むマンションの入口付近で待ち合わせをするかのように、壁に凭れ(もたれ)て立っていた。馬込警部補は姿を見せなかった。特別な用が彼にあるわけではなかったけれど、響は今、行き場を見失っていた。



 時々行く高級喫茶に入った。コーヒーとホットドッグを頼んだ。新聞を読んだ。世の中の人は北京オリンピックに話に沸いていた。響には興味がなかった。ゆっくりするつもりだったが、騒がしくて落ち着かないので、コーヒーを飲み干すとすぐに喫茶店を出た。


 外に出ると意外な男が立っていた。居酒屋『ふくちゃん』でギター片手に歌を歌う歌い人だった。彼は人見知りの激しい男なので挨拶もしないかと思っていたが、響の姿を確認すると意外にも近づいてきた。

「やあ」と彼は挨拶をした。歌以外の彼の声を聞くのは、まるで初めてのようだった。澄んだ綺麗な声をしていた。

「珍しいですね。こんなところで」と、響は返した。

 少しもじもじして、彼は口を開いた。

「時間はあるかい?ちょっと付いてきてほしいんだ」

 さらに意外な事に、歌い人は響に用があるみたいだった。響は退屈していたので、断る理由が浮かばなかった。


 歌い人は路上に駐車していたスターレットに響を誘った。そしてスターレットは昭和通りを浅草方面に向けて走り出した。


「驚いたかい?急に現れて」

 歌い人は話しかけてきた。

「そうですね」

と、響は答えた。

「僕の本名は知っている?」

「いや」

と、響は答える。

「僕の本名は柏木守(かしきまもる)っていう。一応知っていたほうが便利だろうと思って」

 響は変な事を言うなと感じた。

「いったいどこへ行くんですか?」

「まあ、辿り着いたら話す」

 そのまま、車は錦糸町方面へ向かい、さらに江東区の方へと向かっていった。


 東陽町あたりの狭い路地にある中華料理屋の前で車は停った。柏木は響に車を降りるよう合図して、響が車を降りると、そこに入れるのかというくらい左右幅のない狭い駐車場に車を入れた。ボンネットは路上に飛び出していた。

 壁すれすれをすり抜けて柏木は降りてきた。そして中華料理屋に響を誘った。


 朝9時前、もちろん中華料理屋はやっていない。中に入れば、客はもちろん、店員もいない。

 カウンターといくつかのテーブル席がある。その空間を抜けて、奥の扉をくぐる。そして2階へ通じる木の階段を上ってゆく。昭和の匂いがする築30年といったところの建物だ。2階の廊下を抜け、一番表側になる部屋のふすまを開いた。

若手(わかて)さん、お待たせしました」

と、柏木は言った。

 若手と呼ばれた男は窓際にある低い椅子(座椅子の底を少しあげたような椅子)に座って、頭にタオルを被っていた。クーラーの効かない部屋のようで扇風機が回っていたが、すでに朝から部屋の中は蒸していた。

 その男に危険な匂いはあったが、嫌いな匂いではなかった。響は若手と呼ばれた男に第一印象から妙な親近感を抱(いだ)かされていた。

 若手はタオルをどけて、顔を見せた。鋭い目の、ほっそりした顔つきの男だった。無精ひげが生えていた。髪は長髪だ。ちなみに響の髪も長めで、歌い人(柏木)の髪も長い。髪の長い3人が集まった(余談)。齢は30半ばといったところだろうか。身長は座っているが180cm以上はあるようだ。若手は目をぎらりとさせて、響を見つめた。


若手:「君が響君か。今日はよく来てくれたね


 柏木が畳のその場に腰を下ろし、響もその横に胡坐(あぐら)をかいて座った。


柏木:「彼の話を聞いてほしい」


 響は何も言わなかった。


若手:「俺の名前は若手旋斗(わかてせんと)と言う。君に来てもらったのにはそれなりの理由

    がある。どこから話したらいいか、少し難しい。これはとても複雑で、長い話なんだ。

    まずは、言ってしまうと、俺は君がどんな仕事をしているかを知っている。

    それは君の育ての親にあたる男が何をしていたかを知っているからだ。

    名前を言ってしまえば月島雅弘(つきしままさひろ)通称まさの事を、俺は知っている。

    しかし、彼と俺は知り合いでも何でもない。一方的に俺が彼の事を知っているだけだ


 響はそこまでの話で、彼らが警察ではないかと勘繰(かんぐ)った。

 しかし、若手はその勘をすぐに打ち消した。


若手:「言っておくが、俺は警察組織とかそういった類(たぐい)の者ではない。彼(柏木)も同じだ。

    まあ、俺はそういう場所に在籍していた事もあった。しかし今は関係ない。全くね。

    話は戻るが、俺はまさを追っていた。

    そして彼をある居酒屋で見つけてからそこにいる柏木にまさを付かせた。

    ずっと見張っておいてもらったんだ。

    この数年間、彼はその居酒屋でずっと歌っていたそうだが、

    柏木があの店にいた本当の理由はまさを見張る事にあったんだ


 柏木はぺこりと頭を下げて、響を見た。響はまるで勘付いていなかった。勘のいい響でさえ、彼が何者かを気にする事がなかった。


若手:「話を少し変えよう。

    これは俺の考えなのだが、世の中にはがある。

    君にもその事はわかるだろう。自分がしている事が裏の仕事だという事はわかっているはずだ。

    そして俺がどちらかというと、俺も裏の人間だ警察組織だ。

    世の中には表と裏があり、大半は表、表の世界でこの世は成り立っている。

    時代が荒れていたときには裏が表立つ事もあっただろう。

    この平和な世界の中じゃ、世の中は表で大半が成り立っている。

    世の中を平和に保つために世の中は表を保っている。

    ここまでは理解してもらえるかな?」


 響はこくりと頷く。


若手:「俺はここから表を光裏を闇と言い表す。いいね。

    世の中は平和を保つためにの世界を拡げてゆく。光は法や良識で守られている。

    欲望も含め、法や良識が認めれば全て光になる

    つまりは法や良識が許せば、何をやっても許されるという事だ。

    もう一つ、世の中には上位下位ある。上位の人間は下位の人間を支配する。

    どうすれば上位になれるかといえば、単純に賢い人間は上位になれるし、バカな人間は下位になる。

    法や良識を上手に扱える奴らはこの世の上位に存在し、

    うまい言葉を並べて自分の行為を肯定し、自分の地位を守る。

    それは一部の人間だけの世界だがね。

    上位は上位の人間だけで、自分の地位を守ったり、

    自分の地位を脅かすものを排除したりするんだよ。

    彼らは良識や常識と名目付けた自分の地位を守るための知恵を持って偉そうに生きているんだ。

    そんな物事には気づかずに、平和に暮らすこともできる。

    世の中が成り立っているのはそんな事を気にせず平和に生きている下位の人間がたくさんいるからだ。

    その事がとても大切な事だ。

    ここまで、いいかな?」


 響は頭をフル回転させ、彼の言っている事を理解する。

『光=法=良識=常識。上位と下位。上位=法を操る。下位=法に操られるという事か』

 そして頷く。


若手:「上位と下位の間、もしくは上位と上位の争いの中で生まれる。

    誰だって妬みや恨みを抱く。不幸が重なれば重なるほど、人は闇を広げてゆく。

    誰だってうまくいかない事があれば劣等感から妬みや恨みを持つ。

    だからといってすぐにそれが闇に繋がるかというとそういうわけでもない。

    人というのは努力や別の満足でそういった怒りを鎮(しず)める力を持っている。

    人はそこに感動したり、喜びを感じたりする。

    一般的には闇に繋がる程の怒りを持つこともないだろう。

    でも一部の人間は違う。いつまでも強い劣等感を引き摺り、光に反発する。

    闇の世界はそうやって生まれた。俺もそうやって闇の中で暮らすようになった。

    闇に暮らすもの全てが怒りや劣等感で暮らしているわけではない。

    引き摺り込まれて暮らすものもいる。君はどちらというと闇に引き摺り込まれた方だろう。

    まさという男に会わなければ、君はそんな事はしていなかったはずだ


  響にはわからなかった。自分は確かにまさに会わなければ、麻薬を運ぶ事などなかっただろうが、まさがいなかったらまともに生きていけたかというとそうとも言い切れない気がした。だから響は頷く事も否定する事もなく、ただ若手の話を聞き続けた。


若手:「ここで本題に入ろう。俺はさっきも言ったように、闇に引き摺り込まれた人間だ。

    世の中に対する怒りや劣等感を捨てきる事ができなかった。

    一度は光に生きようと誓ったが、結局運命はそうさせてはくれなかった。

    俺の親は俺が幼い頃に麻薬に手を染めて、おかげで俺は酷い幼少時代の中で育った。

    6歳の時に孤児院に入れられ、10歳の時に伯父(おじ)に引き取られた。

    俺は俺のような子供を作ってはいけないと警察官を目指した。

    運のいい事に伯父は親父と違いまともな人間だったから、俺が無事に警官になるまで育ててくれた。

    そして俺は少し変な部署に入れられたが、

    そこで麻薬に関する捜査を行い、結構な所持者や売人を捕まえた。

    でもやっていくうちにそれは永遠に続くゲームのように思えた。

    経験値を上げるごとに俺は上手に売人を捕まえる事ができた。捕まえる頻度も上げた。

    上司は俺を褒(ほ)めた。

    だから何だというんだろう。俺のやりたかった事が何なのか、疑問は膨れていった。

    ねずみ捕りと変わらない。何の答えにも繋がらない。そう思った。

    俺は麻薬の根源となる部分に手を付けようとした。

    組織犯罪の上部に手を付けようと。

    でも上司に止められた。それは自分の課の仕事を超えた仕事に値するからだ。

    俺は到底、納得できなかった。

    俺は自分が組織犯罪に関わる部への異動も含め、どうにかならないかと持ちかけた。

    上司は相談に乗ってくれたが結局は駄目だった。

    上層部がそれを許さなかった。俺には理解できなかった。何かがおかしくて仕方なかった。

    何かに抑えつけれている。そう思ったときに、俺はその事実の全てが知りたくなった。

    そしてそのためには今ある地位の全てを捨てなくてはならないと感じ取った。

    先で言ったところの上位と下位の間に生まれた闇だ。

    俺は自ら警察を去り、麻薬を扱う真の犯人を突き止めようと考えた。

    さて、お分かりかな?」


響 :「俺は、真の犯人でもなんでもない


若手:「そんな事は百も承知だ。

    俺はさっきも言ったように、君が闇に引き摺り込まれた人間だと思っている。

    俺は君のしている仕事を恨んでいる。だが、君自身は恨んでいない。

    柏木は君が決して悪い人間ではないと言っていた」


 柏木は少し照れたように笑顔を浮かべ、響を見た。


若手:「俺も君に会ってみて、そう思う。俺が望むのは、君に力を貸してほしいという事だけだよ。

    俺らの仲間になって、世の上層にいる汚い奴らを消し去りたいだけなんだ。

    光を操れる者は闇も操れる。光と闇で言ったら、闇より光の方が常に上位にある。

    光を操る者のさらに上位は闇も操っているだよ。

    君はその者の正体を知っているのか?」


 響の脳裏にはすぐに嶋咲枝の姿が浮かんだ。光と闇を操る者、彼女がまさしくその者であった。そして響はその女を殺したいと思っていた。若手の仲間になる事は自分の意思に比例していた。


 響 :「知らない。俺は、ただ仕事をしているだけだ」


若手:「そうか、まあいい。はどちらにしても俺たちにとって重要な人間だ。

    そうでなくてはわざわざ姿を晒(さら)して君の前に出てはこないさ。

    俺は柏木を信じている。君はまさとはい、もっと真実に近い人間だとね」


 響 :「真実に近い?」


若手:「君も俺らと同じく、真実を求めている。

    本当に正しい物を求め、常識や良識がいかに愚かなものであるかという事を知っている。

    俺は君にそういった意思をを感じるよ」


 響は嘘を付いたし、若手のいう事を理解しようとはしなかった。若手という男の事が嫌いにはなれなかったし、その男のいう事を信じる事もできた。それでも響は誘いに対して、縦に首を振る事はできなかった。それは、咲枝に対する復讐は自分で果たすものだと決めていたからかもしれない。響の意思は若手が想像するよりも遥かに強いものだったのだろう。


若手:「まあいい。君がどうするかは君に任せる。

    君に仕事を与える人間に俺らの事を伝えてもいい。いずれ俺はその者と会いたいと思っている。

    どういう形であっても、そうしないとならない。そろそろその時期が近づいてきているのさ。

    俺はそう思い、君を今日ここに呼んだ。

    一番大切な事は、君が俺という存在を知った事なんだ。それだけで十分だ」


 若手はそう言うと、またタオルを頭に被って、眠ったように静かになってしまった。


柏木:「とても残念だよ。君は僕らの仲間になってくれると思っていた。とりあえず、送ってくよ」


 柏木がそう言って、二人は立ち上がった。部屋を出て、階段を下りると、食堂に一人の見知らぬ男がいた。白い割ぽう着を着ているところから店の主人のようだ。


柏木:「金子さん、今日のところは、話は決裂です」


金子:「そうか」


 金子という40くらいの店主はニコリと響に微笑んだ。

『彼も闇の人間なのだろうか』と響はふと思った。


 中華料理店を出て、柏木が運転し、上野に帰るその途中で話を始める。


柏木:「これからも、僕は『ふくちゃん』の店で歌わせていただきます。今日の事は忘れてください。

    僕は歌を歌うのも好きなんです。

    若手さんと同じく、親父が狂わなければ、まともにミュージシャンを目指していたかもしれませんね。

    もし、今日の事に興味があるのなら、こちらに電話してください


 柏木はそう言って、携帯電話番号の書かれたメモを渡す。


柏木:「それから、できれば、運びの仕事は控えめにしてください。響君に恨みはない。

    でもその事が行われる事が、僕にはどうしても許せないんですよ。恨みはない」


 響はどうとも答えること出来なかった。

 ただピリピリした柏木の表情、思い出される彼の歌声が響の心に今までにない申し訳ないと思える感情を与えていた。

 太陽は高いところまで上がっていった。車のクーラーは効いているが、それでも熱気を消せない暑い一日になりそうな予感がした。


第4章終