'88年日本GPは深い思い出がある マクラーレンMP4/4セナ車 ファン感謝デー~伝説の物語7
F1GPで超進化した1.5ℓターボ・エンジンが使用できる最後の年―1988年に登場したマクラーレンMP4/4 ホンダ。過給圧と使用燃料量の厳しい規制の中で、低燃費化されたエンジンを搭載したマクラーレンは他車を圧倒。
アラン・プロスト選手とアイルトン・セナ選手というトップドライバーをそろえて死角のないチーム編成となった。
2人の一騎打ちとなった最終戦日本GPでセナ選手が優勝してチャンピオンを決定した―などという説明も蛇足に過ぎないほど有名なエピソードだ。
ホンダが運営する鈴鹿サーキットで初めてのF1優勝がチャンピオン決定戦となり、ホンダにとっても日本人にとっても忘れられない記念車となった。
加えて絶大な人気を誇るアイルトン・セナ選手が初めてチャンピオンを獲得したマシンだけに、今でもホンダF1展示&デモランには欠かせないマシンだ。
マクラーレン・Honda MP4/4(1988)
2015年ファン感謝デーで中嶋悟監督がデモランしたMP4/4
セナ選手に関して「八百長」だの「ぶつけて獲る」だの「抜いたら殴る」だの良い事を書かないドルフィンだが、「ぶつけて獲る“仕返し”編」をする'90年日本GPまでは好きなドライバーだった。
’88年日本GPで、レース後半にチャンピオンを獲得する執念とも言える追い上げをみせてコース上で勝負をつけた時には素直に感動した。涙が出た。
'89年予選をコースレコードでポール・ポジションを決めた走りには鳥肌が立った。ダンロップコーナー外側で観ていた。6㌔弱のコースを走って0コンマ何秒速いだけなのに、ひとつのコーナーを抜ける速度が「この周は好タイムが出ている!」とハッキリ分かるほど速かった。
1988年のF1日本GPでのセナ選手
'88年日本GPがゴールを迎えた後、ピット通路を通りグランドスタンド裏に姿を現した本田宗一郎氏。集まったファンから「おめでとうございます!」の声が雨のように降り注ぎ、氏の眼が潤んでいた。
ドルフィンも初めて宗一郎氏の姿を生で拝見し、握手して頂いた。
他にも予選後、ガラスを隔てて50㌢の至近距離でセナ選手を目撃したり、2人目の日本人F1ドライバー・鈴木亜久里選手がデビューもあった。
ドルフィンは初めて予選から車内泊で観戦に行った等々'88年日本GPは思い出深いレースでもある。
'88年F1日本GP決勝後に現れた本田宗一郎氏
この思い出深いレースを代表するマシン、マクラーレンMP4/4 セナ車だけ1/43ミニカーを持っている。しかもミニチャンプスのアイルトン・セナ コレクションで。
正直言えば鈴鹿サーキット前にあるミニカーショップ・GPコレクションで安売りされていたので「この値段ならば」と購入したのだ。
セナ選手のフィギャも乗っている。
タバコロゴの代わりにバーコードが入っている。ダミーが入っていなければデカール貼りをしたいのだが、ダミーを剥がす作業が難しそうなので手をつけずにいる。
ミニカーの背景は、当時ホンダがディーラーなどで配っていた記念ステッカー。
2014年F1日本GPで展示されたMP4/4と京商1/64「セナ コレクション」MP4/4と
鈴鹿50thアニバーサリーでMP4/4を駆る伊沢拓也選手
2012F1日本GPで展示されたMP4/4
マクラーレン大阪 八光ショールームに展示されているMP4/4セナ車
春の息吹を感じる よもぎ団子あずきがけ
お花見に行った時に嫁はんが野草狩りをして摘んできた蓬(ヨモギ)。
これをお団子にして、小豆も炊いて「蓬団子 あずきがけ」にしてくれた。
新芽部分だけを摘んだそうなのでアク抜きせずとも良い風味が感じられる。
小豆を炊いたので部屋の中が小豆の香りで満たされていた。炊いた小豆をすり鉢で半殺しして蓬団子にかけてくれている。
鼻に抜ける蓬の爽やかな香り。小豆の甘味が控えめなので蓬が引き立つ。
春を感じるなぁ。
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MotoGP王者ケーシー・ストーナーのレプソル・ホンダRC212V
MotoGPチャンピオンをドゥカティで1回、ホンダに移籍してから1回獲得したケーシー・ストーナー選手。
二輪最高峰クラスでの初ポールポジションとチャンピオンはそれぞれフレディ・スペンサー選手に次ぐ2番目の若さでの獲得記録を持つ。
ゼッケン「27」は、スペイン・ロードレース選手権に参戦した時から使用している。オーストラリア国旗をあしらった「27」番はストーナー選手をイメージさせるナンバーだ。
2012年シーズンをもって現役を引退。翌年にホンダとテストライダー契約を締結。
さらには今年の鈴鹿8時間耐久ロードレースにホンダ系チームのハルクプロから参戦が決定した。
ストーナー選手がホンダで乗っていたのがレプソル・ホンダRC212V。
排気量上限が800㏄へのレギュレーション変更に伴い2007年に登場したが戦闘力不足で、ドゥカティやヤマハの後塵を拝し続けていた。
ホンダF1のエンジニアが開発参加した事や他チームに先駆けてシームレスミッションを投入したことにより戦闘力が向上した。
同一レギュレーション最終年にストーナー選手が10勝を挙げ、ホンダに6年ぶりのチャンピオンをもたらした。
「引退した元世界王者が鈴鹿8耐でカムバック」の構図は、'85年の鈴鹿8耐でケニー・ロバーツ氏が復帰して全日本王者の平忠彦選手と組んだ時の事を思い出して興奮する。
あの時、ドルフィンが二輪レースを観るようになった時に既にケニー氏は引退していて、鈴鹿8耐で初めてケニー氏の走りを目にした。
今回もストーナー選手の走っている姿はTVはおろかDVDでも観ておらず、雑誌の写真でしか知らない。
まだ開催日に休めるかどうか分からないのに、今からテスト日や8耐が楽しみで仕方ない。
さらには興奮の勢いのまま、もうストーナー選手にサインを入れてもらうつもりでニューレイの1/12ミニカー、ホンダRC212Vストーナー車を買ってしまったのだ。
検索して見つけたショップが通常の半額くらいの売値だった事も「これはチャンス!」とばかりに背中を押された。
チャンピオンバイクのミニカーくらいのサイズかと思ったら意外に大きかった。
厚紙と透明セルロイドのケースに入っている。「これにサインをもらうのも…」と思い、以前にミニチャンプス1/43ミニカーのマーチ792をいれたコレクションケースに移そうかと試してみたがギリギリ上がつかえて入らない。
仕方ないのでこのパッケージにサインを入れてもらうしかない。そう言えば、今年のファン感謝デーで同じパッケージのミニカーにRC213Vのテストライダーでもある高橋巧選手にサインをしてもらっている方を見かけた。
鈴鹿サーキット50thアニバーサリーでRC212Vをデモランする岡田忠之選手
チャンピオンバイクより大きいだけあって細部も細かく作られている。
エンジンからエキパイの取り回しや配色も綺麗だ。
チャンピオンを獲得した2011年のマシンということもあり、車体には震災復興支援の「がんばれ日本!」の文字と国旗が入っている。
バイク熱が再燃してきて、現在では鈴鹿1000㌔よりも鈴鹿8耐の方が楽しみになっている。
はてさて、ストーナー選手にサインを頂けるだろうか?
今年の巡り合わせだと開催日に休めないかもしれないな―と、チョット弱気。
え? ヤマハがあの大物ライダーを8耐参戦させるの? 以前にドルフィンが書いた全日本王者・中須賀とあのチャンピオン・ライダーの組み合わせが実現するの?
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情熱溢れたホンダF1第一期参戦マシン ファン感謝デー~伝説の物語6
よく写真で見る「本田宗一郎氏が腰掛ける金色のF1マシン」=RA270も展示して欲しかった―と、思っていたのだが、どうやら実車は本田宗一郎氏の指示で破棄されて現存していないらしい。
当時ナショナルカラーを纏っていたF1マシン。ホンダは宗一郎氏が好きなゴールドを登録しようとしたが、南アフリカが先に登録していたためにアイボリーに日の丸となったとの伝説がある。
そのためか以降の日本企業マシンはマキやトヨタ、スーパーアグリでも白/赤がイメージカラーになっている。
ホンダのF1挑戦最初のマシン。
エンジンサプライヤーとしてロータスと契約が成らず、独自シャシーを開発しての参戦だった。
当時は革新的だったアルミモノコック+横置きV12エンジンを搭載。
F1初優勝マシン。
レギュレーションが3000ccに変更され、規定に合わせて排気量を拡大した。
トミカとなっている「ホンダF1」はゼッケンやカラーリングからするとこのRA273かと思われるが、ノーズの厚みが薄かったり、エキパイの取り回しが全く異なっている。強いて言えばRA301に近い。
Honda RA300(1967)
F12勝目を挙げたマシン。ローラ製シャシーを使用。
RA301はレーシングシアター展示になっていた。
2012年鈴鹿サーキット50thアニバーサリーデーで鈴木亜久里選手がデモランした
Honda RA301(1968)
第1期F1参戦最後となる1968年のマシン。共同開発したローラT180シャシーを使用している。
未勝利に終わった。
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ル・マン最高成績を残した日産R390GT1'98 日産ヘリテージコレクションとミニカー36
日産ヘリテージコレクションとミニカー36
ixo1/43モデルのニッサンR390 GT1 ル・マン3位を8年前にオークションで入手。星野一義/鈴木亜久里/影山正彦組のNo32号車だ。
ブルーのグラデーションもさることながら、車検合格のシールまで忠実に再現している。ウィンドウ越しに見えるコックピットやエンジンの作り込み&着色も細かい。
左右のホイールを分けるセンターナットも赤と青に色分けできている
全体をぐるりと見回すと、本当に綺麗なボディ形状をしているのが分かる。ホレボレするラインだ。
ニッサンR390 GT1 '98年ルマン24th 総合3位 1998年
1998年のル・マン24時間レースは32号車(星野/鈴木/影山組)総合3位、30号車5位、31号車6位、33号車が10位と、全車が10位以内で完走する結果を残した。
97年の轍を踏まぬためエンジンはベンチで十分なテストを済ませ、ミッションも耐久性のある特別な素材でギアを作り直した。ドライバーのシートポジションを改良し、空力効果を上げるため、ロングテール化を図った。
ノーズに黄色く変色した保護幕が付いていて、鳥のくちばしのように見える。
古さを感じるので剥がした方が見栄えすると思うのだが、何故そのままにしているのだろう?
R390GT1は現時点で日産のル・マン参戦最高成績を残したマシンだ。
今年、ハイブリッド&前輪駆動のマシンNISSAN GT-R LM NISMOでル・マン挑戦を再開するようだが、とにかくマシンが格好悪い。速いマシン=カッコイイマシンの法則が正しければ、間違いなく遅い。
NISSAN GT-R LM NISMOが優勝したとしてもミニカーを買おうという気にはならない。
ニッサンR390 GT1 '98年ル・マン公認取得用ロードカー 1998年
ル・マンのGT1ホモロゲーションを取得するために、一般公道を走行する際に必要な安全装備を施した車両。1997年に製作された1台を改装して1998年仕様車とした。
一般への販売は行われなかったが、市販化されたら1億円になると言われていた。
コクピット内
'97年仕様の黒/赤の公道モデルは東京モーターショーで見たのだが、ブルーの'98年仕様を見るのは初めて。
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テストバンバンやっていたから勝つ 歴代ウイリアムズ/ホンダ ファン感謝デー伝説の物語5

3月の鈴鹿ファン感謝デーは「Honda F1復活祭」とタイトルが付けられていた。
しかし、いざF1が開幕してみるとマクラーレン・ホンダは不安視されていたそのままの状態で2戦消化。事前に“煽り”をいれていたホンダやマスコミが赤面するほど超低迷。
2人も抱えたワールドチャンピオンがあまりにも可哀想な状況である。もはやチャンピオンの腕でどうこうなるレベルではないことくらいシロウト目にも分かる。
第二期参戦していた時はウイリアムズFW11をテスト用に持ち込んで鈴鹿でバンバンテストをしていた。だから強かった。
今はエンジン開発に規制がかかっているためになかなか昔ほどテストできないようだ。
ホンダも企業として昔ほど必死さがないのかもしれない。
かつてテストドライバーを担当していたのがF1に行く前の中嶋悟選手だった。ホンダエンジンのテストでF1ターボパワーに体を慣らしていた。
中嶋選手がF1に行った後はジェフ・リース選手や星野一義選手もテストドライバーを務めていた。
写真は鈴鹿でF1日本GPが開催される直前の'87年5月に撮影したもの。
ウイリアムズFW11でエンジンテストをするジェフ・リース選手。
写真のサインは'96年頃にリース選手が鈴鹿1000㌔で来日した際に頂いたもの。
現在、ファン感謝デー等のイベントで走行するマシンも「レッド5」のFW11。エンジンテストで使い込んだ車体ではないだろうか?
2012年鈴鹿ファン感謝デーでウイリアムズFW11に乗りこむ星野一義監督
トップの写真はアオシマ1/64ミニカーのウイリアムズFW11B ネルソン・ピケット車。'87年、ホンダエンジン搭載車が初めてワールドチャンピオンを輩出した記念車だ。
ファン感謝デーではレーシングシアター展示になっていた。
2012年鈴鹿サーキット50thアニバーサリーデーで展示された
ウイリアムズFW11B/ホンダ(1987)
F1初開催された鈴鹿でタイトルを決めたネルソン・ピケット選手のマシン。
当時のターボF1マシンは、直線では空気を切り裂いてリアウイングから“飛行機雲”が現れるのが印象的だった。
ウイリアムズ・Honda FW10(1985)
今年のファン感謝デーで展示されたウイリアムズFW10。日本でF1が開催される前のマシンたちだ。
「B」投入によってシーズン終盤を3連勝で締めくくった。
東京モーターショーでも「3連勝」と大々的に展示されたと記憶する。
この頃のマシンはカッコ良かった。
2014年F1日本GPで展示された
ナイジェル・マンセル選手が最終戦オーストラリアGPのゴール前でタイヤバーストしなければチャンピオンを獲得していた。ターボ無制限1000馬力オーバー時代最後のマシン。
アイドロン1/43フェラーリ458チャレンジ 可夢偉選手にサインを入れて頂いた
アイドロンと言えば精密で美しいミニカーをハンドメイド生産しているメーカーだ。価格も同サイズ他社の3倍くらいはする数万円と“芸術品”価格なのでなかなか手が出せない高根の花である。
ドルフィンが持っている唯一にして最高価格のミニカーがフェラーリ458チャレンジ・フェラーリ・レーシングデイズ 鈴鹿2013 No.458だ。
小林可夢偉選手がフェラーリ契約ドライバーだった2013年フェラーリ・レーシングデイズ鈴鹿のフェラーリ・チャレンジ・トロフェロ・ピレリにゲスト参戦したときのマシン。
可夢偉選手と日本をイメージした車体カラーは「雅」。シリーズ戦に参加ではない、たった1日のためだけに用意されたスペシャルなカラー。通常レースの車体ではここまで自由なデザインはほぼ不可能。アースカラーのホンダF1くらいなものではないだろうか。
「ミニカーが出たら絶対に買おう!」実車を目の当たりにして惚れ込んでしまった。 初めて可夢偉選手に会った思い出のマシンでもある。
アイドロンでの発売から1年半。結局、他メーカーから廉価版が発売されることは無かった。
台座の「金」は実車の金箔風ラインに使用されたカッティングシートと全く同じものを使用しているそうだ。キラキラ金ではなく屏風のように年季を経た感じの金色。反射して映るミニカーの姿にも気品が感じる。
台座プレートにはイベント名と可夢偉選手の名が記載されている。
これだけのミニカーだが、欠けているものがひとつある。―可夢偉選手の直筆サインだ。
最初から入っているのではなく、やはり自分が直接サインして頂く事に意義がある。
これだけ高価なミニカーを持ち歩くと「壊しやしないか」と不安になるも、「機会があればサインを入れてもらおう」という願望もあった。
レース時のピットウォークで「押せや押せや」でもみくちゃにされ破損する可能性もある。イベント時かテストの時の方が安全だと考え、今回のスーパーフォーミュラ鈴鹿テストに持って行くことにした。
458チャレンジにサインを入れて下さっている可夢偉選手
ピットから出てきた可夢偉選手に会う事は叶わなかったが、あまりに多くのファンが駆け付けたため、チームの配慮でファンサービスが行われることになった。とても有難い話だ。
こうして可夢偉選手に直接サインを入れて頂けた。ありがとうございます。
トヨタやザウバー、ケータハムのミニカーを持ってきている方は多かったが、アイドロンのフェラーリチャレンジを持って行ったのはドルフィンくらいではないかと自負している。
金ペンの出具合も良く、パーフェクト!
貧乏性なドルフィンはこのミニカーだけはミニカーラックに飾らず、専用のフェラーリ化粧箱に入れ、更には送られてきた箱に入れて紫外線を完全カットした“宝物扱い”にしている。
時折、出して眺めたりしては再びしまっているのだった。
アレジ選手に乗ってもらいたかった タイレル019
アンヘドラルウイングとハイノーズが革新的だったタイレル019/フォード。
日本人にとっては中嶋悟選手の愛機、そして日本GPで6位入賞したマシンとして、さらには中嶋選手が歌った『悲しき水中翼船』のモデルとしても強く記憶に残るF1マシンだ。
だが、タイレル019で最高の成績を収めたのは、伝統のモナコGPで2位表彰台に立ったジャン・アレジ選手だ。
2013年の鈴鹿ファン感謝デーで披露されたタイレル019
ワークスエンジンではなく、市販フォードDFRを使用していたこともあり、タイレル019が現役を退いた後、’91~’92年頃には日本人オーナーの手に渡っていた。
'92年の富士スピードウェイで開催されたN1耐久レースのサポートイベントでデモラン。車体を路面に擦って火花を撒き散らしてストレートを走っていた。車体底部を擦ってもいいようにプレートを取り付けていたのだろうが、マシンがまだ若い当時でなければできなかった粗芸だ。とても四半世紀経った現在ではマシンに負担がかかって無理だろう。
2013年の鈴鹿ファン感謝デーで'92年のN1耐久以来、10年ぶりにタイレル019を見ることができた。
2015年ファン感謝デーで頂いたアレジ選手のサイン
今年のファン感謝デーにゲストとして来日したジャン・アレジ氏。デモランではマクラーレン/ホンダをドライブしたが、やはりタイレル019も走らせてもらいたかった。

2015年ファン感謝デーでタイレル019をドライブする中嶋監督
ミニカーを集めて1~2年した頃、ネットオークションで入手したONIX 1/43のタイレル019アレジ車。
今見ると荒い作りのONIXだが当時は絶版品で、中嶋車はかなり価格高騰していた。
アレジ車の方が入手しやすかった事もあるが、モナコで2位に入ったので019はアレジ選手のイメージもあった。
逆に020は2位表彰台に入ったステファノ・モデナ選手よりも中嶋選手のイメージだ。いや、中嶋選手のイメージしかないのだ。
近年、中嶋車が精密な1/43ミニカーが発売されたが、雑誌の利益絡みで高価すぎた。なのでONIXで充分だ。
6年待ったF1 ウイリアムズFW09 第二期初優勝 ファン感謝デー伝説の物語4
ホンダの第Ⅱ期F1参戦2年目で初優勝を飾った記念マシン、ウイリアムズFW09/ホンダ。
ドルフィンがレースに興味を持った時には既にホンダ第一期F1参戦は昔話であり伝説と化していた。リアルタイムでホンダがF1に参戦し、2年目となる'84年F1第9戦アメリカGPでワールドチャンピオンのケケ・ロズベルグ選手の優勝は歓喜した。
ファン感謝デー「伝説の物語」で展示されていたFW09はゼッケンが無く、エンジンカバー部が白い車体。これはレース車ではなくテスカーなのかもしれない。
もしかして'84年初頭に鈴鹿テストしたときのマシンか?
だとしたら30年ぶりの対面だ―。
―スピリットからウイリアムズにエンジン供給チームを変更と発表したホンダ。
ウイリアムズのマシンを使用して’84年の年明けに鈴鹿で公開テストが行われた。
日本で6年ぶりに“現役”F1マシンが走行('83年最終戦にデビューし'84年シーズンを戦ったので、オフシーズンでも現役マシン)した。
しかもドライバーも世界チャンピオンのケケ・ロズベルグ選手とジャック・ラフィー選手が来るというのだから、いてもたってもいられず四日市の友人宅に泊めてもらって2日間見に行った。
コックピットに納まるJ・ラフィー選手
'76年、'77年と日本GPを観てF1をはじめとするモータースポーツに興味を持った。そんな一番「知りたい、観たい」時期にF1の日本開催が無くなってしまったのだ。
TV放送さえ年に1~2回くらいしかなかった。
最先端の技術とアイデアの結晶であるF1は個性的。日本で開催されていたF2は量産フォーミュラなのでそこまでのマシン的魅力は感じられなかった。
世界からの選りすぐりのドライバーがそのマシンを扱うのである。
「6年ぶり」と一口に言っても子供の6年はかなり長い。大人の6年の何倍も長く感じていたはずだ。
待ちに待ったF1マシンの走行が見られ、嬉しくて涙が出そうだった。あの頃はドルフィンも純粋だった。
テストの合間の昼食は鈴鹿のドライバーズサロンでとっていた。
当時のドラサロは古~い施設。学食のような木の椅子で、石油ストーブが焚かれていた。そこでF1ドライバーが食事をしていたのだ。
この日はジャック・ラフィー選手がテストを担当。ケケ選手はいなかった。
高鳴る胸の鼓動。恐る恐るラフィー選手にサインをお願いすると快くサインして下さった。トップ写真のミニカー背景にあるのは、その時のラフィー選手のサインだ。
FW09は第二期参戦初優勝したマシンであるとともに、6年待ったF1の走りを見た思い出のマシンでもある。
ミニカーはミニチャンプス1/43の優勝したアメリカGP仕様のもの。
上写真背景はホンダが作った優勝記念ステッカー。
’92年“雨の”F1日本GPの時に展示されていたFW09
’92年F1日本GPで展示されていたFW09はカラーリングからみてレース実車ではないかと思われる。このマシンもコレクションホールに残されているのだろうか?
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