CLUB24-にいよんー -316ページ目

『RUSH』のDVD買っちゃった

 
 大手リサイクル書籍の店に行くと、映画『RUSH』のDVDが販売されていたので購入してしまった。
 映画館で見た時から「メイキングが入っているならDVD欲しいな」と思っていたのだ。
ラッシュ/プライドと友情 [DVD]/クリス・ヘムズワース,ダニエル・ブリュール,オリビア・ワイルド
¥4,104
Amazon.co.jp

 当然、真っ先にメイキングから見た。

 走行シーンの撮影は三菱ランサー・エボ8を改造した撮影車を使用していたと分かった。

 できれば撮影に集められたヒストリックF1マシンを静止画でも良いので全車紹介して欲しかった。

 ニキ・ラウダ氏のインタビューが入っているところが嬉しい。

 本編はこれからゆっくり鑑賞することにしよう。


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夢のオールジャパンが進撃す スーパーアグリSA07 ファン感謝デー~伝説の物語9


 漫画やアニメでは当たり前だが現実には存在しなかった日本人レースファンの夢・オールジャパンF1チーム

 シャシー:スーパーアグリ、エンジン:ホンダ、タイヤ:ブリヂストン、ドライバー佐藤琢磨選手―全ての要素が日本国籍という快挙を成しえたのがスーパーアグリF1チームだ。


 ワークス・チーム全盛期のF1にあってプライベート・チームでは参戦資金に乏しく参戦期間は短かったが、その困難に立ち向かった偉業は素晴らしい。F1が“夢を売る興行”ものならば、スーパーアグリは日本人ファンに夢を見させてくれた
まだまだ!ミニカーのビギナー+α

'06年日本GPでの佐藤琢磨選手/SA06

 トップ写真はミニチャンプス1/43スーパーアグリSA06 佐藤琢磨車。背景はサーキットで配られていたSA07の6位入賞記念カード。


SUPER AGURI SA07(2007)

 オールジャパン・チームが創設2年目にして佐藤琢磨選手により6位と8位入賞を果たした記念すべきマシン(8位までが入賞だった時代)。
 10位入賞制度になっても入賞が困難な2014年のケータハムや今年2015年のマクラーレン/ホンダの成績を思うと、スーパーアグリの快挙がどれほど素晴らしかった事かが分かる。


 2007年、不振だったホンダチームよりも時として上位を走ることがあった。

 日本GPは富士スピードウエイ開催だったため鈴鹿は走っていないので、是非とも鈴鹿でデモランしてもらいたいものだ。



ジョーダン・Honda EJ12(2002)

 佐藤琢磨選手がF1デビューしたマシン。

 最終戦・日本GPで佐藤選手は5位に入りF1初ポイントを挙げた。

 鈴鹿のスタンドがジョーダンのイエローに染まった―という話を聞くが、当時はF1を見ていなかった。雑誌の立ち読みで佐藤選手が入賞した事を知った。



ジョーダン198/無限(1998年)

 ホンダが第二期F1撤退後、無限がホンダのエンジンを供給してF1に参戦。プロストからジョーダンへと供給先を変更した。

 デイモン・ヒル選手によって初優勝を飾る。



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アツク応援したあの頃 ロータス99T/ホンダ ファン感謝デー~伝説の物語8

 中嶋悟選手がロータス99T/ホンダで日本人ドライバーとして初めてF1GPにフル参戦を果たした1987年。ホンダはチャンピオン争いをするエンジンとなり、鈴鹿サーキットで10年ぶりに日本GPが開催。全戦TV放送も始まった。日本も好景気で盛り上がる全ての条件が整った状態だった。

 夜更かしして深夜のTV放送をリアルタイムで見て、日本人ドライバーの活躍に一喜一憂していた。

 あの当時を超えるアツさを自分に感じたのは2012年の日本GPの可夢偉選手の走りしかない。


 中嶋選手は全日本F2にホンダエンジンが参戦した当初からのユーザーであり、JPSトロフィーレース優勝の特典でJPSロータスF1のテストを公式に行っていた。雑誌等でも「F1ドライバーに一番近い」と書き立てていたし、そう信じていた。


 ファン感謝デーの「伝説の物語」で展示されていたロータス99Tはそのスタイルに古さを感じるものの、あの時の熱い思いを湧き起こしてくれるには充分な存在だ。


 動態保存されているホンダコレクションの中にあって、ロータス99Tはパイオニア的存在であるのにもかかわらず一度もデモランしていない。このことで現在は動く状態にないと思われる。


 現在、鈴鹿サーキット駐車場の横で営業しているセブンイレブン。その向かいに運送会社(?)の駐車スペースがある。’89年頃の日本GP開催時は大ブームのまっただ中で、当時はここにもグッズショップが軒を連ねていて、ロータス99Tも展示されていたのだ。

''90年代には東京・代官山にあったF1グッズ・ショップに99Tが置かれているのを見た。

 その時から既に展示専用車になっていたのかもしれない



'87年F1日本GP/ヘアピンにて デカイ車載カメラ付けてたなぁ


 京商1/64ミニカー「ロータスF1」にラインナップされた99Tはもちろん中嶋選手の11号車を選んだ。

 タバコロゴの代わりにダミーで「LOTUS」と入っている。文字が無ければデカールを貼ったのだが…。せめてラクダマークでも貼ろうかと思っている。

 精密に作られているように思ったが、実車と並べると意外に形状が異なっていることが分かる。ミニカーとしてのデフォルメなのだろう。

京商1/64ミニカーのロータス99Tと実車


 トップの写真はF2時代に初めて中嶋選手からサインを頂いた色紙が背景。

 同じようなサインだが、現在よりも“丁寧に書かれている”ような気がする。


 昔の鈴鹿サーキットや富士スピードウエイはヘアピンが一番マシンを近くで見られる場所だった。

 カメラの望遠もさほど良いものではなかったので、できるだけ近くで撮影できるヘアピンで写真撮影する事が多かった。

セナ選手と中嶋選手のチーム・ロータス編隊


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最後だゼェェ~ット!! フェアレディZ 日産ヘリテージコレクションとミニカー最終回

日産ヘリテージコレクションとミニカー37 最終回


 昨年9月に訪問した日産ヘリテージコレクション。

 撮影した日産車の数々を手持ちミニカーとともに紹介してきたコーナーも今回で最終回。

 最後はラストを示す「Z」で―と考えていた訳ではなく、近年のTVCMや雑誌等で見た432Zが印象的だったのでヘリテージコレクションのトリを飾るのに相応しいと思ったからだ。

 『サーキットの狼』の影響で車に興味を持ち始めた子供の頃、町を駆け抜けていたスポーツカーがあった。長いノーズが特徴的で、それまで見てきた“箱”のような日本車と全く異なっていたので新鮮だった。

 日産フェアレディ240ZGはその中でもオーバーフェンダーやリアスポイラーをはじめとするエアロパーツでレーシングカーのようだった。

 リアルXの1/72ミニカーは、その当時の興奮を思い出させてくれる。

 このミニカーはリアルXのフェアレディの中でも最初の頃に入手したものだ。



フェアレディ240ZG 1972年

 240Zは当初、北米向けに輸出されたモデルだった。海外での人気を耳にした日本のファンに応える形で、1971年10月に日本国内発売された。

 最大の特徴は「Gノーズ(エアロダイナ・ノーズ)」と呼ばれたフロントマスクの先端部分で、FRP製のノーズコーンやヘッドライトカバー、そして張り出したオーバーフェンダーを装着している。

 空力性能を示すCd値は当時のスポーツカーではトップクラスで、最高速度は210km/hに達した。


フェアレディZ 432 1969年

 初代フェアレディZ(S30型)は1969年11月に発売され、日本だけでなく北米市場を中心に世界規模の大ヒット車となった。日産の世界的なイメージリーダーとして9年間に及んで生産され、グローバル販売52万台という単一型式のスポーツカーでは未曽有の大記録を樹立した。

 3代目スカイライン2000GT-R(PGC10型)と同じ直列6気筒・4バルブDOHCの「S20型」エンジンを搭載した高性能モデル。

 「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」から取ったネーミング「Z432」。

 競技用ベース車両として徹底的に軽量化を図ったスパルタンな「432R」もあった。


 近年の「復刻カラー」CMやディーラーでのパネルにも使用されている車体。



 リアルXの1/72ミニカー。リアルXのフェアレディはみんな車体色が異なっていてとてもカラフルだ。



フェアレディ 2シーター 280Z-L 1978年

 1978年8月に2代目フェアレディZ(S130型)にフルモデルチェンジ。

 2000ccの「Z」と2800ccの「280Z」の2系統があり、どちらもL型の直列6気筒エンジンを搭載していた。

 伝統のロングノーズ&ショートデッキを基にしたシャープスタイリング。ボディとの一体感を高めるグリルレスのフロントフェイスが特徴だった。



フェアレディ280Z-T 2by2 1981年

 2代目Zはボディをややワイド化することで室内スペースを拡大して快適性が向上した。

 280Z-Tは.155馬力を発生する2800ccエンジンを搭載。「T」は最上位グレードを表し、エアコンやパワーウインドウ、アルミホイールなどが標準装備された充実装備が自慢。


 1回の見学時間では全ての車をカメラに収めきれないほどの台数だった。

 あの時見た車たちが納められている広い空間。―是非ともまた見学に訪れたいものだ。 


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'88年日本GPは深い思い出がある マクラーレンMP4/4セナ車 ファン感謝デー~伝説の物語7

 F1GPで超進化した1.5ℓターボ・エンジンが使用できる最後の年―1988年に登場したマクラーレンMP4/4 ホンダ。過給圧と使用燃料量の厳しい規制の中で、低燃費化されたエンジンを搭載したマクラーレンは他車を圧倒。

 アラン・プロスト選手とアイルトン・セナ選手というトップドライバーをそろえて死角のないチーム編成となった。

 2人の一騎打ちとなった最終戦日本GPでセナ選手が優勝してチャンピオンを決定した―などという説明も蛇足に過ぎないほど有名なエピソードだ。


 ホンダが運営する鈴鹿サーキットで初めてのF1優勝がチャンピオン決定戦となり、ホンダにとっても日本人にとっても忘れられない記念車となった。

 加えて絶大な人気を誇るアイルトン・セナ選手が初めてチャンピオンを獲得したマシンだけに、今でもホンダF1展示&デモランには欠かせないマシンだ。


マクラーレン・Honda MP4/4(1988)

2015年ファン感謝デーで中嶋悟監督がデモランしたMP4/4


 セナ選手に関して「八百長」だの「ぶつけて獲る」だの「抜いたら殴る」だの良い事を書かないドルフィンだが、「ぶつけて獲る“仕返し”編」をする'90年日本GPまでは好きなドライバーだった。


 ’88年日本GPで、レース後半にチャンピオンを獲得する執念とも言える追い上げをみせてコース上で勝負をつけた時には素直に感動した。涙が出た。

 '89年予選をコースレコードでポール・ポジションを決めた走りには鳥肌が立った。ダンロップコーナー外側で観ていた。6㌔弱のコースを走って0コンマ何秒速いだけなのに、ひとつのコーナーを抜ける速度が「この周は好タイムが出ている!」とハッキリ分かるほど速かった。

まだまだ!ミニカーのビギナー+α

1988年のF1日本GPでのセナ選手


 '88年日本GPがゴールを迎えた後、ピット通路を通りグランドスタンド裏に姿を現した本田宗一郎氏。集まったファンから「おめでとうございます!」の声が雨のように降り注ぎ、氏の眼が潤んでいた。

 ドルフィンも初めて宗一郎氏の姿を生で拝見し、握手して頂いた。


 他にも予選後、ガラスを隔てて50㌢の至近距離でセナ選手を目撃したり、2人目の日本人F1ドライバー・鈴木亜久里選手がデビューもあった。

 ドルフィンは初めて予選から車内泊で観戦に行った等々'88年日本GPは思い出深いレースでもある。


まだまだ!ミニカーのビギナー+α-鈴鹿アルバム14

'88年F1日本GP決勝後に現れた本田宗一郎氏

 この思い出深いレースを代表するマシン、マクラーレンMP4/4 セナ車だけ1/43ミニカーを持っている。しかもミニチャンプスのアイルトン・セナ コレクションで。

 正直言えば鈴鹿サーキット前にあるミニカーショップ・GPコレクションで安売りされていたので「この値段ならば」と購入したのだ。

 セナ選手のフィギャも乗っている。

 タバコロゴの代わりにバーコードが入っている。ダミーが入っていなければデカール貼りをしたいのだが、ダミーを剥がす作業が難しそうなので手をつけずにいる。


 ミニカーの背景は、当時ホンダがディーラーなどで配っていた記念ステッカー。

2014年F1日本GPで展示されたMP4/4と京商1/64「セナ コレクション」MP4/4と


まだまだ!ミニカーのビギナー+α

鈴鹿50thアニバーサリーでMP4/4を駆る伊沢拓也選手


まだまだ!ミニカーのビギナー+α

2012F1日本GPで展示されたMP4/4


まだまだ!ミニカーのビギナー+α-MP4/4セナ

マクラーレン大阪 八光ショールームに展示されているMP4/4セナ車



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春の息吹を感じる よもぎ団子あずきがけ

 お花見に行った時に嫁はんが野草狩りをして摘んできた蓬(ヨモギ)

 これをお団子にして、小豆も炊いて「蓬団子 あずきがけ」にしてくれた。


 新芽部分だけを摘んだそうなのでアク抜きせずとも良い風味が感じられる。

 小豆を炊いたので部屋の中が小豆の香りで満たされていた。炊いた小豆をすり鉢で半殺しして蓬団子にかけてくれている。

 鼻に抜ける蓬の爽やかな香り。小豆の甘味が控えめなので蓬が引き立つ。


 春を感じるなぁ。


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MotoGP王者ケーシー・ストーナーのレプソル・ホンダRC212V

 MotoGPチャンピオンをドゥカティで1回、ホンダに移籍してから1回獲得したケーシー・ストーナー選手。

 二輪最高峰クラスでの初ポールポジションとチャンピオンはそれぞれフレディ・スペンサー選手に次ぐ2番目の若さでの獲得記録を持つ。

 ゼッケン「27」は、スペイン・ロードレース選手権に参戦した時から使用している。オーストラリア国旗をあしらった「27」番はストーナー選手をイメージさせるナンバーだ。


 2012年シーズンをもって現役を引退。翌年にホンダとテストライダー契約を締結。

 さらには今年の鈴鹿8時間耐久ロードレースにホンダ系チームのハルクプロから参戦が決定した。


 ストーナー選手がホンダで乗っていたのがレプソル・ホンダRC212V

 排気量上限が800㏄へのレギュレーション変更に伴い2007年に登場したが戦闘力不足で、ドゥカティやヤマハの後塵を拝し続けていた。

 ホンダF1のエンジニアが開発参加した事や他チームに先駆けてシームレスミッションを投入したことにより戦闘力が向上した。

 同一レギュレーション最終年にストーナー選手が10勝を挙げ、ホンダに6年ぶりのチャンピオンをもたらした。

 「引退した元世界王者が鈴鹿8耐でカムバック」の構図は、'85年の鈴鹿8耐でケニー・ロバーツ氏が復帰して全日本王者の平忠彦選手と組んだ時の事を思い出して興奮する。

 あの時、ドルフィンが二輪レースを観るようになった時に既にケニー氏は引退していて、鈴鹿8耐で初めてケニー氏の走りを目にした。

 今回もストーナー選手の走っている姿はTVはおろかDVDでも観ておらず、雑誌の写真でしか知らない。

 まだ開催日に休めるかどうか分からないのに、今からテスト日や8耐が楽しみで仕方ない。

 さらには興奮の勢いのまま、もうストーナー選手にサインを入れてもらうつもりニューレイの1/12ミニカー、ホンダRC212Vストーナー車を買ってしまったのだ。

 検索して見つけたショップが通常の半額くらいの売値だった事も「これはチャンス!」とばかりに背中を押された。


 チャンピオンバイクのミニカーくらいのサイズかと思ったら意外に大きかった。

 厚紙と透明セルロイドのケースに入っている。「これにサインをもらうのも…」と思い、以前にミニチャンプス1/43ミニカーのマーチ792をいれたコレクションケースに移そうかと試してみたがギリギリ上がつかえて入らない
 仕方ないのでこのパッケージにサインを入れてもらうしかない。そう言えば、今年のファン感謝デーで同じパッケージのミニカーにRC213Vのテストライダーでもある高橋巧選手にサインをしてもらっている方を見かけた。

鈴鹿サーキット50thアニバーサリーでRC212Vをデモランする岡田忠之選手


 チャンピオンバイクより大きいだけあって細部も細かく作られている。

 エンジンからエキパイの取り回しや配色も綺麗だ。

 チャンピオンを獲得した2011年のマシンということもあり、車体には震災復興支援の「がんばれ日本!」の文字と国旗が入っている。


 バイク熱が再燃してきて、現在では鈴鹿1000㌔よりも鈴鹿8耐の方が楽しみになっている。

 はてさて、ストーナー選手にサインを頂けるだろうか?

 今年の巡り合わせだと開催日に休めないかもしれないな―と、チョット弱気。


 え? ヤマハがあの大物ライダーを8耐参戦させるの? 以前にドルフィンが書いた全日本王者・中須賀とあのチャンピオン・ライダーの組み合わせが実現するの?

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情熱溢れたホンダF1第一期参戦マシン ファン感謝デー~伝説の物語6

 よく写真で見る「本田宗一郎氏が腰掛ける金色のF1マシン」=RA270も展示して欲しかった―と、思っていたのだが、どうやら実車は本田宗一郎氏の指示で破棄されて現存していないらしい。

 当時ナショナルカラーを纏っていたF1マシン。ホンダは宗一郎氏が好きなゴールドを登録しようとしたが、南アフリカが先に登録していたためにアイボリーに日の丸となったとの伝説がある。

 そのためか以降の日本企業マシンはマキやトヨタ、スーパーアグリでも白/赤がイメージカラーになっている。


Honda RA271(1964)

 ホンダのF1挑戦最初のマシン。

 エンジンサプライヤーとしてロータスと契約が成らず、独自シャシーを開発しての参戦だった。

 当時は革新的だったアルミモノコック+横置きV12エンジンを搭載。


Honda RA272(1965)

 F1初優勝マシン。



Honda RA273(1966)

 レギュレーションが3000ccに変更され、規定に合わせて排気量を拡大した。


 トミカとなっている「ホンダF1」はゼッケンやカラーリングからするとこのRA273かと思われるが、ノーズの厚みが薄かったり、エキパイの取り回しが全く異なっている。強いて言えばRA301に近い。



Honda RA300(1967)

 F12勝目を挙げたマシン。ローラ製シャシーを使用。
 

 RA301はレーシングシアター展示になっていた。

 2012年鈴鹿サーキット50thアニバーサリーデーで鈴木亜久里選手がデモランした

Honda RA301(1968)

まだまだ!ミニカーのビギナー+α

まだまだ!ミニカーのビギナー+α

 第1期F1参戦最後となる1968年のマシン。共同開発したローラT180シャシーを使用している。

 未勝利に終わった。



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ル・マン最高成績を残した日産R390GT1'98 日産ヘリテージコレクションとミニカー36

日産ヘリテージコレクションとミニカー36


 ixo1/43モデルのニッサンR390 GT1 ル・マン3位を8年前にオークションで入手。星野一義/鈴木亜久里/影山正彦組のNo32号車だ。

 ブルーのグラデーションもさることながら、車検合格のシールまで忠実に再現している。ウィンドウ越しに見えるコックピットやエンジンの作り込み&着色も細かい。

 左右のホイールを分けるセンターナットも赤と青に色分けできている
 全体をぐるりと見回すと、本当に綺麗なボディ形状をしているのが分かる。ホレボレするラインだ。


ニッサンR390 GT1 '98年ルマン24th 総合3位 1998年

 1998年のル・マン24時間レースは32号車(星野/鈴木/影山組)総合3位、30号車5位、31号車6位、33号車が10位と、全車が10位以内で完走する結果を残した。

 97年の轍を踏まぬためエンジンはベンチで十分なテストを済ませ、ミッションも耐久性のある特別な素材でギアを作り直した。ドライバーのシートポジションを改良し、空力効果を上げるため、ロングテール化を図った。

 ノーズに黄色く変色した保護幕が付いていて、鳥のくちばしのように見える。

 古さを感じるので剥がした方が見栄えすると思うのだが、何故そのままにしているのだろう? 



 同じ32号車だが、フロントの保護幕が無い。予備車だろうか?

 R390GT1は現時点で日産のル・マン参戦最高成績を残したマシンだ。

 今年、ハイブリッド&前輪駆動のマシンNISSAN GT-R LM NISMOル・マン挑戦を再開するようだが、とにかくマシンが格好悪い。速いマシン=カッコイイマシンの法則が正しければ、間違いなく遅い。

 NISSAN GT-R LM NISMOが優勝したとしてもミニカーを買おうという気にはならない。


ニッサンR390 GT1 '98年ル・マン公認取得用ロードカー 1998年

 ル・マンのGT1ホモロゲーションを取得するために、一般公道を走行する際に必要な安全装備を施した車両。1997年に製作された1台を改装して1998年仕様車とした。

 一般への販売は行われなかったが、市販化されたら1億円になると言われていた。

コクピット内


 '97年仕様の黒/赤の公道モデルは東京モーターショーで見たのだが、ブルーの'98年仕様を見るのは初めて。



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旅するランボルギーニ・イオタ~桜満開編

 当初、雨予報だった土曜日。

 曇り時々晴れだったので、南大阪某所へ花見に行ってきました。

 陽がさすと初夏を思わせるほどの暑さに。

 空には雲が出てしまっていたので青い空にピンクの桜―の写真は撮れませんでしたが、満開の桜に目を奪われっぱなしでした。


おおきな蟻塚発見!



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