秋の葛城路を走るランボ、アルファ、マセラ NCCR葛城-五條
2018年は台風直撃により12月に開催延期されたNCCR葛城-五條。2019年は秋空の下で開催された。
ここ数年連続開催されていて、秋の交通安全運動の一環でもあり、この地域の恒例行事化して多くのギャラリーが集まるイベントとなっている。
小さい子供も多く見に来ているのだが、車を触るようなことはしていない。
むしろラリー参加者の方が車を降りるなりいきなりタバコをバコバコ吸い出す始末。あまりの無神経さに「てめェの車の中で吸いやがれ!」と思ってしまうのだった。
これは極々一部なのだが、車好きというより成金感がプンプン匂って来る。
参加車両も同じような顔ぶれになってきたし、もう観に行かなくてもいいかなとも思うようになった。
アルファロメオ・ジュリア
マセラティ・グランツーリズモ スポーツ
葛城山麓には秋の花が咲く
ランボルギーニ・アヴェンタドールSV LP750-4
ランボルギーニ・ウラカン
ランボルギー・ニウラカン・ペルフォルマンテ
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TVK『圭市倶楽部』を観に行った~1996年 国さんと服部さんがゲスト
『土屋・坂東 走りま専科』に続いてTV神奈川で制作・放送されていた土屋圭市選手の番組『圭市倶楽部』。
スタジオ部分は川崎にあるチネチッタで公開収録されていた。
静岡に住んでいたがケーブルテレビで視聴していた。
たまに国さん(高橋国光選手)や服部尚貴選手ががゲストに来られていて、ちょうどお二人がゲストに来られる収録日に休みが取れたので、川崎まで観覧に行って来た。
収録に間に合う時間に出発したのだが、チネチッタの場所が分からず迷っている間に収録が始まってしまった。
1日2本撮りだったので服装が異なる
収録スタジオの周囲には多くのファンが二重三重になって観覧していた。人気の高さが伺えた。半数以上女性だったような気がする。
スタジオとの境に壁やガラスが無く、トークの熱気がそのまま伝わってくるし、お客さんの反応もダイレクトに伝わった。
当時、チーム国光としてアドバンNSXでJGTCに参戦していたドリキンさんと国さん。レースの裏話は面白かった。
アシスタントのお姉さんがこの日の収録で卒業だった
駐車場に停まっていた当時のドリキンさんの愛車
ADVANのホイール
このホイールを写真撮影しているところを横から番組が撮影していて、番組のCMに入る時のジングル映像として使われた(うれしい♡)。
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ラルフ・シュー参戦 フォーミュラ・ニッポン FISCO初テスト外国人選手編
フォーミュラ・ニッポンが発足して初めてのFISCOテスト。
この当時から平日休みだったので、本番レースなかなかは観に行けなかったがテストは観に行けた。しかもFISCOまで下道で小一時間ほどで行けた。
フォーミュラ・ニッポンの初めてのテストは、今では考えられないほどギャラリーが少なかった。決勝レースは現在よりも観客数は多かったはずだが、まだ「テストから観に行こう」と考える方が少なかったのかもしれない。
ラルフ・シューマッハ選手/X-Japan Racing TEAM LeMans/レイナード96D無限
休憩中に日本のモーター誌を見ていた。
「ミハエル・シューマッハ選手の弟」として鳴り物入りでフォーミュラ・ニッポンに参戦。この富士テストから合流。
将来、F1へのステップアップが絶対視されていたシューラフル選手だが、初めてサーキットで見かけた時には❝地理も言葉も分からぬ土地に来た不安気な表情をした青年❞だったのが忘れられない。
すぐに❝ズ太い❞シューマッハ家の心臓が出て来はしたが…。
ラルフ・シューマッハ選手のサイン
シューマッハ選手のマシンはまだ真っ白(トップ写真は後のレース時のもの)。
シューマイケル選手がF3000菅生にたった一回参戦しただけで見事な成績を収めただけあって、ラルフ選手はどこまでやるのだろうか? という期待が大きかった。
日本のレースに初参戦し、見事初代フォーミュラ・ニッポンチャンピオンに輝いた。
1996年のフォーミュラ・ニッポンとJGTCはTEAM LeMansの2名-ラルフ・シューマッハ選手と服部尚貴選手が席巻したと言っても過言ではない。
服部尚貴選手/X-Japan Racing TEAM LeMans/レイナード96D無限
TV神奈川で放送されていた『圭市倶楽部』にゲストで来られた時に観覧に行き、服部選手のサインを入れて頂いた。
最終戦までチームメイトのシューラフル選手とチャンピオン争いを展開することになる。
外国人ドライバーも粒ぞろいで日本人ドライバーとの戦いも見応えがあった。
アンドリュー・ギルバート・スコット選手/神奈川クリニックSTELLAR/レーナード96D無限
ミハエル・クルム選手/神奈川クリニックSTELLAR/レーナード96D無限
談笑するクルム選手とアピチェラ選手
マルコ・アピチェラ選手/TEAM 5ZIGEN/レイナード95Dジャッド
’94年に全日本F3000チャンピオンになっている。
マルコ・アピチェラ選手のサイン
ノルベルト・フォンタナ選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラ96無限
ミハエル・シューマッハ選手も獲得したドイツF3チャンピオンとしてフォーミュラ・ニッポンに参戦。F1ステップアップも囁かれていた。
1コーナーでコースアウト
ノルベルト・フォンタナ選手のサイン
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラ96無限
全日本F3チャンピオンを獲得してステップアップ。
翌年、二代目フォーミュラ・ニッポンチャンピオンとなる。同年、JGTC王座にもなりWタイトルを獲得。
F1ではアロウズで高木虎之介選手とチームメイトになった年もあった。
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手のサイン
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みんな待ってた フォーミュラ・ニッポン FISCO初テスト
’96年にフォーミュラ・ニッポンが発足して初めてのテストが富士スピードウェイで行われた。
「F2」→「F3000」のようにレギュレーションの変更による名称変更ではなく、日本独自路線として国内最高峰の「フォーミュラ・ニッポン」に生まれ変わった。
チームスタッフやプレス関係…サーキット全体が「待っていた」という期待と希望に満ち溢れた雰囲気に満ちていた。あのような明るく和やかな雰囲気は後にも先にも無い。
もしかしたらコロナウイルスが落ち着いて、再びレースが行われるようになったらあのような雰囲気に近いものがあるかもしれない。そんな空気を味わいたい。
PIAAナカジマ・レーシングの黒澤琢弥選手と高木虎之介選手
いい雰囲気で❝仲の良い兄弟❞のようだった。
黒澤琢弥選手のサイン
中嶋悟監督
高木虎之介選手/PIAAナカジマ・レーシング/レイナード96D無限
前年までの活躍で注目度もひときわ高かった
静岡市出身なので静岡の企業、タミヤ模型や静清信用金庫がパーソナルスポンサーに付いていた。
ピットの外になかなか出てこないのでサインを頂くのが一苦労。
初めて頂いた高木虎之介選手のサイン
鈴木利男選手/かもめサービスRACING with IMPUL/ローラT96無限
星野一義選手/カルソニックRACING with IMPUL/ローラT96無限
山本勝巳選手/TEAM ANABUKI童夢with無限/童夢F104i無限
山本勝巳選手のサイン
松本恵二監督
中野信治選手/TEAM abex童夢with無限/童夢F104i無限
目元だけでイケメンと分るほど。
近藤真彦選手/NAVI CONNECTION RACING TEAM/レイナード94D無限
この年の最終戦・富士でフォーミュラ最高クラスにおいて唯一の6位入賞を得る。
初めて頂いた近藤真彦選手のサイン
羽根幸浩選手/スリムビューティーハウスCERUMO/ローラT94無限
金石勝智選手・本山哲選手/FUNAI SUPER AGURI/レイナード95D無限
後のテストの際に鈴木亜久里監督、金石選手、本山選手にサインを入れて頂いた
亜久里氏監督初年度。決勝日にはピットに生花を置いたりと今までにない雰囲気づくりをしていた。
金石勝智選手
本山哲選手
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NCCR葛城-五條 秋の日差しを受けてオープンカーも多く参加
2019年秋に開催されたクラシックカーとエキサイティングカーのラリー・NCCR葛城-五條。
秋の空ながら日差しは強く、日中は暑いほどだった。オープンカーが走るには帽子さえ被れば絶好の天気になった。
市販車による公道ラリーは割りとオープンカーが多く参加するのだ。
モーガン・プラス4
天気が良い幹線道路だけあってツーリングするバイクも多くみられた
ポルシェ911ターボSカブリオレ
ポルシェ993カレラS
ポルシェ911GT3ツーリング
BMW M4 DTMチャンピオンエディション
2016年のDTMでマルコ・ヴィットマン選手がチャンピオン獲得した記念モデル。世界200台中、日本には25台が割り当てられた。
ジャガーFタイプ・コンバーチブル
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ヒーロー誕生 プライベーター本間選手が優勝 '86富士スーパースプリント250cc
WGP500ccと250ccのホンダ&ヤマハのトップライダーを招聘して全日本選手とレースを行った富士スーパースプリント’86。
午前中は小雨に加え霧が出るコンディションだった。
レースクイーンのお姉さん♥
オープニングセレモニーは何故かエアロビクスダンス
250ccレース1のスタート時は小雨と濃霧
レース1のWGP勢は小雨と濃霧で苦戦。全日本勢がトップグループを形成。
#21樋渡治選手/モリワキレーシング/ZERO-Z250
徐々にポジションを上げ、レース中盤にはトップグループに食い込む本間選手。
プライベーターが全日本トップを抜いてゆく様は痛快で、レースの醍醐味だ。
アルフォンソ・ポンス選手/CAMPSA HONDA/NSR250
濃霧と転倒で走っている選手も順位が分からない状態。
観客は場内放送で辛うじて分かっていた。「トップ誰?」「え?79番?」「プライベーターがトップ? 面白れーっ!」ってな感じ。
フィニッシュ後も優勝したとは知らず、フツーにピットロードを走って帰ってくる本間選手。
「本間選手、優勝です!」場内アナウンスではたと気付き、自分を指さす本間選手。「そうです、あなたが優勝です!」とのアナウンスのやりとりは忘れられない。
優勝:本間利彦選手
2位:清水雅広選手
3位:アルフォンソ・ポンス選手
表彰台の顔ぶれから本間選手の快挙が伺える。
TV番組が本間選手を密着取材していた。先見の明があったのか「若いプライベーターがここまで頑張りました」と見せたかったのだろう。しかし、思いがけず優勝して番組として一層面白くなってしまった。
自分で運搬、メンテしての参戦。このレースがきっかけで翌年からヤマハワークス入り。シンデレラボーイとなった。
観戦したレースで優勝、そしてワークス入りした本間選手を応援せずにはいられない。
幾度か全日本戦を観戦して応援してきたが、未だに一度もお会いした事は無いのだ。
250ccレース2 天気は回復
レース1の順位がスターティンググリッドになる。
ヘアピンにもあふれる観客
ヘアピンの進入までは金網のすぐ後ろが通路で、その後ろは急な崖になっていた。そのため金網の後ろに二重三重に観客が集まっていた。
ヘアピンまでで既にラバード選手がトップに立っている。
小林大選手/HRC/ホンダNSR250
’84~'85年連続全日本250ccチャンピオン。
カルロス・ラバード選手/チーム・ベネモトス・ヤマハ/YZR250
この年のWGP250ccチャンピオン。
9番手グリッドから1周目で首位に立つとそのままフィニッシュ。
チャンピオンの貫録を見せぶっちぎりで優勝
波乱でスリリングなレース1と異なり、レース2は観客が観たかったWGPワークス勢の圧倒的な走りを堪能できた。
優勝:カルロス・ラバード選手
2位:アルフォンソ・ポンス選手
3位:コーク・バリントン選手
本間選手はレース2を15位フィニッシュ。総合5位に食い込んだ。
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先々週発売 ル・マン コレクション40号 スーパーカー少年の憧れ 童夢RL-80
先々週発売された「ル・マン24時間カーコレクション」第40号は待望の童夢RL-80/フォード。
スーパーカーブーム真っ只中に誕生した国産スーパーカーの童夢-零。この小メーカーがル・マン24時間レースに打って出るとの報にはスーパーカー少年の心を湧かせるには十分。まあ、当時はスーパーカーよりもモータースポーツの方に関心が移っていたが。
市販コンセプトカー「零」の面影を若干残したレースカー「童夢-零RL」は異様に平たく空気を切り裂くようなイメージだった。
2台体制で臨みながらもレース序盤で姿を消してしまった。
翌年、改良を施されたのが「RL-80」。ドルフィンは記憶の中でこの2車種が混同してしまっていたようだ。
「RL-80」は国産マシンとして初めてル・マン24時間レースを完走した記念すべきマシンとなった。優勝争いはできなかったが、完走しただけでも嬉しい結果だった。
現在はこのシリーズでしか入手できないのではないだろうか?
シリーズは第3号以来の購入だ。ーだが、そこに至るまでひと騒動あった。
近くの書店では早々に置かれなくなってしまったので、「F1マシンコレクション」同様に購入方法を変更した。
3月25日発売前に予約注文しようとしたら発売前だったので写真が掲載されておらず、しかも❝バックナンバー❞が表示されていなかった。なので「3月25日」号を注文した。
もうおわかりだろう、届いたのは1号前のクラージュC60だった…。発売日と号の日付は異なるのだ。月刊誌で言えば4月発売→5月号となる。
思い入れも無い欲しくもないマシンのミニカーを置いておくスペースも無ければ小遣いも無い。無理を言って交換して頂いた。
そのような経緯があって手元に届くのが更に一週間遅れたのだった。
童夢RL-80の写真が無いので「童夢-零」
大阪ノスタルジックカ―ショーで展示された童夢-零とP-2。
名古屋にはRL-80も来たのに京都に近い大阪には来なかった。一説には搬入時に会場への段差が大きかったために持ち込めなかったとか。
童夢P-2
ル・マン参戦に集中するために市販計画が頓挫したとか。
「童夢RL-80」のミニカーは欲しいマシンの1台だった。いや、ミニカーが出ることすら期待していなかった。
2008年頃にビザールから1/43ミニカーが出たらしいが、金額に折り合いが付かなかったか、情報を得た時には完売していたか…。
とにかくこの時には入手できていなかったので、今回のラインナップは嬉しかった。しかも数少ない車両情報や写真が掲載された冊子まで付くのだから。
1/43ミニカーを撮影するために取り出してみるとフロントウインドウが無い! 「欠陥品か?」とウインドウのクリアパーツを探してみたが欠落している様子もない。
冊子を見てみると、当時のGr.6規定に合わせているのでウインドウは元から無かったそうだ。てっきりクローズドコクピットのマシンとばかり思っていた。
写真でしか見た事が無いマシンだったので、ミニカーでまじまじと見ると細部構造が分かるとともにミニカーの出来が良い事が分かる。さすがはスパーク製。
ボディ向かって右上面にだけあるNACAダクトやエンジンカバー上のエアインテークは❝黒塗り❞ではなく本当に隙間が空けられている。本当に❝穴❞が空けられているミニカーは持っていなかった。
ボディ側面のNACAダクト開口部は白塗りのままに見えるが、薄い銀色が入っている。
ボディ後部のエア抜きスリットは細かい墨入れで処理。
各所にあるリベット止めも再現されている。
フロントライトはクリアパーツで、ライト部は銀塗りになっている。
スポンサーロゴの再現も良く、廉価版としては申し分ない出来栄えだった。
この記念すべきマシンを、サウンド・オブ・エンジンとかに展示して欲しいものだ。
WGPが、ケニー監督がやってきた 富士スーパースプリント'86 500ccレース2
ロードレース世界選手権WGP日本GPが開催される前年に富士スピードウェイで開催された「富士スーパースプリント'86」。
バイクブーム真っ盛りの1986年の事。
ホンダとヤマハのWGP500ccと250ccのワークスライダーが参戦。スズキは来なかった。
YouTubeで見つけた当時のTV番組を見たら、深夜0時過ぎにゲートオープン待ちのバイクや車が何百メートルも列を成していた。この❝熱❞がバイクブームを支えていたんだなぁ。
ドルフィンもバイクに乗っていたが、さすがに名古屋から走って来れず、高速バスで帰省して実家から出かけた根性無しだ。
記念に購入したステッカー
これ↓は公式プログラムに付いて来たステッカーだったかな…?
チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハのケニー・ロバーツ監督も来日!
鈴鹿8耐の時にお見かけした憧れの神様・ロバーツ監督が目の前に~ッ!
現役を引退して数年、まだシュッとしていた。いやいや、今もいい男だが、この頃もカッコイイ。
神様・ケニー・ロバーツ監督も来日!
ガードナー選手がタイヤを替えたのを見てボールドウィン選手も急遽タイヤ交換の指示を出すロバーツ監督
マイク・ボールドウィン選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
このタバコの銘柄を日本に広めたのはWGP。そのブランド力はOVA『メガゾーン23 PARTⅡ』にも使用されたほど。
フォーメーションラップ、スタート
フロントロウの4台。2ストの押し掛けでかかる乾いたエンジン音はイイ!
このメンバーの中に割って入るスズキの水谷勝選手は凄い。
平忠彦選手/平レーシング・ヤマハ/YZR500
レース2スタート
エンジンに火が入り、白煙を上げて走り出すレーサー。4ストの8耐TT-F1とは違った迫力があった。
ワイン・ガードナー選手VSランディ・マモラ選手 WGPそのまんま!
ロン・ハスラム/レーシングチーム・カタヤマ/elf3ホンダ
コーナーでも観てみたかった。
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダ/NSR500
マモラ選手と激しいバトルを展開してくれて観客を魅了してくれた。
3番手争い マイク・ボールドウィン選手VSレイモン・ロッシュ選手
ボールドウィン-ロッシュ-ハスラム-平-河崎が一段となってのバトル。
世界トップライダーの素晴らしい走りが観られて大興奮。
半年後に鈴鹿で開催される本当のWGP日本GPを増々観たくなった。「絶対に観戦に行くぞ!」と固く誓ったのだった。
優勝:ワイン・ガードナー選手
2位:ランディ・マモラ選手
3位:レイモン・ロッシュ選手
レース1、レース2の合計ポイントはガードナー選手とマモラ選手は同ポイントながら、レギュレーションによりレース2を制したガードナー選手が総合優勝。
先週発売F1マシンコレクション85号 「雨の魔術師」がドライブしたBetaマーチ751
先週発売されたF1マシンコレクション第85号は、ビットリオ・ブランビラ選手が優勝したBetaマーチ751/フォード。
少しでも安くあげるため購入方法を変更したので1週遅れで手元に届く。
サウンド・オブ・エンジンで走ったマーチ761
豪雨になった’75年オーストリアGPで優勝したことで「雨の魔術師」と呼ばれたビットリオ・ブランビラ選手。またの名を「モンツァゴリラ」。
当時下位チームだったマーチで優勝するなど、セバスチャン・ベッテル選手がトロロッソで優勝した以上の快挙。「雨が降ればマシン性能差が縮まる」と言われていた時代でさえも大金星だった。
現在では良いマシンは雨でも強く、逆もまたしかり。
性能差を腕でカバーできる時代ではなくなってしまった。下位チームが雨降ったからとファステスト更新してガンガン走るような時代ではなくなってしまった。
F1マシンコレクションの1/43ミニカーを見るとあまりにも単調で「このマシンでフェラーリやマクラーレンのマシンと対等に戦うなど無理だろう」と思えるほどレベル差を感じる。いくら雨でもよく優勝できたものだと、ブランビラ選手の腕に感服する。
スポーツカーノーズを支えるステーがサスペンション並みに太いのはご愛敬。
その代わりに外側からは目に付かないスポーツカーノーズの❝内側❞も作り込まれている。ノーズからコクピット回りまで一体型のカウル。ノーズを支えるステーがモノコックから伸びていて、構造が良く分かる。
ビットリオ・ブランビラ選手こそ、ドルフィンが初めてサインを頂いたレーシングドライバーなのだ(国内外問わず)。
’77年のF1日本GP決勝後、バドックを見て回っていると知らないオジサンが「あの人レーサーのブランビラだからサインもらっときな」と教えてくれたばかりか、サインを書いてもらうノート紙をドルフィンと友人に下さったのだ。
ノートとサインペンを渡すとブランビラ選手はペン先をこちらに向けた。「あ! キャップを外して渡さなきゃいけなかったか」と気付いた。以降、サインを頂く時はキャップを外してペンを渡すようにしている。
頂いたサインはプログラムの写真と一緒にアルバムに貼って保存している。
ブランビラ選手のサイン
ブランビラ選手は濃いキャラクターのせいか、漫画やアニメにも登場している。
『赤いペガサス』では雨の速さをみせるケン・アカバに舌を巻くシーンがある。
『グランプリの鷹』イタリアGP編では主要キャラクターとして登場。イタリアのブランビラファンと揉めた轟鷹也に詫びるブランビラ。決勝でブランビラとの勝負には観客席から「ブランビラ! ブランビラ!」のコールが巻き上がり、カトリチームのピットに物が投げ込まれてしまう。混乱を鎮めるためにピットインして盾になる鷹也のトドロキスペシャルT3。責任を感じて共にピットインしてリタイアするブランビラだった。
サウンド・オブ・エンジンでブランビラ選手のマーチ761を見たら自然に「ブランビラ! ブランビラ!」とコールしてしまう自分がいた(笑)。
初めてサインを頂いたレーシングドライバー=初めて会った選手の優勝マシン・ミニカーである。逃すことはできない。
ミニカーは優勝したオーストリアGP仕様になっていて、レインタイヤを履いている。ネームプレートにもグランプリ名が入っているほどだ。
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WGPがやってきた 富士スーパースプリント1986 500ccレース1
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダ/NSR500
後ろに見えるのは八代俊二選手/HRC-モリワキ/NSR500
鈴鹿サーキットでロードレース世界選手権・WGP日本GPが開催される1年前の1986年。富士スピードウェイ(FISCO)にWGP500ccクラスと250ccクラスの精鋭を招聘して全日本選手とレースを行う「スーパースプリント富士インターナショナル ロードレース」=富士スーパースプリント’86が開催された。
WGPシーズン中にノンタイトル戦でホンダとヤマハのトップライダーを呼んでしまうとは贅沢な催しだった。これもバイクブームに加え好景気だったおかげか。
世界トップライダーの走りが見られるとあって、神奈川と静岡の友人と共に観戦に行った。当時ドルフィンは名古屋に住んでいたが、静岡の実家に一泊して出かけたと思う。
今なら予選から観戦に行っていたかもしれない。が、まだ❝足❞が無かったので、電車とバスを乗り継いでFISCOに向かった。
1日で観戦券5,000円、グランドスタンド券2,500円は結構な高額だ。
ロードレースなのでコーナーで観たいところだったが、革新的バイク「elf3」を間近で観たいという思いもあってスタンドに入った。
スタート前の雰囲気も見られる。
超スプリントで周回数が少ないので❝止め❞で確実に写真を撮っておきたい狙いもあった。
ガードナー選手がゼッケン「02」を付けているとおり、ゼッケン「01」はフレディ・スペンサー選手のものだったが、不参加だった。
ラッキーストライクのキャンギャルは外国人のお姉さんで、めっちゃプロポーション良かった
大会プログラムは処分してしまっているので詳しい資料が無いのでご勘弁を—
ランディ・マモラ選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
WGP500ccシリーズランキング最高は2位2回と無冠に終わったが、当時はコーナーでアウト側の足を浮かせる独特なライディングフォームは「マモラ乗り」と呼ばれていた。
ロン・ハスラム/レーシングチーム・カタヤマ/elf3ホンダ
チーム名は「レーシングチーム・カタヤマ」でエントリーしていた。
❝変わりバイク❞大好きドルフィンにとって目的のひとつでもあったelf3。スタンドからでは❝片側❞しか観ることができなかったが嬉しかった。
ロン・ハスラム選手のサイン
2016年の全日本最終戦にレオン・ハスラム選手がスポット参戦した際、付き添いで来られていたロン氏にサインを入れて頂いた
その際「This is Fuji」「1986」とカタコトでお伝えすると「Oh! Fuji!!」と驚かれていた。
平忠彦選手/平レーシング・ヤマハ/YZR500
全日本で大好きな平選手。
WGPサンマリノGP250ccで優勝を遂げた後だったので、500ccで世界とどう戦うかが楽しみだったが、あまり奮わなかった。
全日本ライダーはゼッケンそのまま。
水谷勝選手/ウォルターウルフ・スズキ/RG-γ500
マイク・ボールドウィン選手/チーム・ラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハ/YZR500
WGP500ccクラスでは未勝利に終わったものの、鈴鹿8耐では史上初の3勝ライダーとなっている。
8耐では馴染みのあるヘルメットだった。
#05 レイモン・ロッシュ/レーシングチーム・カタヤマ/NS500
旧型のNS500を使用していた。
レース1スタート
朝からの小雨と霧で路面はハーフウエット。
当時はWGP同様に❝押し掛❞けスタート
激しい3番手争い
河崎裕之選手/ヤマハYZR500
ストレートでもスリップの使い合いで激しいバトルが展開され白熱の展開だった。
「スーパースプリント」だけあってあっという間に終わってしまった。
優勝:ランディ・マモラ選手
2位:ワイン・ガードナー選手
3位:水谷勝選手


































































































































