サウンド・オブ・エンジンで走るGr.Cカーの現役時代 何もない日にサーキットに行ってみる鈴鹿5
F1日本GP初開催を控えた’87年夏の鈴鹿サーキット。
「何か走っていないかな?」と勘を頼りにホンダMVX250で名古屋市から名四国道を走っっていった。
❝勘❞を頼りにサーキットに行くのはたぶんこれが最後になっている。
翌年からは大阪に転居したのでレース日にしか行く事はしていないし、’90年代に入ってからの富士は❝知恵を付けて❞走行の有無を確認して行くようにしていた。
この日は鈴鹿1000㌔に向けたGr.Cカーの走行。
近年のサウンド・オブ・エンジンで走行しているマシンたちが現役バリバリだった。
カルソニック-ニチラ・マーチ87Gニッサン/星野一義/高橋健二組
鈴鹿のイベントやサウンド・オブ・エンジンで走行してくれている。
マーチ87Gニッサン/長谷見昌弘/鈴木亜久里組
第二戦・富士でポールポジションを獲得している。
ミノルタ・トヨタ・トムス87C/関谷正徳/小河等組
本番の鈴鹿1000㌔ではジェフ・リース選手を加えた3人体制で優勝。
ミノルタ・トヨタ・トムス87C
#37はTカーだったようだ。
アドバンアルファ・ポルシェ962C/高橋国光/ケネス・アチソン組
Gr.Cカーが走っていた 何もない日にサーキットに行ってみる 鈴鹿4
1987年の夏休み。「何か走っているかな?」と鈴鹿サーキットまでホンダMXV250を走らせた。
「これが走っている」と確証があった訳ではない。
何の目的で行ったのか覚えていないが、F1のテストかF3000でも走っていればいいな-という感じだったかもしれない。
サーキットに行くと鈴鹿1000㌔に向けたGr.Cの練習走行が行われていた。
「あ、Gr.Cカーだ」と驚いた記憶があるので、Cカー目的ではなかった事は確かだ。
毎年観戦に行っていたWECジャパンだったが、この年の秋には鈴鹿サーキットでF1日本GPが初開催される。秋にBIGレースを2つは予算的には無理。もちろんF1に行くのでWECは’86年までと決めていた。
-なので、逆にこの年のCカーを観る事ができて良かったかもしれない。
レイトンハウス・ポルシェ・962C /クリス・ニッセン/フォルカー・ヴァイドラー組
カワイスチールの印象が強いヴァイドラー選手だが、レイトンハウスでもドライブしていた。
F3000やGCでも活躍していたヴァイドラー選手だが、1回も直接お会いする事は無かった。
この日もグランドスタンドとヘアピンからしか写真を撮っていない。
当時は使えるフィルムの枚数が少なかったので、練習走行撮影ではあまりあちこちコーナーを巡る事はしていなかったのかも。
パドックにも行っていない。
オートビュレック・トムス86C/星野薫/アンドリュー・ギルバート・スコット組
ワコール童夢87C/エジェ・エルグ/ロス・チーバー組
このワコールカラーは綺麗で好きだった。
フロムAポルシェ962C/岡田秀樹/マイク・サックウェル組
「フロムA」と言えば岡田秀樹選手。昔は速かったなー。遊びを覚えるまでは。
マツダ757/片山義美/寺田陽次郎組
日石トラスト・ポルシェ962C/バーン・シュパン/鈴木恵一組
アルファキュービック・ポルシェ962C/戸谷千代三/長坂尚樹組
BA-TSUグッピー/BMW
真っ赤なスーパーカー葛城山麓を走る NCCR葛城-五條
まだ夏の暑さが残る2019年の9月末に開催されたクラシックカーとエキサイティングカーによるラリー・NCCR葛城-五條。
秋からイベントが多くかった事と、一般車はナンバープレートを消す作業が必要なのでUPするのが遅れてしまっていた。
既に3回更新しているが、今回はその続き。
葛城山麓にある屋敷山公園をスタート&フィニッシュ地点として、ここ数年連続開催されている。
―が、2019年は駐車場に集結している参加車
に❝目を奪われた❞一般車が追突事故を起こしてしまったため、2020年は開催できるかどうか…。
山は青々とし、田んぼのあぜ道には彼岸花が咲き誇っていた。
空は秋の雲が出ていた。
BMW 320i 1984年
ボルク・レーシングのデカールとホイール!
ランボルギーニ・カウンタック25アニバーサリー 1989年
ホンダNSX 1990年
ランチア・デルタ・インテクラーレEvoⅡ 1995年
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スーパーシルエット・レース ’83富士GC第2戦サポートレースも面白い
初めて観戦に行った’83年富士GC第2戦。
当時はまだ電車を使っていた。東海道戦で国鉄・沼津駅に行き、そこから御殿場線。東海道線の到着と御殿場線の発車の接続が悪く、沼津駅でしばらく待たなければならなかった。
国鉄・御殿場駅からはFISCO行きバス。直行バスがあったかなぁ? 富士霊園行きに乗って、そこから歩いてFISCOまで行ったんだったかなぁ?
サポート・レースはハコ車のレースだった。
マイナーツーリングとスーパーシルエットは人気のあるレースで1日で何度もメインレースを観ているようなお得感が嬉しかった。
マイナーツーリング・レースのスタート
スーパーシルエット・レースが登場するまで改造範囲が広いカテゴリーとして人気を誇っていたマイナーツーリング。
ダンゴバトルが面白かった。
プログラムを見ると、関谷正徳選手、都平健二選手、星野薫選手の名前があった。
柳田春人選手サイン入りプログラムと予選結果表
セントラル20グッズを買ってサイン会に参加。サイン入りだったのでプログラムを残してあった。
お昼はお弁当を持って行っていた(小遣いが少ないので)。
プログラムを買って、写真は36枚撮り2本くらいだったか。その後の現像・プリント代を考えると多くは撮れない。
グランドスタンド裏のグッズショップでステッカーとかちょっと買い物したりした。あの頃って版権取っていないものばかりだったんだろうな。そこでしか買えないレース関係のステッカーやワッペンは貴重だった。
レースクイーンの片山みゆきさん
プログラムにプリフィールが掲載されていた。
メインの富士GC以上に人気を集めていたスーパーシルエット・レース。
日産ターボ軍団の他にもサバンナRX-7のプライベーター勢が参戦していた。
長谷見昌弘選手/スカイラインRSターボ・スーパーシルエット
ロータス79とともにドルフィンの大好きなレーシングカーNo.1のRSターボ前期型。
星野一義選手/シルビア・ターボ・スーパーシルエット
スタート前に「星野サ~ン! ポーズとって~」の観客の声に「シェー」をする星野選手。
柳田春人選手/ブルーバード・ターボ・スーパーシルエット
’82年型よりもシュッとしたスタイルになった。
スーパーシルエット・レースのスタート
日産ターボ軍団の3台が毎周順位を入れ替える激しい展開だった
ブルーバードは白煙を上げているのではなく、オイル処理の石灰を踏んだため。
昨年(2019年)の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンの際にスーパーシルエットの写真にサインを入れて頂いた。
優勝:星野一義選手/シルビア・ターボ・スーパーシルエット
半車身差で2位:柳田春人選手/ブルーバード・ターボ・スーパーシルエット
3位:長谷見昌弘選手/スカイラインRSターボ・スーパーシルエット
桜とヨモギ摘み ヨモギ団子を作ってもらったよ
全てスマホで撮影しています
蓬団子を作るため、嫁はんとお山へ蓬摘みに行った。
ソメイヨシノはまだツボミだったが、他の種類の桜が咲いていて綺麗だった。
日々暖かかったせいか、咲き終えている樹もあったほどだ。
柳の若葉も綺麗
蓬を探してみると意外に無い。お団子にするために若芽を摘んだ方が良いのでたくさん生えていそうな山に来たのだが…。
西洋タンポポやクローバー、カラスノエンドウ等の外来種が広がっていて蓬がなかなか見つからない。
ようやくコロニーを発見して若芽を頂く。全て採ってしまうと次につながらないので、少し採っては別のコロニーへ。
まるで小説『植物図鑑』だ。
スズメバチの巣を発見! キケン!!
ここからは嫁はんがやってくれた。
摘んだ蓬を洗って茹でる。
フードプロセッサーが無いのですり鉢であたる。
蓬は繊維が強いのでなかなかペースト状にならない。この作業は嫁はんと協力し、一人がすり鉢を押さえもう一人がすりこ木を使う。腕の力尽きるまで頑張る。
だんご粉を混ぜる。
帰りに寄った店に缶アズキが無かったので、一から小豆を炊いてアンコを作ってくれた。
こうして春の味たっぷりの蓬団子が完成!
蓬の香りたっぷり。ちょっとエグ味が残ったものの、そこはアンコでカバー。
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初観戦’83富士グランチャン 当時大人気のレースだった ミニカーと国産GCマシン
高橋徹選手/NOVA-SPL/BMW
富士グランチャンピオン・レースは'70~’80年代に大人気だったレースカテゴリーだ。
特に’70年代は国内トップフォーミュラ(F2000→F2)よりも集客力があった。現在のスーパーGTのようなものだが、それを富士スピードウェイ(FISCO)だけでシリーズ戦が組まれていたのだ。
ドルフィンがレースに興味を持った頃も、雑誌ではフォーミュラよりも富士GCが占める割合が多かった。
創成期から幾度か大きなレギュレーション変更があったが、ドルフィンがレース誌を見始めた頃はマーチやシェブロンといった海外製2座席スポーツカーからNOVA53Sのような国産マシンの登場、そして単座席マシンへの移行期だった。
エブロ1/43ミニカー 紫電
クローズドコクピットの国産GCマシン、紫電。
2018年のサウンド・オブ・エンジンに完全レプリカが展示されていた。嬉しかったなぁ。
エブロ1/43ミニカー NOVA53S
実車は見た事は無いが、モーター誌を見て「カッコイイマシンだ」と憧れを抱いていた。「53」は昭和「53年」のマシンという事。
GC主流の海外製マシンはゴチャッとしていて❝中古感❞が半端なかった(笑)。
それに引き換えNOVA53Sはスタイリッシュでカラーリングも魅せるものだった。
星野選手はこのマシンで’78年にチャンピオンを獲得。
片山義美選手の単座席GC 1979年3月
国産マシンの成功でオリジナルマシンが多く登場した。
ワークス無しでプライベーターだけのGCで専用マシンを開発していった情熱が素晴らしい。それも人気の要因だ。
雑誌で読んできて、ようやく富士GC観戦にこぎつけたのが1983年だった。第2戦はGWに開催されたので、名古屋から帰省して友人と電車を使って観戦に行った。
1983年 富士GC第2戦・グラン250㌔レース
F2シャシー流用のマシンが主体ではあるが、使用するカウル年式が異なっていたり、自作オリジナルであったりした。
エンジンはBMW、マツダ、トヨタ。タイヤはBS、DL、ヨコハマとF3000全盛期のようにバリエーションが豊富だった。
中嶋悟選手/MCSⅢ/マツダ
意外な組み合わせだが、中嶋選手はGCではマツダエンジンを使用していた。
マツダは主流のBMWエンジンに対抗できるエンジンだったのだ。
高橋徹選手/NOVA-SPL/BMW
F2で戦列デビューした徹選手。GCでも予選4番手を獲得して選手紹介の時は大きな拍手が沸き上がった。
第3戦からMCSⅣを使用することになる。
レースプログラムにも徹選手の記事が掲載されていた
コースレコード表彰される星野一義選手/MCSⅣ/BMW
1977年のF1日本GPでマリオ・アンドレッティ選手がロータス78で記録したコースレードを開幕戦で塗り替えた星野選手。
2ℓマシンで3ℓF1よりも速く走った脅威のタイム1分12秒12!
中子修選手/MCSⅢ/BMW
藤田直廣/MCSⅢ/BMW
片山義美選手/NOVA-SPL/マツダ
赤池卓選手/MCSⅡ/マツダ
高橋国光選手/ロイスRM1/BMW
F2シャシーにカウルを被せたマシンとして、シリーズ全戦ポールポジションを獲得したこともあった。
萩原光/MCSⅡ/BMW
生沢徹監督と ジェフ・リース選手/MCSⅣ/トヨタ
長谷見昌弘選手/HASEMI-SPL/BMW
ハセミ・モータースポーツのオリジナルマシンを使用。
富士GC第二戦、60周のレースがスタート
ヘアピン進入で中子修選手と萩原光選手が接触!
ピットロード入り口で片山選手のマシンが炎上
優勝:松本恵二選手/MCSⅣ/BMW
第二戦のプラクティス中に事故死した佐藤文康選手。松本選手は佐藤選手と親友の間柄。「是が非でも優勝したかった」とインタビューで述べていた。
レ―ス終了後に通夜に向かったそうだ。
2位:高橋健二選手 3位:ジェフ・リース選手
リース選手は予選15番手から3位表彰台。素晴らしい追い上げだった。
ウイリアムズFW11/ホンダ・エンジンテスト1987年 何もない日にサーキットに行ってみる鈴鹿3
時は鈴鹿サーキットで初のF1GPが開催されようとしている1987年。
チケットに押されたスタンプを見ると5月21日になっている。
この日も「何か走っていないかな~」と、確たる保証もないまま名古屋市から赤のシンプソンを被りホンダMVX250に乗って名四国道を走った。
日付スタンプの「62」は「昭和62年」だ!
グランドスタンドに入るとウイリアムズFW1/ホンダが走っていた! ホンダのF1エンジンテストのようだ。
パドック側に行ってみると、ドライバーはジェフ・リース選手だった。
それまでホンダのF1エンジンテストは中嶋悟選手が担当していたが、中嶋選手がF1に行ったので、リース選手が引き継いだのだった。後に星野一義選手もホンダF1エンジンテストを行った。
昔はテストに規制が無かったのでバンバン行っていたので強いエンジンを作り上げることができたのだろう。
近年のように時間規制が設けられたら❝短時間で仕上げる❞ことが難しいのだろう。
ラルト/ホンダで欧F2チャンピオン獲得。F1、全日本F2にも参戦したジェフ・リース選手
日本では全日本F2、富士GC、JSPCでチャンピオンを獲得。長年にわたり日本のレースを走って来た。
ファン感やサウンド・オブ・エンジンでリース選手を呼んで欲しいな。
後にリース選手にサインを入れて頂いた
マールボロ契約ドライバーなのでヘルメットにもロゴが入っている。
F1開催前にF1の走行を見られた感激。
当時、ホンダの自然吸気エンジンのテストも囁かれていたが、この時はターボエンジンだった。
現在、イベント等で走行するウイリアムズFW11はこのテスト車だろう。
何周か走ったところでトラブルでストップ。
ピットレーンを逆走して帰って来た。
修理等に時間がかかったので「今日はここまで」と切り上げて帰ったのだった。
かなり多くのスタッフが参加していた。
人材育成の一環でもあったのかも。
「雛めぐり」が中止になったので じないまちグルメツアー
3月の第二土日は富田林市にある「じないまち」で「じないまち雛めぐり」が開催されるはずでしたが、新型コロナ対策で中止になりました。
お店はこの日のために準備されてきていたので、経済を回すためにも嫁はんと❝じないまちグルメツアー❞をしてきました。
久ぶりの外出と食事で気持ちが晴れました。
寺内町きっちんあいさん
煮込みハンバーグランチ
ふんわりとしていて口で溶けるように無くなるデミグラスソースのハンバーグ。
野菜プレート、味噌汁、河内長野・玄米屋玄さんのお米のご飯付き。
季節の野菜が使われている。菜の花が美味し~。
嫁はんへのホワイトデーのお返しにご馳走です。
あいさんの吊るし雛
土曜日は時折雨が降る寒い一日。雛めぐりが行われていても、外には飾れずに寂しい感じになっていたかも。
マメトコナさん
従妹と叔母に送るホワイトデーの焼き菓子を購入。あ!写真撮るの忘れた。
クッキー生地で作ったお雛様
じないまち交流館のお雛様
暮らし屋さん
完全オーガニックのいちご大福
砂糖・小豆不使用。甘みと小豆の代わりにデーツ(海外のナツメ)を使用している。ナッツのような食感でめっちゃ甘い。
求肥も玄米粉かな?
じないまち交流館のお雛様
まめてんカフェさん
天然酵母パン
大好きなクランベリーとチーズのベーグルと黒糖ドーナツ。
ホワイトデー用に作られたというホワイトチョコとオレンジピールのハート❤型パンが美味しかった。来年も作ってほしいな。
珈琲豆の蔵 平蔵さん
寺内町ブレンド&平蔵ブレンド
ドルフィンと嫁はんとで好みが異なるので、今回は二種類とも購入。飲み比べができる。
フレッシュな厳選した豆を注文が入る度に焙煎してくれるので、香りがとても良くて気持ちが豊になる。
今までに無いくらい1日で多くのお店を回ってのグルメツアーで楽しかった~。
フレディは嘘つきでも偉大なチャンピオン '86日本グランプリオートバイレース 練習編
’86年日本グランプリオートバイレースに招待選手として参戦する予定だったWGP500cc&250ccチャンピオンのフレディ・スペンサー選手。同一年にWタイトルを獲得したGP史上唯一の選手だ。
神様・ケニー・ロバーツ選手との激闘のシーズンを制して史上最年少で最高峰クラスチャンピオンを獲得したりと、偉大なライダーだ。
当時の資料が手元に無く、ネットでも探しきれなかったため誤った事を書いていたら正確な情報を教えて下さい。
前年に続いてこの年も練習走行を観に行った。
ドルフィンもバイクはホンダ車に乗っていたのでホンダを応援していた。
XL250SからMVX250に乗り換えていて、ヤマハDT50に乗る友人と一緒に出掛けた。名四国道を50ccに合わせてのツーリング。
前年はパドックに行っていなかったので、コーナーへは行かずパドックに行くと―
チャンピオン、フレディ・スペンサー選手がいた~ッ!!
紛れもなく、正真正銘、本物!
友人とともに興奮MAX、MAX、MAX~!
現在ならピットはシャッターかパーテーションで隠されるので中を伺い知る事はできないのだが、当時はイケイケ。ピットレーンと接する側に腰くらいまでの壁(作業台?)があるだけだった。昔はピットから直接コースにマシンを出すことができなかったのだ。
ロスマンズ・ホンダNSR500
マシンは調整中。
待機するスペンサー選手の腕に巻かれたテーピングが痛々しい。
チャンピオンの❝オーラ圧❞が凄まじく、圧に押されて近寄ることができない。
写真を撮る事さえ恐る恐るだった。
サインを下さいなどととても言い出せる雰囲気ではない。しかし、せっかくのチャンスなのに…。
遠目にスペンサー選手を見ていた。
なんとか目が合えば行っていいものかどうかの雰囲気が分かるのだが…。
ようやく、見つめる二人の気配に気づいて下さり目が合った。
「サインいいですか?」とジェスチャーすると「来いよ」と手招きして下さった。嬉しい!
WエントリーしていてNSR250も用意されていた
二輪、四輪ともに初めて頂く世界チャンピンのサイン。
もの凄く丁寧に、更には「world champion」とまで書き込んで下さった。感激だ。
フレディ・スペンサー選手のサイン
笑うと雑誌で見るような人懐っこい表情。あぁ、これもスペンサー選手なんだな。
しかし、日本GP決勝はドタキャンするという事件が起きた。
TV解説をしていた元WGP350ccチャンピオンの片山敬済氏が怒って「嘘つきフレディ」と、後世に残る名言(?)を発することになった。この一戦だけでなく、前年までの日本戦・決勝不参加やWGP戦キャンセル等が積み重なっての事だ。
この事もあって、スペンサー選手は日本での評価は高くない。「好きだ」と公言する方も少ない。
それでも偉大なチャンピオンの一人なのだ。
21世紀に入り、鈴鹿8耐等にゲスト来場されていたそうだが、ドルフィンが再びスペンサー氏の姿を目にしたのは「鈴鹿サーキット50Thアニバーサリー・デー」で来場した時だ。
ワールドチャンピオン・トークショーでのスペンサー氏
この時ドルフィンは純粋にイベントを楽しんでいて、今のように❝がむしゃらにサインを求める❞スタイルではなかった(苦笑)。
まだサインを頂いたことが無かったケニー・ロバーツ氏狙いに重点を置いていたし、’86年に頂いたような丁寧なサインはもうしてもらえないだろうと感じていたからだ。
ケニーロバーツ氏とのデモランを観て震えた
MotoGPイベントでツインリンクもてぎには来場されているスペンサー氏。鈴鹿にもまた来て欲しい(呼んで欲しい)な。その時はがむしゃらにサインを頂きに行きますッ!(笑)
日本グランプリオートバイレースにはワイン・ガードナー選手はじめ多くのホンダ系選手が招待され500ccクラスやTT-F1クラスを走ることになっていた。
長年不明だったこの↓選手。ブロガーのテック21さんから教えて頂きました。ありがとうございます。
アントン・マンク選手/ロスマンズ・ホンダNSR250
この年はフレディ・スペンサー選手の陰に隠れてランキング4位だったが、翌年は250ccクラスでチャンピオン獲得。
ロスマンズ・ホンダRVF750
木下恵司選手/ホンダNSR500
モリワキNSR500/八代俊二車
モリワキのメンテでNSR500を走らせていた八代選手。その後、WGP500ccクラスにも参戦。
2017年の大阪モーターサイクルショーで、この写真にサインを入れて頂いた。
写真を見せるや八代氏と一緒にいた上田氏は口をそろえて「懐かしいねぇ~」と。
宮城光選手
TT-F1クラスに参戦していた宮城選手。当時、若者から絶大な人気を誇っていた。
走行前のストレッチをされている時だったので、正面から撮影する勇気が無かった。
2016年鈴鹿8耐のトークショー後に、この写真にサインを入れて頂いた。
「この写真にお願いします」と写真を見せると「おぉ~ッ!! 懐かしい!! コレ、走る前に必ずストレッチやってたんですよ」と宮城氏。
「当時はオーラが強すぎて、前に回って写真を撮れなかったです」と話すと
「今ではただのオッサンでしょ?」と笑う宮城氏。
「いや、そんな事ありません」と、キッパリ言えずつられ笑いするドルフィンだった。
#6が宮城車
コーナーに行かなかったのは、友人が春日井市から原付で来たので滞在時間があまり無かったからかもしれない。
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