GT-Rとシビックで'92年N1耐久観戦 土屋圭市選手とJSS & タイレル019走行
1992年に富士スピードウェイで開催されたN1耐久第3戦・オートテック富士ツーリングカー6時間レース。
N1耐久(現行・S耐含め)目的で観戦に行った唯一のレース。
土屋圭市選手も参戦しているJSSジャパンスーパースポーツゼダン・レースも行われるため、静岡に住む友人とともに観戦に行った。
当時ドルフィンは東京に住んでいて、勤務する会社の社長が「乗って行っていいぞ」と言うので、購入したての赤のホンダ・シビック(EG6型)に乗って土曜日に出発した。社用車として当時は珍しい自動車電話を備えていた。
実はドルフィンは原田知世さんがCMしていた赤いカローラⅡに憧れて❝赤い車❞に乗りたいと思っていた。巡り合わせで赤い車を所有することは無かったので、社用車のシビックが唯一の赤い車だった。
土曜日の晩は静岡の実家に泊ることにしていた。その前にシビックを見せたくて友人宅に向かった。
ちょうど友人がR32GT-Rで出かけるところだったので、パッシングして追いかけた。しばらくして駐車場に入ったところで降りて挨拶。「シビックがパッシングして追いかけてくるから勝負しかけられてるのかと思った(笑)」と。争い事が嫌いな友人です。
当日はR32GT-RとEGシビック二台つるんでFISCOに向かったのだった。
スタンドに行くとサポートレースのスタッフとして来ていたど知り合いと出くわしたので「30分だけ貸して」とクレデンシャルを借りて友人とともにパドックに入った。
目的は土屋圭市選手にお会いする事。
土屋圭市選手/AUTO BLAZE RSファインRX-7
RSファインのピットに行くと土屋圭市選手がおられたので、友人と一緒に記念撮影させて頂いた。ドリキンさん快くOKして下さり嬉しかった。
友人が土屋選手に話した「いつも雑誌やビデオでお世話になっております」のセリフは忘れられない。後で「あ゛~ッ! ヘンに勘違いされる事いっちゃった!」と悩んでいた(笑)。
土屋選手ありがとうございました。
土屋圭市選手。隣は友人
JSSドライバーの中にはN1耐久とダブルヘッダーする選手も多かった。
袖山誠一選手/松井組・春中スカイライン HR31
Gr.Aで使用していたR31・GTS-Rを使用していてとてもつなく速かった。
川崎哲哉選手/E.R.C.サバンナRX-7
当時、HKSからドラッグレースにも参戦。同日のN1耐久もGT-Rで参戦。
土屋選手とともにRX-7勢の中でトップ集団に入っていた。
スタート直後のヘアピン
好スタートを決めた土屋選手がトップでヘアピンへ。
表彰式
ハッキリ覚えていないが、写真からすると河合博之選手、都平健二選手、袖山誠一選手のスカイライン勢が表彰台を占めた。
1990年に中嶋悟選手がドライブしたタイレル019/フォードが日本人オーナーに購入され、走行が披露された。
ドライバーは岡田秀樹選手。
車高を低く調整して火花が多く飛び散るようにしていたのか、派手な火花で観客を沸かせてくれた。
このマシンが今でもサウンド・オブ・エンジン等のイベントで走ってくれている車両かな?
ミニカーラックへの道60 外出自粛して「扉」を2枚取り付けた
ミニカーラックへの道60
外出自粛している期間に「どうせなら!」とミニカーラックの扉を残り3枚をイッキに作る事にした。
扉制作は時間と費用がかかるので、外出を控えて小遣いを使わない今の時期は好都合。また、一度に作ると❝コツ❞を忘れないで済む。
❝溝❞付き木材をカットして木工用ボンドで「L字」型に組み立てる。
扉3枚なので6本だ。
今回は最初から釘を打ち込んで強度を付ける。
その後、ペンキ塗り。作業したのが天気が良い日だったので短時間で乾いてくれたので助かった。
透明ペット板材をカット。「L字」枠の❝溝❞に木工用を流し込み、そこに板材を差し込む。
ペット板材は1枚は新しいものを購入。もう1枚は前回取り外した旧型をカットして流用。
ここまでで1日かかる。
次の休みの日―。
片面が乾いたところでもう片面の「L字」の❝溝❞に透明ペット材を差し込むのだが、これがなかなか上手くハマらない。
サイズを測ってカットしているのだが、キッチリと枠の角が合わないのだ。
少しカットしては差し込んでみてどこが悪のかを見る。
幾度かカットを重ねてようやく四角い枠が出来上がる。
接着剤が乾くのを待つので、ここまでで1日が終わる。
また次の休み―。
扉の取り付けだ。
今回、新しい扉を取り付けるために旧型の透明ペット材を取り外す。最後の1枚に流用するのだ。
力任せに外して1枚割れてしまった。割れてしまった板はラック内の中棚に流用することにする。
枠がズレ落ちないよう、中棚を止めるダボを作るために買って来た棒を扉の下に置いて固定する。
蝶番を取り付ける位置を決めてキリで穴をあけてからネジを絞めて固定する。
ある程度深くキリで穴を開けないとネジを絞めるのがキツい! 強引にやってはネジ穴が潰れてしまう。
扉を取り付けるのが一番難しいと考えていたのが左側。
8ミリビデオラックを流用した2輪ミニカー&トミカ用ラックが固定されているので、作業スペースが狭いのだ。
取り付け終了。
新しい透明ペット材の表面保護シートを取り外す。
これでミニカーラック上段3面に扉取り付けが終了した。
残るはあと1面!
全国 行った事あるサーキット ステッカー・コレクション
初めてのサーキットに行くと、そこのステッカーを買うようにしている。
元々はバイクに乗っているときに「全国サーキット巡りをしよう」と思い、ヘルメット後頭部にサーキットのステッカーを貼っていた。
バイクでのサーキット巡りは挫折したが、ステッカー集めは続行したのだった(コレクション癖がある)。
富士スピードウェイ(FISCO)
上:富士スピードウェイ(FISCO)
中・下:富士スピードウェイ(新)
ヘルメットに貼っていたのは上のFISCO版。
鈴鹿サーキット
まだカシオトライアングル(現・日立オートモティブシステムズシケイン)が出来る前のコース図が入っている。i&iレーシング所属中の中嶋悟選手がデザインされている。
カシオトライアングルが入った後バージョン
シケインが出来た直後に「コース図が変わった」と、入手した。
ツインリンクもてぎ
CARTバドワイザー500観戦で初めて行った際に購入。あまり❝ひねり❞が無い…。
TIサーキット英田
’94F1パシフィックGP観戦の際に「サーキットステッカーは無いものか」と探してこれに決めた。
上:スポーツランドSUGO
下:筑波サーキット
右上の菅生は’87年ヤマハチャンピオンカーニバル名古屋で購入。3枚セットの1枚をヘルメットに貼っていた。
左上の二枚が唯一、菅生に行った際に購入。
上:筑波サーキット
下:エビスサーキット
筑波サーキットには3回行った。その際に購入した。
『首都高速トライアル3』の撮影も行われた福島県にあるエビスサーキットには1回行った。
レーシングカートのサーキット
左上:ヤマハ「Y’sカフェ」と栃木県にあるフェスティカ・サーキット
右上:埼玉県にあるサーキット秋ヶ瀬。コジマブレーンファクトリー主催のレーシングカート練習会に何度か参加。
その下:ヤマハFK-9耐久レースに参戦していたフォーミュランド・ラー飯能。現在はレーシングドライバー・塚越広大選手がオーナーになっている。
その下:期間限定で作られたFK-9専用サーキット、カートワールド御殿場。現在はプレミアムアウトレットの駐車場。
その下:『激走戦隊カーレンジャー』のエンディングでも使用された那須モータースポーツランド。カートの練習走行に行った。
一番下:つま恋国際カートコース。静岡に住んでいた時に練習走行・レース参戦した。
ベネトンF1のボディにも貼られていたオートポリスのステッカーも欲しかった。
ローランド・ラッツェンバーガー選手、凱旋 '94 F1パシフィックGP 主要選手編
日本で初めての1カ国GP2回開催となった1994年F1パシフィックGP。
春のパシフィックGP、秋の日本GP―は、定着せずに2年で終了してしまった。
ローランド・ラッツェンバーガー選手/シムテックS941/フォードHB
’89年からサードからWSPCに参戦したのを皮切りに、全日本F3000やオートテックBMWでJTCGr.Aツーリングカーにも参戦していた。
長年日本で走っていた選手がF1にステップアップし、て日本開催GPに出走すると❝凱旋帰国❞したようで嬉しい気持ちになるとともに応援の熱も高まるというもの。
パシフィックGPを11位で初完走。このまま活躍が認められて上位チームに移籍してくれたらと願っていたが…。
全日本GT選手権・開幕戦を観戦に行った際、FISCOのグランドスタンド裏の売店にローランド選手の訃報が貼られていて、そこで初めて知ったのだった。
F1パシフィックGPのステッカー3枚組
優勝:ミハエル・シューマッハ選手/ベネトンB194/フォードZETEC-R
スタートからトップに立つと、一度も首位を譲らずに優勝。ファステストラップも出して圧巻の走りだった。
シューマッハ選手とミカ・ハッキネン選手
優勝のチェッカーを受けるシューマッハ選手
ヨス・フェルスタッペン選手/ベネトンB194/フォードZETEC-R
1コーナーでスピンしてリタイア
ベネトンブースで配られていたJ.J.レート選手とヨス・フェルスタッペン選手のカード
2位:ゲルハルト・ベルガー選手/フェラーリ412T1
ニコラ・ラリーニ選手/フェラーリ412T1
スタート直後のマルチクラッシュでリタイア。
片山右京選手/タイレル022/ヤマハ
エンジントラブルでリタイア。
スタンドからも白煙を上げてスロー走行するマシンが見えた。
鈴木亜久里選手/ジョーダン194/ハート
エディー・アーバイン選手が3戦出場停止のペナルティを受けたためスポット参戦。
しかしリタイア。
ミカ・ハッキネン選手/マクラーレンMP4/9/プジョー
2番手走行もマシントラブルでリタイア。
デイモン・ヒル選手/ウイリアムズFW16/ルノー
リボルバーでハッキネン選手にしかけるも失敗してスピン。後退した後、トラブルでリタイア。
4位:クリスチャン・フィッティパルディ選手/フットワークFA15/フォードHB
シーズン初入賞にして最高位タイ。
ジョニー・ハーバート選手/ロータス109/無限
長年F1に参戦してきたロータス最後のマシンとなってしまう。
ピエルルイジ・マルティニ選手/ミナルディM194/フォードHB
昨年(2019年)の鈴鹿サウンド・オブ・エンジンでお会いできたマルティニ選手❤
ミケーレ・アルボレート選手/ミナルディM194/フォードHB
オリビエ・パニス選手/リジェJS39/ルノー
カール・ヴェンドリンガー選手/ザウバーC13/メルセデス
2戦後のモナコGPで大クラッシュ。シーズン中復帰できなかった。
翌年にザウバーで復帰したものの精彩を欠いた走りとなりF1引退へ。
5位:ハインツ=ハラルド・フレンツェン選手/ザウバーC13/メルセデス
終了後はやはりバスで大阪まで戻り、新幹線で東京に帰ったのだった。
バスの中でレビン86に乗っていた友人が「86のミッションがもうダメなのでアルテッツァにする」とか、色々話したなぁ。
’94 F1パシフィックGP 初めてのTIサーキット英田 完全バスツアー編
初めて日本でF1が2回開催された。好景気でF1も人気があった(レースが面白かったからね)頃―1994年。
F1パシフィックGPとして新造されたTIサーキット英田で開催。
交通事情を考慮され❝観戦券付き完全バスツアー制度❞になったというのも特異な点だ。
観客は全国各地のバス出発地点で乗車してバスでサーキット入りするのだ。
ドルフィンは大阪の友人と一緒に行くために、大阪・京橋からバスに乗ることにした。
バスツアー代が高くついてしまうので、決勝だけの1日観戦。
静岡から新幹線で大阪まで行き友人と合流。「京橋はええとこだっせ、グランシャトーがおまっせ」のCMで有名な京橋グランシャトーで入浴を済ませて出発に備えたのだった。初のグランシャトー。
夜にバスで大阪を出発。TIサーキットには朝5時頃に到着予定だった。
途中トイレ休憩1回あったが、ワクワク興奮していた事もあって寝付けず❝一睡もできぬまま❞到着してしまった。到着後はまだ寝ている方もいるので降車ドアは開かず、朝6時か7時頃にバスから降りたのだった。
朝食は事前に購入していったと思う。
ここからの雑感写真は8ミリビデオ撮影した動画から抽出したものメインで―。
TIサーキット(現・岡山国際サーキット)にはF1開催された2回しか行ったことが無い。
「TI Circuit AIDA」と花壇で描かれている
バスから降りるとトイレがてらサーキットを散策。指定観戦エリア以外の観戦場所には入れない。トイレや物販・展示エリアにしか行けない。
明るくなるとともに大勢のお客さんが動き出しているのに、トリさんの鳴き声が聞こえてくるのどかな場所。数時間後にはF1が走り出す。
トリさんも鳴くのどかなところ
ベネトンのマシンが描かれたタバコの自販機にビックリ
ベネトンB184が展示
ズラ~リと並んだ仮設トイレ
メインストレートの仮設スタンドは高層!
物販エリアは今まで行ったFISCOや鈴鹿とは違った雰囲気だった。
サーキット常設フードコートでは足りないので、地元のお店が出展していてさながら❝道の駅❞か❝地元のお祭り❞っぽかった。その感じがまた良かった。
今ではみかける「牛串」もここで初めて見た
ワインにパスタもある
観戦する指定エリア「B1」
B1指定エリアは❝F1のスタートをほぼ正面から見られる❞席だったので、ここを選んだ。日本の他のサーキットではほとんど不可能。TIサーキットでも仮設スタンドを組まなければ無理だ。
低速サーキットだからこそできたのだろう。
ストレート上にあるマールボロ看板が邪魔になるので、一番端の一番下を陣取ったのだ。
こんな感じに見ることが出来る
ピットイン&アウトも正面から
ストレートだけでなく、ウイリアムズ・コーナーや遠目だがリボルバーまで見通すことができるのだ。
トランペット奏者、日野皓正さんが生演奏
パシフックGPのテーマソング「パシフィック・ウェイヴ」を演奏していたトランペット奏者の日野皓正さんが来場して生演奏を披露。これは豪華だった。
TIサーキット自体がバブリーな背景の下で誕生したため演出もバブリー。
オープニングセレモニー
次回はレース・スタート編
初めて星野選手にお会いした ’78年富士ロングディスタンスrd.2富士1000㌔
5月のF2・JAF富士グランプリに続いて国内レース観戦2戦目となった1978年富士ロングディスタンスシリーズ第2戦・富士1000㌔。
昔はFISCOだけで耐久シリーズを組んでいた。
本当は一番人気の富士GCシリーズを観たかったが、開催日程のタイミングが合わなかった事もあり、夏休み開催の富士1000㌔に行ったのかもしれない。
トップドライバーも多く参戦し、GCで使用しているマシンや他のカテゴリーマシンも走るところも良かった。
FISCOレースカレンダー 何年分かコレクションしている
普通なら残している観戦チケットが残っていない。
「優勝者当てクイズ」応募に必要だったのかもしれない。
一番見たかったマシンは…
鞍和彦/山崎正雄 組/フェラーリディノ246GT
↑写真の謎 ― 他の方のSNSで、このディノの写真が掲載されていた。てっきりドルフィンが昔掲載した写真かと思っていら、背景に写っている人の位置が微妙に異なっていた。
ということは、その写真を撮られた方はドルフィンの横で写真を撮っていたのかもしれない。
『サーキットの狼』を連載していた少年ジャンプで「ディノがレースに出る」という前情報が掲載されていた。それでディノのレース仕様がどんなものかと見たくなったのだ。
池沢さとしセンセもアライ・ウルフ・サニーで参戦していた。
レースは「0」周リタイア。スタートすらできなかったのかもしれない。
10月の第3戦・富士500マイルレースにも再挑戦。この時は20周リタイアだった。以後はレース参戦していないと思う。もったいないが。
優勝:片山義美/浅井順久 組/ロータリーデサントマーチ
2位:長谷見昌弘/星野一義 組/シビエアルピーヌ
関谷正徳/白鳥哲次 組/静マツ紫電
富士GCで使用していたクローズドコクピットのマシン・紫電を改造していた。
エブロ1/43ミニカー 紫電
小出光夫/新井ひろし 組/にったサバンナRX-3・S
J.スウィーニー/H.アダムチェック組/ポルシェ911RSR
高原敬武/従野孝司 組/伊太利屋マーチ
ル・マン式スタート 初めて見た
#9:猪原 理/佐々木 秀六 組/ロータリーシェブロン
レース中盤に最終コーナー付近で黒煙が上がった。
スタンドで観戦していたドルフィンと友人は猛ダッシュで現場まで走った(これが若さか!)。
#7:松本恵二/藤田直広 組/ダイヤトーンシェブロンが炎上したのだ。
ドライバーは松本選手。無事に脱出してた。
後の’83年WEC JAPANでもそうだが、松本選手の大事故には何度か出くわした。
同級生のお父さんがFISCOの役員をされていて(プログラムにも名前が載っていた)、レース終了間際にその友人と合流。パドックエリアに入れて頂けた。
コース上で行われた表彰式も近くで見させて頂けた。もうワクワクだ。
表彰式
優勝の浅井順久選手と片山義美選手
「優勝者当てクイズ」を的中。
GCでもロータリーが強い時期だったので、片山選手を選んだのだった。
当選者の中から協賛スポンサーが提供してくれた賞品を割り振られ、Tシャツが当たった。
しかし、次戦開催の際にFISCOまで取りに行かなくてはならなかったので、友人に頼んでお父さんに受け取って来て頂いたのだった。
2位の長谷見昌弘選手と星野一義選手
表彰式終了後、友人のお父さんの計らいで、星野一義選手のピットに伺うことが出来た。
さらにスポンサーの方から長谷見選手が着ているのと同じ「CIBIE・elf」のTシャツをプレゼントして頂けた。フリーサイズで子供には大きかったので、数年間保管。大きくなってから着まっくったのだった。残してあるかと思って探したが残っていなかった。
初めてお会いする星野一義選手
この当時には既に「日本一速い男」としてレース界のスーパースターだった。
初めてお会い出来て嬉しくてうれしくて大興奮。
初めて頂いた星野一義選手のサイン
この当時は冷房が効いたモーターホームなど無かったので、星野選手は夏場のレースで火照った体を❝裸でバイクに乗って❞冷やしていた。
友人から「星野選手はレース後、よく裸でバイクに乗っている」と聞いていたので「あ!やってる!!」と瞬時にカメラを向けたのだった。
帰りは友人のお父さんが車で家まで送ってくれた。
車内では子供3人でレースの話題で騒ぎっぱなしだった。
マッチさんもドリキンさんも走る ’91レース・ド・ニッポン筑波 Gr.A JTC2&3 F3
筑波サーキットで開催された1991年レース・ド・ニッポン。Gr.Aツーリングカー・レースとF3がメインだった。
唯一、筑波サーキットで観たレースだ。
サポートレース(マーチかファミリアだったかな?)でおニャン子クラブのメンバーが参戦していたのだが、厳重警戒で姿を見かけることは無かった。
JTC-2
茂木和夫/小幡栄 組/B-ing Kegani-Racing BMW M3 Evo
サザンの野沢秀行さんがオーナー兼監督を務めていた。
B-ingのクレデンシャルケースを頂いて、しばらく使っていた。
川本篤/水野文則 組/タイサンBMW M3 Evo
トーマス・ダニエルソン/ローランド・ラッツェンバーガー組/Auto Tech BMW M3 Evo
福山英朗/一ツ山康 組/一ツ山BMW M3 Evo
池沢さとし/竹内浩典 組/FMR BMW M3 Evo
『サーキットの狼』池沢センセも参戦。ボンネットに『-狼』のイラストが描かれている。
Cherena Racing M3でマッチさん・近藤真彦選手も金石勝智選手と組んで参戦していた。
初・生マッチさん。
マッチさんはF3にもIMPULからシリーズ参戦していた。
JTC-3
小河等/関谷正徳 組/FUJITSU-TENトムス・カローラレビン AE92
小河等選手
’89年には全日本F3000チャンピオンを獲得してノリにノッっていた。
横島久/和田久 組/TRAMPIOカローラレビン AE92
新田守男/鈴木恵一 組/ADVANカローラレビン AE92
中子修/岡田秀樹 組/出光 無限ホンダ・シビック EF9
原貴彦/村松康生 組/PLAYBOYシビック EF9
F3
土屋圭市選手
Gr.AツーリングカーとWエントリー。
「マッチさんの周りには女性が、土屋圭市さんの周りには男が群がる」と言われていた(笑)。
一番可愛いかったキャンギャルのお姉さん❤
当時大学生で一年だけキャンギャルをされたとか…。


































































































































