初めてのGr.A観戦 レース・ド・ニッポン筑波 1991年 JTC1編
前年(1990年)に復活したスカイラインGT-R(R32)は、インパルとハセミモータースポーツの2台でシーズン全勝する大活躍をみせた。
1991年にはGT-Rは6台に増え、トヨタはJTC1クラスから手を引いてJTC3クラスに絞った。フォード・シエラも台数が減ったものの、GT-R効果で人気は上昇した。
’91年レース・ド・ニッポン筑波。Gr.AツーリングカーとF3がメインレース。
筑波サーキットはバイクで行った事はあったが、レースを観るのは初めてだった。Gr.Aツーリングカー・レースも初体験。
8月の夏休み中の開催とあって、サーキットまでの道も細く混んでいたが駐車場もいっぱいだった。
筑波サーキットのテレカ
迫力あるマシンの接戦バトル。「これは人気出るわ」と感じた。
しかし、翌年での終了が決まっていたので「観ておきたい」と思うファンが詰めかけていたのだろう。
優勝:長谷見昌弘/アンデルス・オロフソン組/リーボック・スカイラインGT-R
リーボック・スカイラインの影響で、当時はリーボックのハイカットシューズを履いていた。
2位:高橋健二/土屋圭市 組/タイサン・スカイラインGT-R
市販GT-Rが登場して以来、インプレッションしたりビデオドラマ『首都高速トライアル2』にも登場していた土屋圭市選手がGT-Rでレースするので一番注目していた。
高橋健二選手と土屋圭市選手
R32GT-Rが良く似合う土屋圭市選手
3位:星野一義/鈴木利男 組/カルソニック・スカイラインGT-R
前年、チャンピオンを獲得してゼッケン「1」を付けていた。
星野一義選手
鈴木利男選手
4位:影山正彦/清水和夫 組/AXIAスカイラインGT-R
カラフルなカラーリングで格好良かった。1年だけで終わってしまったのは惜しい。
「ハイレグが凄い」とポーズをとる(実話)影山正彦選手
沖友龍晴/山田英二 組/NISMOザウルスチャンプGT-R
日産ザウルスカップ東西のチャンピオンがドライブ。スパ24時間レース用テスト車両だったらしい。
シーズン中、2戦だけ参戦。
見崎清志/長坂尚樹 組/FETシエラRS500
一時は猛威を振るっていたフォード・シエラも復活したスカイラインGT-Rの前では型落ちマシンになってしまった。
FETもシーズン最終戦からGT-Rを使用することになる。
ミハエル・シューマッハ唯一のF3000は衝撃的 1991年・菅生
ミハエル・シューマッハ選手が唯一参戦した1991年の全日本F3000・菅生戦。
ドルフィンにとってもスポーツランド菅生まで行ったのはこの1回きり。東京に住んでいたが遠かった~。
ミハエル・シューマッハ選手+菅生という思い出深いレースだ。いや、むしろその2点しか覚えていないと言っても過言ではない。
F3000冠スポンサーの日本信販のレースクイーン
ミハエル・シューマッハ選手がF3000に乗ると話題になった一戦。
シューマッハ選手はWSPCでオートポリス、インターF3リーグで富士スピードウェイを走り、来日経験はあったが観に行く機会が無かった。
2位:ミハエル・シューマッハ選手/ラルトRT23/無限
英語翻訳した❝アンチョコ❞を持って行き、ピット裏でシューマッハ選手と少しばかり話をした。「初めてのF3000、初めてのコースはどうか?」とか他愛のない内容だったが、キッチリ対応して下さった。これには「メルセデスのドライバー教育ができているんだろうな」と感じた。
ここまで接点がありながらサインは頂いていない! 写真は女性ファンが求めたものだった。そこで時間切れ。
シューマッハ選手は数戦は全日本F3000に参戦する予定だったので❝次の機会❞に—と余裕だったのだ。
だが❝次の機会❞は無かった…。
F1に行った後もサインを頂く機会は無く、アイルトン・セナ選手同様、至近距離にいながらサインを頂いていない選手となってしまった。
これを猛省し「次がある」とは考えずにチャンスは生かす―という考えになった。
この年の主軸シャシーはローラ91で、ラルトの戦闘力はアップデートパーツを取り付けても到底上位争いはできるものではなかった。
だが、シューマッハ選手はやった。
初めてのマシン、初めてのコースで予選4番手。決勝でも2番手争いに夢中になっていた先行2台を1コーナーで一気に抜くテクニックと駆け引き。「こういうヤツがF1でチャンピオン獲るんだろうな」と感心した。そしてシューマッハが好きになった。
’91年に配られていたサントリーWESTのステッカー。レギュラードライバーのジョニー・ハーバート選手

優勝:ロス・チーバー選手/プロミス・レイナード91D/無限
3位:中谷明彦選手/トステム・ローラT90/無限
服部尚貴選手/PLUSローラT90/無限
片山右京選手/CABINローラT91/DFV
F1ステップアップが確実視されていたが菅生では不発だった。
カウルは独自改良が成されている。今でもサウンド・オブ・エンジン等に登場してくれる。
星野一義選手/CABINローラT91/無限
ヤン・ラマース選手/OMRONダンロップ童夢F102/無限
松本恵二選手/HOYUダンロップ童夢F102/無限
古谷直広選手/ワコール・ダンロップ・ローラT90/無限
関谷正徳選手/レイトンハウス 90B/無限
マーチを買収したレイトンハウスのオリジナルシャシーを使用。
田中実選手/レイトンハウス・ラルトRT23/無限
長谷見昌弘選手/スピードスター・ダンロップ・ローラT91/無限
中子修選手/CherenaローラT91/無限
中嶋企画からエントリー。スポンサーは結婚式場。
トーマス・ダニエルソン選手/アコムエボリューション・ローラT91/無限
キャンギャルの宣材写真
ジェフ・リース選手/伊太利屋 ハヤシ・ローラT91/無限
星野選手/NOVA532で優勝 ’78JAF富士グランプリ 初の国内レース観戦
レース観戦3回目にして初の国内レース観戦(1、2回ともF1だった)となった1978年JAF富士グランプリ。
’77年F1日本GPを一緒に観戦した友人と「今度はF2観に行こう」ということになった。彼は今でも2輪4輪ともに詳しい。
行きは国鉄とバスを使ってFISCOに行った。
帰りはパドックを回っているうちにバスが無くなってしまったので❝ヒッチハイク❞したのだった。地元ナンバーの車を見つけて声をかけてお願いしたのだ。
実はパドックにあるダンロップタイヤの基地で、友人とともに国さんが使ったフロントタイヤを頂戴していた(予選か決勝かは不明)。子供2人とタイヤ2本。
一人で来られていたお兄さんが車に乗せてくれた。タイヤはトランクに。
御殿場駅でも良かったのだが、なんと地元の最寄り駅まで送ってくれた。親切に感謝しかない。
F2の決勝が終わった後に何とかしてパドックに入ろうとしていた時、サポートレースのスタッフの方が帰られていたのでクレデンシャルを頂いたのだった。
パドックで生沢徹選手にお会い出来、パンフレットにサインをして頂いた。
その後、長谷見昌弘選手にサインを頂いたのだが勢い余って生沢選手のサインと重なってしまった「あ! 生沢の上にしちゃった」と言われた長谷見選手が忘れられない。
生沢選手のサインはこの一枚しか持っていない。
サインを頂いているので手元に残してある数少ないプログラムの一冊
日曜日は全7カテゴリーの決勝レースが開催された。
レースとレースの間隔が短くて楽しめた。
写真はF1の時と同様、祖父のコンパクトカメラを借りて36枚撮りフィルム1本のみ。
JAFグランプリ・F2
第6レースとして午後2時スタートだった。
フィニッシュライン付近からマシンを押してコースイン
ポール・ポジション:星野一義選手/PENTAX NOVA532P/BMW
予選2番手:長谷見昌弘選手/トミカシェブロン/BMW
予選3番手:中嶋悟選手/UNI-PEX NOVA532P/BMW
予選4番手:ラリー・パーキンス選手/ラルトRT1/BMW
パーキンス選手はグランプリ招待選手。元F1ドライバー。ポイント獲得には至っていない。’76年inJAPANでも来日。
予選7番手:松本恵二選手/ダイヤトーンシェブロン/BMW
予選8番手:生沢徹選手/シェブロンB40/BMW
F2は全15台と、今見れば寂しい台数だった。
スタンドの上に移動してグリッドを撮影
レースクイーンのお姉さん❤
ドルフィンが初めて撮影したレースクイーン。当時は「レースの記録」として撮影していた。
当時プリントした写真は色褪せてしまっているので、近年になって再プリントしてドライバーの皆様にサインを入れて頂いた写真を掲載。
桑島正美選手/ワールドモーターSPLラルト/BMW
「黒い稲妻」の異名を持ち、カッコ良かった。
レース後に頂いた桑島選手のサイン
高橋国光選手/スピードスターKE008/BMW
中嶋悟選手/UNI-PEX NOVA532P/BMW
長谷見昌弘選手/トミカシェブロン/BMW
優勝:星野一義選手/NOVA532P/BMW
右端に写っている紅白の傘はPENTAXガールのお姉さん達❤ 星野選手を応援していて仲良くなった。恥ずかしくて「写真撮らせてください」と言えなかった…。
ピットに引き上げる時にPENTAX RACINGのワッペンを下さった。
車検場に持っても来られたPENTAX NOVA532P星野車
星野選手にはお会い出来なかったが、優勝マシンを間近で見ることが出来た。
群を抜いてカッコイイF2マシンで大好きだ。
Headway Technology製1/43ミニカー、NOVA532P/BMW
PENTAXのTVCMをポジフィルムっぽく仕上げた栞
UNI-PEX NOVA532P中嶋悟車
ニコ・ニコル選手にプログラムにサインを頂いた
タイヤカラールノー/BMWで全日本F2に参戦していた。
最終レースのFJ/FP決勝をピット裏の土手で見ておられた高橋国光選手を発見。
ダッシュでドライバーズサロンに色紙を買いに行きサインを頂いた。国内ドライバーで初めて頂いたサイン。
当時はまだ国さんでさえ❝ちょっと怖い❞雰囲気を醸し出していた。
アルバムの台紙をくり抜いて保存していたが、ここ数年で何度か写真に撮っていたため劣化が激しくなってしまった。
TS・GTSチャンピオンレースB
改造されたマシン。アニメ『グランプリの鷹』第一話で轟鷹也のデビュー戦はこのクラスではないかと想像している。
TS・GTSチャンピオンレースA
プログラムを見直すと、この組は有名どころが多数参戦していた。
ポール・ポジション#20舘信秀選手 #24和田孝夫選手 #18見崎清志選手 #20都平健二選手
#40は萩原光選手。当時22歳くらい。
FL500レース
JTCC 1996年開幕前富士テスト3月編 ウイングが付くだけでカッコ良くなる
発足3年目となる1996年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)は4月に富士スピードウェイで開幕。2月テストから一か月おいて3月にも合同テストが行われた。
開幕前に同一サーキットで一か月おきにテストを行うとは、当時は各メーカーともJTCC推しだった。
確か’95年から元から付いている以外に一種類だけ空力パーツの装着が許された。年に一種類なので、二年目は二種類目を申請できた。
リアウイングが取り付けられただけでグッとレーシングっぽくカッコ良くなった。
天気が良い日だったが3月の富士は冬並みに寒かった。
星野一義選手/カルソニック・プリメーラ
京商1/64ミニカーとトミカ「星野一義コレクション」
影山正彦選手/ニユシアジェックス・カミノ
本山哲選手/ザナヴィ・サニー
長谷見昌弘選手/HKSオペル・ベクトラ
ミハエル・クルム選手/エッソトーネン・トムス・エクシヴ
2月テストは不参加だったクルム選手も今回は走行。
関谷正徳選手/ゼントDJトムス・エクシヴ
エリック・コマスや田中実選手も走行。
トヨタ勢は多くの台数がテストに参加。JTCCに力を入れていたのが分かる。
光貞秀俊選手/デンソー・エクシヴ
中子修選手/カストロール無限アコード
シーズンは中子選手と服部選手のホンダ勢がチャンピオン争いを展開することになる。
服部尚貴選手/JACCSアコード
黒澤琢弥選手/PIAAアコードVTEC
粕谷俊二選手/シムス・インプレッサワゴン
シムス・レーシングが、TWRボルボも採用したワゴン車を採用。
プライベーターだったので、なかなか熟成できなかった。
中谷明彦選手/オートテックBMW318i
ミニカーラックへの道59 取り出した旧型棚板を改造 マクラーレン&星野コーナーに
ミニカーラックへの道59
ミニカーラックの新しい棚板を入れ、旧型を取り出した。
透明材を支持する横棒を取り付ければすぐに使えると思っていたが、旧型は透明材と本体が平らになるようにしていたので支持棒を取り付けられない。
これは完全にパーツを分解するしかないか? と思ったが、透明材が湾曲しないための支持棒なのだから、左右を接着するだけで行けるのではないか? と❝なるべく簡単❞な方法を考え付いた。
6ミリ四方の断面を持つ棒を木工用ボンドで左右に接着する。
「お? いけるんじゃないか?」と思ったがポロリと落ちてしまうものもあった。
やはり強度不足だった。
こうなればミニカーラックのカバー扉を組み立てる際に使った細い釘を打ち込むしかない。
だがこれが難しい。断面6ミリ四方の棒に2センチ弱の長さの釘をきれいに打ち込む事が出来ない。途中で先端が横に突き出てしまうのだ。
抜くと釘が曲がってしまう。8ヶ所打ち込むのに4本も釘をダメにしてしまった。
これで強度は保てた。
塗装を済ませて透明ペット材を貼り付ける。
ミニカーラックにはめ込むためにダボを購入してきた。
ところが「このくらいの穴のおおきさだろう」と当てずっぽうで買って来たのだが太過ぎた。穴に入らない。雑な性分が出てしまった。
太いので鉛筆を削るようにカッターナイフで細く削って穴に入るようにする手間がかかってしまった。
こうして7枚の棚板ができ、しばらく手を付けていなかったエリアに手を入れることができた。
マクラーレン&小林可夢偉コーナー
星野一義コーナー
ケース入り1/43ミニカーの奥に京商1/64ミニカーを立てて置くので段差を付ける板を貼った。この方法は旧型から
星野コレクションの旧型に初期の一枚板があった。足を取り外してカッターナイフで跡を平らにし、ビス引っかけ用の棒を取り付ける。
ラックの一番上に取り付けるので採光のために透明材を貼らなくてもよいだろうと。
最上段はスバル&三菱をメインにラリーカーコレクション
今回取り出した旧型を改造して棚板を作って入れることにする。
国内メーカーが力を入れていたJTCC 1996年開幕前 富士テスト2月編
国内4メーカーが参戦していた全日本ツーリングカー選手権(JTCC)も3年目を迎えた。
ドルフィンは静岡の実家に引っ越し、尚且つ平日休みになったためレース本番には行けなくなったが、平日に行われる富士スピードウェイのテストには頻繁に行けるようになった。
この頃には勘を頼りに行くのではなく、テスト開催日を調べて行くようになった。
1996年のJTCCは開幕前2月からテストを行っていた。
トヨタ、日産、ホンダ、マツダの国内4メーカーに加え、プライベーターのオペルとBMW、フォードがテストに参加。
メーカーや国内チームの力の入れようが伺える。
星野一義選手/カルソニック・プリメーラ
本山哲選手/ザナヴィ・サニー
長谷見昌弘選手/HKSオペル・ベクトラ
オフシーズンで一番驚いたのが日産ドライバーの長谷見昌弘選手がオペルに乗るという事だった。
木下みつひろ選手/ENDLESSアドバンBMW
和田久選手/コーセイ・チェリオ・フォード・モンデオ
クラッシュして撤収
エリック・コマス選手/デンソー・エクシヴ
元F1ドライバー。’95年から来日してJGTCに参戦。トヨタ・スープラをドライブ。
この年はJTCCにも参戦した。第13戦富士で優勝している。
金石勝智選手/ウエッズスポーツ・エクシヴ
田中実選手/エッソトーネン・トムス・エクシヴ
田中選手がミハエル・クルム車でテスト。
田中哲也選手/DoCoMoエクシヴダンロップ
影山正美選手/ADVANエクシヴ
パルスポーツが運営するアドバンワークス。
長坂尚樹選手/FET SPORTカローラ
本線には谷川達也選手と新田守男選手が乗っていた。
中子修選手/カストロール無限アコード
ホンダは’96年からシビックに替えてアコードを使用するようになった。
テストも厳重体制だった。
寺田陽次郎選手/カストロール・ランティス
マツダは’96年限りでJTCCを撤退する。
フランク・フレオン選手/マツダスピード・ファミリア
今も語り継がれる'85年鈴鹿8耐 ケビン・シュワンツ選手デビュー
ケビン・シュワンツ/グレーム・クロスビー組/ヨシムラスズキGSXR750
もはや伝説の一戦となった1985年鈴鹿8時間耐久オートバイレース。
決勝前の選手紹介は国別。
選手宣誓が控えるTECH21ヤマハの2選手は出てこなかったが、ホンダのワイン・ガードナー選手や、まだ無名だったヨシムラのケビン・シュワンツ選手が登場した。
POP吉村秀雄氏
漫画『ふたり鷹』や『バリバリ伝説』でも描かれたヨシムラの創業者にして神の手を持つ職人・POP吉村氏を初めて生で見た。
POPの写真はこの時のものしか無い。
不二雄氏もバリバリ現場の方だった。
吉村不二雄氏、グレーム・クロスビー選手、POP
ヨシムラが起用したケビン・シュワンツ選手。まだ「誰?」という感じだった。
後年、再び鈴鹿8耐を観に行くきっかけとなるほど好きになる選手とは思いもよらなかった。
まだ名も知られていない❝若手❞だったケビン・シュワンツ選手(左から3人目)
喜多祥介/辻本聡 組/ヨシムラスズキGSXR750
ジェラルド・コードレイ./パトリック・イゴア組/HRCホンダRVF750
ロスマンズカラーは世界耐久選手権に参戦しているチームのみだった。
プロアーム登場!
HRCの1台だけプロアーム車だった。
事前に雑誌でリア片持ちバイクが出る―みたいな記事が掲載されていて「どれがそうだ?」「elfみたいだ、スゲー!」と観ていた。
マイク・ボールドウィン/ドミニク・サロン組/HRCホンダRVF750
全日本HRCペア。
八代俊二/宮城光 組/モリワキZeroX-7
練習走行と予選では常にケニー・ロバーツ選手をマークしていた八代選手。
宮城光選手
ヴェサ・クルタラーティ/竹村浩生 組/童夢DCF1
この時代に早くもカーボンファイバーのセミモノコックフレームを採用。エンジンはホンダRVF750。
ロージャー・マーシャル/ジョイ・ダンロップ/無限ホワイトハウスⅡCBX750
LMR-1(リーマン1)
ヤマハYZF750をベースに前後片持ちサスペンションを持つオリジナルのマシン。elf-eのような❝変わりマシン❞大好きなドルフィンにとっては絶対に写真に収めたかった。
エルブ・モアノー/リカルド・ユービン組/スズキGSXR750
スズキの世界耐久チーム。
ジャン・ピエール・ウダン/パトリック・デ・ラディゲス組/スズキGSXR750
ジョン・ロング/横井猛 組/BMW R80
ジョン・ベトゥンコート/サム・マクドナルド組/ホンダRS750R
夕方になると観戦していたグランドスタンドにも日陰ができ、ようやく付き刺す暑さから解放される。
同時に8耐の終わりも近づいて寂しさも覚える時間帯。
ゴール迫る時間。最終コーナー席にこの人の海!
トップを走るTECH21ヤマハ突然のストップ。HRCガードナー選手の猛追、そして優勝で幕を閉じた。
後々まで語り継がれる大会になった。
恒例の花火と表彰式と多重露光
土曜日の午後には鈴鹿4時間耐久オートバイレースが開催。
夕日を背にチェッカーを受ける
完走した全車がパレードランを終えて帰ってくる。客席からは割れんばかり拍手が贈られる。
昔は8耐決勝前に正式な表彰式が行われた
外出自粛を期にミニカーラックに扉を取り付ける ミニカーラックへの道58
ミニカーラックへの道58
ミニカーラックは元は奥行きの短い本棚2個をベースに作っている。当然❝扉❞は無い。
棚2個は大きく8つのブロックに分かれているので❝扉❞は8つ必要だ。
当初は透明材の上部にプラ製透明の蝶番を取り付け、上部を支点に開く簡単な構造にしていた。
「ミニカーラックへの道」バックナンバーを見ると2011年の9月に枠付きの扉に作り直している(9年ぶりかよ!)。
しかし、それも下4ブロック作ったところで頓挫していた。
外出自粛なのでこれを機に扉も製作しよう! ―と、決めたのである。
扉制作には透明材や枠木の費用や、組み立て時間が❝棚板❞制作以上。今が丁度良いタイミングだ。
先ずは溝付きの枠木を「L」字型に組んで木工用ボンドで接着。
耐久性を持たせるために釘を打ち込んでみたら―
釘穴から割れて来てしまった~!
これはイカン。ボンドだけの固定に留めておく。
―が、塗装しようと家の外に出す際にドアにちょいとばかり引っかけてしまった。
メシッ…。妙な音が聞こえて来た。
グラグラする「L」字部分。やはり木工用ボンドだけでは弱かった。
改めて一番直径の短い細い釘を仕入れて来た。
釘を打ち込んで固定を強固にする。
釘も錆びないように塗装。
ここからが一番難しいところ。
「L」字に組んだ枠木の1ミリちょいの溝に透明ペット材を差し込むのだ。これがなかなか上手く差し込めない。
組み込みのフィット感を確認した後、溝に木工用ボンドを流し込み透明ペット材を組み入れる。
「L」字の2辺が乾いたら、もう一方の「L」字を組み合わせる。
仮り組みしてみると「L」字同士がくっつかない!
サイズを測って透明材をカットしたのに大きなズレが生じてしまっているぅぅッ!
これがドルフィン不器用なところ。
こんなにもズレている
透明材をカットして微調整する。
―が、最終的にどこを微調整したらいいのか分からなくなってしまい、組んでみると枠にズレが出てしまった。
もうこれでOKにしよう。
長方形枠の3点を合わせると、最後にズレが生じてしまった
枠が出来上がったら蝶番でラックの枠に取り付ける。
ラックが空の状態―最初の状態で取り付けるなら楽なのだが、継ぎ足し継ぎ足しで作っているので上手く取り付けられない。仕方ないのだが…。
扉をピッチリ閉じるためにマジックテープを使用。原始的だが有効。
最後に透明ペット材の表面保護シートを取り外す。
9年ぶりに扉が一面分完成
せっかく扉作りのコツを思い出したので、このまま残り3面も制作してしまおう!
43回の歴史の中で記憶に残るNo1 '85年鈴鹿8耐 ケニー&平TECH21 VS ガードナー
鈴鹿8時間耐久オートバイレース、43回の歴史の中で❝記憶に残る❞レースNo1は1985年大会だろう。
終始3ワークスのバトルが展開され、劇的な幕切れとなった2019年・43回大会も素晴らしかった。
しかし、インパクトという点では’85年は強大なものがあった。自分が観戦に行っていたからだろうか?
引退していたWGPチャンピオンのケニーロバーツ氏が選手復帰。日本一速い男・平忠彦選手と組む。
ドルフィンが2輪レースを観始めるようになった時には既に引退していたケニー氏。「走りが観られるチャンス!」と期待が大きかった。
前年に引き続き神奈川に住んでいた友人と金曜日から観戦。
初の8耐観戦となった前年は名古屋を拠点に❝日帰り❞する計画だったが、この年は前年の経験から❝現地泊❞の装備を携えての観戦にした。
交通は電車なので、寝袋と着替え食料は遊園地内のコインロッカーに預けた。
ディスカウントストアで安く購入したカップ麺に遊園地のスナックコーナーの自販機でお湯をもらって夕食。
サーキットゲート前のコンクリートに寝袋を敷いて寝ていた。
日中、どうしても暑くなってたまらない時だけ冷えたコカコーラのBIGボトルを購入していた。
プールに行って汗を流していた。
当時はフィルム撮影だったので❝撮りまくる❞ことなどできず一発必中。確実に撮影したいのでシャッター速度は早めだ。
一番マシンが近くを走るヘアピンで主に撮影していた。
今ならデジタルで撮りまくれていたのにな。
決勝はグランドスタンドでの観戦なのでレース展開を観て、写真はあまり撮らないつもりでいた。
逆バンクでの金曜日夜間走行
グランドスタンドはスタンド券を購入すれば全て自由席。選手紹介や表彰式を近くで見られる中央一番下段と日陰になる一番上を確保したかった。
スタンドに入る方法は中央と左横。オープンと同時に友人と手分けして2つの入り口から入場した。足に自信があるドルフィンは左横の入り口へと走った。
後日放送されたTV番組で入場の模様が写されていて、中央口から入って来てゆっくり歓談を降りてゆく友人が写されていたのだ! TV放送時、友人の下宿では湧いたそうだ。
KISS」のお姉さん❤
前年のTV放送で注目を浴びたKISSの水着を着て販売していたお姉さん。その注目の高さから’85年には多くのキャンギャルが登場する事になった。
’85年大会の主役!
ポール・ポジションを獲得したTECH21ヤマハのケニーロバーツ選手が選手宣誓
ポールポジションからスタートでエンジンがかからず、ほぼ最後尾スタート。
全車ごぼう抜きでトップに立つなんて、漫画だったら❝やり過ぎ❞演出になるところだ。
優勝まで30分のところでストップしてリタイアになったので一層インパクトが強く、記憶に残るのだろう。
ケニー・ロバーツ選手/TECH21ヤマハ/YZF750
金曜日のフリー走行からロバーツ選手の走りを凝視していた。
速い速い。2年も現役を退いていたとは思えない。全日本チャンピオンでありマシン開発してきた平選手さえ及ばないタイム。
現役時代はどれほど速かったのかとゾクゾクする。
遊園地でケニー・ロバーツ選手と遭遇
めっちゃカッコエエやん!
予選後、ホテルまで歩いて帰る(昔はみんなそうだった)ロバーツ選手と遭遇。
サインを所望したがノーリアクション完無視されてしまった。それでも「BIGな選手だから仕方ないか…」と思ったのだった。
ケニー氏に初めてサインを頂けるのは27年後の鈴鹿サーキット50Thアニバサリー・デーだった↓
ネガが退色してしまっていた
ピットのロバーツ選手と平選手
平忠彦選手/TECH21ヤマハ/YZF750
全日本チャンピオン平選手も憧れのライダー。まさにドリームチームだった。
平選手は8耐用カラーリングのヘルメットだった。
2019南海ライダーズミートで初めて頂いた平選手のサイン
ケニー氏から7年で更に退色が進んでしまった。
ライダー交代
こちらも伝説のTECH21のお姉さん❤
ワイン・ガードナー選手/HRC/ホンダRVF750
徳野政樹選手と組んで参戦。
全日本でも走っていた事もあり日本での人気も高かった。’85年にはセミワークスながらWGP500ccに参戦していた。
最終ダブル・スティントを強行してTECH21ヤマハを追いかけた鬼神の走りは凄まじかった。その気迫が優勝を引き込んだのだろう。
ラスト30分でトップを走る平選手がストップ!
てっきりレースを面白くするための演出だと思っていた。しばらくしたら走り出すだろうと…。
なんという劇的な結末。
優勝:HRC/ワインガードナー/徳野政樹 組
2位:HRC/マイク・ボールドウィン/ドミニク・サロン組
3位:ヨシムラスズキ/ケビン・シュワンツ/グレーム・クロスビー組
ワイン・ガードナー選手は8耐初優勝。ここから「ミスター・8耐」と呼ばれる「8耐4勝」の歴史が始まるのだった。
だが、その道のりは決して順調ではなく「プールに行っている間にガードナー選手がいなくなっていた」事もあった。
―それはまた別の機会に。

































































































































































































