スペンサーが来た! '85日本グランプリオートバイレース 練習編
1985年の日本グランプリオートバイレースにWGPライダーのフレディ・スペンサー選手と、ワイン・ガードナー選手がスポット参戦すると聞き、練習走行を見に行く事にした。
当時の資料が手元に無く、ネットでも探しきれなかったため誤った事を書いていたら正確な情報を教えて下さい。
本番は「グランプリ」タイトルがかかるので、通常レース料金よりも高額になってしまう。❝安くあげる❞ために練習走行を見に行ったのだった。
行ったのは木曜日だったのか金曜日だったのか覚えていない。
住んでいた名古屋市から愛車・ホンダXL250Sに乗り、名四国道をひた走って鈴鹿サーキットへ。
フレディ・スペンサー選手/ロスマンズ・ホンダNSR500
同年にロードレース世界選手権史上唯一人の500cc&250ccクラスWチャンピオンを獲得。
定かではないが、日本グランプリの開催が9月だったので、WGPシーズン中だったのかもしれない。
初めてWGPチャンピオンの走りを観ることができ、気持ちが高揚した。「これがフレディ・スペンサー選手なのか」と。
この日は写真を撮ることに集中してパドックには行っていなかったようだ(写真が残っていないので)。まだ❝正当な❞観戦方法をとっていた(笑)。
日本グランプリ決勝は体調不良(?)で走行キャンセルしたので、練習走行を観られてラッキーだった。
ワイン・ガードナー選手/ロスマンズ・ホンダNSR500
鈴鹿8耐や全日本も走っていたガードナー選手。それまでスポット参戦していたものの、この年からWGP500ccクラスにUKホンダからフル参戦。
「日本で走っていたガードナー選手がWGPライダーになった」と、応援する気持ちが大きかった。
翌年からワークスチームでの参戦となる。
ロスマンズ・ホンダRVF750
ガードナー選手は全日本500ccクラスとTT-F1クラスへのダブルエントリー。
鈴鹿8耐でも使用したロスマンズカラーのRVF750をライディング。
ガードナー選手に初めてお会いするのはまだまだ先のこと。
2輪を引退し、1996年の全日本GT選手権にサード・スープラGTで参戦。
富士戦のピットウォークで初めてお会い出来た。
この日のピットウォークはガードナー選手に会えることをとても楽しみにしていた。
初めて頂いたワイン・ガードナー選手のサイン
ロードレースはまだ鈴鹿8耐しか観たことが無く、この練習走行日が全日本ロードレースの走行を初めて観たのだった。
全日本500ccクラス
平忠彦選手/ヤマハYZR500
当時は不動の強さと人気を誇っていた平選手。全日本においてはドルフィンの中でもNo1選手だ。
昨年の南海・ライダーズミート2019鈴鹿で、初めて平氏にお会い出来てこの写真にサインを入れて頂いくことができた
木下恵司選手/ホンダNS500
ホンダのエースとして平選手と優勝争いを展開。
2014年頃に鈴鹿のレジェンドレースに参加されたようだが、ドルフィンは現役時代以降、お会いする機会が全くない。
水谷勝選手/ウォルターウルフ・スズキRG-γ500
ウルフγは最高にカッコ良かった。
体制的に劣りながらもヤマハやホンダに挑んでトップ争いをするアグレッシブな姿勢も好きだった。
2012年の鈴鹿50周年ファン感謝デーの際に、この写真にサインを入れて頂いた。
全日本TT-F1クラス
八代俊二選手/モリワキZERO X-7
鈴鹿8耐観戦の際にお会い出来て位から応援してきた八代選手。
翌年にはWGP500ccクラスにモリワキから参戦した。
昨年のサウンド・オブ・エンジンの際に、この写真にサインを入れて頂いた。
宮城光選手/モリワキZERO X-7
スーパーノービスと言われたTT-F3からF1に昇格。若者から絶大な人気を誇っていた。
2017年の鈴鹿ファン感謝デーでこの写真にサインを入れて頂いた。
写真を見て「これは嬉しいなぁ。ご自分で撮られたんですか?」と言いつつドルフィンの顔をのぞき込む宮城氏。「結構歳とってます(笑)」とドルフィン。
辻元聡選手/ヨシムラ・スズキGSX-R750
TT-F1昇格年にチャンピオンを獲得。ノリに乗っていた。
やはり鈴鹿50周年ファン感謝デーの際に、この写真にサインを入れて頂いた。写真を見て「いい時代だったねぇ」と辻本選手。
次期F1ドライバー続々 ラルト・ホンダが来た1983年 鈴鹿F2 JAF GP練習日
1983年の全日本F2選手権JAF GPを翌週に控えた頃、鈴鹿サーキットにF2練習走行を見に行った。
入園チケット これに日付入りスタンプを押してくれた
当時は「公開テスト」等のような情報は無く「レース前の週末だから、走っているんじゃない?」と勘で出かけていた。
友人のホンダCB400の後ろにタンデムさせてもらって名古屋から鈴鹿へ。
サポートレースの「スポーツカーレース」のために童夢RC-83も来ていた!
EWC富士ではタイヤバーストによる大クラッシュを起こしたが修復された。
大好きなスカイライン・スーパーシルエットも!
後期・鉄仮面の走行を現役時代に見たのはこの時が最初で最後。思いがけず好きなマシンを観ることができてテンションMAX。
その次はサウンド・オブ・エンジンまで30年もの時間がかかった。
スーパーシルエットはスカイラインのみだった。
長谷見昌弘選手に頂いたサイン
当ブログで何度も書いているが、当時のレーシングドライバーは皆❝怖いオーラ❞を発していた。中でも長谷見選手はめっちゃ怖い雰囲気でなかなか近寄れなかった。
勇気を出してサインをお願いすると快くして下さったのでホッとするのだ。
今でも長谷見選手はチョット怖い(笑)。
ジェフ・リース選手のJPSマーチ832/ホンダ
リース選手はポイントリーダーで最終戦を迎える。
JAF GPでは映画『F2グランプリ』の走行シーンが撮影されることになっていた。
走行シーンに使用されるスポンサーロゴが少し変えられたマシンも用意されていた。
アドバン・マーチ822
鈴鹿に行った本来の目的は—
欧F2を連戦連勝したラルト/ホンダ、JAF GP参戦のための練習走行!
F2最強エンジンとなったホンダとF1のレギュラーシートを狙う二人の外国人ドライバーを見たかった。
ラルトとホンダのワークス体制でも当時はこんな感じ
F1開催されていなかった当時の日本では、JAF GPでヨーロッパからのスポット参戦は世界の力を観る唯一の機会だった。
友人と一緒にサックウェル選手と記念撮影させて頂いた 感激~
サックウェル選手のサイン
マイク・サックウェル選手/カシオ・ラルトRH6/ホンダ
ジョナサン・パーマー選手/カシオ・ラルトRH6/ホンダ
パーマー選手にはお会いできなかった。
ほぼマーチのマシンで占められた全日本F2にあって、ラルトのマシンは新鮮だった。
ステファン・ヨハンソン選手/フットワークレーシングメイトマーチ832/BMW
欧F2でスピリット/ホンダをドライブ。ホンダのF1復帰プロジェクトでもスピリット201/ホンダをドライブしてきたヨハンソン選手。
この年はワークス仕様のマーチ832でJAF GPに参戦。ワークス仕様は当時アルミ製だったシャシーにカーボンが使用されていた。
星野一義選手/LARKマーチ832
中嶋悟選手/EPSONマーチ832/ホンダ
萩原光選手/アコム・オートバックス・マーチ822
カッコイイお兄さんさった萩原選手。
レイトンハウスがF1チームを持った際は、萩原選手も一緒に行っていたことだろう。レイトンF1はカペリ選手、萩原選手のコンビだったに違いない。
中子修選手/スピードスター・マーチ832
後に-4度のJTCチャンピオン、JTCCチャンピオンを獲得。
鈴木利男選手/ixi:zマーチ822
後に-1993年にはF1に2戦スポット参戦、’95年には全日本F3000最後のチャンピオンとなる利男選手もまだ型落ちマシンで参戦していた若手だった。
小河等選手/ボルク・マーチ822/トヨタ
後に-1989年に全日本F3000チャンピオンに輝く小河選手。当時は型落ちマシンに非力なトヨタエンジンを搭載して参戦していた。生粋のトヨタ・ドライバー。
高橋健二選手/アドバン・マーチ832
清水正智選手/トライデント・マーチ832と浅井順久選手/オスカー・マウラーMM83
清水選手は毎年、マーチの新車第一号を輸入していた。
モーター誌でコラムを連載していたこともあり人気だった。
ジェントルマン・ドライバーの先駆け清水正智選手のサイン
和田孝夫選手/三益建設マーチ822のサイン
ベッペ・ガビアーニ選手
1979年の開幕戦・BIG2&4レースにスポット参戦し、いきなり優勝。
’83年の最終戦JAF-GPで、130Rで大クラッシュしたのはガビアーニ選手じゃなかったかな?
1983年 鈴鹿F2 グレート20 映画『F2グランプリ』にも使われた
F2・鈴鹿グレート20レーサーズレースを観戦に、神奈川から友人がやってきた。
最終戦JAF GPは「GPタイトル」がかけられ通常より5周多いため、観戦料金も高くなる。それならば「グレート20」で―ということになった。
「グレート20」と謳いつつも出走台数は20台を満たしていない。
土曜日の晩、友人を下宿に泊め、日曜日の朝はいつものように近鉄準急で白子へ。
ドルフィンが行楽会で初めて鈴鹿に来た時の感激を、今度は友人が感じている。
この流れは翌年から鈴鹿8耐観戦へと続いてゆくのだった。
友人が初めての鈴鹿ということで、レース展開が把握できるグランドスタンドで観戦することにした。
この年、海老沢泰久氏の小説『F2グランプリ』が映画化されることが決定していた。小説は既に読んでいた。
本は長年手元に置いていたが大阪引っ越しの際に手放してしまったかな…?
『F2グランプリ』試写会で頂いたステッカー
翌年春頃に友人と雑誌編集部に遊びに伺った際『F2グランプリ』の試写会チケットを頂いた。ステッカーは今でも保管している。
ジェフ・リース選手/JPSマーチ832/ホンダ
中嶋悟選手/EPSONマーチ832/ホンダ
高橋徹選手/UNI-PEXマーチ832/ワークスBMW
高橋徹選手の姿を、走りを見たのはこの日が最後になってしまった。
ストレートで二台が並ぶトップ争い
激しいトップ争いに大興奮。このシーンは映画『F2グランプリ』でも使用された。
本物のバトルは映画でも迫力があった。
開幕戦以来、ようやく勝てた中嶋選手は嬉しさを爆発
優勝:中嶋悟選手、2位:星野一義選手、3位:高橋健二選手
観戦したレース全てで2位になっていた星野選手。
3位は終盤に高橋国光選手をかわした健二選手が入り、計算上チャンピオン獲得の可能性を残した。
GP広場には翌週に開催を控えたWEC JAPAN富士をPRするアドバン・ポルシェ956が展示
初めて見る最強Gr.Cカーのポルシェ956。「いよいよ来週、世界選手権を観ることできる!」と、期待に胸が高鳴った。
「早く走る所を観たいなぁ」とぐるり見ていると、アドバン・ポルシェのドライバー、高橋国光選手と高橋健二選手が様子を見にやってこられた!
もうビックリ! サインを頂く色紙が無かったので写真だけ撮らせて頂いた。
レースで3位に入った健二選手はレース後記者会見等があったのだろう、レーシングスーツのまま。
いやぁ~、テンション高まります!
翌週、世界耐久選手権WEC JAPAN観戦のため、土曜日に名古屋から鈍行で小田原まで行き、そこから小田急線で友人の下宿に。
土曜日の晩から車で出発し、初めて❝泊まり❞でレース観戦に行ったのだった。
それはまた別の機会に-。
カスタムカーとお姉さん お姉さん達はマスク無しで頑張ってました 大阪オートメッセ
かつてはメーカー出展のある「モーターショー」は清楚系のお姉さんが多く、カスタムカーが主流の「オートサロン」は露出が多く派手なお姉さんが多かったが、近年はでその境が無くなってしまったようだ。
大阪オートメッセのカスタムカーとお姉さんたち。
新型コロナウィルスが騒がれ始めていた頃の開催だったので、メーカーの説明担当者や受付お姉さんはマスクをされていた。しかし、写真を撮られてナンボのキャンギャルのお姉さん達はマスクをしていては商売にならない。マスク無しで平気で写真を撮りに来るお客さん相手でも笑顔でいなくてはならない。恐怖を内に秘めて仕事をするお姉さん達の覚悟たるや。
JPSロータスをイメージした軽トラ。
このカラーリングは琴線に触れる。メッチャカッコイイ!
2台そろえて展示していたが、どうせならゼッケン「5」と「6」だと良かったな。
S耐参戦のハセプロ
共にアパレル系の懐かしいカラーリングのスクーター
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日本で観られる唯一にして最高峰のフォーミュラ 鈴鹿F2 1983年
1977年のF1日本GPが終わってから日本で世界選手権が開催されない年が続いた。日本GPでの事故や暴走族問題等によってモータースポーツ逆風に晒されていた。
日本で観られる唯一無二の最高峰レースはF2だった。
1979年に長谷見昌弘選手が四冠を獲得したように、F2レースは「全日本F2」と「鈴鹿F2」の2つタイトルがかけられていた。
鈴鹿では開幕戦「2&4」「JPSトロフィー」「ゴールデントロフィー」「グレート20」「JAF GP」と、年5戦も開催されていたので、独自タイトルもできたのだろう。
鈴鹿戦は全日本戦の内にも含まれていた。
名古屋市に引っ越したのを機に、初めて鈴鹿サーキットにF2レースを観に行ったのが1983年の「JPSトロフィー・レース」だった。
グランドスタンドは全席自由で500円
近鉄名古屋から白子駅まで❝普通❞に乗ってしまった。
❝国鉄圏❞に住んでいたので❝普通❞以外は別料金がかかるものと思っていたからだ。小遣い少ない身であるので特急料金は大きい。
のんびり普通列車に乗りながら景色を見つつ白子までの行程。その後、名古屋の友人に私鉄の料金体系を教えてもらったのだった。
余談だが、初めての名鉄でも列車時刻の「つぎ」と「こんど」の違いにも混乱をきたした。
覚えていないが駅からはバスだったと思う。
サーキットで頂いたJPSのステッカー
鈴鹿サーキットへは行楽会で2回ほど行っていたので(当ブログで「何も無い日にサーキットに行ってみる」を参照)、園内地理は分かっていた。
相当朝早く出発していたのだろう、朝のF2フリー走行には間に合っていた。朝のうちはまだ路面はウエットだった。
F2の開催セレモニーがあり、冠スポンサーのJPSのお偉いさんのコメントがあったり、コースレコードでポールポジションを獲得した高橋徹選手が選手宣誓を行った(後に「たった一度のポールポジション」のタイトルにもなる)。
派手なセレモニーもあって、さすが鈴鹿サーキットは凄いなぁ-と圧倒された。
F2観戦は1978年の富士以来2度目。
マシンはほぼ全車がマーチ社製。最新型がマーチ832。前年型822を使用しているチームもある。
エンジンはBMW。i&iレーシングのジェフ・リース選手と原田レーシングwithナカジマの中嶋悟選手がホンダを搭載し、この2人がレースを引っ張っていた。
久しぶりに生でF2を観たインパクトとシリーズで都合3戦+練習を観に行ったこともあり、マーチ832はNOVA532と並んで好きなF2マシンだ。
ジェフ・リース選手/JPSスピリット201/ホンダ
F1を経験し、ホンダが欧F2でレース復帰した際、ラルト/ホンダのドライバーとしてチャンピオンを獲得。
そんなドライバーが日本に活動の場を移してフル参戦。
JPSカラーのマーチ832を最後にドライブしたのはリース選手だが、現在では「中嶋悟車」として保存されている。
中嶋悟選手/エプソン・マーチ832/ホンダ
最終コーナーで接触してフロントカウルを飛ばしていた。
優勝:松本恵二選手/LM Sportsマーチ832/BMW
同年のWEC JAPANの時に初めて頂いた松本恵二選手のサイン
思い返せばあの大クラッシュした後か…。
当時はまだ色紙にサインを頂いていた
2位:星野一義選手、3位:高橋徹選手
星野選手はラスト5周で徹選手をオーバーテイクして2番手浮上したのだった。
行きの電車の中から見た景色は脳裏に刻まれているのだが、帰りはどうしたのかさっぱり思い出せない。
2度目の観戦は7月のゴールデントロフィー・レース。
JPSトロフィーはスタンドで観戦したので、次はコーナーで観たいと、初めてヘアピンに行ってみた。
当時はスタンド裏でイベントなど行われず、ただただレースを観戦するのみだった。
コーナーに赴くとピットでの作業やセレモニーを観ることができないので、プログラムを見て時間を潰していた。
現像・プリント代がかかるフィルム撮影だったため雑感は撮っていない。
ヘアピンはマシンを一番近くで観られるので、210mmズームしか持っていなかったトドルフィンにとっては最も撮影しやすい場所。
後々8耐やF1でも必ずヘアピンで撮影していた。
星野一義選手/LARKマーチ832/BMW
高橋徹選手/LARKマーチ832/ワークスBMW
高橋徹選手をキッチリ撮れた唯一の写真
言わずと知れた伝説のヒーロー。F1チームから声をかけられてステップアップする-という当時の正当なF1行きをしてくれると期待していた。
ワルっぽさとシャイな感じを併せ持つマスクにも惹かれる。
一度もお会いする機会が無かった事が悔やまれる。
ジェフ・リース選手/JPSスピリット201/ホンダ
JAF GP前練習日に初めて頂いたジェフ・リース選手のサイン
リース選手は来日初年度にしてシリーズチャンピオンを獲得。
中嶋悟選手/エプソン・マーチ832/ホンダ
エジェ・エルグ選手/RACING MATEマーチ832/BMW
この年から全日本にやってきて、数年日本で走った。
新車を仕上げるのが上手かったのか、シリーズ序盤の成績が良かった記憶がある。
名前を外国語発音を日本語表記にする際、雑誌とサーキット表記が異なっていたが、ドルフィンは覚えやすいサーキット表記で通している。
JAF GP前練習日に初めて頂いたエジェ・エルグ選手のサイン
サーキットでの食事はどうしていたのだろう? おにぎりくらいは自分で作って持って行ったかもしれない。
タコヤキは安かったので食べていた。今は高くなっちゃったな。
水分も当時はまだペットドリンクは珍しかったから、カップ入りを買っていたのかも。
サーキットでの食事で記憶に残るのは、翌年に初めて鈴鹿8耐観戦に行ってから。
優勝:ジェフ・リース選手、2位:星野一義選手、3位:高橋健二選手
先週発売 F1マシンコレクション83号 サウンド・オブ・エンジンで走ったペンスキーPC4
新型コロナ対策によるスーパー耐久鈴鹿戦が秋に延期。押し出された形で今年のサウンド・オブ・エンジンが中止になってしまった!
1年のモーターイベントでトップにあるのが鈴鹿8耐とサウンド・オブ・エンジン。そのうちの一つが中止になり、8耐も開催が危ぶまれている。楽しみが無くなってしまう。
昨年のサウンド・オブ・エンジンはゲストは豪華だったが、マシン的にはタイレルP34が無ければ国内にあるマシンだけだった。もしかしたら来年以降も無くなってしまうのではないかと危機感を覚える。
先週発売になったF1マシンコレクション83号は、サウンド・オブ・エンジンでも走ったペンスキーPC4/フォードだ。
購入方法を変えたので、手元に届くのが一週遅れなってしまう。
ペンスキーPC4は、ジョン・ワトソン選手が1976年のオーストリアGPで優勝。
同年のF1inJAPANにも出走しているものの観た記憶が無い。
通常なら購入を控えてしまうところだったが、2017年と18年のサウンド・オブ・エンジンにやってきて走行を披露してくれた。しかもワトソン選手が優勝したマシンそのものだ。
このマシンを買わないという選択肢は無いやろぉ~。
コクピットサイドから始まるNACAダクトと、続くエンジンカバーの膨らみがとても美しいスタイル。
村上もとか氏の『赤いペガサス』最終14巻に収録されている読み切り『F1サーカス』の主人公、ジョン・ミツイのマシン、ファイアーアロウはペンスキーPC4をモデルに描いているのではないかと推測している。
1/43ミニカーは現代F1のように複雑なスタイルではない代わりに作り込みが細かいように見受けられる。
サイドポンツーン上部にある薄いエアインテークには墨入れしてあるし、後部上方の排気スリットも造形されている。
サイドスカートも底面を見るとスカート部分だけが下に伸びている―スカート部だけボディに着色して区分けしている訳ではないのだ。
来年のサウンド・オブ・エンジンには再び「マスターズ・ヒストリックF1」を誘致してもらいたい。
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D1マシンとお姉さん 大阪オートメッセ
大阪オートメッセでは選手こそ来場していないが、D1GPのマシンも展示されていた。
TOYOタイヤ
Team TOYO TIRES DRIFT GR Supra/川畑真人選手
川畑選手、来場して欲しかった。
VALINO N-style SILVIA/高木美紀選手
D1ライツに参戦する女性ドライバー、高木美紀選手。お会いしたいものだ。
CRYSTAL HE 極 SILVIA/中村直樹選手
鈴鹿クラブマンレース参戦車
GO&FUNのお姉さん
モータースポーツもスポンサードしているエナジードリンク。試飲サービスを行っていた。
初めて目にしてから数年経つが初めて飲んだ。
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'96ITC鈴鹿 F1予備軍だったヤン・マグ選手 メルセデス勢 写真で振り返る
ITC/DTMは元F1ドライバーはもちろん、F1のシートを狙うヤングタイガーも参戦しているところも魅力だった。
'96ITC鈴鹿にもヤン・マグヌッセン選手やダリル・フランキッティ選手といった若手有望株も走った。
ヤン・マグヌッセン選手/AMGメルセデスCクラス
’95年F1パシフィックGPでのスポット参戦がF1デビュー。
日本で走りを観た選手がF1レギュラーシートを得られると嬉しい。
’97年からスチュワートGPでF1フル参戦した時は活躍を期待した。ーのだが…。
’97F1日本GPでのヤン・マグヌッセン選手
ITC鈴鹿プログラム
メルセデス勢をサポートしていたブリヂストンのお姉さん
アルファとオペルはミシュラン。
キャンギャルがとても少ないレースで、鈴鹿レースクイーンとBSしかお姉さんがいなかった。
アレクサンダー・グラウ選手/AMGメルセデスCクラス
グラフィックが見事なボンネット
現在では当たり前になっているグラフィックを施したシートでラッピングする技術を既に使用していた。
ボンネットがめくれ上がってエンジンが見えているようなグラフィック。当時は「描いているのだろうか?」と不思議だった。
エレン・ロール選手/AMGメルセデスCクラス
ITC/DTMで唯一の女性ドライバー。
モナコF2で2位に入ったこともある。
現在だったらITC消滅後は日本で走ったかも。
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中止になったので— 2011年鈴鹿モタスポファン感謝デー 頑張ろう日本
新型コロナ終息のため、今年の鈴鹿モータースポーツファン感謝デーは中止になった。
元々警戒して行こうかどうしようかと悩んでいたので、中止になった方が気持ち的にスッキリする。週末天気の心配もしなくていい。ーのだが、やっぱり…。
21世紀に入ってから初めて鈴鹿ファン感謝デーに行ったのは、確か2010年が最初だった。まだイベントではなく、スーパーGTの開幕前テストがメインだった(当時は鈴鹿開幕)。
まだ電車で鈴鹿通いをしていた。
当日はひどい雨だったが撮影していると、家から先代にゃんこ危篤の知らせが入り、早々に帰宅したのを覚えている。
翌、2011年のファン感はフォーミュラ・ニッポン、スーパーGT、ロードレース、D1等の催しが企画されていた。
―が、東日本大震災が起こり、その翌日だった。
まだ被害の状況が伝わっておらず、呑気にも出かけて行ったのだった。
震災に配慮してマシン走行は無く、ピットに並べられるだけだった。
既に鈴鹿入りをしていた2輪、4輪の選手が出てきてサイン会を行ってくれた。
入場するとNSXが3台お出迎え
オフィシャルカーはCR-Z
その頃はまだ1年に1回、鈴鹿1000㌔に行くくらいだったので、選手に会う機会が無かったので「(昔から)知っている選手が全然いない!」と驚愕した。
中嶋一貴選手とペトロナス・トムスSC430とFN09
F1挑戦を終え、1年の休息を経て全日本に復帰することになった中嶋一貴選手
にも初めてお会いしした。
当時の選手の写真を見ると、皆若い!(当然だが) 山本直貴選手は変わらないなぁ。
チャンピオンマシン、ホンダHSV-010
旧NSXと新NSXの狭間を埋めたプロトタイプ。ミニカー持ってます!
初めて間近で見ることができた。写真より実車の方が断然格好良かった。
最近、このマシン見ないなぁ。イベントで走らせて欲しいな。
日産はKONDO RACING GT-Rのみ
ロードレースを再び観戦に行くようになったのはケビン・シュワンツ選手の8耐復帰がきっかけ。
まだこの当時は全日本ロードレースについてほとんど知識が無かった。
YSP Racing Team with TRCヤマハYZF R-1
MuSASHi RT HARC-PROホンダCBR1000RR
YOSHIMURA SUZUKI Racing TeamスズキGSX-R1000
8耐優勝した加賀山就臣選手
さすがにヨシムラで8耐優勝を遂げた選手は知っていた。
TeamKAGAYAMA GSX-R1000
TeamGreen カワサキZX-10R
EVA RT TEST TYPE-01 TRICKSTAR FRTR カワサキZX-10R
モリワキMD600
ピットビルのラウンジにもF1や色々なマシンが展示されていた。
1/1スケール トミカF1
この時も「頑張ろう日本」だったが、今もまた「頑張ろう日本」だ。















































































































































