TLヴィンテージ NEO カルソニック スカイライン R32 GT-R No.12 全日本ツーリングカー選手権 Gr.A 1993
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左からヨッヘン・マス選手、ジャッキー・イクス選手、デレック・ベル選手、ステファン・ベロフ選手、藤田直廣選手、バーン・シュパン選手
トムス83Cのタイヤバーストに起因するクラッシュにより赤旗終了となった’83年世界戦WEC JAPAN。
予想通りワークス・ポルシェ956の独走1-2フィニッシュ。3位に日本チームのトラスト・ポルシェ956が食い込んだ。
チェッカー後にスタンド前に帰って来た表彰3台
表彰台は雑誌の写真でしか見たことが無い大会を代表する元Fドライバーや耐久王ばかり。
戦い終わった選手たちを間近で目にすることができて大興奮だった。
表彰台に上がる優勝したデレック・ベル選手とステファン・ベロフ選手
友人とともにTV放送に映っていた(笑)
優勝したステファン・ベロフ選手とデレック・ベル選手 手前の後頭部はジャッキー・イクス選手
ステファン・ベロフ選手のサイン
ジャッキー・イクス選手に真っ先にサインを頂きに行ったのだが、ノーリアクションの完全無視でスルーされてしまった。
2位のヨッヘン・マス選手
ヨッヘン・マス選手のサイン
色紙にサインを頂いてドライバーの写真と一緒に保存している。
’77年のF1日本GPの際にサインを頂くものが無くて、知らないおじさんからノートを頂いたという経験があったので、ちゃんと色紙を何枚か用意して持って行っていたようだ。
3位のバーン・シュパン選手
バーン・シュパン選手のサイン
刺激的で記憶に残るレース観戦だった。
帰りは御殿場駅まで友人に送ってもらい、そこから国鉄で実家に帰り一泊してから名古屋へ戻ったのだった。
長かった日本のF1空白期。1982年から開催された世界耐久選手権WEC JAPAN。
ポルシェVSランチアが展開された開催初年は観戦に行けなかったが、第2回大会には観戦に行く事ができた。ようやく、5年ぶりに世界戦が観に行ける興奮でいっぱいだった。
ワークスに加え、2年目からプライベーターにもマシンが販売されてポルシェ956の参加台数が格段に増えた。
大会のステッカー
ポルシェとは別に見たいマシンがあった。
スカイライン・ターボCだ。
日産スカイラインRSが好きだったので、スーパーシルエットに続いてGr.C化したマシンを観て写真に収めておきたかった。WEC JAPANは日本で走る数少ない機会だ。
長谷見昌弘/都平健二 組/ニッサン・スカイライン・ターボC
Gr.Cカーでありながらフロントエンジン。好きなスカイラインRSの三本グリル❝顔❞を維持していた。
炎を噴き上げて走る様はカッコ良かった。第一コーナー進入で観る醍醐味だ。
’83年の全日本耐久選手権にも参戦したが全戦リタイアに終わる。
それでも―それでも好きなマシンは好きだ。
星野一義/萩原光 組/ニッサン・シルビア・ターボCニチラ
エイドリアン・ニューウェイ氏がデザインしたマーチ製シャシーに日産LZ20B型エンジンを搭載。
当時の日産は資金とエンジン供給までだったので、3チームともに違うシャシーを使用していた。
日本勢最上位で予選突破。
星野選手から萩原選手へのドライバー交代
柳田春人/和田孝夫 組/ニッサン・フェアレディZ Cコカ・コーラ
ガレージルマンが制作したシャシーに日産エンジンを搭載。
給油規定違反で失格になってしまった。
新しくなった現在は分からないが、昔のFISCOは1コーナーの土手席とグランドスタンドの間に1コーナー内側に行けるトンネル通路があった。
土手席をベース基地にして1コーナー内側にも写真を撮りに行った。何せ6時間近くあるレースなのだから。
寺田陽次朗/従野孝司 組/マツダ717C
C2クラスでル・マン24時間や国内耐久戦に参戦。まだ2ローターエンジンだった。
ティフ・ニーデル/エジェ・エルグ組/オートバックス童夢RC83フォード
童夢が開発したGr.CシャシーにフォードDFLエンジンを搭載。
リアタイヤを隠すフルカウリングのデザインになっている。
松本恵二/星野薫/関谷正徳 組/トヨタ・トムス83C
童夢のシャシーにトヨタ4T-Gエンジンを搭載。
決勝中に2度フロントカウルを破損。同型の童夢からカウルを借りてレース続行
ゴール間際になると出入り自由になっていたグランドスタンドに行き、チェッカーが振られるシーンを観ることにした。
突然バ~ン‼ と破裂音が聞こえた。瞬間的にカメラを向けてシャッターを切った。
モータードライブを付けていないので、手動でフィルムを巻き上げての連続シャッター。
トムス83Cのリアタイヤがバースト
コントロールを失ったマシンはコースとピットレーンを隔てるガードレースに激突
マシンは真っ二つに折れて後部がコクピットに落ちて来た
「ドライバー死んだ!」と思った。
すぐにドライバーの松本恵二選手が飛び出してきた。無事でホッとした。
この事故でレースは赤旗終了となった。
トムス83Cのカウル破片
40センチくらいの大きさ。
次回、表彰台編
F1GPが開催されなくなってから5年。1982年に遂に4輪の世界選手権が日本で再び開催された。世界耐久選手権WEC JAPAN。
ポルシェvsランチアの戦いだった。
残念ながら初開催は観に行けなかった。神奈川に住む友人が観戦に行って写真とプログラムを送ってくれた。
1年後の1983年WEC JAPAN。待望の世界選手権観戦となった。F1をはじめとする世界戦を渇望していたので「ようやく世界の走り、世界のマシンを観ることができる!」という思いだった。長かった6年…。
当時、名古屋に住んでいたので授業が終わってから国鉄の鈍行で6時間半かけて小田原へ。実家の最寄り駅も通り過ぎた。そこから小田急線で友人の待つ秦野駅まで。
夜に友人の友人の車に3人乗車で出発。
Pit-FM78のステッカー
夜の9時か10時頃にFISCO到着。初めてのサーキットで一泊。
時間的に開いているブースはほとんど無かったが、マツダが開けて展示車両を見せてくれていた。
「ル・マン24時間の夜はこの何百倍か凄いのだろうな」と思いながらも興奮に満ちていた。
夜食にグランドスタンド裏で営業していた店舗で焼きそばを購入。グランドスタンドに座ってピットや御殿場の夜景を見ながら食べた。
色は濃いのに全然味がしない焼きそばだった。おかげで「味の足しに」と嫌いだった紅ショウガを食べられるようになった(笑)。
夜に見たマツダブースのRX-7 254 ル・マン参戦車
車の中で3人寝た。
明るくなるとすぐに目が覚めた。決勝日の朝だ。季節柄もう寒い。
トイレで洗面を済ませてブース巡り。
ロスマンズポルシェ956が展示されていて感激。
ポルシェ956自体は一週間前の鈴鹿グレート20レース観戦の時にアドバンポルシェが展示されているのを見ていた。
王者のカラー、ロスマンズはカッコイイ!
予定されていたF1ドライバー、ミケーレ・アルボレート/テオ・ファビ組とリカルド・パトレーゼ/ピエルカルロ・ギンザーニ組のマルティニ・ランチア2台は不参加。前年のような対決が観られないのは残念だった。
グランドスタンドは別料金がかかるので、1コーナー脇の土手席を観戦場所に決めた。
コース脇は人でいっぱいだった。
ローリング&スタート
Gr.Cは速い! 「え? もう1周して来たの!?」という感じだった。
それもそのはず予選でステファン・ベロフ選手が出したポールタイムはコースレコードで1分10秒02だった。
春のGCで星野一義選手が’77年F1日本GPで出したマリオ・アンドレッティ選手の1分12秒23を塗り替えた1分12秒12を記録したが、さらに2秒も速い!
10秒台突入はロスマンズの2台のみ。
スタートからワークス・ロスマンズ・ポルシェの2台がぶっちぎり。
元F1ドライバー3人と期待の若手で編成されたワークスチーム。WECの❝顔❞だ。
ロスマンズ・ポルシェのステッカー B2サイズくらいの大判
ジャッキー・イクス/ヨッヘン・マス組/ロスマンズ・ポルシェ956
ミスター・ルマンと呼ばれるル・マン6勝のイクス選手(F1も経験)と元F1ドライバーのマス選手のスターコンビ。
デュレック・ベル/ステファン・ベロフ組/ロスマンズ・ポルシェ956
ル・マン3勝にして元F1ドライバー、ベル選手とF2ドライバーにしてポルシェ・ワークス期待の若手ベロフ選手のコンビ。
アンリ・ペスカロロ/ティエリー・ブーツェン組/松田コレクションWINNNG RUNポルシェ956
ル・マン24時間3連覇したペスカロロ選手とF1デビューしたてのブーツェン選手のコンビ。
モータースポーツ(2輪4輪)ドキュメント映画『WINNNG RUN』がスポンサー。
映画ステッカーとエブロ1/43ミニカー
サウンド・オブ・エンジンの時にこのミニカーにもティエリー・ブーツェン氏のサインを頂けば良かった~っ!
藤田直廣/バーン・シュパン組/トラスト・ポルシェ956
国内耐久レースを連勝していたトラスト・ポルシェ。
F2&GCドライバーの藤田選手と同年ル・マン24時間覇者シュパン選手のコンビ。
高橋健二/C.シッケンタンツ組/アドバン・ポルシェ956
B・ウォレック/H・ヘイヤー/V.・メルル組/NEWMANポルシェ956
ピットアウトしてきたNEWMANとトヨタ・ミサキスピードCが接触
ピットレーンを示す黄/黒のコーンが飛んでいる。
ミサキスピードCは1コーナーでスピン
ステファン・ヨハンソン/フィリップ・アリオー組/伊太利屋ポルシェ956
当時スピリット/ホンダでF1参戦を果たしたヨハンソン選手とまだF2ドライバーだったアリオー選手。
伊太利屋カラーも綺麗で格好良かった。
P.ヘン/高橋国光/J.ポールJr.組/アルファ・ポルシェ956
1984年の全日本F2選手権第6戦富士。
金曜日の練習走行を友人と観に行き、1日おいて決勝レースも彼と観戦に出かけた。
直前の練習走行を観ているので感じがつかめていたので一層楽しむことができた。
金曜日にコーナーに行って写真を撮ったので、決勝はグランドスタンドから展開を楽しむことにした。
長谷見昌弘選手/佐川急便スピードスター・マーチ842/BMW
スピードスターホイールのステッカー
舘善泰選手/スピードスターホイール・マーチ842/BMW
松本恵二選手/LM SPORTS マーチ842/BMW
昨年(2019年)のサウンド・オブ・エンジンに登場したゼッケン「8」のマーチ842。
富士戦とはかなりカラーが違うが、当時のカラーのままなのだろうか?
コースイン
昔はピットから直接ピットロードに出る事はできず、パドック側からコントロールタワー横まで行ってコースインしていた。
レースクイーンのお姉さん❤
RRC富士F2チャンピオンズレース ・スタート
前年の鈴鹿グレート20レースでジェフ・リース選手と中嶋悟選手が見せたようなサイドバイサイドの争いがステファン・ヨハンソン選手と中嶋悟選手が展開。
優勝:ステファン・ヨハンソン選手
優勝したヨハンソン選手。後ろに立つのは当時TVのF2ピットリポーターだった…
優勝:S・ヨハンソン選手、2位:中嶋悟選手、3位:エジェ・エルグ選手
サポートレースはこの年から始まりGCのサポートレースでもあるJSSジャパン・スーパースポーツ・セダン。
土屋圭市選手/グレーサー・ジャパンオート・ソアラ
富士フレッシュマンレースで名を挙げた土屋圭市選手がJSSにステップアップ&デビューした時のマシン。13位フィニッシュ。
一緒に観戦に行った友人が富士フレッシュマンでの土屋圭市選手の活躍を知っていて「あのソアラ写真に撮っておくといいよ」と教えてくれた。そのため土屋選手JSSデビュー車の写真が残っている。
後にTV『モーターランド』のリポーターや雑誌で活躍して人気を博してゆくのだった。
JSSスタート
全日本ツーリングカー選手権(JTC)は大人気の最中・1993年に終了を迎えることになった。国際的にGr.Aツーリングカーが終了したためだ。
人気を博したのはひとえにスカイラインGT-Rの参戦によるところが大きい。
しかし、JTC-2クラス、3クラスのバトルも見応えがあった。
当時は東京に住んでいたのでJTCを観戦するなら筑波か富士が近いのだが「一人で行っても寂しいし…」ということもあり、大阪の友人の誘いで鈴鹿スーパーツーリングカー500㌔に観戦に出かけた。季節も初夏で観戦しやすかった。
帰りは新幹線を使ったが、行きはどのような交通手段をとったのか覚えていない。
夜行バスはF1の時にしか使っていなかったと思うので、金曜日に仕事終わってから新幹線で移動したか、土曜日の朝一番に出発していたのかも。
JTC-2
適応車種が淘汰されてBMW M3スポーツ・エボリューション 一車種だけの戦いになっていた。JTC-1もスカイラインGT-Rだけになっていたが…。
東京の友人はBMW M3に憧れて後にM3Evoを入手するほどだった。
JTC-2優勝:アンドリュー・ギルバート・スコット/中谷明彦 組/Auto Tech M3
水野文則/茂木和男 組/タイサン・アドバンM3
Gr.Aホモロゲ用の大きなリアウイング等のエアロがカッコイイ。
木下隆之/一ツ山康 組/BP一ツ山M3
川本篤/アンソニー・レイド 組/Asahi Kiko M3
ケヴィン・ウォン/チャールズ・ウォン 組/綜合警備M3
綜合警備は2台体制で参戦。
JTC-3
トヨタ・カローラとホンダ・シビックの対決になっていた。
一番身近な車をベースにしているものの、規定内の改造も熟成し市販車とは恐ろしいまでにかけ離れたマシンとなってしまっている。
JTC-3優勝:服部尚貴/金石勝智 組/JACCSシビックEG6
歴代シビックの中でEG6型が一番好きだ。
フォーミュラでもイケイケの2人がコンビを組んでいた。
当時放送されていたJACCSカードのCMソングを友人と二人して口ずさんで観戦していたなぁ。
#36 ピエール・アンリ・ラファネル/関谷正徳 組/トヨタ・チームトムス・カローラレビン101
#37 星野薫/田中哲也 組/トヨタ・チームトムス・カローラレビン101
『イニシャルD』の藤原豆腐店86のエンジンはGr.Aカローラのものを搭載したという設定だったと思う。
清水和夫/村松康生 組/PLAYBOYシビックEG6
ミカ・サロ/西垣内正義 組/5ZIGENカローラレビンAE101
接触でテールを破損
駒光武/ジェームズ・ケイ組/RACING PROJECT BANDOH AE101
浅野武夫/萩原誠 組/ウエッズスポーツ・カローラレビンAE101
面白かった鈴鹿戦。
そしてGr.A最終戦のINTER TECも観戦に行くのだった。
トミカリニテッド「JTC グループA スカイライン伝説」。
全日本ツーリングカー選手権(JTC)最終年の1993年シーズンに優勝した6チームのR32スカイラインGT-Rを集めたパッケージになっている。
ベースはトミカのR32スカイラインなので❝ナンバープレート❞が付いていたりするが、カラーリングが完全再現されている優れモノだ。
ホイールまで合わせている。
ミニカーは「小さくて精密なもの」を良しとしているので、これは素晴らしかった。
2004年に東京駅地下にあったトミカショップで発見したが、価格も定価でそこそこしたので迷った挙句に購入した。
ミニカーコレクションが少なかった頃はミニカーラックに飾っていたが、現在は元のパッケージに戻して飾っている。
2008年頃まで大阪・難波の地下にあったトミカショップで定価で販売されているのを見た。
カルソニック・スカイラインGT-R
チーム国光 STPタイサンGT-R
NISMO共石スカイライン
BPトランピオGT-R
ユニシアジェックススカイライン
HKSスカイラインGT-R
1985年から始まった全日本ツーリングカー選手権(JTC)。市販車ベースGr.A規定のマシンを駆使したセミ耐久のレース。
純粋レーシングカーのGr.Cマシンを使うWECジャパンやJSPCが一足先に始まっていたので全く興味惹かれなかった。
しかもマシンがGr.A。WRCで使われていたGr.Bに比べたらGr.Aなどほとんど市販車。
開始から数年は多種多様な車両が使用されていたが次第に淘汰されていった。
転機はやはりR32スカイラインGT-Rの登場だ。
とにかくマシンがカッコイイ! 速い! TVで見ていても走りの迫力が違う。
R32GT-Rの登場で人気も上昇した。
人気のレースになりながらもFIA規定が変更するに伴ってGr.Aは終了することになってしまった。
1993年は最終年ということで鈴鹿スーパーツーリングカー500Kmの観戦に出かけた。
当時は東京に住んでいたが、大阪の友人が誘ってくれたのだった。
土曜日は朝のうちは雨だったが次第に晴れた。初夏の開催でとても気持ちが良い季節だったと記憶に残っている。
Gr.Aレースは’91年の筑波レース・ド・ニッポン以来2度目。
「新旧ドリフトコンビ」として結成されたチーム国光のファンだった。
コーナーを歩き回って写真撮影した。確実に写真が撮りたかったので、結構早いシャッター速度で撮っている。
ハイテンションの2日間で楽しかった思い出しかない。
優勝:ユニシアジェックススカイライン/長谷見昌弘/福山英朗 組
白/オレンジは一緒だが、前年のジェックスからユニシアジェックスと社名変更になった。JGTCまで続く長谷見モータースポーツのカラーリング。
’93年は鈴鹿戦で優勝。
長谷見昌弘選手
2位:チーム国光・タイサンSTP GT-R/高橋国光/土屋圭市選手 組
第3戦オートポリスで優勝。
土屋圭市選手が敬愛する高橋国光選手と組んで「新旧ドリフトコンビ」として誕生したチーム国光。
好きな両選手が組んだチームなので大ファンになってしまった。サイサン・アドバンの黒/赤カラーもカッコイイ(2輪のヨシムラもカラーリング好き)。チー国応援は現在に至る。
縁石に乗り上げて片側のタイヤが浮く
またこういう迫力ある走りを観たいな。スーパーGTだとマシンを痛めてしまうからできない。
3位:カルソニックGT-R/星野一義/影山正彦 組
開幕戦・美祢で優勝。その後もTI、十勝、仙台ハイランドとシーズン4勝をあげる。
迫力ある縁石乗り上げの走りはGr.Aの魅力のひとつ
綺麗にコーナーリングするだけでなく、レースには荒々しさも必要だ。それがGr.AスカイラインGT-Rにはあった。
決勝でのドライバー交代
HKSスカイラインGT-R/羽根幸浩/萩原修 組
HKSのカラーリングはカッコ良かった。ライトもグリーンで特別感があった。
他チームのエンジンは日産がメンテナンス&チューニングを行っていたが、HKSとFETは独自チューニングを行っていた。さすがHKSはパーツメーカーだ(地元企業!)。
鈴鹿戦の前、第3戦・菅生で優勝を遂げている。
BPトランピオGT-R/トム・クリステンセン/横島久 組
ハロッズ・マクラーレン同様、レモンイエロー地にグリーンのロゴは綺麗で映える。
Gr.Aの一番最後のレースとなった最終戦INTER TECで優勝。
NISMO共石スカイライン/鈴木利男/飯田章 組
ベテランの域に達した鈴木利男選手と、N1からステップアップしてきた❝若手❞飯田章選手のコンビ。
飯田選手は富士フレッシュマンレースから這い上がって来た❝ハコ系❞ドライバーだったので応援していた。後にチーム国光の一員としてル・マン24時間レース・クラス優勝に貢献。国際F3000にもフル参戦した。
日興共石イメージガールの相沢かおりさん♡ モデルさんとしても有名だった
FETクラフトGT-R/見崎清志/長坂尚樹 選手
HKSとともにエンジンは自社メンテナンス。
唯一のシーズン未勝利チームになってしまった。最高は最終戦での2位表彰台。
この頃はまだグランドスタンド前で表彰を行っていた。
表彰式
応援していたチーム国光が2位表彰台を獲得できて嬉しかった
1984年の夏休みに富士スピードウェイで開催された全日本F2第6戦。
静岡に帰省中だったため、同じく帰省中だった地元の友人と共に金曜日の練習走行から観に行くことにした。
後にトレノ86を所有する友人だったが、この時は家の車を借りて下道使ってFISCOまでドライブした。
あの頃は夜になってから突然「FISCOまでドライブに行こう」と走りに行って、途中でガソリン無くなりそうになって引き返し、下りをニュートラルで走ってガススタンドまで持たせたりしたな(笑)。
その友人は今でもドルフィンよりレースに詳しい。
その友人とは中坊の頃から❝レースの無い日❞にもFISCOに行っていたので、レース開催前の練習走行を観に行くのは自然な流れだった。
金曜日はFISCO入場料と駐車場代だけで済む。
1994年は4人もの外国人選手が全日本F2に参戦。国際色豊かになっていた。
しかもF1経験ドライバーが2人もいるのだから!
左からジェフ・リース選手、ティフ・ニーデル選手、エジェ・エルグ選手、ステファン・ヨハンソン選手
ステファン・ヨハンソン選手/ADVANマーチ842/HONDA
スピリット/ホンダでF1デビューを飾ったヨハンソン選手だが、ホンダがウイリアムズと組んだために'84年はF1浪人。NOVAの招きで全日本F2にフル参戦する事になった。
シーズン中盤からF1もかけもちで参戦できるようになった。
ステファン・ヨハンソン選手のサイン
ティフ・ニーデル選手/John Player Special・ラルトRH6/84/ホンダ
チームイクザワはJohn Player Specialが引き続きスポンサード。ホンダもエンジン供給。
リース選手が抜け、ニーデル選手を招き入れたもののシーズンを通して苦戦した。
ティフ・ニーデル選手のサイン
当時はまだ色紙にサインを頂いていた。
’85年あたりからサイン帳に切り替えたようだ。
ジェフ・リース選手/アドバンPIAAマーチ/BMW
前年の全日本F2チャンピオン。
PIAAはリース選手を継続してスポンサードしたが、ホンダエンジンを失い低迷。シーズン最上位は4位に留まった。
星野一義選手/LARKマーチ842/BMW
ゼッケン「1」を前年チャンプのリース選手ではなく、星野選手が付けるに至った経緯は覚えていない。が、星野選手の「1」は自然に受け入れてしまう。
前年型マーチ832よりフロントがシャープになった842だが、ドルフィンは832の方がカッコ良く見えるし好きだ。
842になってサイドポンツーンの縦側にスカートっぽい処理部分が無くなって直線にストンと落ちるデザインになっているのもイマイチ。
鈴木利男選手/マルティニ・マーチ842/BMW
ヨーロッパのレースでスポンサードしてきたマルティーニが日本のF2でもスポンサード。幾多のレーシングカーの写真で見て来たカラーリングはカッコイイ。
若くてハンサムだった利男選手とマルティーニはバツグンの組み合わせだった。
金曜日は走行時間が長かったので車をピット裏駐車場に停め、最初はピット裏から。そして近いヘアピン。最後に帰りがてらGC最終戦の事故を受けて新設された最終コーナーのシケインに行って写真を撮った。
舘善泰選手/スピードスターホイール・マーチ842/BMW
全日本F3からステップアップしてきた新進の選手だった。
萩原光選手/ウォルター・ウルフ・レーシング832/BMW
ウォルター・ウルフカラーも実に格好良い。
サイドポンツーン下部のスカート状のところがカッコイイ。
元愛車のホンダSM-Xに付けていたチーム国光のエアロもこんな感じだったので気に入っていた。
小河等選手/ボルク・マーチ832/BMW
この年はトヨタエンジンではなくBMWを使用していたようだ。
中嶋悟選手/EPSONマーチ842/ホンダ
古巣のヒーローズレーシングに移籍。
ヨハンソン選手とチャンピオン争いを繰り広げ、最終戦でチャンピオンを獲得した。
高橋国光選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
ゼッケン「24」「25」は前年同様、W高橋。
高橋健二選手/ADVAN・PIAAマーチ/BMW
練習走行を観て「これは絶対に決勝を観に行こう!」という事になった。
流石に3日間行くのは資金的にも親の目にも良くないので、土曜日は休息。
1989年全日本ロードレース第13戦・鈴鹿インターナショナル 250ccクラス。
男女3人ずつ車2台で大阪から観戦に出かけた。どのような経緯でそのメンバーで鈴鹿に行くことになったのか覚えていない。
シケイン席で観戦していたが、250ccの間は本間選手を近くで写真に撮りたかったのと、彼女と2人っきりになりたかったので彼女を連れてヘアピンに向かったのだった。懐かしいなぁ~。
本間選手を応援するきっかけになったのが’86年富士スーパースプリント観戦で、そんな話も歩きながらしたな。
序盤は岡田選手、本間選手、田口選手がトップ争い
250ccクラスは参加台数が多く、バトルも多かったので人気のあるレースだった。
本間選手が岡田選手を攻略してトップに。その後は独走状態に
※手元にプログラム等資料が残っていないので、選手名とマシンが分からないところがあります。
優勝:本間利彦選手/UCCクリーンフィールド・ヤマハYZR250
観戦に行った富士スーパースプリント’86でプライベーターながら優勝。翌年からヤマハワークス入りを果たした。
’88年に250ccチャンピオンを獲得。
ワークスライダーとなった本間選手を観たのはこれが最初で最後。未だにお会いした事は無い。
最近、YouTubeチャンネルを始めたらしい。
2位:岡田忠之選手/CABINホンダNSR250
この年から三年連続250ccチャンピオンを獲得。WGP参戦することになる。
WGP最高峰クラス日本人最多勝利するレジェンドとなる。
昨年の鈴鹿サンデーロードレースで初めてお会い出来た。
3位:田口益充選手/味の素TERRAホンダNSR250
ロードレースをイメージしたTERRAの缶しばらく持っていたな。
宇田川勉選手/CABINホンダNSR250
小林大選手/味の素TERRAホンダNSR250
ロードレースでは珍しいキャメルカラー
アーティスト・日比野克彦さんがデザインしたカラーリング。このカラーで8耐にも参戦
1989年全日本ロードレース第6戦・鈴鹿インターナショナル。
当時、短い間だが付き合っていた彼女を含め男3人女3人で大阪から観戦に行ったなぁ~と、思い出に浸るレース。車2台で出かけた。
ドルフィン以外のメンバーは初めての鈴鹿だったので、コーナーバトルが見られるシケインで観戦。
自分ばかりが撮影に夢中にってしまわないように注意していた。シケイン席からでは被写体が小さくしか撮影できなかった。
優勝:ジョン・コシンスキー選手/ヤマハYZR500
オープニングから独走態勢を築いて優勝した。
AMAで活躍し、WGP250ccクラスにスポット参戦していた。
この年の鈴鹿8耐には平忠彦選手と組んでTECH21ヤマハYZF750で参戦。
注目が大きかった選手だが、突然名前を聞かなくなってしまった。
2位:藤原儀彦選手/ラッキーストライク・ヤマハYZR500
2年連続全日本チャンピオンを獲得していた当時の全日本最速ライダー。’89年も王座に就き、3年連続と記録を伸ばした。
ヤマハ「3彦」の一人・平忠彦選手、本間利彦選手、そして藤原儀彦選手だった。
藤原選手に初めてお会いできるのは26年後の2015年の鈴鹿8耐テストだった。
藤原選手を先頭とした2番手争いは激しいレースだった。
3位:宮城光選手/味の素TERAホンダNSR500
4位:辻本聡選手/シックアドバンテージ・スズキRGV-γ500
TT-F1から500ccにステップアップ。
初めて辻本選手に初めてお会いできたのは22年後の2011年鈴鹿ファン感謝デーだった。
5位:八代俊二選手/PENTAXホンダNSR500
WGP500ccクラスに参戦していた八代選手。この年から全日本復帰。
6位:伊藤真一選手/SEEDホンダNSR500
前年は500ccクラス初年にしてランキング2位を獲得した新星。
今でもそうだが、イケメンでカッコ良かった。
伊藤選手に初めてお会いできたのは24年後の2013年鈴鹿8耐テストだった(こればっか(笑))。
樋渡治選手/シックアドバンテージ・スズキRGV-γ500
木下恵司選手/ハワイナニロアホテル&阪神ホンダRS500
元HRCの木下選手はプライベーターで参戦。
平忠彦選手/TECH21ヤマハYZR500
当時はWGP500ccクラスへのスポット参戦とマシン開発がメインとなっていた。
鈴鹿戦はスポット参戦。
好きな平選手を全日本トップカテゴリーで見られるのは嬉しい。しかも予選2番手。
平選手に初めてお会い出来たのは30年後‼ 昨年の南海ミートin鈴鹿まで待たなくてはならなかった。