CLUB24-にいよんー -132ページ目

マンちゃんのサービスに男気を感じた’88F1日本GP ウイリアムズ/リジェ

 2回目の鈴鹿開催となった1988年F1日本GP

 前年は住んでいた名古屋市と鈴鹿を日々愛車・ホンダMVX250で往復していた。しかし、この年から大阪に引っ越ししたため、初めて自動車・日産ラングレーGTで出かけて金曜日~日曜日観戦することにした。

 鈴鹿サーキット駐車場は木曜日の晩から混んでいたので、手前の青少年センターに3日間入れることにした。

 夜の時間も自由に使えるので(いや、時間が余ってしまうので)ボウリング場近辺をウロついてドライバー探しをしたりした。それが楽しかったりする。

 今では多くの方が押し寄せるようになったので、宿泊エリアは立ち入り禁止になっているようだが。

 

ナイジェル・マンセル選手/ウイリアムズFW12/ジャッドCV

 金曜日の夜にボウリング場に行くと、なな、なんとマンセル選手がおられるではないか~ッ!

 ドルフィン含めて3~4人で恐る恐るサインをお願いすると快諾してくださった。

 ロータスやウイリアムズ/ホンダのドライバーとしてチャンピオン争いをしてきた選手にお会い出来てサインを頂けるなんて嬉しかった。

 驚きはそれだけではない。噂が噂を呼び、次から次へとファンが集まって来た。周辺を一回りしてきても、まだボウリング場に駆けて向かう人が絶えなかった。

 「まさか?」と思ってのぞいて見ると、途切れることが無いファンにずっとサインし続けているマンセル選手がいた~ッ!!

 マンセル選手のファンサービスの凄まじさ。男気を感じた。どうやって終了したのだろうか?

 実は、この年だけではない。翌年も同じような状態になっていた

 当時のドルフィンは「昨年もらったからいいや」と遠慮してしまったのだった。

 

ナイジェル・マンセル選手のサイン

 決勝では前年のチームメイトだったロータスのネルソン・ピケ選手と接触しリタイアに終わってしまった。残念だ。

 このマンセル選手の男気に感動して好きになった。後年のセナ選手vsマンセル選手の戦いではもちろんマンセル選手を応援していた。

 

6位:リカルド・パトレーゼ選手/ウイリアムズFW12/ジャッドCV

 後年、日本で「最強のNo2ドライバー」と呼ばれるようになるが、それはパトレーゼ選手に失礼だと常々思っていた。F1デビュー時からイケイケガンガン系ドライバーだったので「セカンド・ドライバー」だと思った事は無い。

 1977年のFISCO開催のF1日本GPを走り、漫画『赤いペガサス』にも登場したパトレーゼ選手。偉大な憧れのドライバーだ。

 決勝後、パドックトンネルを通りグランドスタンド裏に現れた時にサインをお願いしたら、手を出して「No」と断られてしまった。

 それでも無視してスルーされるより、きちんと断る所が紳士だった。サインするのが鬱陶しくて常にスマホをかけながら歩いている現役某日本人ドライバーは見習ってほしい。

 

ルネ・アルヌー選手/リジェJS31/ジャッドCV

 鈴鹿でF1が開催される前からルノーやフェラーリに在籍、モーター雑誌で優勝する活躍を見て来た。

 フランスチームにフランス人ドライバーというのは聞こえが良いが、低迷するリジェでしかシートを得られなかったのは悔しかっただろう。

決勝後、ホテルに帰るアルヌー選手にサインを頂くことが出来た

 

17位:ステファン・ヨハンソン選手/リジェJS31/ジャッドCV

 スピリット/ホンダを走り、全日本F2にも参戦。WEC富士も走り日本に縁があるヨハンソン選手。

 フェラーリ、マクラーレンに在籍後にリジェは、アルヌー選手同様に❝没落❞の印を押されたようで残念に思った。

 

ベルガー選手を乗せて帰るヨハンソン選手

 

 

フジテレビF1グリッドガールのお姉さん♥

 

ガブリエル・タルクィーニ選手/コローニFC188/フォードDFZ

 F1では弱小チームを7年にの間、渡り歩いた。

 F1後のツーリングカー時代にチャンピオンを獲得するなど活躍し、長らくホンダ・アコードやシビックを駆っていた。

 ’96年のITC鈴鹿でタルクィーニ選手のアルファ155のサイドスカートを頂戴できた。

 初めてお会いする事が出来たのは2014年WTCC日本ラウンドでだった。

 

 

13位:ピエルルイジ・マルティニ選手/ミナルディM188/フォードDFZ

 ’88年にF1初入賞。キャリアのほとんどがミナルディだった。

 昨年2019年のサウンド・オブ・エンジンにはコレクションのタイレルP34を走らせてくれた。

 ものすごく気さくで陽気な方だった。

 

’19年のサウンド・オブ・エンジンでM188の写真に頂いたサイン

 

 

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暴れるアパレル系 ベネトン & レイトン ’88年F1日本GPスタート

 ’88年F1日本GPはアパレル系チームのベネトンレイトンハウス・マーチが大暴れした。

 F1をはじめとするレース界は酒とタバコのお金によって動いて来た。今思うとめっちゃ不健康なイメージだ。そこに割って入ったのが衣料メーカーのベネトンと衣料を前面に出した土地屋のレイトンハウス。

 レイトンは別にしてベネトンのような❝服屋❞が巨額マネーを広告に使うとは考えられなかったのでとても新鮮だった。みんなレイトンハウスやベネトンを着て観戦に来ていた。

 現在ではエナジードリンクに取って代わられている。

 

 ’95年頃から全日本戦でスポンサードを開始していたレイトンハウスは爆発的な人気を得た。

 皆レイトンを着ていたので、反発心もあってドルフィンはF1のカラーリングに魅かれたベネトンを着るようになった。チームも応援していた。

 

 ちなみに’90年に社員旅行で香港に行った際、グリーン地に白抜きロゴで「bossini(ボッシーニ)」(同じフォント使用)というアパレルがあって、ベネトンのご当地デザイン物を探していたのでとても紛らわしかった。ベネトンの「ばったもん」だと思っていた。

 現在でもボッシーニは生き残って展開している。

 

5位:アレッサンドロ・ナニーニ選手/ベネトンB188/フォードDFR

 ミナルディからベネトンに移籍してF1初ポイントを獲得。3位表彰台にも上がり頭角を現した。

 まだこの年までは「好きなベネトン・チームのドライバー」くらいだった。

 大ファンになったのは翌年の日本GPでお会いした際、親切な対応をして下さってからだ。それはまた別の機会に。

 

レース後のナニーニ選手

 モデルのようにカッコイイルックスだった。あまりに格好良くて「本当にドライバー? モデルさんと見間違えてない?」と躊躇し(ドルフィンは人の顔の見分けが苦手)、急ぎ足だったこともありサインを頂くチャンスを逃してしまった。

 着ているのは当時販売されていたベネトンのジャケット。

 

3位ティエリー・ブーツェン選手/ベネトンB188/フォードDFR

 ノンターボエンジン車でありながらシーズン5度の3位を獲得。ほとんどのレースで1-2がマクラーレンなので、その大活躍っぷりが分かろうというもの。

 「3位はほぼ優勝」と言っても過言ではない。

 その活躍あって、翌年には上り調子のウイリアムズに移籍・初優勝を飾ることになる。

 

2019年サウンド・オブ・エンジンでブーツェン氏にサインを入れて頂いた

 ハケで塗ったようなベネトンB186は衝撃的な美しさだったが、この頃のB187~B189の原色をスポンサー毎に振り分けたカラーリングがとても好きだった。

 キャメルがスポンサーになってからは「美しい」とは思えなかった。

 

イヴァン・カペリ選手/レイトンハウス・マーチ881/ジャッド

 全日本F2も走り、日本企業レイトンハウスのスポンサードを得ていたので日本での人気も高かった。

 全日本経験もあり日本に馴染みがありながら、今までお会いした事が無い。

 日本GPでホームストレートでマクラーレンをブチ抜き、一瞬トップを走り大注目を浴びた。

 その裏話は鈴木亜久里選手/ラルース・ローラのところで書いたとおり。

 ノンターボエンジンでありながら、シーズンで2位と3位を1回ずつ獲得している大活躍。

 

F1マシンコレクションのレイトンハウス・マーチ881

 エイドリアン・ニューウェイ氏デザインで空力が素晴らしく良いマシンとして名高い名車。

 

 

10位:マルリシオ・グージェルミン選手/レイトンハウス・マーチ881/ジャッド

 レイトンハウス・マーチが2カー体制になる際にドライバーとして抜擢。F1デビューを飾った。

 翌年開幕戦の3位が最高位。

 

 もし、萩原光選手が存命なら、カペリ選手のパートナーは彼だったと確信している。

 

決勝スタート 

ピレリとフジテレビの看板の間から見ることが出来た

 

1周目

 

 

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雨と人でぐちゃぐちゃだった1987年ロードレース世界選手権・日本GP

 バイクブーム真っただ中の1987年。F1よりも数ヶ月早くロードレース世界選手権(WGP)の日本GPが鈴鹿サーキットで開催された。

 ドルフィンは名古屋の友人4人に東京の友人1名を加えた6名で観戦に行った。

 車1台に6名を詰め込んで(!)まだ日が昇る前の早朝に名古屋を出発した。


チケットの切り方が雑!

 全員自由席だったのでコーナーリングが見られる2コーナー席に陣取ることにした。

 当日の2コーナー席は土手に腰掛け用に丸太が杭打ちされたものだった。ずっと座り続けるとお尻が痛くなる。

 朝から雨。加えて多くのファンが詰めかけていて、トイレと昼食を買いに立つ以外は全く身動きが取れなかった。自分でもよくあれだけ長時間丸太に座っていられたものだと感心する。

 一旦席を離れると、戻って来た時にどこに仲間内がいるのかさえ探すのが苦労。ポンチョやカッパは似たようなものばかりだし。

 

 グランドスタンド裏の売店やイベントなど全く記憶に残っていない。写真も撮れていない。

 雨が降っていた事と席からコースが遠かったため写真は被写体が小さいし、上手くも撮れていない。ブログに掲載するのも忍びないがご了承頂きたい。

 

500ccクラス スタート

 ’87年から押し掛けスタートからクラッチスタートに変更。それでも❝ロケット・ロン❞は速かった! 話し通りにスタートで後続を離して1コーナー進入。

 待ちに待ったWGP。世界最高ライダー達の走りが観られる。もう興奮だ。

 

エディ・ローソン選手と#16 八代俊二選手/ホンダNSR500

 前年ワールドチャンピオンのローソン選手は早々にリタイア。

 

4位:#10 ピエールフランチェスコ・キリ選手/ホンダNS500

6位:#21 平忠彦選手/ヤマハYZR500

 

優勝ランディ・マモラ選手/ヤマハYZR500

 ウエットコンディションで後続を引き離して独走。

 

2位ワイン・ガードナー選手/ホンダNSR500

 

エディ・ローソン選手/ヤマハYZR500

 

健闘をたたえ合う平選手と 7位:#33 河崎裕之選手/ヤマハYZR500

 

5位:ロン・ハスラム選手/ホンダNSR500

 ハブステアリングを使ったelf-Motoのマシンかと思いきや、遠目に「フォークあるよな?」と確認。NSR500を使用していた。

 

水谷勝選手/スズキRGγ500

 

木下恵司選手/ホンダNSR500

 

250ccクラス スタート

 

#49 田口益充選手/ホンダNSR250

#3 ドミニク・サロン選手/ホンダNSR250

 

優勝小林大選手/ホンダNSR250

 

2位シト・ポンス選手/ホンダNSR250

 

3位:ラインハルト・ロス選手/ホンダNSR250

 

展示されていたガードナー選手のNSR500

 展示車撮影も雨の湿気でレンズが曇ってしまった。それほどの悪天候だったのだ。

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’98JGTC富士テスト 外国車勢とGT300 最後の片山義美選手

 1998年JGTC富士テスト

 500クラスも300クラスも多様なマシンが参戦していて面白かった。

 

和田久/古谷直広 組/ウェディングディアブロ GT-1

 JLOCは二台体制でディアブロを走らせていた。

 

山田洋二/岡田秀樹 組/綜警PORSCHE

 

松田秀士/水野文則 組/STPタイサン バイパー

 松田選手にサインを入れて頂いた。

 

GT300

小林正吾/余郷敦 組/ナインテン・ポルシェ

この年は決勝に行っていないので、前年に貰ったのかも…??

 

山路慎一/松本晴彦 組/RE雨宮マツモトキヨシRX-7

 

マーク・ポーター/片山義美 組/オークラRX7

 長年マツダ契約のドライバーとして活躍してきた片山義美選手がJGTCに2戦復帰。

 ドルフィンが片山選手の走りを観たのはこれが最後になった。最初にお会いしたのは1979年3月の富士だった。

 

中谷明彦/原貴彦 組/テイボン・トランピオ・FTO

 

小林且雄/玉本秀幸 組/クスコ スバル・インプレッサ

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中嶋選手凱旋、亜久里選手F1デビュー 盛り上がりを見せた’88年F1日本GP

 1988年F1日本GPには中嶋悟選手に加え、急遽、全日本F3000チャンピオン・鈴木亜久里選手がF1デビューすることになって一層の盛り上がりを見せた。

 あのサーキットが熱するようなファンの盛り上がりはなかなか感じられるものではない。「伝説」は単にレース内容だけでなく、やはりファンの盛り上がりあっての事なのだと思う。

 木曜日の晩に車で鈴鹿に向かう道中も「亜久里選手F1デビュー戦が見られる」とテンション高まった。

 

ホンダエンジン使用ドライバーのヘルメットステッカー

 

7位:中嶋悟選手/ロータス100T/ホンダRA168E

 マシンの脆弱さもあって開幕戦の6位入賞がシーズン唯一のポイントになってしまった。

 それだけに地元入賞の期待が大きかった。

 

TV撮影用の大きなカメラを積んで走る中嶋選手

 スタートでエンジンストールしながらも再スタート。一瞬出遅れたので、追突されやしないかとヒヤリとした。

 ポイントには届かなかったものの7位フィニッシュしてサーキットをアツくさせてくれた。

 「あと1台、あと1台~ッ!」とハラハラドキドキしながら応援していた。

 

 

ネルソン・ピケ選手/ロータス100T/ホンダRA168E

 3度のチャンピオン経験者でありながらも3度の3位表彰台が最高位だった。

 同じエンジン搭載のマクラーレンとのシャシー性能差が表れてしまった。

 ピケ選手もサウンド・オブ・エンジンのゲストに来てくれないだろうか?

 

 

ロータスのマネージャー、ピーター・ウォー氏

 

ブリヂストン・イメージガール 河口リカさん

ブリヂストンのお姉さん♥

 

鈴木亜久里選手/ラルース・ローラLC88/フォードDFZ

 2017年鈴鹿1000㌔の際に亜久里監督にサインを入れて頂いた。

 初めて亜久里氏にサインを頂いたのはフォーミュラ・ニッポン開幕前レセプションの時だった。

 ヤニック・ダルマス選手の代わりとして急遽参戦が決定。

 ぶっつけ本番の走行で、決勝中にも何度かスピン。

 最終コーナーの丘から見ているとシケインでもスピン。そこにトップのプロスト選手が来たため最終コーナーからの立ち上がりが鈍くなった。逆にベストな加速のカペリ選手。おかげでストレートで一瞬、マクラーレンを抜いてレイトンハウス・マーチがトップに立てたのだ。

 予選後、ホテルに帰るため亜久里選手がパドックトンネルからグランドスタンド裏に現れた。F1ドライバーとなった亜久里選手の登場に周囲は騒然。

 多くのファンがサインを求めたが「今はもうできないよ。F3000の時に来てくれればよかったのに」と言っていた。この生意気さがしばらく嫌だった。

 

グランドスタンド裏に現れた亜久里選手。 初めての生亜久里選手

 

9位:フィリップ・アリオー選手/ラルース・ローラLC88/フォードDFZ

 8シーズンに渡りF1を走った。

 ’90年代はスポーツカーレースに参戦しル・マンも3度3位に入っている。

フィリップ・アリオー選手のサイン

ダンロップのお姉さん♥

 

展示車

 

 

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本田宗一郎氏も涙 セナ選手、鈴鹿でチャンピオン決定 ’88年F1日本GP

 多くを語るに不要なほど今や伝説となった1988年F1日本GP。鈴鹿開催2年目だ。

 F1ブームも加熱。プラチナチケットと化していた。ドルフィンは2年連続指定券はハズレ。ようやく一般観戦券だけは入手できたのだった。


 大阪から車で行って金曜日から観戦。車は青少年センターに駐車。風呂は無いが水道が使えたので、10月の夜に行水したものだ。

 東京からの友人はバスツアーで土・日観戦だった。

 

決勝日 最終コーナーからシケイン席

 前年同様に最終コーナーの土手で観戦。巨大モニターも設置されているし、ストレートも見られるのでレースを把握するのに良い。

 セナ選手がトップでチェッカーを受けるところも見られた。

 

優勝:アイルトン・セナ選手/マクラーレンMP4/4/ホンダRA168E

 予選後、サーキットで知り合った方と遊園地ゲート近くのレストランで食事をしていると、窓の外をセナ選手が歩いてた。ホテルに帰るようだ。後ろにファンが何十人と列を成してついて行っていた。

 窓越しだがセナ選手に1メートルも無く接近できた唯一の時。

 そして窓越しが故に追いかけられなかった…。

 

アイルトン・セナ選手初タイトル獲得記念ステッカー

 

 この年はマクラーレン2台が16戦中15勝した。

 チャンピオン決定戦となった日本GPでもセナ選手、プロスト選手ともに真っ向勝負だったので良いレースだった

 

ホンダエンジン使用ドライバーのヘルメットステッカー

 

2位:アラン・プロスト選手/マクラーレンMP4/4/ホンダRA168E

 

当時、ホンダのディーラー等で配られていた優勝記念ステッカー

 知り合いから譲り受けたもの。

 好景気の後押しがありステッカー等のグッズもバンバン作って配っていた時代。

 

マクラーレン総帥、ロン・デニス氏のサイン

 決勝日前夜にパドック通路からグランドスタンドを上がって来られた際に頂いた。

マールボロのお姉さん♥ 同じ方だがミニスカとパンツ

帽子を被らずに色っぽい表情を見せてくれた左側のお姉さん♥

 

 レース終了後に余韻に浸っていると、パドック通路から現れたのは、本田宗一郎氏!

 日本経済の偉人に初めてお会い出来た。周囲のファンが口々に「おめでとうございます!」と声をかけていた。

 ドルフィンも「チャンピオンおめでとうございます!」と言って手を差し出すと、握手して下さった。柔らかくも力強い手だった。

 本田宗一郎氏の目が潤んでいた。

 

 気が付くと二重の虹が鈴鹿の空にかかっていた。

 地元優勝・地元チャンピオン決定を祝うかのようだ。

 

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’98JGTC富士テスト以降から強くなったホンダNSX勢

飯田選手にサインを入れて頂いた

 1998年のJGTC第4戦に向けたFISCOテスト

 いつも撮影している場所と違う❝サーキットらしない❞写真が撮れるところを探して車で1コーナーへ。フェンスギリギリのところで撮ったので、あまり左右に❝振り幅❞が無かったと思う。

 ガードレールやゼブラゾーンが写り込んでしまうが、背景に緑が多いので違った感じに撮れたので気に入っている。

 旧FISCOなので現在もここで撮れるかどうかはわからない。

 

高橋国光/飯田章 組/チーム国光 RAYBRIG NSX

 土屋圭市選手が抜けてもチーム国光は応援していた。

 第6戦美祢で優勝した。

 

1コーナーで飯田選手がスピン!

 

決勝には行っていないので、前年に貰ったのかな?

 

 この年のNSXは強かった。

 序盤に記録したペンズオイルGTRの2勝以外は全てNSX勢の優勝だった。しかし、ポイント取りこぼしがありチャンピオンの獲得には至らなかった。

 

中子修/道上龍 組/Castrol無限NSX

 道上選手サインを入れて頂いた。現在よりずっと丁寧なサインだ。

 ペンズオイルGTR同様、シーズン2勝しているもののリタイアでポイント取りこぼしがあったためシーズン4位に終わった。

 

山西康司/トム・コロネル組/Mobil 1 NSX

 テストの甲斐あって第4戦富士で優勝。

 2度の2位もありシーズンランク2位。オールスター戦でも優勝。

 

コンビニで発売されたデルプラド1/43ミニカーのMobil1NSX

 

 

 

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8耐の元気はモリワキ&ヨシムラから! '89年鈴鹿8耐 / 鈴鹿4耐

 バイクブーム全盛期の1989年鈴鹿8耐

 鈴鹿8耐にはヨシムラとモリワキの参戦は欠かせない。今年、ヨシムラは全日本フル参戦は行わなず、モリワキがレース活動を止めてしまったのは残念でたまらない。企業としての利益を出すための方針もあるだろうが…。

 

6位:グレーム・クロスビー/マルコム・キャンベル組/モリワキZERO VX7

 

モリワキのショップに来てグッズ購入者にサインするクロスビー選手とキャンベル選手

 この年代の8耐やF1ではトンネルに続く通路の横広場に大きなテントを設置してそこに公式グッズショップが何十店舗も入っていて、一大マーケット化していた。

 

種岡一吉選手/モリワキZER ZX7

今井伸一郎選手/モリワキZER ZX7

 

生活創庫のお姉さん♥

 

8位:ケビン・シュワンツ/ダグ・ポーレン組/ヨシムラGSX-R750R

ケビン・シュワンツ選手

 ポーレン選手は前年、ヨシムラのマシンでAMA600cc、750ccスーパーバイクでダブルタイトルを、’89年の全日本でもTT-F1とTT-F3のダブルタイトルを獲得している。

 後にワールドスーパーバイクやEWCでもタイトルを獲得する。

 

5位:大島行弥/高吉克郎 組/ヨシムラGSX-R750R

ampmのお姉さん♥

 

世界耐久チーム

スズキGSX-750R

 

デザイナーの日比野克彦さんがカラーリングを担当

 日々野氏本人も来場していた。

 

加藤/阿部 組/カップヌードルYMタイチ/RVF750

ロブ・マッケルニ/リチャード・アーネイツ組/カップヌードルYMタイチ/RVF750

 

TERRAのお姉さん♥

 

鈴鹿4時間耐久オートバイレース

 TT-F3規定で行われていた鈴鹿4時間耐久。’87年に2ストマシンが上位に食い込んだことから、’89年には4スト400ccメインから2スト250ccマシンが主流になっていた。

 

木村智成/高田尚美 組/チームスーパーモンキー/NSR250R

 タイムを出したのは木村選手だが、高田選手はポールポジションからスタートする初の女性ライダーとなった。

 序盤トップを走っていたが、木村選手が転倒。カウルを破損しながらも走行を続けた。

 

 

今井/高木 組/101CLUB RC甲子園&SP忠男/ヤマハYZF400R

 

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やりました! 佐藤琢磨選手、インディ500 V2 ~希望の光

 みなさん喜びの声を上げていますが、やはりこの話に尽きます。

 

 佐藤琢磨選手、インディ500優勝・V2

 

 2017年の優勝でさえ、今思い出してもゾクゾクするほどの感激でしたが、さらに2勝目。

 日本人でインディ500で2勝するドライバーが現れるとは思いもしませんでした。

 偉業中の偉業でしょう。

 

 新型コロナのまん延で世界が-日本が沈んでいる時に、モータースポーツファンがサーキットに行けず沈んでいる時に、希望の光とも言うべき嬉しいニュースを生み出して下さった。

 このニュースで気持ちが晴れてウキウキと生活できます。感謝。

 

 琢磨選手は「ここで勝ちが欲しい」時に勝って来たドライバーですね。

 結果を先に知りたくなくて月曜日の朝、早起きしてBS日テレ放送のMotoGPを観終わると、友人から「琢磨選手」「優勝!」のラインが! 

 え~⁉ BS観るからって言ったじゃないの…。

 と思いつつも「マジ⁉」「今?」と返信。

 そこから歓喜の1日が始まったのでした。MotoGPとW優勝できていたらなぁ。

 

 しかし、仕事から帰宅してBS NHK放送番組を見ようとすると、レコーダーに入っていた録画番組のタイトルが「祝優勝! 佐藤琢磨」だった…。どのみち観る前にネタバレしていたか…。

 スポーツ番組を放送するにあたり、その点はどうなの? NHK!

 

 

 V2マシンも日本で多くのファンの前でデモランお披露目して下さることを願っています。

 

 

 

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グランプリライダー大挙参戦 ’89鈴鹿8耐 ヤマハ&カワサキ勢

 1989年の鈴鹿8耐はメーカー対決が年々過激になりWGPライダーがこぞって参戦してきた。

 多くのファンが「鈴鹿詣り」をし、決勝日だけでも十数万人の観客が来場した。今よりもスタンド設備が整っていないので、コース脇の至る所に人があふれていて❝熱気❞は凄まじいものだった。

 そんな中、友人3人と観戦に行ったドルフィン一行は、はぐれても連絡が取れるように❝トランシーバー❞を装備する事にした。8チャンネル有り広域性の高いものを選んだ。

 今ならスマホの電話やラインで事足りる事だが、当時はトランシーバーが一般的だった。8チャンネルあっても使用している方が多かったので混線したしイタズラもされた。仲間内で取り決め暗号を作ったりした。

 やや不便な方が面白味があった

 

 ’89年は予選日の雨天も影響し、あまり良いマシン写真が撮れていないのでご勘弁を―

 

SHISEIDO TECH21 YAMAHA/YZF750

平忠彦選手

 テック21カラー一色から白・青・濃紺のカラーリングに変更。

 平選手のヘルメットもそれに合わせたカラーリングになった。

 

 

 8耐後、新TECH21カラーのスクーター・jogも発売された。

 

ジョン・コシンスキー選手

 同年のWGP開幕戦・鈴鹿で250ccクラスで優勝。全日本500ccにもスポット参戦・優勝しノリにのっていた頃。

 監督として来場していたケニー・ロバーツ氏がチームを超えてコシンスキー選手にアドバイスをしていたらしい。

 

TECH21のお姉さん❤ ワイルドなイメージになった

 こんな可愛らしい方々が超ハイレグを着ていたのだから嬉しい時代だった…。

 

TEAM LUCKY STRIKE ROBERTS/YZF750

 前年・1988年の優勝チーム&コンビ。

ウエイン・レイニー選手

 ドルフィンが持っている唯一の❝ある程度の大きさ❞で撮影できたレイニー選手。

 それでもブレブレなので、2019年のサウンド・オブ・エンジンにゲストで来場した時に持って行かなかった。

 ’89年はWGP500ccクラス参戦2年目にしてチャンピオン争いを展開真っ只中での8耐参戦だった。スター選手の参戦で、コースに出るやロードレースファンは悶絶。

 前年は観戦していないので「絶対に写真を撮る」という気負いから逆にブレブレ写真しか撮れなかった…

 

ケビン・マギー選手

 ’87-’88年と8耐を連覇。

 WGP500ccクラスにもチーム・ロバーツから参戦していた。

 

#9 NESCAFE RT YAMAHA/YZF750

マイケル・ドーソン/町井那生組

 

 ヤマハのファクトリー勢3台ともマシントラブルによるリタイアという不本意な結果に終わった。

 

NHK VOOKのお姉さん♥

 この年からNHK BSが完全生中継を行った関係だろうか。

 

 

ダンロップイメージガール望月知子さん 人気だった

 

接触して転倒。転倒した選手は❝正座❞した状態になっている

 

 ’80年代の観戦した鈴鹿8耐の特集誌(当時は8耐・4耐で一冊刊行されていた)は残しているつもりでいたが、’89年は手違いで引っ越しの際に処分してしまったようだ。

 資料が少ないので、写真だけで選手名やマシン名が分からない掲載もあるのでご勘弁を…。

 

ロブ・フィリス/アーロン・スライト組/カワサキZXR-7

 

KAZE JCBのお姉さん♥

 

宗和孝宏/多田喜代一 組/カワサキZXR-7

 前年に日本人ペア最高の5位を獲得し、’89年ル・マン24時間に招待参戦し3位を得た。

 全日本でもカワサキを引っ張るコンビ。

 

 

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