グランプリライダー大挙参戦 ’89鈴鹿8耐 ヤマハ&カワサキ勢
1989年の鈴鹿8耐はメーカー対決が年々過激になりWGPライダーがこぞって参戦してきた。
多くのファンが「鈴鹿詣り」をし、決勝日だけでも十数万人の観客が来場した。今よりもスタンド設備が整っていないので、コース脇の至る所に人があふれていて❝熱気❞は凄まじいものだった。
そんな中、友人3人と観戦に行ったドルフィン一行は、はぐれても連絡が取れるように❝トランシーバー❞を装備する事にした。8チャンネル有り広域性の高いものを選んだ。
今ならスマホの電話やラインで事足りる事だが、当時はトランシーバーが一般的だった。8チャンネルあっても使用している方が多かったので混線したしイタズラもされた。仲間内で取り決め暗号を作ったりした。
やや不便な方が面白味があった。
’89年は予選日の雨天も影響し、あまり良いマシン写真が撮れていないのでご勘弁を―
SHISEIDO TECH21 YAMAHA/YZF750
平忠彦選手
テック21カラー一色から白・青・濃紺のカラーリングに変更。
平選手のヘルメットもそれに合わせたカラーリングになった。
8耐後、新TECH21カラーのスクーター・jogも発売された。
ジョン・コシンスキー選手
同年のWGP開幕戦・鈴鹿で250ccクラスで優勝。全日本500ccにもスポット参戦・優勝しノリにのっていた頃。
監督として来場していたケニー・ロバーツ氏がチームを超えてコシンスキー選手にアドバイスをしていたらしい。
TECH21のお姉さん❤ ワイルドなイメージになった
こんな可愛らしい方々が超ハイレグを着ていたのだから嬉しい時代だった…。
TEAM LUCKY STRIKE ROBERTS/YZF750
前年・1988年の優勝チーム&コンビ。
ウエイン・レイニー選手
ドルフィンが持っている唯一の❝ある程度の大きさ❞で撮影できたレイニー選手。
それでもブレブレなので、2019年のサウンド・オブ・エンジンにゲストで来場した時に持って行かなかった。
’89年はWGP500ccクラス参戦2年目にしてチャンピオン争いを展開真っ只中での8耐参戦だった。スター選手の参戦で、コースに出るやロードレースファンは悶絶。
前年は観戦していないので「絶対に写真を撮る」という気負いから逆にブレブレ写真しか撮れなかった…。
ケビン・マギー選手
’87-’88年と8耐を連覇。
WGP500ccクラスにもチーム・ロバーツから参戦していた。
#9 NESCAFE RT YAMAHA/YZF750
マイケル・ドーソン/町井那生組
ヤマハのファクトリー勢3台ともマシントラブルによるリタイアという不本意な結果に終わった。
NHK VOOKのお姉さん♥
この年からNHK BSが完全生中継を行った関係だろうか。
ダンロップイメージガール望月知子さん 人気だった
接触して転倒。転倒した選手は❝正座❞した状態になっている
’80年代の観戦した鈴鹿8耐の特集誌(当時は8耐・4耐で一冊刊行されていた)は残しているつもりでいたが、’89年は手違いで引っ越しの際に処分してしまったようだ。
資料が少ないので、写真だけで選手名やマシン名が分からない掲載もあるのでご勘弁を…。
ロブ・フィリス/アーロン・スライト組/カワサキZXR-7
KAZE JCBのお姉さん♥
宗和孝宏/多田喜代一 組/カワサキZXR-7
前年に日本人ペア最高の5位を獲得し、’89年ル・マン24時間に招待参戦し3位を得た。
全日本でもカワサキを引っ張るコンビ。