こんにちは!

元介護士、バンコク駐在妻の

Machicoです

 

 

 

ご訪問いただきありがとうございますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

私の自己紹介 【My ストーリー】

 

前回に引き続き

大学時代のお話です。

 

 

 

 

これまでのMy ストーリーはコチラピンクハート

 

 

①鬼ばばぁのように恐かった母の教育

②面倒見のいいおねえちゃん

My ストーリーこぼれ話①

③友達作りに失敗した中学時代の幕開け

④ここから抜け出したい!鬱屈とした中学生活に光が射す

My ストーリーこぼれ話②

⑤「やめる」と自分で決める。校則のない自由な高校生活で学んだこと

⑥得意なこともやりたいこともない私が選んだ道

Myストーリーこぼれ話③

 
 

 

 

【Myストーリー⑨】

 

 

 

ABAをもっと学びたい

発達障がいの子どもたちを支援する
仕事に就きたい
という理由で大学院に進学
 
 
 
 
 
臨床の経験を積むために
3歳と小学4年生の自閉症児の
療育を手伝うことになった。
 
 
 
 
 
そのうちのひとり
小学4年生のAくんとの
関わりの中で
私は人生最大の挫折を経験する。
 
 
 
 
Aくんは自閉症と診断された男の子で
小学校は通常学級に通っていた。
(誰かの付き添いがあれば
通常学級に通うことも可能)
 
 
 
 
Aくんと初めて会ったのは
「つみきの会」のボランティア活動
 
 
 
 
 
その時Aくんは小学校低学年で
とてもかわいらしく
療育の進み具合も順調で
“かしこい男の子”という印象だった。
 
 
 
 
 
私の友人がAくんの
療育のお手伝いをしていて
友人が就職するため私が引き継いだ。
 
 
 
 
 
その時Aくんは小学4年生
背も伸びやんちゃな男の子になっていた。
 
 
 
私は週1回の家庭での療育だけでなく
小学校の支援にも入らせてもらった。
 
 
 
 
 
Aくんが通常学級で
どのように過ごしているのか知るためと
毎日Aくんの付き添いをしているお母さんの
レスパイトケアになればいいと考えからだ。
 
 
 
レスパイトケア=在宅で乳幼児や障害者、高齢者などを介護(育児)している家族に、支援者が介護(育児)を一時的に代替してリフレッシュしてもらうこと。

 

 
 
 
 
小学校の支援に行って初めて
私はAくんの現状を知った。
 
 
 
 
 
Aくんとお母さんの小学校での奮闘
それはとても過酷なものだった。
 
 
 
 
45分の授業
小学4年生にもなると授業内容も複雑だ。

 

じっと座っていられないAくんは
突然発作的に立ち上がる
 
その度にお母さんが連れ戻した。
 
 
 
 
1枚のプリントを仕上げるのにも
通常の倍以上の時間がかかる
 
Aくんは本当によく頑張っていた。
 
でもストレスがたまると堪えられなくなって
お母さんの手の甲に爪を立てる。
 
お母さんの手の甲は爪の痕だらけだった。
 
 
 
 
そしてお母さんも
Aくんが集中できていないときは
鉛筆でAくんの手の甲をチクリと刺した。
 
 
 
 
どうしても教室にいられないときは
運動場に飛び出す。
 
そしてしばらく発散させて落ち着いたら
授業に戻った。
 
 
 
 
 
 
毎日毎日
Aくんとお母さんはがんばっていた。
 
 
 
私は週に1回お母さんの代わりに
Aくんの付き添いをした。
 
 
 
 
私はお母さんじゃないから
Aくんも甘える。
 
私の指示は通らないことが多かった。
 
 
 
私は必死でAくんの集中力が切れないように
声をかけた。
 
 
 
たくさんヒントを出して
できたらたくさんほめるようにした。
 
 
 
私の手の甲にも爪の痕ができた。
 
 
 
Aくんの支援に入る度にある考えが
私の心に積もっていった。
 
 
 
「Aくんにとって通常学級は適切ではない」
 
 
 
Aくんがストレスを感じずに
のびのびと過ごせて学習ができるのは
特別支援学級なのではないのか・・・。
 
 
 
 
 
でもお母さんの気持ちも分かる。
お母さんはAくんの可能性を信じている。
Aくんに通常学級で学んでほしいと
強く思っている。
そのために人一倍ABAを学びずーっと
努力してこられたのだ。
 
 
 
 
 
そんな気持ちを抱えながら支援を続けていた。
 
 
 
その年の冬
いつものように
私はAくんの付き添いをしていた。
 
算数か国語の授業だったか
プリント学習をしていて早々に
Aくんの集中力が切れた。
 
 
 
 
突然立ち上がり笑いながら
窓の方に行ってしまった。
 
 
 
 
いつものことだった
いつものように宥めて落ち着いたら
席に連れてこればいいだけ
 
 
 
 
でも私は動けなかった
涙が溢れてきて号泣し立ち尽くしていた。
 
 
 
窓の方で笑いながら
うろうろしているAくん
 
不思議そうに
私の顔をのぞく他の子どもたち
 
ビックリしたような顔で私を見る担任の先生
 
 
 
 
 
辛かった
 
どうしたらいいのか分からなかった
 
Aくんにとって何をすることが適切なのか
何が必要なのか分からなかった
 
私は支援の目的を見失っていた
 
 
ゼミでの研究報告も
Aくんの話になったところで号泣してしまった
 
 
 
 
とても疲れた
 
私にできることは何もない
 
私は無力な人間だ
 
私はコレを仕事にすることはできないと確信した。
 
 
 
 
 
つづきはコチラ
 
 
 
 
 

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Machico

 

 

 

 

2017年から夫と息子とバンコク在住の元介護士

ケア=育児、介護と捉え

ケアする人もケアされる人も笑顔でいられる社会を

目指しています。

 

 

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