こんにちは!

元介護士、バンコク駐在妻の

Machicoです

 

 

 

ご訪問いただきありがとうございますニコニコ

 

 

 

 

 

 

私の自己紹介

 

【My ストーリー】が始まります。

 

 

 

 

【My ストーリー①】

 

 

 

 

私に大きな影響を与えいてる人

 

 

 

 

“鬼ばばぁのような母”

 

というのは当時を振り返ったときに

妹が言った言葉。

 

 

 

 

 

「あの頃のお母さんは

鬼ばばぁみたいやった」

 

 

 

 

 

 

2歳年下の妹が

そう表現するくらい

母は私に対してとても厳しかった。

 

 

 

 

 

 

でもその母のおかげで

今の私がある。

 

 

 

私が生まれ育ったのは神戸といっても

海ではなく山が見渡せる町。

 

 

 

 

 

 

夏は蝉が泣き喚き虫もよく出る

冬は中心街より2.3度寒くなる。

 

 

 

 

 

 

最寄りの駅まで歩いて20分

中心街に出るにはさらに

電車を乗り継いで20分かかる。

 

 

 

 

 

当時

車を持っていなかった我が家は

歩くか自転車か電車で

移動するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

山を開拓してできた町だから

坂道が多くて自転車は向かない。

 

今でも私は自転車が苦手だし

車に乗るより歩く方が好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

田舎町とも都会ともいえない

そんな町で

 

サラリーマンの父、専業主婦の母

2歳年下の妹と暮らし

結婚するまでずっと過ごした。

 

 

 
 
母はとても厳しかった。
私の幼少期の母に対するイメージがそれだ。
 
 
どうして厳しかったのか
 
 
 
 
 
 
たぶん私が長女だったから。
 
 
 
 
 
 
父と結婚して専業主婦になった母
初めての子ども
どう育てるべきか、どうしつけるべきか
母も試行錯誤だった。
(こう考えられるようになったのは
私も子供を産んでから)
 
 
 
 
 
 
父は私が女の子だからか
教育は全て母に任せていた。
 
父に遊んでもらった記憶はあるが
叱られた記憶は全くない。
 
 
 
 
 
 
母は私が社会に出ても恥ずかしくないように
必要なことを教えてくれた。
 
その方法が厳しかっただけなのだ。
 
 
 
 
 
 
母は私を怒鳴ったし
カッとなって叩くこともあった。
 
 
 
 
 
 
叱る時の怒鳴り声が大きくて
向かいの家から心配の電話が
かかることもあった。
 
 
 
 
 
 
時計の問題が分からないという
些細なことで
怒鳴られたこともあった。
 
 
 
 
 
 
私が押していたショッピングカートが
母にぶつかってしまって
叩かれたこともあった。
 
 
 
 
 
 
怒られる、叱られることが多くなると
必然的にそうならないように
行動するようになる。
 
 
 
 
 
 
私は
とても礼儀正しい子
優しくて真面目な子と
近所の人から言われるようになった。
 
 
 
 
 
 
学校では
間違えて怒られるのが嫌だから
みんなの前で手を挙げたり
目立つことはしたくない
引っ込み思案な子になった。
 
 
 
母の言うことは絶対だった。
 
 
 
 
 
学校に行きたくない日も学校に行ったし
 
夏休みのプールも泳げないから
行きたくないけど行ったし
 
唯一習っていたエレクトーンも
好きではなかったけど13年間続けた。
 
 
 
 
 
 
私は「やりたくない」を
言えない子になっていた。
 
 
 
 
 
 
続けること
諦めないこと
良い子でいること
 
そうすることが正しいと信じていた。
 
 
 
 
 
 
だって私は母が大好きだったから。
 
 
 
 
 
大好きな母の言うことは全てだったし
母にたくさん褒められたかったし
良い子でいたかった。
 
 
 
 
 
家に帰るといつも母がいてくれる。
一緒にお出かけしたり遊んだり楽しかった。
 
母がずっといてくれたことで
寂しいと思ったことは一度もない。
 
 
 
 
 
母は鬼ばばぁのように怒ると恐かったけれど
怒る以上に私を愛してくれた。
 
 
 
 
私は幸せだったのだ。
 
 
 
 
でも
私はいつからか
専業主婦の母をずっと見ていて
「専業主婦になりたくない。
一生仕事をし続けていたい」
と思うようになった。
 
 
 
 
 
 
私は母の姿から
「専業主婦の大変さ」を教わり
私にそれは向いていないと感じた。
 
 
 
 
 
だから
仕事は一生続けられる仕事を選んだし
バンコクに帯同することが決まったときは
専業主婦になることが不安だったのだ。
 
 
 
 
 
 
そしてもう1人
私にとって大きな影響を与えたこと
 
妹の存在だった。
 
 
 
 
 
つづきはコチラ
 

【Myストーリー②】面倒見のいいお姉ちゃん

 
 
 
 
 

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Machico

 

 

 

 

2017年から夫と息子とバンコク在住の元介護士

ケア=育児、介護と捉え

ケアする人もケアされる人も笑顔でいられる社会を

目指しています。

 

 

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