年末年始旅行1、2日目 | M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

M3Variant : 定年退職と同時にコロナ禍に

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLで通常のM3型(多顆粒型)ではなく、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

16.12.29(木)

早朝 3:30 起床。4:30 に家を出て徒歩で駅へ。最寄駅バスターミナル 5:10 発の羽田空港行バスに乗った。
JALで上海の虹橋(ホンジャオ)空港へ。上海の新しい国際空港は浦東(プドン)だが、今回は久々に虹橋。
20年以上前、初めて日本から出たとき、初めて着いた異国の場所が、この虹橋机場(空港)だった。

上海虹橋机場で、蘇州行きのバス乗り場を尋ねたら、第2ターミナルとのこと。
着いたのは第1ターミナルなので、第2ターミナル行きのシャトルバスに乗ろうと、バス乗り場に行った。
シャトルバスはあったが、表示は「1号航站楼⇔1号航站停車」とかで、
行き先に2号航站楼(第2ターミナル)とは書かれていない。

近くにいたおばさんが英語で話しかけてきた。台湾人で、日本にも行ったことがあるという。
第2ターミナル行くのも、このバスでいいのか聞いてみたら、OK だと言った。
何か変だなと思ったが、13:50頃、ほどなくバスが来て乗った。

第1ターミナル駐車場に着き、先ほどの台湾人に、第2ターミナルへはどう行けばいいのか
聞いてもらったら、このバスではない。今乗って来たバスで戻れとのこと。
先ほどの台湾人は I'm sorry. と2~3回、言ってきた。悪気はなかったのだろうが、失敗したな。

しかたなく、来た時と同じバスに乗ってターミナルのバス乗り場へ戻ったら、14:10。
バス乗り場で探したら、別の所に第2ターミナル行きシャトルバスの表示があったが、
第1⇔第2間のシャトルバスは1時間に1本。ずいぶん少ないな。しかも10分前、14:00 に出たところ。
ありゃ。ついてないね。で、50分待ち。ちょうど1時間無駄にしたな。まあ、これもまた一人旅の一興。

第1⇔第2間のシャトルバスは空港の外、一般道を通るルートだった。3~4キロは走ったかな。
2号航站楼(第2ターミナル)で長途汽車(長距離バス)の場所を探したら、900メートル先の表示。
これまた少し遠いな。切符を購入して、16:00 発のバスに乗った。
バスに乗ったら、終点の1つ手前で、「文化博覧中心」に停車するとの表示があった。
予約してあったホテルはこの文化博覧中心にある。これはラッキー。

ネット予約でのメールを印刷してきたので、その地図を見たら、数百メートルほど離れたところにある。
地図を見てその場所へ向かったが、ホテルらしきものはなかった。
通りがかりの人に、予約メールの地図とホテル名を見せ、
身振り手振りで聞いたら、あっちのほうだと指差した。
その方向へ行ってみたらホテルはあったが、着いたバス停の目の前だった。

ありゃりゃ。これまたずいぶん回り道したな。
バスを降りたとき、何で目の前の表示に気づかなかったんだろう。

間違いの多い1日だった。やはり物事はよく確認してから行動したほうがよい。
何はともあれ、ホテルにチェックインできた。
夕食はホテル近くの文化博覧中心の地下街のような場所で食べた。

ホテルに戻ってネットにアクセスしてみたら、4年前と同じく、
Yahoo Japan にはアクセスできたものの、Yahoo Japan ブログにはアクセスできず。
おそらく中国当局のネット規制・遮断でしょう。こんな規制したって、人民は情報交換してるよ。
まあ、そんなわけで、こうして日本に帰ってから投稿してます。

16.12.30(金)

文化博覧中心から地下鉄で蘇州火車站(汽車駅)へ。售票处で翌日と4日後の高速鉄道の切符を購入。
日付,乗車駅,下車駅,おおよその希望発時刻をあらかじめメモに書いて、
パスポートと一緒に窓口に出したら、LCD画面の候補を見せてくれて、すんなり買えた。
中国で長距離の切符を買うにはこの方法が確実だな。

駅は城壁と堀の北側にあった。駅東側で線路下を通る立体交差(車道+歩道)をくぐり、
堀にかかった「平門橋」を渡って市内(というより城壁内)へ。
東洋のベニスと言われる蘇州市。城壁のところどころが水門。
「平門」あたりから城壁外側の堀に沿って東へ歩き、「斉門」で再び城壁内に入り南下。

蘇州博物館を見学した後、平江路の北側あたりで昼食。
昼食後、平江路歴史街区を南下。完全に観光地だね。運河の水も決して綺麗じゃない。

平江路の南端から少し西へ行き、臨頓路を北上。

イメージ 1
写真.蘇州・臨頓路にて

南北方向の臨頓路から、東西方向の観前街に入った。蘇州で一番の繁華街らしい。
こういう繁華街を見ると、社会主義国とは到底思えないね。

観前街の西端から人民路を南下。人民路の下に地下鉄4号線を工事中で、あと数か月で開業らしい。
歩道や、地下鉄入口あたりは工事たけなわだった。
観前街の西端から2キロ以上南に歩いて、南側の堀に出た。
このあたり、城壁はなくなってしまったらしい。堀の内側は城壁ではなく公園になっていた。

堀の内側の公園内を西へ1キロ歩いたら、盤門,呉門という門があり、ここを見学。
この門の先から堀は北上。城の西側らしい。

蘇州の城壁、1周十数キロはあるだろう。
東西南北に通りを配置して、周りを城壁で囲む。
中国の昔からの都市は、こういう城壁で囲む構造が多いですね。
中心には時を告げる鐘楼があったりする。

欧州の昔からの都市は、放射状の直線と円形の組み合わせで、丸い城壁の中心に教会がある。
中国でも欧州でも、大陸では城壁で街を囲むのが、町造り・都市計画の基本だったんですね。
島国の日本では、枡形などで対応しようとした。

堀沿いの道を2キロほど北上し、干将路に着いた。
この干将路の下を地下鉄1号線が通っている。養育巷という駅で地下鉄に乗り、ホテルへ戻った。