M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

母には孫が6人いる。一番上の孫娘には娘が2人。母からみるとひ孫になる。その孫娘の弟が都内で結婚式を挙げることになった。
事前準備はたくさんあったが、私(長男)と同じマンションにいる弟(四男)がいろいろ手配してくれた。弟はこういう準備、段取りが上手いなあ。

ただし、ダブル台風8号と7号が接近していて、ちゃんと東京に着けるのかな。との心配はあった。

26.6.27(土)
10:00過ぎ、盛岡のマンションを出発。老人ホームへ行って、レンタルの車椅子に母を乗せた。弟の車で盛岡駅へ。車は弟の妻が運転して帰った。降車場から車椅子の母をエレベーターで改札口近くへ。弟の事前手配どおり駅員が来て、エレベーターで新幹線ホームへ。


11:17 はやぶさ54号に乗車。車椅子用の乗降板は駅員が用意してくれた。乗車後、母の両脇を抱えて普通車の座席に移動させた。やれやれ。
件のダブル台風8号と7号、8号は前夜通過し、7号が来る前の小康状態のような時間帯。盛岡は晴れていたが途中から曇り、栃木県内から雨になった。

上野 13:26着。これまた弟の事前手配どおり駅員が来ていた。新幹線地下ホームから地上へ。都内在住の弟(五男)と合流し、弟の車に母を乗せた。母と弟2人は明日結婚式を開く渋谷のホテルへ。私は中目黒のホテルへ。上野→中目黒は地下鉄日比谷線で1本。乗り換えなし。日比谷線は久しぶりだな。

中目黒のホテルで私と弟(四男)のチェックインを済ませた。台風7号接近中だったが、風雨は強くはなかった。不幸中の幸いかな。中目黒から副都心線で新宿三丁目駅へ。広島料理の店で前祝い。その後、弟(四男)といっしょに中目黒のホテルへ戻った。

26.6.28(日)
朝食後、弟(四男)は用事で先に出ると言う。私は 9:40頃までホテルにいた。中目黒から副都心線で渋谷へ。副都心線の渋谷駅は初めてだな。かなり深い所に駅のホームがあると聞いていたが、思っていたほどではなかった。東京駅の横須賀線ホームとどっちが深いんだろう。

地上に出て、結婚式会場のホテルへ。首都高3号渋谷線下りのすぐ脇にある高層ホテルで、横浜に住んでいた頃、車で首都高3号を通った時に何度も見ているので、場所は知っていた。10:20頃に着いたが、親族控室は 11:00からとのこと。暑かったので何か冷たい飲み物をと思い、ラウンジへ。アールグレーのアイスティーを注文。1杯¥1,580。さすがは渋谷の高層ホテルだな。


11:00 親族控室へ行ったら新郎父(私の弟(次男))がいるだけだった。三々五々親族が集まり、13:00 親族紹介,13:15 親族集合写真と、お決まりのパターン。13:30 ホテル内のチャペルで挙式。全員集合写真の後、14:30から披露宴。空調が強かったのか、母は寒そうにしていたが、膝や肩に毛布をかけてしのいだ。

17:30 終宴。18:00 予約していた車椅子対応のタクシーに乗って東京駅へ。東北新幹線の改札口へ行き、弟の事前手配どおり駅員に対応を依頼。

19:20 の新幹線に乗った。母の両脇を抱えて車椅子から普通車の座席に移動。母が上京するのはこれが最後になるだろう。途中の通過駅で、今どこの駅か、しきりに聞いて来た。盛岡着は定刻どおり 21:33。弟の車で老人ホームへ。部屋に母を預けた後、帰宅したのは22:30 頃。やれやれ。

26.6.15(月)
原ノ町駅前のホテルをチェックアウトし、北へ向かった。相馬で中村城跡を見学。

 

 

中村城跡を後に北へ向かい、新地駅へ。ここから浜吉田駅までのJR常磐線は、東日本大震災の津波による被害で内陸側に新線を建設して再開されたので、移設前の線路跡へ行ってみようとした。

新地駅も少しだけ位置が変わったらしい。旧新地駅から先の旧線跡はどこかわからなかった。県道38号線をかさ上げしたので、その盛り土に埋まったのかな。
北上して県境を越え、浜吉田駅へ。浜吉田駅付近の旧線跡はすぐにわかった。震災後に建設された新線が左に曲がりながら浜吉田駅に繋がっていた。

浜吉田を後に国号6号を北上。仙台東道路から東北道を通って盛岡の自宅に帰った。

26.6.14(日)
前日に続き、陸前浜街道歩き。原ノ町 8:53の下り列車で相馬へ。

 


↑この日歩いたルートと写真など
→地図が表示されない場合はこちら
紙で持ち歩いた白黒地図はこちら

 

9:16 相馬駅からこの日の街道歩き開始。9:26 陸前浜街道に出た。

 

水神の碑

 

10:20 溜め池の築堤の上に「水神」と彫られた新しい石碑があった。

 


諏訪神社前の溜め池

 

10:35 諏訪神社に立ち寄ったら、石段の途中から正面に溜め池が見えた。このあたりは溜め池が多いが、何でも二宮尊徳の弟子の相馬藩士が建設に尽力したらしい。地図を見ると大きな川は多くないので、水資源にやや乏しいのかも。

 

踏切警報機

 

11:12 線路のない所、しかも私有地に踏切警報機が2本あった。何でだろう? すぐ前の十字路で事故が多いためか?
12:01 正午の合図の曲が聞こえてきた。歓喜の歌、ベートーベン第九だった。何だか季節外れのような気分にもなる。
12:47 道を間違えたことに気づいて引き返したが、正しいルートを見つけるのに少し手こずった。私M3Vは方向音痴ではないが、方向感覚が特段にいい訳でもない。特に、道を間違えた後のリカバリがやや苦手で、しばしばこういうことがある。

 

 

麦秋

 

その先、何か所かで麦秋の景色を見た。このあたりに溜め池が多いことからも想像されるが、田圃用の水資源が少ないせいで麦畑が多いのかも。

 

田植え

 

13:45 広い田圃の中の道で田植えをしていた。この辺りは田圃用の水資源が豊富らしい。

 

13:52 津波浸水区間の標識

 

ここまで津波が来たんだな。

 

溜池築堤

 

13:56 また溜め池があった。さっき通った田圃もここから水を引いているのかな。溜池脇の道を少し進んだが、旧街道とは少し離れているらしいこともあり、途中で引き返し、国道6号線を歩いた。

 

14:07 宮城県に入った

 

14:11 溜池脇の道からの出口と思われるところがあった。こちらを歩けばよかったかも。そのすぐ先で国道から右、つまり東に折れた。

 

社台ファーム

 

14:15 社台ファームのゲートがあり、中に馬場があるのが見えた。社台ファームって、たしか競走馬の牧場だよな。山元トレーニングセンターとのこと。宮城県にトレーニングセンターがあるとは知らなかった。少し先にもゲートがあり、建物が見えた。

14:58 陸前浜街道から分かれ、JR坂元駅へ。15:05 坂元駅に着いた。

 

旧坂元駅のモザイクアート

 

駅の中に、旧坂元駅のモザイクアート(点描画?)があった。JR常磐線の新地~浜吉田間は東日本大震災の津波で路盤が流された区間が多く、内陸側に新線を建設して再開された。地図を見ると、坂元駅と次の山下駅は、震災前は1kmあまり海側にあったらしい。点描画は、今より海岸に近い場所にあった旧駅舎を描いたものだろう。
ちなみに山元という町名は、山下と坂元が合併した時に造った町名らしい。

 

現在の坂元駅

 

山側に移転した現在の坂元駅は高架区間にあり、駅も高架の駅舎となっている。
この日は結局昼食を取らずに歩いた。相馬駅から坂元駅まで 35,619歩,23.6km。

 

高架区間をやってきた上り電車

 

15:27 の上り列車で原ノ町へ。駅前のホテルに戻った。