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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

26.6.13(土)
前日に続き、陸前浜街道歩き。8:55 原ノ町駅前のホテルからこの日の街道歩き開始。

 

↑この日歩いたルートと写真など
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野馬追通り四ツ葉商店会

 

9:14 小林眼科醫院前で陸前浜街道に合流。

 

三嶋神社大ケヤキ
今月中に伐採開始

 

9:20 三嶋神社の前に、大ケヤキが腐蝕・空洞化のため今月中に伐採開始と表示されていたので、大ケヤキを見に立ち寄った。

 

上方風三階蔵

 

9:32 上方風三階蔵という蔵があった。上方の蔵はこういう形なの? と思って解説を読んだらそうではなかった。いろいろ経緯があって、安土桃山時代の蔵を昭和55年に再建したものらしい。

 

麦秋

 

9:49 麦畑があり黄色くなっていた。麦秋だね。麦秋は秋ではなくこの時期の季語だそうだ。
 

10:16 旧道方向へ行ってみたが、通れそうになく引き返した。脇の民家の犬に吠えられた。

 

改修手配中
と書かれた電柱

 

10:31 通れなかった旧道と合流するあたり、電柱が傾いていて「改修手配中」と書かれていた。溜め池の土手の上だったので、地盤が軟弱なせいで傾いたのか。四半世紀ほど前だったらすぐに補修されていただろう。人手不足と技術力低下はこういうところにも現れている。こうしてインフラが崩れて文明が衰退していくんだな。

 

日吉神社大スギ

 

11:12 日吉神社に立ち寄った。南北朝時代の創建だそうだ。

 

クサノ金物

 

11:35 真野川の橋を渡って鹿島の町に入ったところに金物屋があり、向かいの駐車場に看板と人形があった。何かのキャラクタかな。

 

若松醤油店

 

そのすぐ先には醤油店があった。店の左奥を見ると、どうやら現役の醤油醸造所もあるらしい。

 

横手古墳群

 

コンビニでトイレを借りた先に、古墳群があった。横手古墳群と呼ばれているそうだ。

 

水準点

 

12:54 水準点があった。手前の石4つとコンクリが水準点で、脇の石碑は水準点とは別のものだろう。

 

 

13:10 廃棄されたコンテナと朽ちた小屋があった。

13:50 道の駅そうまに到着。ここで昼食を取ることにした。原ノ町駅前のホテルから 28,088歩,18.0km。生姜焼き定食を食べ終わったら、外では雨が降っていた。夕立だな。15分ほど雨宿り。
雨宿りでも、こういう場所なら販売されているものや、展示されているものを見たりして過ごせる。東日本大震災の伝承コーナーがあった。14:32 雨がほぼあがったので街道歩き再開。

 

石積地蔵

 

15:05 石積地蔵を過ぎたあたりで、遠くから雷鳴が聞こえた。また夕立が来るのかなと思ったが大丈夫だった。宇田川の橋を渡って相馬の町へ入った。相馬中村藩の城下町である。

 

北外堀と柳

 

15:56 陸前浜街道から右へ折れて相馬駅へ。16:05 相馬駅に到着。昼食後は 9,365歩。6.1km。

 

相馬駅

 

相馬駅には以前来たことがある。記録を調べたら、1984年11月25日に福島市方面から路線バスで来て、相馬駅から上野行きの列車に乗っていた。仙台→原ノ町が各駅停車で、原ノ町から急行ときわ12号になる電車だった。それ以来だとすると、42年ぶりということになる。

42年後の今回は 16:37 の上り列車で原ノ町へ。駅前のホテルに戻った。

一つ前の記事に書いたとおり、陸前浜街道の続きをいつにするか少し思案していたが、東北の梅雨入りは未だで、気温もまだ高くなかったので、天気予報を見ながら、6月中に少し歩くことにした。

26.6.11(木)
盛岡の自宅を出て福島県南相馬市へ。原ノ町駅前のホテルにチェックイン。

26.6.12(金)
この日の天気予報では昼頃に急な雨があるとのこと。降水確率も高かったが、この急な雨さえしのげば、他の時間帯はさほど降らないらしい。少し迷ったが歩くことにした。

JR原ノ町駅から常磐線で浪江へ。原ノ町、浪江両駅とも初めてである。両駅ともJR東のスイカ対応駅だが、原ノ町は仙台エリア、浪江は首都圏エリアなので、原ノ町⇔浪江間をスイカで乗ることはできないとのこと。切符を買って乗車した。
浪江駅のスイカ改札では、4~5人のグループの何人かが何でダメなの? と言い、同じグループの1人がエリアを跨ぐのでダメなことを説明していた。やはり間違えてスイカで乗る人がいたか。

 


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9:10 浪江駅からこの日の街道歩き開始。帰還困難区域以北の陸前浜街道歩きは当初、浪江駅前からまっすぐ街道に出た地点と考えていたが、南の帰還困難区域の方へ少しだけ行ってみた。

 

高瀬川の橋の土手から
写真の山の裏あたりは帰還困難区域らしい

 

9:22 高瀬川の橋に着き、ここから北上。ここをこの日の陸前浜街道歩きスタートとしよう。少し変かな。

 


震災前の浪江町新町商店街解説


9:33 遠くで雷鳴がしてきた。急な雨が近いかも。震災前の商店街の解説があった。

 

ホタルブクロ

 

戊辰戦争殉難の碑

 

9:55 戊辰戦争殉難の碑を過ぎて5分ほど後から小雨が降り始めた。10:20 農家の作業小屋の屋根下を借りて雨宿り開始。けっこうな土砂降りになってきた。天気予報どおりだから、これは折り込み済み。スマホで雨雲レーダの情報を見ながら30分以上待ち、10:55 小雨の中歩き再開。

 

11:30 JR桃内駅のトイレを借りた。ここでも数分雨宿り。

 

常磐線の陸橋 桃内駅の少し北

 

12:40 小高駅前「めざせ殿様食堂」で昼食。浪江駅から 17,501歩、高瀬川の橋でUターンしてから11.0kmほど。13:10 昼食後歩きを再開。雨はすっかり上がり、陽が射し始めていた。

 

やや古い橋

 

13:30 やや古い橋を2つ渡った後、旧道の入口に差しかかったが、旧道と言うより民家への階段に見えた。ここは迂回。
その先にも旧道区間があり、短いながらも山道になったが、グランド脇を通る山道だった。あまり使われていないようなグランドだったが、脇の斜面では3人ほどが草刈り作業をしていた。旧道と思われる道は途中で途切れ、引き返し。草刈り作業員に会釈して、14:03 県道に出た。

 

道標

 

14:23 傾いた道標があり、「向、右 小高町至約一里、左 原町至約一里半」と書かれていた。
15時頃、溜め池脇の道を通った後、続きの道を間違え。引き返した。

 

檻わな

 

15:28 檻わながあった。大きさから見て、クマ用ではないだろう。この辺りではクマの目撃情報はないらしいが、クマに遭遇しませんように。

 

道標

 

15:30 道標があり、「安政七庚申 妙見社 八幡社 道」と刻まれていた。江戸時代の道標でも、こういう書体なら私でも読める。

 

相馬野馬追祭場地の碑

 

15:55 相馬野馬追の会場脇を通過。野馬というからには、昔は野生の馬がいたんだろうな。会場脇には空間放射線量計があった。

 

小林眼科醫院

 

16:20 やや古い建物の眼科医院があった。この医院前でこの日の陸前浜街道は終わり。昼食後は 11.7km。右へ折れ、原ノ町駅前のホテルへ。途中のコンビニでこの晩のビールとつまみを購入。16:40 原ノ町駅前のホテルに到着。昼食後は 20,141歩。

今年4月11日、陸前浜街道を起点の水戸から歩き始め、8日かけて5月18日に夜ノ森に着いた。しかし夜ノ森から先、浪江までの区間は大部分が原発事故による帰還困難区域を通っている。

 

↑陸前浜街道の夜ノ森~浪江と、関連する帰還困難区域
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避難指示解除された国道や県道などは表示省略。

 関連する白黒地図はこちら

 

帰還困難区域や避難指示解除の情報については、こちらのサイトから引用。
 

並行する国道6号線は2022年8月から徒歩での通行も解禁され、大野駅前と双葉駅前も避難指示解除されたようだが、地図を見ると旧街道の大部分は国道6号とは離れていて、帰還困難区域を通っている。まあ、これではしかたがないな。陸前浜街道歩きで、夜ノ森から浪江までの区間を歩くのは断念することにした。

さて、浪江から先の陸前浜街道歩きはいつ頃にしようか。天気がよくて気温も高くなければ6月中に行くのもありだが、梅雨入りも近いので秋以降かも。