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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

今年3月上旬のある朝、目が覚めたら左手親指に痛みがあった。湿布薬を貼ったが、なかなか治らなかった。

 

26.4.16(木)

近所の整形外科へ行ったら、骨ではなく腱鞘炎とのこと。湿布薬を処方された。しかし、それでも治らなかった。

 

26.5.14(木)

再び近所の整形外科へ。良くなるどころか悪化している。手術を考えた方がいいかも。とのこと。しばらく様子を見ることにし、湿布薬を処方された。ネットで検索してみたら、手術をする前に指サックを嵌めたり、薬の注射という治療法もあるようだ。

従妹の薬剤師が盛岡市内に住んでいるので聞いてみたら、この整形外科医の専門は形成外科らしい。セカンドオピニオン、他の整形外科を受診したほうがよさそうだ。

 

26.5.25(月)

この日は老人ホームにいる母を整形外科へ連れて行った。薬剤師の従妹によると、この医師は評判がいいらしい。自分もここで診察を受けることにした。

湿布では2ヶ月以上治らなかったことを話したら、まず指にサックを嵌める治療法を試し、それでもダメだったら手術になる。とのこと。指サック等の装具を扱う業者が来院する日時は決まっていて、最短は翌日 15:00とのこと。この最短枠を予約。

 

26.5.26(火)

予約した時刻に行き、指に嵌めるサックを決めて微調整。保険適用外で全額自己負担¥3,000。嵌めてくれた若い装具業者に、これは確定申告の医療費控除対象になるか聞いたが、わからないとのこと。

サックを決めた後に受診。医師によると2週間後に様子を診て注射をするかどうか決めるが、今日注射してもいい。ただし痛い注射ですよ。とのこと。
う~む。もう2ヶ月以上治らない状態だから、すぐに注射したほうがよさそうだな。この日の注射を希望。確かに痛かったが、これまでで一番痛いという訳ではなかったし、注射で痛い時間は十秒もなし。

注射後、指サックを嵌めて帰宅。嵌めたまま就寝。

 

絆創膏が注射箇所

 

26.5.27(水)

夜中 2:30頃目が覚めたら、注射の跡だけではなく左手親指全体が痛かった。薬が効き始めている証拠かな。明け方には痛みはやや治まったが、動かすとやはり痛かった。

 

26.5.28(木)

ネット上の情報では、腱鞘炎へのステロイド剤注射による効果は2~3日で出始めるらしい。この日はだいぶよくなっていた。このまま快方に向かいますように。

26.5.23(土)

震災復興で始まった東北絆まつり、東北六県それぞれの代表的な夏祭りを一箇所で実施。今年の持ち番は盛岡で、この土日に開催なので行ってみた。

 

26.5.18(月)

いわき駅前のビジホを出ていわき駅へ行き、前日と同じ時刻の下り列車に乗った。この日は月曜で、前日と違って高校生が大勢乗っていた。

 


↑この日歩いたルートと写真など
→地図が表示されない場合はこちら
紙で持ち歩いた白黒地図はこちら


8:30 竜田駅からこの日の街道歩き開始。すぐに陸前浜街道に出た。

 

風宮龍田神社


8:38 風宮龍田神社という碑があった。駅名は「竜田」で神社は「龍田」と表記が異なっているが、まあ、よくあることだ。

 

愛子内親王御生誕記念

 

龍田神社の手前には「愛子内親王御生誕記念」という石碑があった。今、安定的な皇位継承のためと言って、いろんな案が出されているが、皇族も人間。基本的人権を有しているのよ。皇族の意向も尊重した案になっているんだろうか。

 

田植機2台


8:52 緩い上り坂で田植機が2台追い越して行ったが、2台とも比較的若い女性が運転していた。農家の高齢化が問題になっている今日、やや珍しい気がした。食料安全保障は重要だよ。

 


左の旧道へ


9:35 楢葉町に入ったところで旧道へ。草が多かったがぬかるんではおらず、オンロード四駆車なら通れるだろう。

 


ケーブルに倒木


9:48 旧道未舗装路の途中、ケーブルに倒木がもたれかかり今にも切れそうだったので、電柱に書かれていた連絡先に電話連絡した。

 

筍→竹

 

10:16 タケノコが何本か高く伸び、下のほうは既に青タケになっていた。この光景は久々に見たような気がした。

 

大原本店旧店舗

 

10:50 大原本店旧店舗があった。富岡町指定文化財とのこと。

 

 

東京電力廃炉資料館


11:02 東京電力廃炉資料館に着いた。震災・原発事故前にこの辺りを通ったことがあるが、その当時は原子力発電の資料館だったような気がする。今思えば、その当時にも見学しておけばよかったな。11:00開始の見学ツアーに飛び入り参加できた。見学者は私を含めて5人。1時間ほどのガイド付きツアーの後、10分ほど自由見学。

12:20 廃炉資料館と道を挟んだショッピングモールへ行った。フードコートのテイクアウトカレーライスを買って昼食とした。歩き始めから 9.4km,15,865歩。10分ほどで食べ終わり、街道歩き再開。

 

除染作業中

 

13時過ぎ、除染作業中の場所があった。

 


空間放射線量の表示


国道に空間放射線量の電光表示があるのは、全国でもこのあたりだけだろう。環境省の基準では 0.23μSv/h以下となっているそうで、0.240μSv/hだと基準を少し超えているな。ただ、年間被曝量から計算した数値だそうで、ここにずっといる訳ではなく数時間で通過する分には問題ないだろう。なお、日本の他の地域の通常値は 0.04μSv/hくらいだそうだ。

 

帰還困難区域の表示


13:22 陸前浜街道歩きで、遂に帰還困難区域に到達。許可のない立入は禁止だから、ここは国道6号へ迂回。迂回先の国道6号も、東側の路肩からは帰還困難区域。避難指示解除となった道の西側を歩いたが、何が楽しくてそんなとこ歩くの? とか言われそうだな。まあ、酔狂な物好きには違いない。

 

13:36 帰還困難区域の少し手前で引き返した。この日の陸前浜街道歩きはここまでということになるのかな。JR夜ノ森駅へ。

13:50 放棄された家屋があった。原発事故直後の避難指示区域では空き巣の被害があったそうだ。ひょっとしたら、この辺りを歩くと職務質問されるかなとも思ったが、そのようなことはなかった。

 

夜ノ森駅


14:10 夜ノ森駅に到着。写真正面は旧駅舎を改築した待合室で、駅入口は左側。ホームが線路切り通しの中にあり、切り通しをまたぐ跨線橋に改札口がある構造だった。

 

駅前の空間放射線量計

 

写真を撮っている最中にも、表示値が変わった。

 

但野芳蔵翁顕彰碑


駅前に但野芳蔵翁顕彰碑があった。読んでみたら、灌漑事業の他、夜ノ森駅開設に貢献した人物とのこと。翁が震災や原発事故を見たら、何と言うかな。

 

駅改札内の空間放射線量表示


駅の改札内にも空間放射線量計があった。0.146μSv/h。14:30 夜ノ森駅のホームへ。この日の街道歩き終了。昼食後は 9,972歩,6.9km。14:42の上り列車でいわきへ戻った。