26.4.15(水)
常陸多賀駅前のビジホをチェックアウトし、いったん南へ向かった。国営ひたち海浜公園に到着。この時期がネモフィラの見どころ。
国営公園だけあって、かなり広いね。全エリアを回ると一日あっても足りないくらいだろう。1時間半ほど、ネモフィラのあるエリアを歩いただけで帰宅の途へ。
常磐自動車道に入り北上。19日に及ぶ旅を終えて、盛岡の自宅に帰った。
26.4.14(火)
ホテルを出てJR常陸多賀駅から常磐線の電車で小木津へ。
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8:20 前日に続き、小木津駅からこの日の街道歩き開始。ほどなく陸前浜街道に合流。その辺りが旧小木津宿らしい。
何の供養塔かな
合流したあたりに供養塔があったが、供養の上の二文字は読めなかった。何の供養塔かな。
磯原海岸
9:00 陸前浜街道歩きで、初めて海岸のそばに出た。
屋号のような社章のフェンス
9:22 旧河尻宿で、屋号に因むような社章が付けられたフェンスがあった。桜山と読めるような気もする。フェンスの脇では桜が葉桜になり始めていた。
伊師道標
9:56 伊師道標前を通過。ただし、旧伊師町宿とは離れているらしい。10:17 伊師町バス停を通過。この辺りが旧伊師町宿か。
長者山官衙遺跡
10:20 愛宕神社でトイレを借りた。神社の裏のあたりには、長者山官衙遺跡の解説板があった。
大東亜戦争徴用馬慰霊碑
県道からほんの少し離れて、山道を短区間下ったところに、大東亜戦争徴用馬慰霊碑があった。軍馬の慰霊碑か。ただ、復員した軍馬はいなかっただろうから、馬の遺骨が埋葬されているはずはないだろう。
北宿並木一本松跡
JR高萩駅付近の旧高萩宿を通過した先に、北宿並木一本松跡というのがあった。
11:55 JR常磐線を越える箇所があり、地下道があったが地下道は通らず、車道の跨線橋に併設された歩道で越えた。
長久保赤水誕生地
12:35 長久保赤水誕生地の碑の前を通った。長久保赤水という名は知らず、何をした人なのかな? と思って検索したら、日本で初めて経緯線の入った日本地図を作った人物で、伊能忠敬を日本地図の完成者とすれば、赤水は日本地図の先駆者とされるとか。はあ。今まで知らなかった。旧街道歩きをしてこういう知識を得られるとは、何かの偶然かも。
12:48 長久保赤水之墓の碑の前を通過。墓所は少し奥にあるようで、立ち寄らなかった。事前に赤水の名と功績を知っていたら立ち寄ったかも。
12:55 お食事処石水で昼食。歩き始めから 16.9km,26,667歩。店の名の石水は、長久保赤水に因む命名のような気もするなあ。13:20 昼食後街道歩きを再開。
14:30 大北川の白鳥飛来地に近い橋を渡った直後、陸前浜街道から分かれ、磯原駅へ。
からくり時計
磯原駅前にはからくり時計があった。磯原出身の野口雨情作詞の童謡を一日に何回か流すようだが、時間が合わず、聞くことはできなかった。
14:35 磯原駅に到着。この日の街道歩きはここで終了。昼食後は 8,056歩,4.9km。次の上り電車は 15:48で、1時間以上あったので磯原駅付近を少し歩いてみた。
船頭小唄の碑
磯原駅の反対側の西側には、船頭小唄の碑があった。野口雨情の作詞は童謡だけではないんだな。常磐線の電車に乗り、常陸多賀のビジホに戻った。
26.4.13(月)
JR常陸多賀駅から常磐線の電車で大甕へ。前回は 30kmを少し超える長めのルートで、昼食時の椅子で脚を痛めたりしたが、今回は20km未満と短め。
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8:45 大甕駅からこの日の街道歩き開始。
大甕神社
8:58 大甕神社に立ち寄った。9:02 大甕神社の近く、泉川道標前から陸前浜街道。
森山宿 一里塚跡
9:20 一里塚跡を通過。旧森山宿はこの少し手前のあたりかな。少し先には旧大沼宿があり、二つの宿場は近いから、合いの宿とかで月の半々で分担していたのかな。
黄門米の看板と幟
茨城県だけあって、水戸黄門に因んだ名の米の幟旗と看板があった。
助川城大手門趾
11:23 助川城大手門趾を通過。この辺りが企業城下町日立市の中心部かな。近くに一里塚跡もあるようなのだが、見つけられなかった。
日立市郷土博物館入口付近の馬頭観音
12:45 旧田尻宿のあたりで昼食。泉川道標から 14.4km,歩き始めから 23,767歩。13:20 昼食後、歩きを再開。
13:40 旧小木津宿のあたりで陸前浜街道から分かれて小木津駅へ。13:45 小木津駅に到着。昼食後は 2,109歩,1.4km。常磐線の電車で常陸多賀駅へ。ビジホに戻った。