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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.10.02(木)
ラトビアのリガで前回の洗濯をしてから5日経ち、そろそろ洗濯が必要。カウナスのコインランドリーを検索したら、ホテルから 1.5kmほど。レンタカーで行こうかとも思ったが、街中で駐車スペースがある保証もないので、歩いて行った。洗濯中に近くを散策。

 


ヴィタウタス大公像

 


何かのモニュメント

 


コインランドリー

 

コインランドリーに戻って気がついた。10kg用3台,15kg用1台,20kg用2台とあり、乾燥機に一番近い機械で洗濯したのだが、20kg用の機械だった。あれま。10kg用で十分だったのにな。乾燥機はガス式で、15分で乾いた。午前は洗濯と乾燥で終わった。

午後はカウナス(Kauņa)市内を見学。まず杉原記念館へ。杉原千畝の勤務していた領事館だった建物で、事前予約が必要。記念館は新市街外れ高台の上にあり、階段を上っていった。

 


杉原記念館

 


杉原記念館入口


受付で、スマホの予約確認メールを見せて入館。A4の紙1枚の館内案内図には日本語版もあった。パネルの解説はリトアニア語、日本語、英語。

 


訪問者の写真
左下:安部晋三夫妻、右下:岸田文雄氏

 

久慈市長揮毫の掛軸

 

私の出身地近くの岩手県久慈市は琥珀の産地のため、前々日泊まったクライペダと姉妹都市である。その縁だろうか、久慈市長が揮毫した掛軸があった。平成二十四年の銘なので東日本大震災の翌年。それで「絆」の字を書いたのだろう。

 

杉原千畝の執務室

 


命のビザを模した来館記念撮影パネル
左の写真の位置に自分の顔が表示される


記帳を見たら、前日カウナス駅で会った岐阜県八百津町からの団体と思われる人の書いたメッセージがあった。杉原記念館を後に旧市街方面へ歩いて行った。

 


モスク


1930年に建てられた、バルト三国初のイスラム礼拝所だそうだ。北欧に近い国でイスラム教のモスクを見ると、確かに違和感を持つ。しかし、だからと言って嫌悪してはいけない。それは排他主義に繋がり、挙げ句の果てにはナチスのようになってしまう。

 

市庁前広場


市庁前広場は全面改修工事中だった。

 


Volfas Engelman の標示がある屋外テーブル

 

前日、ホテル近くの Volfas Engelman 醸造所の前を通り、前日夜はその1853年創立の地ビールを飲んだ。この日街中を歩いたら、このような標示の屋外テーブルをいくつも見かけた。地元ではポピュラーなビールのようだ。杉原千畝もこの地ビールを飲んだだろうか。

 


バスターミナルで、ジョージア料理

 

ホテルの向いは長距離バスターミナルで、ショッピングモールやフードコートがある。ここでジョージア料理の夕食を取った。バルト三国のフードコートではジョージア料理の店を見かけることが多かった。バルト三国もジョージアも旧ソ連だった影響だろうか。確かに美味しい。数年前まで日本ではジョージアではなく、グルジアと呼んでいたな。ロシアのウクライナ侵攻後、ジョージアと呼ぶようになった。

ジョージア(グルジア)料理の夕食後、ホテルへ戻った。シャワーを浴びた後、この晩も地ビール Volfas Engelman を飲んだ。

25.10.01(水)
パーキングチケットの期限が 10:01までだったので、チケットマシンへ行って 12:28まで追加購入。ホテルをチェックアウトして荷物を車に積み、港の方へ歩いてみた。前日は曇りで、最高気温も10℃ほどで寒く感じたが、この日は晴れで少し暖かいように感じた。

 

帆船

前日の曇りでの写真に比べ、晴れていると綺麗に撮れるね

 

クライペダ港

 


ヨットハーバー


港を後に、旧市街へ入った。

 

クロネコ

 

KURONEKO という日本語の看板があった。ペット関連の店らしい。ヤマト運輸とは関連ないだろう。

クライペダを後に車で東へ。途中で一回給油した時、給油口の標示を確認したら、やはりガソリン車だった。

カウナス(Kauņa)のホテルにチェックイン。この日の走行距離は 228km。カウナスはリトアニア第二の都市だそうで、ソ連に併合される前は首都だったそうだ。「六千人の命のビザ」で知られる杉原千畝が勤務していた総領事館もカウナスにあったそうだ。ホテルを出て、近くを歩いてみた。

 


ビール醸造工場

 

Volfas Engelman という地ビールの工場があった。検索したら 1853年創立とのこと。黒船来航の嘉永6年創立か。ソ連時代は国有化されただろうけど、今はこうして甦っている。

 

カウナス駅

 

カウナス駅もソ連時代に建てられたらしく、無機質な造りの駅舎だね。駅の中にある杉原千畝のプレートへ行ってみたら、20数名ほどの日本人観光客がいた。聞いたら杉原千畝の出身地、岐阜県八百津町からきた団体で、町長も同行しているそうだ。

 

カウナス駅にある、杉原千畝のプレート

 


杉原千畝のプレート前で

 

カウナスの地ビール Volfas Engelman

 

ホテルに戻ってシャワーを浴びた後、ホテルのバーで、先ほど工場前を通った地ビール Volfas Engelman を飲んだ。

25.9.30(火)
ホテルからタクシーでヴィリニュス空港へ行き、レンタカーの事務所へ。10:00からの予約のところ、8:55頃に着いてしまった。他のレンタカー会社の事務所は既に開いていたが、私の予約した Europcarだけ開いていなかった。少し早過ぎたかな。

9:30頃職員3名がやって来て事務所を開けた。レンタル手続きをしたのは小柄な男性で、やりとりはもちろん英語である。日本の運転免許証を扱うのは初めてだという。もう一人のスタッフが「ニホンジンデスカ」と言ってきた。日本語を少し学んだことがあるようで、ひらがな、カタカナは知っているそうだ。


手続きをした小柄な男性スタッフは話し好きのようだった。車を売ったりしてはいけない。と言われた時は、思わず声を出して笑ってしまった。

予約した時は一番小さい車を予約したのだが、実際に借りた車は日産の QASHQAI。一人用としては少し大きめの車である。9年前、2016年夏に英国ロンドンで借りた車も QASHQAIだったが、英国だったので右ハンドルのはず。当時のブログにアップした記事を見たら、ディーゼル車だった。
今回は貸し出し時に 95 とか 98 と言っていたので、ガソリン車だよな。燃料を間違えてはいけない。左ハンドルでガソリン車の QASHQAIは初めてということになる。

空港を出て西へ。運転したことのある国はこれで36ヵ国となった。

 

借りた日産 QASHQAI

 

ナンバープレート

 

途中休憩

 

15:30 頃、バルト海に面したクライペダ(Klaipėda)のホテルに到着。フロントへ行ったら、ホテルの駐車スペースは満車で、付近にある市の駐車スペースに駐めるには UNIPARK というアプリで登録・支払いが必要とのこと。やれやれ、スマホがないとパーキングエリアも利用できない時代かい。いや、日本が遅れているのだろう。また氏名やらクレジットカードの番号登録かい。と思ったら、近くにパーキングチケットの機械もあるとのこと。1回だけの利用ならそっちの方が簡単だろう。

ホテルにチェックインをした後、教えてもらったパーキングチケットマシンへ行ってみたら、4言語ほど選択可能だった。もちろん英語もある。やはり英語標示があると助かるね。リトアニア語では操作できない。何時まで駐車するか選択できるようになっていた。翌日10時までを選択し、クレジットカードで支払った。

この日の走行距離は 322km。パーキングチケットを車のダッシュボードに置いて、いったんホテルの部屋に戻った。

 

クライペダの パーキングチケット

 

その後、市内を少し歩いてみたら、琥珀の店があった。私の出身地近くの久慈市は琥珀の産地のため、クライペダと姉妹都市である。

 

クライペダの帆船

 


壁にクライペダの地図

 

港近くには軍服を着た十数名の軍人がいた。肩章を見たらドイツだった。ここクライペダからロシア領の飛び地カリーニングラードまで 100kmあまり。ロシアの挑発に備えているのか。そういえばカリーニングラードは第二次大戦終了まで、ドイツ領ケーニヒスベルクだったな。