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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

奥羽三関のうち、白河の関念珠ヶ関は歩いて越えた。今回、関西からの帰りに、残る勿来の関も歩いて越えてみようと思い、陸前浜街道を歩くことにした。ただし一部は福島第一原発事故による帰還困難区域のため、その区間を歩くことはできない。許可を得れば入域できるらしいが、旧街道歩きでは許可されないだろう。

ルートは森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の、「茨城 3-1 岩城相馬道」,「福島 13-01 浜街道1」,「福島 13-02 浜街道2」,「宮城 03-01 江戸浜海道」と、ノブタイさんのブログ記事を参照した。

26.4.11(土)
ホテルを出て、JR常陸多賀駅へ。ホテル名には日立多賀と入っているが、駅名は常陸多賀で、表記が異なっているね。常磐線の電車で水戸へ。8:35 水戸駅から歩き始めたが、陸前浜街道起点までは 2km以上ある。

 

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8:52 備前堀


9:00 水戸街道から陸前浜街道に続くハミングロードに着いたが、水戸街道終点の碑はここより少し南にある。何でだろう。水戸街道を歩き終えてここに着いたのは14年前、2012年3月03日だった。

 

9:02 水戸街道宿場跡

 

旧本四丁目 陸前浜街道起点


9:05 陸前浜街道起点に到着。碑がある以上、ここが陸前浜街道の起点なのかな。水戸駅から 2.2km。

 

 

新船渡跡

 

9:40 新船渡跡に到着。今は渡船はないので、国道6号バイパスの水戸大橋に迂回。
10:12 新舟渡跡の対岸に到着。このあたりが最初の宿場、枝川宿らしい。
11:30 棚倉街道との追分を通過。


12:14 佐和バス停を通過。2番目の宿場、沢宿はこのあたりか。2kmほど南東には JR佐和駅がある。沢宿、佐和宿。昔の人はこういう表記の揺れに気を取られなかったようだ。何事にも正解は一つと決めてかかるのは、現代人のいいところでもあるが、悪いところでもある。正解は一つとは限らないのさ。

 

12:25 佐和一里塚趾

 

12:35 ラーメン店があったので昼食を取ることにした。陸前浜街道起点から 13.4km,水戸駅から 23,583歩。一人なのでカウンター席にしたが、椅子の足掛け位置がかなり高く、中途半端に膝を曲げた姿勢になった。これが失敗だった。食べ終わった後、椅子から下りて立ち上がったら、両脚ふくらはぎが痛かった。食べている最中、膝を変に曲げた姿勢を続けていたのが影響したようだ。この日の街道歩き予定コースは公共交通機関からやや離れていたため、距離は30km近くとやや長め。13:10 ふくらはぎが痛いながらも昼食後、街道歩きを再開。

14:30 国道6号線バイパスを渡れそうがなく、手前の横断歩道まで引き返した。脚が痛い時にこういうミスはよくないね。

15:20 3番目の宿場、大橋宿付近を通過。このあたりに、2005年に廃止された日立電鉄線の大橋駅があったらしい。自分の記録を調べたら 1978年12月22日に日立電鉄線に乗っている。48年前に大橋駅を通っていることになるが、もちろん当時の記憶などない。15:29 石名坂が見えた。脚が痛い時にこの坂を上らねばならないのかあ。

 

15:42 石名坂の榎

 

泉川道標

 

16:02 泉川道標前を通過。この日の陸前浜街道はここまで。旧街道から離れて大甕駅へ。16:20 大甕駅でこの日の街道歩き終了。合わない椅子のせいでふくらはぎを痛め、両脚が痛いながらも、何とか大甕駅に到着できた。昼食後は 19,131歩,11.5km。常磐線で常陸多賀駅へ。ビジホに戻った。

26.4.09(木)
関西での花見と旧街道歩きを終え、とりあえず帰路の方角、東へ。高槻駅近くのホテルをチェックアウトして名神高速に乗った。中央道に入り、信州諏訪のビジホにチェックイン。

26.4.10(金)
諏訪を出て大門峠を越え、佐久平に出た。上信越、北関東、常磐道を通って日立市へ。常陸多賀駅前のビジホにチェックイン。大阪・高槻から日立市まで約650kmほど。20代~30代の頃ならがんばって1日で運転した距離だが、もうそれほどの元気はなく、2日かけての移動とした。

26.4.06(月)
昨年春、東海道五十七次とも言われる京街道を高麗橋から歩いたのと、今回は前日までに西国街道を京都・東寺から西宮まで歩いたので、今度は高麗橋から中国街道を西宮まで歩いてみることにした。ルートは森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の「大阪 06-08 中国街道.pdf」,「兵庫 07-01 中国街道.pdf」と、「街道の歩き方 旧山陽道(西国街道)」の地図を参照。
高槻市駅で阪急京都線→地下鉄堺筋線直通の電車に乗り、北浜駅で下車。9:00 前、この日の街道歩き開始。

 

高麗橋

 

昨年4月02日、旧京街道を歩き始めた時と同様、高麗橋へ。9:06 国道1号線の終点で、国道2号線の起点でもある高麗橋から中国街道ウォーク開始。高麗橋と同様に都市高速の高架下にある東京日本橋では、首都高の高架を地下化することになったが、高麗橋にも阪神高速地下化の話しはないのかな。

 


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9:14 紀州街道との追分通過。ここから1.5kmほど、森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の「大阪 06-08 中国街道.pdf」,「兵庫 07-01 中国街道.pdf」と、「街道の歩き方 旧山陽道(西国街道)」の地図とで、ルートが異なっている。森塚良郎氏のルートを歩くことにした。

 

大阪俵物会所跡

 

9:18 大阪俵物会所跡を通過。江戸時代、日本全国の米価はここで決まったそうだ。(追記)後で調べたら、米価が決まっていた場所はここではなく、堂島米市場だそうです。訂正します。

 

淀川を渡った先、大阪駅、梅田駅付近では何回か道を間違えた。10:06 今年3月、鋼鉄の管が13m隆起した事故の現場を通過。地下水の圧力で浮き上がったそうだが、老朽インフラの整備は、これからだんだん遅れて間に合わなくなることが増えるだろうな。

 

淀川の往来安全燈

 

10:40 頃、新淀川の十三大橋を渡った。昔は十三の渡しだったそうだ。東隣には日本の私鉄で唯一の三複線区間の鉄橋がある。橋を渡っている間にも何本も電車が走って行った。

 

十三渡し跡

 

十三の辺りは怪しげな看板とか多いのかなと思っていたが、そんなことはなかった。まあでも、特定のエリアにはあるんだろうな。

 

神崎川 長い橋は山陽新幹線

 

12:10 神崎川に架かる神崎橋を渡り、兵庫県尼崎市に入った。昔の渡しは橋の少し上流側にあったらしい。橋を渡った後、堤防を遡り、神崎街道との追分へ。その辺りが旧渡し場跡らしい。

その先、道標が何か所かあったが、古い道標だけでなく新しい道標も多数あった。

 

 

 

 

新旧の道標をいくつか

 

 

13:35 尼崎城下解説があった。尼崎というと工業都市のイメージが強いが、城下町だったのか。

 


本町ビルというけっこう古い建物があった。

 

道標


阪神電鉄出屋敷駅前で飲食店を探したが、ほとんどは閉まっていた。14:20-14:40 マックで遅めの昼食。関西ではマクドと呼ぶんだっけ? 歩き始めから 18.6km,29,525歩。昼食後歩きを再開。

 

雉が坂解説

 

15:17 武庫川の堤防に出たら、雉が坂の解説板があった。秀吉の中国大返し中の逸話があるそうだ。
16:23 前日歩いた西国街道に合流。この日の中国街道歩きはここまでかな。昼食後は 10,247歩,6.8km。
16:37 JR西宮駅でこの日の街道歩き終了。JRの電車で高槻へ。ホテルに戻った。

さて。京都から西国街道を、大阪から中国街道を歩いてどちらも西宮まで達したが、この先はどうしよう。中国街道、山陽道がどこからどこまでかは明確な定義はないが、広義には下関までの街道を指すそうだ。とりあえず西宮まで踏破したが、全区間を歩こうとすると奥州盛岡から来るには遠すぎるし費用もかかる。2つ前の記事のとおり、来年も京都での花見に来るだろうから、その時に西宮から先を何日かだけ歩いてみようかな。