M3Variant : 高齢者の仲間入りしました -4ページ目

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

母は東京での孫の結婚式(6月28日)に出席してから8日後に入院し、入院から7日後に亡くなった。一気にガタッと崩れた気がする。

 

26.7.13(月)
入院先から母の私物を自宅へ持ち帰り、自宅から必要な物を持って葬儀場へ。都内に住む私の弟(次男)は既に来ていた。同じく都内に住む弟(五男)は土曜から来ていたが、勤務先に連絡して今週は忌引きにしたとのこと。

葬儀日程を検討。3日後の16日(木)は友引。今では六曜など気にせず冠婚葬祭をすることも多いが、実家のある田舎では気にする人も多いので、16日は避けることにした。15日(水)では2日後と慌ただしくなるので、17日(金)に火葬・葬儀をすることに決めた。
通常は火葬の後に葬儀をするようだが、家族葬にして会葬者を減らすという弟(四男)の筋書きにより、葬儀の後に火葬という順序にした。また、家族葬だと強調するため、地元紙に死亡広告を出すことにした。これも盛岡市内に住む弟の筋書きである。地元紙の記者と打ち合わせ。
納棺前の遺体の水抜きでは、4リットルも出たそうだ。確かに右肺のあたりがかなり膨らんでいたもんな。死装束、死化粧をして納棺。午後からは、早くも葬儀場へ弔問者が来始めた。

26.7.14(火)
県会議員をしている高校時代の同級生から電話。地元紙の死亡広告を見たが、私の母かとの確認だった。葬儀場に隣接した部屋には2人分のベッドがあり、この日は私と私の弟(次男)が泊まった。

26.7.15(水)
弔電が届き始めた。件の県会議員の他、政治家何人かからも来たが、2通送って来た議員もいた。弔電の手配など秘書に任せているんだろうけど、こういう虚礼はいかがなもんか。

26.7.16(木)
私の弟(五男)の妻子が来た。夕方、郊外にある冷凍していない生羊肉のジンギスカン屋で会食。20世紀頃の母は、親族の葬儀の時は「精進期間だ」と言って肉食をしなかったが、今では実家の方の田舎でもそんなことをする人はいないだろう。

26.7.17(金)
葬儀当日。早目に自宅を出たが、スマホを忘れたため引き返し、9時前頃に到着。半月前に挙式を挙げた孫(私の甥)夫妻を含め、母の孫6人が集合。10:00~葬儀。12:30~火葬。
母は30年近く前に硬膜下血腫のため開頭手術を受け、チタン合金のネジで手術跡の穴を塞いでいる。収骨の際、頭蓋骨にチタンネジと思われる物が着いていた。開頭手術と言っても、開ける穴はこの程度の小さな穴なんだな。
火葬後、いったん葬儀場に戻ったあと、遺骨箱を持って自宅へ。自宅の仏壇に遺骨箱と位牌を置いた。夕方、近くのうなぎ屋で慰労会。

26.7.11(土)
2週間前に結婚式を挙げたばかりの孫(私の甥)夫婦が、母の入院先に面会に来た。昨夜、盛岡に前泊したそうだ。また、都内に住む息子(五男:私の弟)が面会に来た。私の家に一泊。この日の母は面会者に対して、短い会話がなんとかできていた。

26.7.12(日)
母の病状が伝わり始めたようで、親戚の何人かから電話があった。この日の母はもう目を開けず、眠たままになった。夕方からは呼吸が荒くなってきた。東京での孫の結婚式に出席してからちょうど2週間。ずいぶん症状が進んだなあ。今日明日で終末だろう。夜は私の弟2人が病院に残ることになり、私はいったん帰宅。ビールを3缶飲んだ。

26.7.13(月)
深夜2時半過ぎに電話の着信音。遂に来たか。自宅から母の入院先は 500mほどの近さ。まだ酔いが残った状態で歩いて病院へ。私の弟2人の他、弟(四男)一家と母の弟1人が既に来ていた。呼吸と脈拍は既に止まっていた。3:51 医師による死亡確認の後、酸素吸入とモルヒネ注入が取り外された。癌と言われたのが昨年3月、老人ホーム入居が昨年12月、先週月曜(7/06)の入院から1週で亡くなった。死亡診断書に記載された死因は、胆管細胞癌→右癌性胸膜炎→急性呼吸不全。
弟(四男)の手はずどおり、6時前に葬儀社の車で葬祭場へ遺体搬送。私はまだ酔いが残っていたので、弟の運転で自宅へ戻った。

前の記事に書いた孫の結婚式で東京一泊往復した後、母は体調を崩した。

26.7.01(水)
老人ホームから連絡があり、SPO2(酸素飽和度)が90%前後とのこと。提携病院へ。利尿剤を処方してもらった。

26.7.06(月)
SPO2(酸素飽和度)90%前後のまま。食も細いとのこと。再び提携病院へ。CTを撮ったら、心臓の周りに水が溜まっていて要入院とのこと。
幸い、すぐに入院先が見つかったが、盛岡では終末期医療の入院先として知られている。母いわく「xx病院と聞いて諦めた。」母を車に乗せ、老人ホームには戻らず、入院先へ直行。

CTを撮ったところ、右肺に水が溜まっていた。左肺だけで呼吸をしているような状態らしい。担当医によると、左右の肺でこれだけ非対称に水が溜まるのは珍しいらしい。肝内胆管癌が右側から来たのかな。「浸潤」と呼ぶんだっけ? がん細胞でなく胸水だけだと浸潤には当たらないのかな。入院と同時に酸素吸入が始まった。

そういえば孫の結婚式で渋谷のホテルに泊まった時、転んで右側から倒れたと聞いた。肝内胆管は体の右側にあるので、倒れた時の圧迫で右肺に影響が広まったのか、あるいは東京往復で疲れが出たのか、孫の結婚式まではと我慢してたのか。

26.7.07(火)
都内に住む息子(次男:私の弟)の妻が面会に来た。入院初日の昨日はそれなりに会話できていたが、この日はたどたどしくなり始めていた。一晩でずいぶん症状が進んだな。


26.7.08(水)
妻から聞いたのだろう。都内に住む息子(次男:私の弟)が面会に来た。私の家に一泊。

26.7.09(木)
都内に住む息子(三男:私の弟)が来て、沿岸の実家へ。

26.7.10(金)
朝、医師から電話。そろそろ看取りの段階へ移行し、モルヒネの投与を始めるとのこと。母はモルヒネ投与に同意したが、弟のことを気にしているとのこと。母の弟(私の叔父)2人の意向を聞き、2人が到着してから投与開始と決めた。

11時過ぎ、沿岸の実家から弟(長男:私の叔父)を連れて私の弟が来た。叔父の2人の娘(市内在住)も来ていた。ほどなく都内に住む弟(次男:私の叔父)も来た。この6人で会食。

 


会食を終えて病院に戻った後、モルヒネの投与開始。さて。もはや回復することはないのは間違いない。この先、いつまでもつかな。