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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.6.10(火)

観光ホテルでの朝食後、8:50 この日の旧街道歩き開始。

 

↑この日歩いたルートと写真など

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9:00 コンビニでおにぎりと麦茶を購入。事前に調べたらこのコンビニの前に「森の越」バス停があるはずだったが、現地にバス停はなかった。帰りの路線バスでも案内放送がなかったので、どうやら廃止されたようだ。

9:10 住宅地の中の旧道跡らしき道へ入りかけたら、近くにいた人から、行き止まりだし熊も目撃されているから、現国道を歩いたほうがいい。と言われて引き返した。

 

熊出没注意

 

そのすぐ先に「熊出没注意」の真新しい表示があった。

 

神滝

 

9:40 国道脇に神滝という滝があったので立ち寄った。

 

カワシンジュガイ採捕禁止

 

9:45 国道の旧道に入った直後、「カワシンジュガイ採捕禁止」という表示があった。帰宅後に検索したら、淡水性真珠が採れる他、螺鈿の材料にもなるそうだ。

 

石灰岩の露頭?

 

国道旧道の途中には石灰岩の落石があり、川の中には石灰岩らしき白い岩の露頭が見えた。やはりこのあたりは石灰岩が多いな。

10:20 旧街道が川から離れて峠へ迂回している区間に差しかかったら、砂防ダムで遮られているようだった。ここは現国道を進んだ。

 

道の駅でジェラート

 

10:40 道の駅「いわいずみ」に到着。トイレを借りた後、ジェラートで涼を取った。

 

気温29℃

 

道の駅の前には気温29℃の電光表示。もうじき梅雨入りだろうな。

 

岩泉球場

 

道の駅の隣には楽天イーグルス岩泉球場があった。イースタンの試合が開催されることもあるそうだ。

11:40 カワシンジュガイ採捕禁止の表示をまた見かけた。

 

台風10号洪水浸水深

 

12:27 2016年の台風10号洪水での浸水位置を示す表示があった。この洪水のニュースはよく覚えている。観測史上初めて東北の太平洋側から台風が上陸し、ここ小本川が氾濫して、近くの乙茂地区にあった高齢者グループホームで入所者9人が死亡した。この事故により、「避難準備」情報が「高齢者等避難」と名称変更されることになった。

 

岩泉町PRキャラ 龍チャン

 

12:45 生コン工場の塔に、岩泉町PRキャラ龍チャンが描かれていた。

 

過去の津波浸水区間

 

13:40 小本の町の手前に、盛岡から97kmを表すキロポト。その先には過去の津波浸水区間の表示。小本の町に入り、中野の古碑群の前を通ったら、横積みにされている石碑もあった。

 

つるべ井戸

 

13:56 つるべ井戸とその解説の前を通過。

 

琺瑯看板 煙草小賣所

 

つるべ井戸のすぐ先には「煙草小賣所」の琺瑯看板を掲げた元商店があった。書体からみて戦前の看板かな。

 

元商店の先、岩手中野バス停に到着。旧小本街道の終点がどこかは定かでないが、『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)の地図では、このあたりで旧街道が終わっている。このあたりが小本の中心部だったのかな。ここでゴールとしよう。

旧街道を引き返し、14:05 岩泉町役場小本支所に到着。歩き始めから 20.0km,30,575歩。この支所は三陸鉄道岩泉小本駅と繋がっている。数年前のJR岩泉線の廃止により、岩泉町唯一の鉄道駅となり、駅名も小本駅から岩泉小本駅に改称された。

支所には東日本大震災による津波や、近隣で採掘された化石の展示などがあった。これらを見学した後、岩泉小本駅前定刻 14:38の路線バスで岩泉へ戻った。盛岡へ帰宅できる時間ではあるが、この日も岩泉の観光ホテルに泊まった。

今年春の旧街道歩きは4月02日に大阪・京街道から始め、意図した訳ではないが北東方向に進んできた。2か月以上経ってだいぶ暑くなってきた。前日は中国・近畿・東海で梅雨入りし、この日は北陸・関東甲信が梅雨入り。東北南部・東北北部はこの時点では未だだったが、翌日は雨の予報。次の旧街道歩きは秋にしよう。

前回までの旧小本街道歩き5回は、いずれも盛岡の自宅からの日帰りで、1日4往復しかない盛岡⇔岩泉龍泉洞のバスを利用した。6日目の今回は、予定ルートとバス時刻との兼ね合いで日帰りとはいかないため、前泊したうえで、2日続けて歩くことにした。

25.6.08(日)
車で岩泉町へ。岩泉町の手前で、翌日歩く予定の林道を下見がてら通ったら、FF車でも十分通れる道だった。岩泉町内のホテルにチェックイン。
岩泉町の中心部から 2kmほどのところには、日本三大鍾乳洞の一つ龍泉洞がある。このホテルも観光客が主なターゲットのようだ。私は龍泉洞を何回か見たことがある。最後は40年以上前だが、今回も洞窟見学はやめておいた。
旧街道歩きでビジホではなく観光ホテルに泊まるのはいつ以来かな。一昨年、三国街道歩きで猿ヶ京温泉に泊まったので、おそらくそれ以来だろう。

25.6.09(月)
朝食後、コンビニでおにぎりと麦茶を買ってから、盛岡駅行きの路線バスに乗って袰綿新町バス停へ。
この日歩く旧小本街道の予定ルートは、国道455号から北側に離れた山中を通る。現国道は小本川沿いのルートだが、谷幅が狭く、旧街道は川沿いの難所を避けて山中を通るという、よくあるパターンである。

 

↑この日歩いたルートと写真など
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8:30 袰綿新町バス停からこの日のウォーキング開始。バス停近くの洞岩寺に立ち寄った後、旧小本街道へ戻った。

 

袰綿の古碑群?

 

『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告』記載の「袰綿の古碑群」はどこだろうと、地図を見ていたら、スクーターに乗った70代の男性から、何か探しているのか聞かれた。地図を見せたが、古碑群など聞いたことがないとのこと。ただ、そこから少し先に、それらしき石碑があった。スクーターの男性は古碑群と聞いて、何か仰々しい遺跡のようなものを想像していたのかな。

 

旧道上り口の橋

 

袰綿の集落のすぐ東側は急な坂になっていて、前回記事のマイマップに書いたとおり、現道とは離れた旧道を通れるか確証がなかったが、行ってみたら難なく通れた。FF車でも何とか通れるだろう。

舗装路に出た後、9:10 80代くらいのお婆さんから話しかけられ、熊に気をつけるよう言われた。その5分後、今度はトラクターの脇にいた60代くらいの男性から話しかけられ、やはり熊に気をつけろと言われた。

 

松橋の古碑群

 

砂防ダム

 

軽い峠というか、尾根を一つ越えて松橋の古碑群前を通過した後、旧街道のルートは砂防ダムで遮られていた。
砂防ダムを迂回する道を進んだら、9:45 70代くらいの男性が下草刈り作業をしていた。2日前に二升石の近くの何とかという場所で熊が目撃され、パトカーが出動したとのこと。3人続けて熊に気をつけろと言われたことになる。う~む。この日のルートは熊要注意のようだ。

9:48 林道金山線の標識があった。右に折れる道が林道金山線で、そこから未舗装となる。
10:08 前方100m弱のところを白黒の動物が歩いているのが見えた。色から見て熊ではない。野犬かな。その数分後、前方50mほどの所を、カモシカが右から左に駆け抜けていった。少しびっくりした。

10:43 金山峠旧道入口に着いた。旧街道は小本川沿いの難所を避けてこの峠を越えていたことになる。よくあるパターンだな。峠への旧道へ進むか、このまま林道金山線を進むか少し迷ったが、旧道を行ける所まで行ってみることにした。ただし無理は禁物。引き返す勇気も大事である。

 

金山峠手前 かぎかけ大明神

 

やや急な上り坂だった。オフロード車でないと通れないだろう。途中「かぎかけ大明神」という碑と鳥居があった。
11:00 前、右へ下りる道の痕跡があったので、ここが金山峠かな? と思ったが、確証がなかったのでそのまま少し先へ行ってみた。峠を過ぎて山へ向かっているとすぐに気づき、引き返した。5分ほどで先ほどの左へ下りる道の痕跡へ。国土地理院の地図にも載っている道だが、車が通れる道ではない。ただ、籔でも草ぼうぼうでもなく、ぬかるんだ箇所もわずかで、通るのは割と楽だった。

11:18 道の跡から林道に出たが、どうも林道金山線ではなさそうだ。右の方を見たら、ロープが張られているのに気付いた。ロープの向こうが林道金山線で、ロープの手前外側、峠から出たところは支線の林道ということだった。

『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)によると、旧街道は林道金山線の東半分くらいからは離れて、山を下っているようだ。11:45 その離れ始めるあたりを通ったが、旧道らしき道はなく、そのまま林道金山線を進んで大きく迂回することにした。

 

宇霊羅山

 

12:30 宇霊羅山の石灰岩らしき山肌が見えた。この下に日本三大鍾乳洞の龍泉洞がある。宇霊羅山登山口があり、反対側の道は岩泉の街に繋がっているように思えたので、行ってみたら、宇霊羅山和山稲荷という鳥居と祠があり、そこから街に至る道は害獣除けの電気柵で阻まれていた。しかたなく林道へ引き返した。

12:52 舗装路に出た。やれやれ。クマには遭遇しなくて済んだようだ。とは言っても、最近のクマは市街地にも出没するそうだから、油断禁物。

 

岩泉町のマンホール

 

練乳通り

 

13:03 川沿いの道に「練乳通り」という標柱があった。練乳というとコンデンスミルクのことだと思うが、生産しているのかな。13:13 岩泉大明神に立ち寄り、持参したコンビニおにぎりの昼食とした。

13:30 旧街道が林道金山線から離れて山を下ったあたりまで行ってみたが、すぐ先で草ぼうぼうになっていて、やはり通れそうがなかった。林道からここまでの区間は2kmほどもあるので、やはりここは林道へ迂回するのが安全だろう。旧街道出口から引き返し、岩泉町内の旧小本街道ルートを進んだ。

 

八重桜蔵元

 

はば坂

 

「馬場坂」かと思ったら、「はば坂」だった。

13:50 ホテルへ戻った。この日の街道歩きは、かなり早めの終わりとなったな。歩いた距離は 18.3kmほどで、30,188歩。荷物を置いてコンビニへ行き、夕食用のビールとつまみを買い、ホテルの大浴場で入浴した後は部屋でのんびりした。

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