M3Variant : 高齢者の仲間入りしました -5ページ目

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.6.02(月)
この日歩く旧小本街道の予定ルートは、前後の区切りの関係で約12kmと、かなり短め。余裕があるので、途中で旧街道から少し離れた場所も訪れる予定にした。

 

 

↑この日歩いたルートと写真など

印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 


道の駅三田貝分校

 

前回と同じバス便に乗って、10:45 道の駅三田貝分校からこの日の街道歩き開始。三田貝川沿いに、おおむね国道455号とその旧道を歩いた。

正午過ぎ、三田貝川が小本川に合流する名目入に着いた。国道455号と国道340号との合流地点でもある。この国道340号は、昨年秋の八戸街道歩きと一昨年春の釜石街道歩きでも一部区間を歩いたなあ。


ここから340号沿いに北西方向に寄り道。かつて日本粘土鉱業が煉瓦製造用の粘土を採掘していた場所へ向かった。

 

名目入 粘土採掘場跡からの眺め

 

行ってみたら盛土で整地されていて、跡形もなかった。かつては↓のリンクのような場所だったそうだ。
http://keitandan.web.fc2.com/03nihon-nendo_nameiri.html
http://a6061.la.coocan.jp/nameiri2.html

 

粘土採掘場前の通り

 

粘土採掘をしていた頃は、採掘場前の通りも賑わっていたんだろうなあ。

名目入を後にして旧小本街道へ戻り、小本川沿いに国道340号の旧道を下った。途中の岩泉町役場小川(こがわ)支所では、敷地内で建物の工事中だった。

 

不味庵のベンチで昼食

 

13:05 支所の先にある不味庵という寺に立ち寄ったら、鐘楼脇にブランコとベンチ,テーブルがあったので、そこで持参したコンビニおにぎりの昼食とした。不味庵という名の場所で昼食というのも妙な組み合わせだな。歩き始めから 10.5km,15,335歩。

 

有形文化財解説

 

額に書かれた解説によると、不味庵には町指定有形文化財の経典600巻があるそうだ。

 

石畑の古碑群

 

昼食後、街道歩き再開。『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)に記載されている、門の古碑群,石畑の古碑群,滝野神社・古碑群と思われるところを通過。

 

そんでこ節/しょんでこ節

 

14:10 袰綿の集落に差しかかり、国道から離れて旧道に入ったところに、「そんでこ節」の碑があったが、碑文には「そんでこ節」、標柱には「しょんでこ節」と書かれていて、名が食い違っている。どちらの名にせよ、この民謡は今まで知らなかった。帰宅後にユーチューブで聞いてみたが、やはり初めて聞いた気がした。

14:18 袰綿新町バス停に到着。ここでこの日の街道歩き終了。昼食後は4.3km,6,396歩。ここから盛岡行きのバスは1日4本。最終 16:21発でいいと考えていたが、定刻 14:21の便にちょうど間に合ったので、それに乗って帰宅。

25.6.03(火)

 朝、タイマーで起動されたニュースをうつらうつらしながら聞いていたら、長嶋茂雄氏死去のニュース。あれまあ。亡くなられましたか。

 長嶋氏は昭和11(1936)年2月20日生まれ。私M3Vは昭35(1960)年2月20日生まれで、ちょうど2周り違い。長嶋氏が何かで報じられると、24年後の自分はこんな感じなのかな。とも思ったけど、偉大なアスリートと比べるのは不遜でおこがましい。月とすっぽん。ミスターのようになれるはずもなし。

 

 そうこうしていたら、ウクライナがドローン攻撃でロシアの戦闘機41機だかを破壊したとのこと。強大な敵に対しては、やはりこういうゲリラ攻撃が有効なんだな。

 

 とか思っていたら、競争入札米を買い戻して随意契約し直すというニュース。あれまあ。JA農協の損失回避かい。

 農林族ドンのM氏あたりが小泉Jr. に圧力をかけたのかな。彼らにとって最重要なのは既得権益維持。すっぽんみたいかも。やはり日本の農業,農家や消費者は二の次なんだね。誰のための農政なんだろ。

25.5.29(木)

この日歩く旧小本街道の予定ルートは、北上川と太平洋との分水嶺である早坂峠を越える。現在の国道455号は早坂トンネルで峠を貫いているが、トンネル開通前の旧国道は、トンネルの北側をくねくねとしたルートで通っている。また旧街道は一気に峠へ上り、一気に下っていたようだ。

そんな訳で今回は国道の旧道で峠を越えてから、その後に現国道を通ることにした。旧国道は2車線の舗装路だが標高差があるので、この日に歩く予定距離は約17kmと短めに抑えた。

 

↑この日歩いたルートと写真など

印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

前回と同じ便のバスに乗って、10:30 末崎バス停からこの日の街道歩きを開始。すぐに現国道から分かれて旧道へ。

 

早坂高原入口

 

10:40 廃屋のあたりに、早坂高原入口と書かれた標識があり、その先の橋を渡った後に、旧道の痕跡らしき山道があった。旧道はここからまっすぐ峠へ向かっていたようだ。

11:20 早坂峠の平らな部分に到着。とがった峠ではなく、鞍部のような地形である。峠は北上川と太平洋との分水嶺で、盛岡市と岩泉町の境でもある。「牛追の道」碑があり、旧道の地図が書かれていた。ビジターセンターがあり、そこのトイレを借りた。

 

早坂峠 標高905m

 

峠の東側(太平洋側)は西側より標高差が大きく、傾斜もきつかった。くねくねとした旧国道を下って行くと、右側に急斜面や急な沢が何か所も見えた。旧街道はこれらを避けたルートだろうが、難所だっただろうな。

 

旧道山道の出口にある道標

 

1時間ほど下ったら旧小本街道の道標があり、旧道の山道出口らしき痕跡があった。旧道は峠から下ってここに出ていたらしい。道標から数百メートルほど先で現国道に合流。標高は650mほど。峠から標高差250m以上を下ったことになる。

早坂トンネルの出口が見えた。このトンネルは、東側出口に向かって下り坂になっている。峠の西側より東側が急になっていることが、このことからもわかる。合流地点に電光表示があり、気温26℃と表示されていた。

 

岩谷清水

 

12:55 岩谷清水と書かれた表示があり、パイプから水が出ていた。名水なのかな。

 

牛横断中の表示板

 

13:10 酪農家だろう。家の前に「牛横断中」という看板があった。国道を横断させる時に使っていたのだろう。

 

道の駅三田貝分校

 

14:20 道の駅三田貝分校に到着。元分校の校舎を道の駅に改装したものらしい。閉校の記念碑もあった。ここでこの日の街道歩き終了。歩き始めから 16.5km,25,044歩。

三田貝分校バス停 定刻 14:50の路線バスに乗って帰宅。