M3Variant : 高齢者の仲間入りしました -6ページ目

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

26.4.02(木)
一昨日の西国街道歩き初日は、雨のため途中の向日町で切り上げた。この日はその続き。高槻のホテルを出て、JR高槻駅から向日町駅へ。

 

→地図が表示されない場合はこちら
印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら 

 

JR向日町駅は駅改良工事中らしい。橋上の駅舎は新築されたものらしいが、ホームや出入口は工事中だった。9:30 JR向日町駅からこの日の街道歩き開始。出入口は西側にあり、すぐ前が旧西国街道である。改良工事で東側にも通路を伸ばすのかな? そのようには見えなかった。

 


光明寺道の大道標

 


築榊講常夜灯と道標

 


常夜燈

 

10:00 向日神社に立ち寄った。「府社」の部分が埋められた痕跡あり。かつては京都府の府社だったのだろう。戦後の政教分離で府社、県社、村社という石碑が埋められて消されたものはよく見かける。

 

五辻の常夜燈と道標

 


須田家住宅

 


一文橋
通行料が一文だったのでこの名になったそうだ。

 


調子八角


11:15 調子八角の道標解説付近に、カードが落ちていた。京都パープルサンガのサポーター証が入ったビニールケースだった。放っておこうかとも思ったが、交番か警察へ持っていくことにした。

 

大山崎町


11:24 大山崎町に入った。本能寺の変の後、中国大返しをした秀吉が光秀を破った山崎の合戦の地である。今年の大河ドラマ、豊臣兄弟にもいづれ登場するだろうな。

11:50 大山崎駅前付近に交番があったので立ち寄った。交番には警察官がいないことが多いような気がするが、この時は珍しく警察官がいた。調子八角で拾ったビニールケースを渡したら、警官はすぐに中身を確認し、パープルサンガのサポーター証の他、自動車運転免許もあることに気付いた。
あれま。運転免許もあったんだ。持って来て届けてよかったな。謝礼の連絡先を聞かれたが、謝礼など不要と言ったら、私の名や住所は聞かれなかった。

 

サントリー山崎
今、NHKでマッサンの再放送をしているなあ。

 

煉瓦積みの跨道橋

 

12:48 東海道本線の下を潜ったが、煉瓦積みアーチだった。かなり古いものだろうな。反対側(西側)はコンクリートで、複々線化の際に併設されたものだろう。

13:05 新名神高速道路の高架工事か所に着いた。旧街道は通行止のため迂回路へ。

14:00過ぎ、西国街道から左に折れてすぐ、高槻のホテルに到着。向日町から 27,009歩,17.3km。いったんホテルの部屋に戻った後、周辺を見学。

昨年春、東海道五十七次とも言われる京街道を歩いたので、今年は西国街道を少しだけ歩いてみることにした。ルートは森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の、「京都 03-01 西国街道.pdf」,「大阪 06-01 西国街道.pdf」,「兵庫 02-01A 山陽道A.pdf」と、「街道の歩き方 唐街道・山崎通り」の地図を参照した。

26.3.31(火)
前日、大阪府内のホテルにチェックインしたが、この日の朝は予報どおり雨。街道歩きは止めてホテルのランドリーで洗濯。乾燥機で洗濯物を乾かした頃、陽が射してきた。降水確率は高かったが、午後は回復傾向とのことだったので、急遽歩くことにした。初日は京都から高槻まで25kmほどを予定していたが、それは無理だろう。山崎あたりまでは何とか歩きたいな。

高槻のホテルを出て、JR高槻駅から京都駅へ。2009年3月21日、旧東海道を踏破して京都三条大橋に着いたが、京都に来るのはそれ以来。17年ぶりとなる。

 

10:50 京都駅南口からこの日の街道歩き開始。烏丸通りを南下したら小雨が降ってきた。九条通へ右折。

 

    ↑この日歩いたルートと写真など
    →地図が表示されない場合はこちら
   印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

11:18 東寺前に着いた。ここが西国街道起点である。

 

東寺。この前が西國街道起点

 

羅城門前の神社の道標

 

11:29 羅城門前の神社に着いた。小雨が降ってきたので、ここで数分間雨宿り。この神社が羅城門跡と思ったが、後で調べたら羅城門があったのは、この神社の裏のあたりらしい。雨が弱まった頃、街道歩き再開。

 

道標。向かって右のは新しいものだろう。

 


ひむき地蔵

 

12:10 桂川に架かる久世橋を渡った。

 

ブラジル柔術
こういう名の武術があるのか。

 

12:45 雨が強くなり、JR東海道線の下を潜る地下道に駆け込んだ。地下道出口で10分ほど雨宿り。JR向日町駅が近かったので雨足が弱まったのを見計らって駅へ。駅で20分ほど待ったが、雨が弱まる気配はなかった。ここでこの日の街道歩きを終了することにした。東寺前から 5.9km。街道歩きとしては短い距離となったが、仕方がない。

JRで高槻へ。高槻に着いた頃には雨は止んでいた。駅前のホテルに戻った。午後から回復傾向との予報だったが、雨雲の通り道に当たってしまったようだ。まあ、こういうこともあるさ。何事も予定どおり行くとは限らない。

26.3.28(土)
昼前、車で出発。国道46号を西へ向かい、協和I.C で秋田道に入った。秋田土崎港近くのビジホにチェックイン。ビールとつまみを買いに、ビジホ近くのスーパーいとく土崎みなと店へ行った。
このスーパーには一昨年11月30日にクマが侵入し、ニュースになったなあ。その時は副鼻腔炎の手術で入院していて、病室のテレビでこのニュースを見た記憶がある。

26.3.29(日)
定刻 8:30 土崎出港の新日本海フェリーに乗船。苫小牧東港発敦賀行のこの便は2年ぶり4回目。前回は 24年6月16日だった。ガソリン代金高騰の折、高速代金も含めると、フェリーでの移動のほうが安いかも。何より自分で車を運転して行くのと違い、フェリー一泊だと飲みながら行ける。


↑乗船したフェリーの航路。
スマホの GPSアプリで記録したデータを、
グーグルマイマップに移植・加工。

    →地図が表示されない場合はこちら

 

26.3.30(月)
早朝、敦賀港に到着。船を出た直後のナビ表示は秋田のまま。数分ほどで現地の表示になった。市内の牛丼屋で朝食を取った後、国道27号を西へ。小浜から国道162号に入り、旧名田庄村に差しかかった。現在はおおい町名田庄だそうだ。
この名田庄村には、ザ・ナターシャ・セブンの高石ともやが70年代に住んでいたそうだ。高石ともやというと、1960年生まれの私M3Vにとっては、岡林信康や高田渡などと共に、10歳以上年上の世代のフォークシンガーで、私の世代ではあまり名は知られていないと思う。ただ、何となく、名田庄村ってどんなところだろうと思っていたので、今回立ち寄ってみることにした。
8:00 頃、道の駅名田庄に立ち寄った。敦賀到着が早朝で少し眠かったので、1時間ほど道の駅で仮眠。道の駅の隣に「おおい町暦会館」というのがあったので見学。

天文・暦をつかさどっていた陰陽道宗家安倍氏が、応仁の乱を避けて所領地だったここ名田庄へひきこもったそうである。天文・暦法の解説や、昔の時計や暦が展示されていた。

 

南部めくら暦の読み方解説

 

展示の中に「南部めくら暦」と、その読み方の解説があった。「南部めくら暦」という名前を聞いたことはあるが、いままで詳しくは知らなかった。が、ここの展示と解説で少し興味がわいてきた。後で検索したら、絵暦堂のホームページが見つかった。

明治5年の太陽暦移行後も毎年発行されてきたが、令和4年で発行を終えたそうだ。あれま残念。そういえばその頃 NHKの岩手のローカルニュースで、めくら暦新規発行断念のニュースを聞いたような記憶がある。

旧名田庄村を後に国道162号を南下。福井県から京都府に入り、福知山へ。福知山城を見学。

 

福知山城

 

明智光秀が築いた城なので、今年の大河ドラマ豊臣兄弟にもいずれ登場するだろうな。共通入場券を買ったので、近くにある佐藤太清記念美術館と福知山鉄道館フクレルも見学。
福知山を後に、大阪府高槻のホテルにチェックイン。