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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.5.29(木)

この日歩く旧小本街道の予定ルートは、北上川と太平洋との分水嶺である早坂峠を越える。現在の国道455号は早坂トンネルで峠を貫いているが、トンネル開通前の旧国道は、トンネルの北側をくねくねとしたルートで通っている。また旧街道は一気に峠へ上り、一気に下っていたようだ。

そんな訳で今回は国道の旧道で峠を越えてから、その後に現国道を通ることにした。旧国道は2車線の舗装路だが標高差があるので、この日に歩く予定距離は約17kmと短めに抑えた。

 

↑この日歩いたルートと写真など

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前回と同じ便のバスに乗って、10:30 末崎バス停からこの日の街道歩きを開始。すぐに現国道から分かれて旧道へ。

 

早坂高原入口

 

10:40 廃屋のあたりに、早坂高原入口と書かれた標識があり、その先の橋を渡った後に、旧道の痕跡らしき山道があった。旧道はここからまっすぐ峠へ向かっていたようだ。

11:20 早坂峠の平らな部分に到着。とがった峠ではなく、鞍部のような地形である。峠は北上川と太平洋との分水嶺で、盛岡市と岩泉町の境でもある。「牛追の道」碑があり、旧道の地図が書かれていた。ビジターセンターがあり、そこのトイレを借りた。

 

早坂峠 標高905m

 

峠の東側(太平洋側)は西側より標高差が大きく、傾斜もきつかった。くねくねとした旧国道を下って行くと、右側に急斜面や急な沢が何か所も見えた。旧街道はこれらを避けたルートだろうが、難所だっただろうな。

 

旧道山道の出口にある道標

 

1時間ほど下ったら旧小本街道の道標があり、旧道の山道出口らしき痕跡があった。旧道は峠から下ってここに出ていたらしい。道標から数百メートルほど先で現国道に合流。標高は650mほど。峠から標高差250m以上を下ったことになる。

早坂トンネルの出口が見えた。このトンネルは、東側出口に向かって下り坂になっている。峠の西側より東側が急になっていることが、このことからもわかる。合流地点に電光表示があり、気温26℃と表示されていた。

 

岩谷清水

 

12:55 岩谷清水と書かれた表示があり、パイプから水が出ていた。名水なのかな。

 

牛横断中の表示板

 

13:10 酪農家だろう。家の前に「牛横断中」という看板があった。国道を横断させる時に使っていたのだろう。

 

道の駅三田貝分校

 

14:20 道の駅三田貝分校に到着。元分校の校舎を道の駅に改装したものらしい。閉校の記念碑もあった。ここでこの日の街道歩き終了。歩き始めから 16.5km,25,044歩。

三田貝分校バス停 定刻 14:50の路線バスに乗って帰宅。

25.5.23(金)
前回は国道455号と合流する付近の岩洞湖バス停まで歩いた。今回は岩洞ダムから、分水嶺を潜る早坂トンネル手前のバス停までの予定である。前後の区切りの関係でこうせざるを得ないので、約13kmほどの短めな行程である。

岩泉龍泉洞前行きバスの前回と同じ便に乗った。前回は盛岡城跡公園前バス停で乗ったが、今回は1つ手前の菜園川徳前で乗車。

 

↑この日歩いたルートと写真など

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10:10 岩洞湖バス停からこの日の街道歩き開始。10:25 国道脇のガードレールを乗り越え、ダム築堤の下の方へ下り始めた。立入禁止の表示があり、築堤の斜面で3人が測量作業をしていたが、何も言われなかった。

 

岩洞ダム築堤下 この後ろの旧街道は水没

 

『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)によると、旧街道のダム湖水没区間の先は、ダム築堤下の右岸のあたりから始まるらしい。
10:45 亀橋分校前バス停の向いに、校舎跡と記念碑があった。ダム竣工後もしばらく学校はあったのかな。

 

塚の沢一里塚

 

10:50 塚の沢一里塚を通過。解説板によると6番目の一里塚らしい。一里塚のすぐ先では、国道の舗装工事をしていた。車は交互通行。まさか歩行者が来るとは、思ってもいなかっただろうな。

 

立入禁止

 

このあたりからしばらく、「山菜等保護のため無断立入禁止」と書かれた看板が、何か所も置かれていた。他所から山菜採りに来る人が多いのかな。

 

毘沙門堂平一里塚

 

12:05 毘沙門堂平一里塚を通過。

 

昔の商店跡

 

かつてはこういう場所にも商店があったんだな。

 

下流方面は通行止

 

12:30 川場口バス停前を通過。岩洞ダムからここまでは川沿いに下る道だったが、ここからは川沿いに上る道となる。下流方向への県道は、災害復旧工事のため、通行止とのこと。

 

待村の六地蔵・車塔婆

 

12:35 藪川小学校跡の先に、待村の六地蔵・車塔婆があった。『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告第六十六集』によると、明楽院という寺の跡らしい。そのすぐ先のまちむらコミュニティセンター前のベンチで、持参したコンビニおにぎりを食べた。岩洞湖バス停から 10.1km,15,824歩。

コミュニティセンターの名は「まちむら」とひらがな標記だが、『小本街道:調査報告第六十六集』では「待村」、さらに近くのバス停名は「町村」と、標記がまちまちである。

13:25 昼食後、街道歩き再開。

 

住吉神社

 

すぐに住吉神社前を通過。かつては籔川村の村社だったそうだ。

 

山ツツジ?

 

13:55 右前方、南東方向の山の斜面は低い木だけで、樹木の伐採から数年後くらいかなという様子だったが、斜面に赤い花が多数見えた。山ツツジかな?

 

末崎川一里塚

 

14:05 末崎川(まつさきがわ)一里塚に立ち寄った。解説板の記述どおり、南側の塚は昔の形だが、北側はあまり残っていなかった。

 

早坂トンネル入口

 

14:18 北上川と太平洋の分水嶺、早坂トンネルの入口前に到着。次回はこのトンネルの数百メートルほど手前から国道旧道を上り、峠を越える予定である。
バスまで時間があるので、トンネル脇の林道を数百メートルほど進んでみた後、国道へ引き返し、さらに末崎(まつさき)バス停まで引き返した。昼食後は 6,880歩。定刻 15:01のバスに乗って帰宅。

25.5.13(火)
この日歩く予定ルートは岩洞ダムのダム湖北側(左岸)を通り、ダム湖南側(右岸)を通る国道455号からは大きく離れている。国道と分かれる付近のバス停から、国道に合流する付近のバス停まで 25km近くあり、この区間を歩き切らねばならない。
盛岡城跡公園前バス停で、定刻 9:16の岩泉龍泉洞前行きバスに乗車。JRバス東北の路線バスである。

 

↑この日歩いたルートと写真など

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9:50 土室バス停で下り、ここからこの日の小本街道歩きを開始。盛岡方面に数百mほど戻り、国道から分かれたが、舗装路である。緩い坂を上ったら道端に車が数台駐めてあった。山菜採りに来ているのだろう。「観音坂」「見返峠」と書かれた道標の前を通った後、左手(西側)に視界が開け、岩手山と八幡平が見えた。そのあたりからラジコン飛行機が飛んでいるのが見えた。

 

ラジコン飛行機と岩手山

 

少し進んで 10:35「天峰山」の道標のあるところに男性2人がいて、一人はラジコン操作をしていた。まだ飛ばしていないラジコン機も2機置いてあった。交代でもう一人も飛ばすのかな。

2人がラジコン機を操作している場所のあたりから、発電風車が数基見えた。この風車は、盛岡市内からも見える。設置場所は天峰山というんだな。初めて知った。

天峰山の少し先に乙女石一里塚があったそうなのだが、どこかはわからなかった。その先からは旧街道と離れた道となる。航空写真を見ると道らしきものも写ってはいるが、4kmほどもあるので、ここはやめて現在の舗装路を歩くほうが安全だろう。

 

山桜

 

11:12 右手(南側)に視界が開け、山桜が多数咲いているのが見えた。このあたりの標高は 850mほど。今が満開の時期か。前回4日前の小本街道歩きで、国道からの分岐点近くで桜の名所の場所を聞かれたが、このあたりのことだったのかも。

 

シラカバ林

 

11:45 シラカバの多いあたりを通過した後、11:50 柴沢川の橋から未舗装となった。橋を渡った所から左に林道があり、入口に「宮沢賢治宿泊の地」と書かれた道標が立っていた。

 

宮沢賢治宿泊の地

 

宮沢賢治も来て泊まったということは、おそらくこの道が旧街道だろう。

その先で木々の間から水面が見えてきた。岩洞ダムのダム湖である。今回のルートを決めるにあたり、『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)を参照したが、ダムの竣工は昭和35年で、調査報告はその21年後ということになるので、ダム湖に水没した区間は文献調査のみで現地調査はされていないだろう。

 

11:55 ミズバショウが咲いていた。今年初めて見たが、この先でも何か所かで咲いていた。

 

ミズバショウ

最初に見たところではなく、13:00 頃の写真

 

13:13 大橋一里塚入口と書かれた標柱があった。白ペンキの字が剥がれた痕を見ると「南西約四」と読み取れた。「四」の先は読み取れなかったが、400mくらい先だろう。標柱のところで合流するのが旧街道だろうから、その道を一里塚まで行ってみることにした。盛岡方向に戻るように数百mほど歩いたら、茶色の動物がいた。タヌキ? いや、タヌキではなさそうだ。

 

アナグマ?

 

帰宅後に写真をネット上の情報と比べたら、アナグマらしい。私のクマ除けの鈴には気付いていなかった。野生動物だから、近づかないに越したことはない。持参した笛を吹いたら私に気づき、奥の薮へ歩いて行った。

旧街道は行き止まりになり、大橋一里塚にはたどり着けなかったので、アナグマらしき動物のいた道を元に戻った。

戻ったあたりが岩洞湖畔のピクニック広場で、そこから舗装路になった。ピクニック広場の案内板によると、広場から岩洞湖家族村へ行く遊歩道の途中に、ミズバショウ群生地があるというので行ってみた。

 

ミズバショウ群生地の木道

 

遊歩道は途中から木道になり、ミズバショウの群落の中を通ったが、残念ながらこのあたりのミズバショウの花は、ほぼ終わった後だったらしい。もう少し早い時期だと多数の花を見られたかな。

13:45 岩洞湖家族村の事務棟に到着。60歳くらいの農家のおばさんがいたが、家族村の事務もしているのかな。一言挨拶して事務棟内の椅子とテーブルを借り、持参したおにぎりの昼食とした。土室バス停から 16.5km,24,575歩。

14:05 昼食後、街道歩き再開。ダム湖の湖岸に沿った道をくねくねと歩き、15:10 ダムへの道の入口に到着。ダムの上を歩けるかどうかは事前にはわからなかったが、行ってみたら立入禁止ではなく、通行できた。ただし、柵の外は当然ながら立入禁止。ダムの上を左岸から右岸へ。次回歩く予定ルートは、ダムの下の方へ下る道となる。

 

岩洞ダム右岸

 

ダムを渡り終えたら目の前をJRバス東北の路線バスが通過していった。岩洞湖定刻 15:14の盛岡駅行きバスだろう。もう少し早めに着いていればこれに乗れたかも。ダム湖右岸を数百mほど遡り、15:45 岩洞湖バス停前のレストハウスに到着。この日の街道歩き終了。昼食後は 6.7km,9,620歩。

 

本州一厳寒の地

 

このあたり、盛岡市藪川地区は、民家のある所では本州で一番寒い。5月でも氷点下になることがあるし、半世紀ほど前は6月に氷点下になったこともあった。厳冬期には岩洞湖が凍ってワカサギ釣りの名所にもなるが、これまた温暖化のせいか、ワカサギ釣りのできる期間も短くなってきているようだ。

岩洞湖バス停定刻 17:14の路線バスは5分ほどの遅れでやってきた。このバスに乗って帰宅。