小本街道 2日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.5.13(火)
この日歩く予定ルートは岩洞ダムのダム湖北側(左岸)を通り、ダム湖南側(右岸)を通る国道455号からは大きく離れている。国道と分かれる付近のバス停から、国道に合流する付近のバス停まで 25km近くあり、この区間を歩き切らねばならない。
盛岡城跡公園前バス停で、定刻 9:16の岩泉龍泉洞前行きバスに乗車。JRバス東北の路線バスである。

 

↑この日歩いたルートと写真など

印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

9:50 土室バス停で下り、ここからこの日の小本街道歩きを開始。盛岡方面に数百mほど戻り、国道から分かれたが、舗装路である。緩い坂を上ったら道端に車が数台駐めてあった。山菜採りに来ているのだろう。「観音坂」「見返峠」と書かれた道標の前を通った後、左手(西側)に視界が開け、岩手山と八幡平が見えた。そのあたりからラジコン飛行機が飛んでいるのが見えた。

 

ラジコン飛行機と岩手山

 

少し進んで 10:35「天峰山」の道標のあるところに男性2人がいて、一人はラジコン操作をしていた。まだ飛ばしていないラジコン機も2機置いてあった。交代でもう一人も飛ばすのかな。

2人がラジコン機を操作している場所のあたりから、発電風車が数基見えた。この風車は、盛岡市内からも見える。設置場所は天峰山というんだな。初めて知った。

天峰山の少し先に乙女石一里塚があったそうなのだが、どこかはわからなかった。その先からは旧街道と離れた道となる。航空写真を見ると道らしきものも写ってはいるが、4kmほどもあるので、ここはやめて現在の舗装路を歩くほうが安全だろう。

 

山桜

 

11:12 右手(南側)に視界が開け、山桜が多数咲いているのが見えた。このあたりの標高は 850mほど。今が満開の時期か。前回4日前の小本街道歩きで、国道からの分岐点近くで桜の名所の場所を聞かれたが、このあたりのことだったのかも。

 

シラカバ林

 

11:45 シラカバの多いあたりを通過した後、11:50 柴沢川の橋から未舗装となった。橋を渡った所から左に林道があり、入口に「宮沢賢治宿泊の地」と書かれた道標が立っていた。

 

宮沢賢治宿泊の地

 

宮沢賢治も来て泊まったということは、おそらくこの道が旧街道だろう。

その先で木々の間から水面が見えてきた。岩洞ダムのダム湖である。今回のルートを決めるにあたり、『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)を参照したが、ダムの竣工は昭和35年で、調査報告はその21年後ということになるので、ダム湖に水没した区間は文献調査のみで現地調査はされていないだろう。

 

11:55 ミズバショウが咲いていた。今年初めて見たが、この先でも何か所かで咲いていた。

 

ミズバショウ

最初に見たところではなく、13:00 頃の写真

 

13:13 大橋一里塚入口と書かれた標柱があった。白ペンキの字が剥がれた痕を見ると「南西約四」と読み取れた。「四」の先は読み取れなかったが、400mくらい先だろう。標柱のところで合流するのが旧街道だろうから、その道を一里塚まで行ってみることにした。盛岡方向に戻るように数百mほど歩いたら、茶色の動物がいた。タヌキ? いや、タヌキではなさそうだ。

 

アナグマ?

 

帰宅後に写真をネット上の情報と比べたら、アナグマらしい。私のクマ除けの鈴には気付いていなかった。野生動物だから、近づかないに越したことはない。持参した笛を吹いたら私に気づき、奥の薮へ歩いて行った。

旧街道は行き止まりになり、大橋一里塚にはたどり着けなかったので、アナグマらしき動物のいた道を元に戻った。

戻ったあたりが岩洞湖畔のピクニック広場で、そこから舗装路になった。ピクニック広場の案内板によると、広場から岩洞湖家族村へ行く遊歩道の途中に、ミズバショウ群生地があるというので行ってみた。

 

ミズバショウ群生地の木道

 

遊歩道は途中から木道になり、ミズバショウの群落の中を通ったが、残念ながらこのあたりのミズバショウの花は、ほぼ終わった後だったらしい。もう少し早い時期だと多数の花を見られたかな。

13:45 岩洞湖家族村の事務棟に到着。60歳くらいの農家のおばさんがいたが、家族村の事務もしているのかな。一言挨拶して事務棟内の椅子とテーブルを借り、持参したおにぎりの昼食とした。土室バス停から 16.5km,24,575歩。

14:05 昼食後、街道歩き再開。ダム湖の湖岸に沿った道をくねくねと歩き、15:10 ダムへの道の入口に到着。ダムの上を歩けるかどうかは事前にはわからなかったが、行ってみたら立入禁止ではなく、通行できた。ただし、柵の外は当然ながら立入禁止。ダムの上を左岸から右岸へ。次回歩く予定ルートは、ダムの下の方へ下る道となる。

 

岩洞ダム右岸

 

ダムを渡り終えたら目の前をJRバス東北の路線バスが通過していった。岩洞湖定刻 15:14の盛岡駅行きバスだろう。もう少し早めに着いていればこれに乗れたかも。ダム湖右岸を数百mほど遡り、15:45 岩洞湖バス停前のレストハウスに到着。この日の街道歩き終了。昼食後は 6.7km,9,620歩。

 

本州一厳寒の地

 

このあたり、盛岡市藪川地区は、民家のある所では本州で一番寒い。5月でも氷点下になることがあるし、半世紀ほど前は6月に氷点下になったこともあった。厳冬期には岩洞湖が凍ってワカサギ釣りの名所にもなるが、これまた温暖化のせいか、ワカサギ釣りのできる期間も短くなってきているようだ。

岩洞湖バス停定刻 17:14の路線バスは5分ほどの遅れでやってきた。このバスに乗って帰宅。