小本街道 3日目 | M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.5.23(金)
前回は国道455号と合流する付近の岩洞湖バス停まで歩いた。今回は岩洞ダムから、分水嶺を潜る早坂トンネル手前のバス停までの予定である。前後の区切りの関係でこうせざるを得ないので、約13kmほどの短めな行程である。

岩泉龍泉洞前行きバスの前回と同じ便に乗った。前回は盛岡城跡公園前バス停で乗ったが、今回は1つ手前の菜園川徳前で乗車。

 

↑この日歩いたルートと写真など

印刷して持ち歩いた白黒地図はこちら

 

10:10 岩洞湖バス停からこの日の街道歩き開始。10:25 国道脇のガードレールを乗り越え、ダム築堤の下の方へ下り始めた。立入禁止の表示があり、築堤の斜面で3人が測量作業をしていたが、何も言われなかった。

 

岩洞ダム築堤下 この後ろの旧街道は水没

 

『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)によると、旧街道のダム湖水没区間の先は、ダム築堤下の右岸のあたりから始まるらしい。
10:45 亀橋分校前バス停の向いに、校舎跡と記念碑があった。ダム竣工後もしばらく学校はあったのかな。

 

塚の沢一里塚

 

10:50 塚の沢一里塚を通過。解説板によると6番目の一里塚らしい。一里塚のすぐ先では、国道の舗装工事をしていた。車は交互通行。まさか歩行者が来るとは、思ってもいなかっただろうな。

 

立入禁止

 

このあたりからしばらく、「山菜等保護のため無断立入禁止」と書かれた看板が、何か所も置かれていた。他所から山菜採りに来る人が多いのかな。

 

毘沙門堂平一里塚

 

12:05 毘沙門堂平一里塚を通過。

 

昔の商店跡

 

かつてはこういう場所にも商店があったんだな。

 

下流方面は通行止

 

12:30 川場口バス停前を通過。岩洞ダムからここまでは川沿いに下る道だったが、ここからは川沿いに上る道となる。下流方向への県道は、災害復旧工事のため、通行止とのこと。

 

待村の六地蔵・車塔婆

 

12:35 藪川小学校跡の先に、待村の六地蔵・車塔婆があった。『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告第六十六集』によると、明楽院という寺の跡らしい。そのすぐ先のまちむらコミュニティセンター前のベンチで、持参したコンビニおにぎりを食べた。岩洞湖バス停から 10.1km,15,824歩。

コミュニティセンターの名は「まちむら」とひらがな標記だが、『小本街道:調査報告第六十六集』では「待村」、さらに近くのバス停名は「町村」と、標記がまちまちである。

13:25 昼食後、街道歩き再開。

 

住吉神社

 

すぐに住吉神社前を通過。かつては籔川村の村社だったそうだ。

 

山ツツジ?

 

13:55 右前方、南東方向の山の斜面は低い木だけで、樹木の伐採から数年後くらいかなという様子だったが、斜面に赤い花が多数見えた。山ツツジかな?

 

末崎川一里塚

 

14:05 末崎川(まつさきがわ)一里塚に立ち寄った。解説板の記述どおり、南側の塚は昔の形だが、北側はあまり残っていなかった。

 

早坂トンネル入口

 

14:18 北上川と太平洋の分水嶺、早坂トンネルの入口前に到着。次回はこのトンネルの数百メートルほど手前から国道旧道を上り、峠を越える予定である。
バスまで時間があるので、トンネル脇の林道を数百メートルほど進んでみた後、国道へ引き返し、さらに末崎(まつさき)バス停まで引き返した。昼食後は 6,880歩。定刻 15:01のバスに乗って帰宅。