県南の気仙沼街道を歩いたので、今度は県北の小本街道(岩泉街道)を歩いてみることにした。盛岡から北上山地を越えて、太平洋に面した岩泉町小本に至る旧街道で、気仙沼街道に比べ、標高の高い地点を通る。
ルートと沿道の遺跡については、『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告 岩手県文化財調査報告書第六十六集』(岩手県教育委員会 昭和56年)から情報を得た他、森塚良郎氏のブログ「日本の街道地図一覧表」の地図も利用した。
25.5.09(金)
朝、わりあいゆっくり自宅を出て、奥州街道と小本街道との追分へ。このあたりの奥州街道は 21年5月20日に歩き、24年4月16日には鹿角街道を歩き始めた時に通った。
↑この日歩いたルートと写真など
10:10 歩き始め。追分近くに「是より小本街道」と刻まれた石碑があったが、古いものではなさそうだった。
鬼の手形 三ツ石
10:20 鬼の手形に立ち寄った。岩手の名の由来という説の一つだそうだ。
11:25 道を間違えたことに気付き、引き返した。
塩のみち野田街道
11:40 「塩のみち野田街道」と刻まれた石碑があったが、これまた古いのもではなさそうだった。野田街道というと、もう少し北の別の街道だと思っていたのだが、ここも野田街道と呼ぶのかな。いずれにせよ、小本街道の途中から分かれて北に向かうと思う。
名乗坂エドヒガンサクラ
11:45 しめ縄を巻いた木が見えたので、立ち寄ってみたら市指定の天然記念物「名乗坂エドヒガンサクラ」だそうだ。
11:58 「名乗坂一里塚跡」と書かれた標柱の前を通過したが、一里塚の痕跡はなかった。
庄ヶ畑の道標
12:30 庄ヶ畑の道標に到着。『小本街道:岩手県「歴史の道」調査報告第六十六集』によると、元文年間の絵図にはここで左に折れて北側を通るルートが描かれているそうだが、寛政元年の銘があるこの道標には「右 野田道」と刻まれていて、寛政元年までには南側のルートになったと推定している。
13:00 頃から旧街道ルートを外れ、現在の国道を歩かざるを得なくなってきた。旧街道は近くの山中を通っていたらしい。近くに「大堂の一里塚」跡があるらしいのだが、立ち寄らなかった。13:31 盛岡市のゴミ処理場、もといリサイクルセンターの入口を通過。
レースのような走り方のバイク
リサイクルセンターの先のあたりからバイクが1台、レースのような走り方で何回も往復していたのに遭遇。カーブの多い坂道で、レースのように走るのが楽しいのだろうが、ここは公道。サーキットではないぞ。私から1メートルほど脇を 100km/h超のスピードで何度も通過していった。私のようなよそ者が気に入らなかったこともあるのかな。いずれにせよ危ないね。
次回はここから左の道へ
14:52 旧街道と現国道との分岐点に到着。次回はここで国道から分かれ、左の道へ進む予定となる。
ちょうどやって来た車の助手席からご婦人が下りてきて、このあたりに桜の名所があるそうなのだが、場所を知らないか? と聞いてきた。さすがにそんなことは知らない。
旧街道との分岐点から国道を数百mほど進み、14:58「土室バス停」に到着。この日の小本街道歩き終了。奥州街道との追分から 18.6km,自宅から 31,545歩。
定刻 15:33のJRバス東北を待ったら、20分以上遅れてやって来た。この路線バスに乗って帰宅。