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M3Variant : 高齢者の仲間入りしました

APL(急性前骨髄球性白血病)再発後、造血幹細胞自家移植を受け、社会復帰しました。
APLのほとんどはM3型(多顆粒型)ですが、APL全体の2%ほどしかない M3Variant(M3V型:微小顆粒型)のため、この名にしてます。
主なテーマは、白血病,旅行,日々の出来事 の3つです。

25.10.04(土)
ホテルをチェックアウトし、徒歩で空港へ。

 

 

ヴィリニュス空港のコードは VNO なんだな。

 

 

13:30 のフィンランド航空 AY1104 便に搭乗。3日前にカウナス駅で会った八百津町の人から、ヘルシンキからプロペラ機で来たと聞いていたとおりで、ATR72 というプロペラ機だった。左右2席ずつで17列。私の席は一番後ろの 17A。機内はほぼ満員だったが、私の隣の 17Bだけは空いていた。

定刻 15:15 ヘルシンキ着。ヘルシンキでも可動橋ではなくタラップを降りてバスに乗る降機だった。気温5℃とかで、長袖シャツ1枚では寒かった。

いったん荷物を受け取り、オンラインチェックイン済だった乗り継ぎ便のバゲッジドロップで再び荷物を預け入れた後、税関でEUからの出国手続き。

 

3時間ほどの乗り継ぎで、定刻 18:25 の日本航空 JAL048便羽田行きに搭乗。これまた機内はほぼ満員。何か映画を見ようとしたが、ヘッドフォンから音が出なかった。コネクタが壊れているのか、配線が切れているのか。

25.10.05(日)
羽田に着く前、この席のヘッドフォン用コネクタが壊れているようだと客室乗務員に言ったら、ピンセットを持って来て、コネクタの穴を掃除した。が、やはり音は出ない。別のヘッドフォンを持って来て、これではどうですか。とのこと。そしたら音が出た。あれま。コネクタではなくヘッドフォンが壊れていたのね。気付いた時にすぐに言えばよかったな。映画を見れたのに。

離陸からずっと音楽などを何もお楽しみいただけなかったのですか? はいそうです。では、お詫びに¥10000の商品券か JALのマイレージ 7500マイルを差し上げます。何も別にそこまでしなくてもいいのに。まあくれる物はもらっておこう。申請用の QRコードが印刷されたカードを持って来た。

定刻 14:40 羽田着。気温26℃とか。5℃のヘルシンキに比べるとやはりかなり暑く感じる。イモトのWiFiを返却ボックスに入れた後、京急で蒲田へ。予約していた蒲田のビジホにチェックイン。JAL の機内でもらったお詫びのカードの QRコードにアクセス。¥10000の商品券は自宅に配送されるそうだ。

25.10.03(金)
カウナスを後に、古都トラカイ(Trakai)へ。トラカイ城を見学。

 


湖の中のトラカイ城

 


トラカイ城

 


展示されているお宝

 


歴史展示

 


罪人を晒す道具


中に入ったり、首と手を挟んだりして写真を撮っているグループが何組もいた。

トラカイの後、ヴィリニュスへ。30kmあまり。予約していた空港近くのホテルにチェックイン。部屋にはトラカイ城のモノクロ写真が飾られていた。ただ、昔の写真ではないようだった。荷物の大部分を部屋に置いてガソリンスタンドへ行き、満タンにした後、レンタカーを返却。この日の走行距離は 123km。4日間のうち3日運転し、計673km。

空港からホテルまでは約500m。歩いて戻った。空港への出入りが交通機関でなく、徒歩だったことは今まであったかな? 日本国内の空港も含めて初めてのような気がする。

 


空港近くの熱気球


ふとホテルの窓の外を見たら気球が見えた。空港近く(とは言っても1~2km ほどは離れていた)に気球? 何じゃ? またロシアの挑発か? とか思って検索したら、ヴィリニュスは欧州で熱気球飛行を楽しめる数少ない首都の一つとのこと。

スマホを見たら、エストニアのレンタカー会社からメールが入っていた。速度違反の通知だった。罰金はクレジットカードから引き落とすので、私が何か手続きする必要はないとのこと。警察からの PDF文書が添付されていたので、パソコンで開いた。エストニア語なので読めず、アクロバットリーダーで翻訳できないか試したが、うまくいかなかった。数字を読むと、違反日時は 9月25日 13:19 で、50km/h 制限のところを 63±4km/h で走り、9km/h 違反で罰金 63ユーロ らしい。全然覚えていないが、まあ、しかたないだろうな。後で翻訳できるサイトかツールを探してみよう。

 


Volfas Engelman

 

空港まで行って夕食を取りに行くのは寒そうだから、ホテルのレストランで食べた。メニューに載っているビールを見たら、カウナスの Volfas Engelman だった。リトアニアで最もポピュラーなビールなのかな。3日続けて Volfas Engelman を飲んだ。

25.10.02(木)
ラトビアのリガで前回の洗濯をしてから5日経ち、そろそろ洗濯が必要。カウナスのコインランドリーを検索したら、ホテルから 1.5kmほど。レンタカーで行こうかとも思ったが、街中で駐車スペースがある保証もないので、歩いて行った。洗濯中に近くを散策。

 


ヴィタウタス大公像

 


何かのモニュメント

 


コインランドリー

 

コインランドリーに戻って気がついた。10kg用3台,15kg用1台,20kg用2台とあり、乾燥機に一番近い機械で洗濯したのだが、20kg用の機械だった。あれま。10kg用で十分だったのにな。乾燥機はガス式で、15分で乾いた。午前は洗濯と乾燥で終わった。

午後はカウナス(Kauņa)市内を見学。まず杉原記念館へ。杉原千畝の勤務していた領事館だった建物で、事前予約が必要。記念館は新市街外れ高台の上にあり、階段を上っていった。

 


杉原記念館

 


杉原記念館入口


受付で、スマホの予約確認メールを見せて入館。A4の紙1枚の館内案内図には日本語版もあった。パネルの解説はリトアニア語、日本語、英語。

 


訪問者の写真
左下:安部晋三夫妻、右下:岸田文雄氏

 

久慈市長揮毫の掛軸

 

私の出身地近くの岩手県久慈市は琥珀の産地のため、前々日泊まったクライペダと姉妹都市である。その縁だろうか、久慈市長が揮毫した掛軸があった。平成二十四年の銘なので東日本大震災の翌年。それで「絆」の字を書いたのだろう。

 

杉原千畝の執務室

 


命のビザを模した来館記念撮影パネル
左の写真の位置に自分の顔が表示される


記帳を見たら、前日カウナス駅で会った岐阜県八百津町からの団体と思われる人の書いたメッセージがあった。杉原記念館を後に旧市街方面へ歩いて行った。

 


モスク


1930年に建てられた、バルト三国初のイスラム礼拝所だそうだ。北欧に近い国でイスラム教のモスクを見ると、確かに違和感を持つ。しかし、だからと言って嫌悪してはいけない。それは排他主義に繋がり、挙げ句の果てにはナチスのようになってしまう。

 

市庁前広場


市庁前広場は全面改修工事中だった。

 


Volfas Engelman の標示がある屋外テーブル

 

前日、ホテル近くの Volfas Engelman 醸造所の前を通り、前日夜はその1853年創立の地ビールを飲んだ。この日街中を歩いたら、このような標示の屋外テーブルをいくつも見かけた。地元ではポピュラーなビールのようだ。杉原千畝もこの地ビールを飲んだだろうか。

 


バスターミナルで、ジョージア料理

 

ホテルの向いは長距離バスターミナルで、ショッピングモールやフードコートがある。ここでジョージア料理の夕食を取った。バルト三国のフードコートではジョージア料理の店を見かけることが多かった。バルト三国もジョージアも旧ソ連だった影響だろうか。確かに美味しい。数年前まで日本ではジョージアではなく、グルジアと呼んでいたな。ロシアのウクライナ侵攻後、ジョージアと呼ぶようになった。

ジョージア(グルジア)料理の夕食後、ホテルへ戻った。シャワーを浴びた後、この晩も地ビール Volfas Engelman を飲んだ。