小説・混雨 【まじりあめ】 -2ページ目

小説・混雨 【まじりあめ】

学生時代に制作した映画の小説。カナダ・バンクーバーを舞台にしたストーリー。

2000年バンクーバー

バンクーバーの抜けるような青空がどこまでも目に入ってくる。
あれ、空ってこんなに広かったっけ。
四角い空の中で長い間暮らしてきた太郎はそう思った。待ちに待った出所の日だが、今まで厳しい規則の中で暮らしてきた太郎には全く手枷足枷のない「自由」と呼ばれる生活に一抹の不安を感じてしまう。

幸い圭介との約束があるから良いものの、もし無かったとすればどうやって暮らしていけば良いのやらとつい考えてしまう。


1年半という長いようで短い期間だったが、バンクーバーの街並みは若干変わっていた。

今まで無かった数々の店達がロブソンストリートに顔を並べている。流行と観光客に敏感なこのストリートは店舗の入れ替えも目まぐるしい。太郎が昔通っていた馴染みのカフェも、いつの間にかスターバックスに代わっていた。

あれだけ客が入ってなきゃ当然だよな、と太郎は一昔前のロブソンを思い出しながら、新顔のスターバックスのドアを空けた。



何気なしにオーダーを待つ列の最後尾に並ぶ。

店内では緑のエプロンを着た店員が棚の前で商品の説明をしている。カップなどが並べられた一角に”ヒーローに捧げる”との文字が書いてあり、なにやら店員がその前でビラを配っている。

ぼーっと眺めていた太郎を見つけて、その店員が太郎に持っていたビラを渡した。

”ヒーローに捧げる”チャリティーグッズ販売、とある。どうやらこのスターバックスで以前殺人事件があったようだ。見知らぬ客が拳銃をもって店内に押し入り、店員の一人を撃とうとした。それをかばった別の店員が撃たれ、死亡したようだ。死亡した店員をヒーローと称え、彼の遺族のためにチャリティーグッズを販売しているのだ。


太郎はつい、にやっと笑ってしまう。これって確か、あいつのことだよなあ。
太郎は刑務所に入ってきた一人の若い男を思い出していた。半年ほど前のことだ。そいつの名前はエドといった。20代後半ぐらいの長身の男で、金髪、白人の典型的なカナダ人だ。その体格に似合わず、常におどおどしていた彼は、何をするにでも相手の出方を伺うようなやつだった。


ふと何かを思い出したかのように、俺はやってない、俺じゃないんだ!と泣き叫び、その度に監視員に取り押さえられていた。とても殺人を犯したとは思えないその男だが、なにやら友人のいざこざに巻き込まれた末、カフェで銃をぶっ放したという話を噂で聴いた。

あいつがこの犯人か、、、。


不思議な縁とも言えないこの縁につい、にやっと笑ってしまったのだ。わからないもんだな。変なとこで繋がりってのがあるもんだ。
ビラを渡した店員につい口がすべりそうになったが、寸前のところで押しとどめた。

俺はこいつを殺った犯人を知ってんだぜ。しかもあんたたちが願ってるように、こいつは罪を償おうとも思っていなければ、
やったことすら自分で信じられない。そんなクソみてえな野郎にあんた達が言うヒーローはやられちまったんだ・・・

ビラを配っている店員がどれほど殺害された店員と親しかったかはわからないが、見る限り既にこの店員は無くなった職場の仲間へ、
というよりも商売の一環としてビラを配っているように見える。時が経てば悲しかった思い出も次第に風化されてしまうものなのかもしれない。

それにしても人間の繋がりはつくづく不思議なものだと思う。自分の行きつけのカフェが入所中につぶれ、新しくできたカフェでは殺人事件が起こり、その犯人とは収容所で顔を合わせ、今こうしてそのカフェで亡きヒーローのチャリティーを行っている店員達からコーヒーを買う。
何のために生きて、何のために死んでいくのか。そんな太郎にとってはどうでもいいことをふと考えてみた。

「じゃあ手紙かけよ。俺がそいつらのところに行って届けてきてやるよ。」


無意味な日々を淡々と過ごすよりそっちのほうがかえって気が楽になる。太郎はそう思い、自分でも思ってもいなかった提案をした。

「そんな、、書けねえよ。いまさら俺にそんな資格なんてねえよ。」


圭介は言った。

「じゃあとりあえず様子を見てきてやるよ。お前だって気になってんだろ。しばらく会ってないんだからな。」


太郎もここで引き下がるわけにはいかない。自分にとってしばらくの間まともな生活を送れるかもしれない唯一の光が見えたのだ。

圭介はまだ何かを迷うようだったが、小さく頷いた。

「でも、みんなばらばらになってたらどうすんだ?ガキの頃の夢なんだろ?それぞれ違う人生歩んでるだろうし、なかなかうまくはいかねえと思うけど」


言ってから太郎はしまった、と余計なことを言ったと後悔したが、普通皆小さい頃の夢なんて夢で終わってしまうだろうと思ってしまう。
小学生の頃の夢を叶える人間など実際にはごくわずかしかいない。

圭介はひとしきり何か考えているようだったが、何かを思い出したかのようにポケットをまさぐった。

「もし、みんな忘れてるようだったら、、これを渡してくれないか」

圭介の手から渡されたものは一本のカセットテープだった。よくこんなもの持ち歩けるものだ、と太郎は思いながらも、そのテープを受け取った。

当然のことながら囚人は常に厳しい監視の目が光っている。圭介が普通にポケットからテープを出したのは太郎にも意外であったが、模範生として監視の目が緩んでいる圭介にとっては簡単なことなのかもしれない。

「これに何が入ってるんだ?」


と太郎は言った。

「歌なんだ。いつも俺が歌ってるだろ。あの歌だ。小さいころ、みんなで歌った歌なんだけどさ。ネルソンでみんな歌ったんだ。もし、、もしだぞ。みんなあの頃の夢を忘れてるようだったら、このテープを渡してくれないか」

太郎は救われる思いで圭介の言葉を聞いていた。正直言って、圭介の友達を探すとは言ったものの、会ったところで初対面の人間にどう話そうかと迷っていたのだ。これがあればきっかけとしては最高だ。太郎は内心ほっとしながら圭介から渡されたテープを握り締めた。

「まかせとけよ。お前の自慢の友達ってのにも会ってみたいしな」

太郎は出所後にやらなければいけないことが出来たことと、それをすることにより収容所で出来た唯一の友達にこれからも少なからず繋がりができたことにほっとしていた。
しばらく忘れていた感情。誰かのために何かをしたい、してあげたい。
太郎は今、そんな衝動にかわれていた。


2000年 バンクーバー

出所まで残すところあと1日となったころ、ひょんとした機会から圭介と会った。この圭介とも約1年半の付き合いになるが、出所してからはしばらく会えない。もっとも出所してすぐに会うということは太郎が再犯を犯すということであり、それは太郎ももちろん望んでいない。ただ、お互いがなんとなく存在を認め合っていただけに、日々近づいてくる別れの音に耳を傾けることができないでいた。

「早いもんだな。あれから1年以上たってる」


と圭介はぼんやりと宙を見つめながら言った。

「ほんとだよな。あっという間に出所だよ」

「お前、最初はほんとにどうしようもない奴だったよな。とにかく突っかかってきてさ。友達って言葉にやけに反応してな。あん時の言葉、でも結構きたよ」


と笑いながら圭介が言った。

「でも、そりゃお互い様っしょ。だっていきなり俺の前来て会話に割り込んだりしてさ。ありゃあやばいっしょ」

「そういやぁそんなこともあったな。懐かしいなあ」。


どこか懐かしげに言う圭介の横顔は、いつもにない寂しさが見える。

別れの直前とあって、お互い微妙な空気が流れている。
しばらくの沈黙の後、耐え切れなくなったかのように圭介が口を開く。

「けどお前、明日出所だろ。早いもんだよなあ」

「まあ、お前には感謝してるよ、ほんと。世話になったよ」


太郎はさらっと言い流した。本当は心から感謝しているという気持ちを表したいのだが、太郎は恥ずかしくて言えない。

「何よ感謝って。お前らしくもない。あ、そうだ。出所したらお前どうするの?」


ぎこちない空気を出来るだけ円滑にしようと、圭介が話題を変えた。

「わかんねえよ。別に俺を待ってる奴なんていねえしな。な~にしよっかな~。なんか楽しいことでもありゃいいけどよ」

太郎は圭介から不意に聞かれた質問に、正直に言うしかなかった。太郎には出所したところで明るい未来などありはしないのだ。太郎が仲間と呼べる人間は裏切られたあの3人だけ。仲間と思っていたやつらに裏切られ、この塀の中で暮らすようになった。
そんな太郎に出所後の生活が希望に満ちているはずがない。当然出所したところで待っている人などいない。

「お前は出所したらどうすんの?」


頭の中に漠然と浮かぶ、目の前の暗い未来を取り払うように太郎は圭介に聞いた。

「俺、、、、やっぱネルソン帰りたいな。みんなで誓った夢があるしな、、、、、。でも、、麻薬の密輸なんてことしちまったからな、、みんなに会わす顔ないっしょ」


と圭介は明るく言ったが、そこに笑みはなかった。

「みんな何やってんだろうな、、。みんなで誓った夢、覚えてんのかな。」

らしくねえな、、太郎はいつもはどっしりと構えている圭介の弱気な態度に苛立ちを覚える。その夢が圭介にとってどれだけ重要なのかは知らないが、少なくとも1年前に自分に立ち向かってきたあの圭介の姿とは違い、今の圭介はその何倍も小さく見えた。

1997年のXmasの朝、けたたましい電話の音で起こされた。

電話の主は、酷く冷静な声で雪の自殺を告げた。


その日は嘘のように晴れた日だったが、その日がどのように過ぎ去ったのかはあまり覚えていない。電話を切った後、わけもわからず圭介に電話した。そこでどういう会話が行われたかは記憶が曖昧で、気がついた頃には圭介の車でバンクーバーへと向かっていた。


病院についてしばらくすると、真己、星子、逸平、伊佑が駆けつけてきた。今思うと、圭介が彼らを呼んでくれたに違いない。あまりに動転していたため、茶子はネルソンの親に電話で報告することすらままならなかったのである。

そんな茶子の様子を案じてくれた圭介が、その後の手配もテキパキとこなしてくれた。一番悔しく、泣き叫びたかったのは圭介に違いない。
そんな思いを胸の中にぐっとしまい込み、適切な対応をしてくれた圭介には感謝している。同じ年ながら、圭介は1つも2つも年上に見えたものだ。そんな圭介も、姉の死をきっかけに連絡が途絶えている。



圭介のことを思い出すと茶子は不安になる。いつもは穏やかな圭介が、あの日一瞬だけ今まで見たこともないよな表情を浮かべたのだ。
あんな圭介は見たことがなかった。優しく、穏やかで、姉と圭介は誰もが羨むカップルだった。
医者の口から出た言葉。

「雪さんは誰かに暴行された疑いがあります。体内から男性の体液が検出されました。」

茶子にしても信じられない一言だったが、それ以上に圭介の表情が気になった。今までに見たこともない、激しい憎悪の目が医者に向けられていたのだ。もちろん圭介はその医者がにくかったのではなく、暴行しただろう相手に激しい憤りを感じていたのであろう。


あれから、すべての歯車が狂い始めたのかもしれない。みんなとの連絡も徐々に途絶えていった。雪の死が直接の原因ではないが、今までみんなの中心として支えてきた圭介が雪の死によって連絡を取らなくなったのである。中心がかけると、輪は次第に崩れていく。

茶子もしばらく一人になって考えたかった。

親友のようにともに過ごしてきた姉の死は、茶子の生活に深い影をもたらした。勉強も手がつかなくなった。両親には自分で理不尽とわかっていながらも、辛くあたった。

茶子の深い悲しみを知っている両親も、あまりきつくは叱らなかった。姉の死を現実として受け止められるようになったのはここ最近の話である。


つくづく自分は弱い人間だな、と茶子は思う。姉の死を理由に現実から逃れようとしていた部分がある。気づきながらも、どうしようもできなかった自分の弱さを情けなく思っていた。そんな自分を立ち直らせてくれたのが、先日ふとした拍子に見つかった雪の日記である。


最後の日付は1995年3月30日になっている。雪の旅立ちの前日だ。
最後の日の文章は短くまとめてあった。

I'll be back and We'll meet again
I'll be back and We'll meet again
Good - bye but someday I'll love to say hello
Good - bye but someday I'll love to say hello

明日から新しい生活がバンクーバーで始まる。絶対に夢を叶えてみせる。
あの日みんなで誓った夢。

1995年3月30日



一度流れ始めた涙は簡単にとまらなかった。雪は決意を胸にバンクーバーに旅立ち、動かぬ姿になって故郷に戻ってきた。

無念だっただろう。最愛の人、圭介にも悟られぬまま、この世を去っていった姉を思うと不憫でならない。
茶子は叶えてやろうと思った。雪がいなくなり、1ピース欠けてしまったけれど、あの頃みんなで誓った夢を絶対に叶えてやろうと思った。


自分のために、そして、雪のために。

2000年 春 バンクーバー

互いに打ち解けるまで大して時間はかからなかった。

太郎の邪険な態度より、圭介の懐の広さが勝ったというところだろう。すべてこそ話しはしなかったが、太郎は収容所に入った理由、仲間に裏切られたこと、少し尾ひれをつけながらも自分が犯してきた過ちについて圭介に少しずつ語り始めた。仲間というものに必要以上の猜疑心を持っている太郎だったが、圭介に対して徐々に心を許している自分に気づき、複雑な心境になっていた。


こいつだけは別なのかもしれない。


最近はそう思うようにもなっている。今まで太郎が思う仲間とは、同じ目的のために戦う同志、いわば戦友のようなやつらのことを言った。仲間が集まってくるのは自分の力に対して畏怖の念を抱いているからだ、と思っていた。


今でもそう思うときはある。人が仲間として群がるのはちんけな友情や愛情のためではなく、損得感情の上に成り立っているのだ、、と。


圭介を見ていると不思議な奴だ、と思う。このようなタイプの人間に太郎は今まで出会ったことがなかった。圭介は身体つきこそいいが、他人に対して自分の力を誇示するような人間ではない。相手を威圧するような態度も決してとらない。
そこにいるだけで、人をひきつけてしまうような不思議な魅力を持った人間だった。収容所に圭介を慕っている人間は多い。自分の心境の変化に戸惑いながらも、太郎は少しずつ圭介のおかげで収容所の厳しい生活も居心地がよくなった。



茶子は自分の夢が着々と現実に向かって進んでいることが単純に嬉しかった。資金繰りもうまく運び、今年の暮れには念願のカフェをオープンできそうだ。あとは細かな仕入や内装などをこなしていくだけである。
小さい頃からの夢。みんなで誓った夢。小学生の誓いなんて、と自分で思いながらも、その通りの人生を歩んできた自分を偉いと思う。


小さな教室。いつものメンバー。雪、茶子、圭介、逸平、星子、真己、伊佑。みんないた。みんなで誓いあった小さいけれど大きな夢。

「いつかみんなネルソンに帰ってきて、この街を大きくするんだ。」

もう10年も前の話だ。この10年の間に自分以外のみんなはこのネルソンから去っていった。

茶子の大好きだった姉、雪も例外ではなかった。2歳年上の姉とは親友のように育った。しっかり者の雪はみんなからも好かれる自慢の姉だった。昔から頭の良かった雪は高校卒業と同時に知人の紹介で心理カウンセリングの勉強をするため、バンクーバーへ行っていた。

雪が18歳、茶子が16歳の頃のことである。


この頃には既に圭介を除く友人4人はそれぞれバンクーバーへ越していた。星子のように一人夢を追いかけ旅立つ者、家族総出で田舎街に別れを告げるもの。それぞれ境遇は違ったが、一重に田舎暮らしに耐えられなかったのかもしれない。
茶子は雪が旅立つ前日、別れを惜しむように一日中姉に付き添っていた。

「茶子、永遠の別れじゃないの。自分の夢をかなえるために行くの。あなたももう子供じゃないんだからメソメソしないの」

優しい声色で諭した雪の言葉が、まるで昨日のことのように思い出される。

そう、あの頃は心ではわかっていながらも、姉の転居が受け入れられなかった。雪が前日に一緒に居たかったのは私ではなく、圭介だったということはわかっていたものの、まだ16歳では大人のように振舞うことができなかった。

姉がまだこの世に存在しているのであれば、謝りたいことは山ほどある。旅立つ前日に駄々をこねたこと、圭介からの手紙を盗み読んだこと、勝手に服を借りたこと、などなど。どれだけ謝っても、どれだけお姉ちゃんと呼び続けても、姉はもう帰ってこない。

デリックはこのバンクーバー収容所で出会った良き友である。彼の詳しい生い立ちはわからないが、南部訛りの白髪が目立つ品のいい老人である。
70歳ぐらいであろうか。あるいはここでの厳しい生活が彼を老け込ませ、実際には見た目よりもっと若いのかもしれない。とても犯罪に手を染めたとは思えないほど落ち着き払った彼の振る舞いは、囚人達の間でも一目置かれる存在だ。


圭介が彼と初めて会話を交わしたのは、年末の掃除の時だった。作業場の掃除を任された圭介は、一人黙々と仕事に勤しんでいた。日ごろ模範囚として扱われていた圭介には監視の目が緩みがちになっている。この日も、特に監視の目はなかった。
監視の目が光らない場所で、孤独から逃避するために圭介は幼い頃ネルソンの仲間達と歌った歌をよく口ずさんだ。圭介の最愛の人、雪がよく歌っていた歌だ。

I'll be back and We'll meet again
I'll be back and We'll meet again
Good-bye but someday I'll love to say hello
Good-bye but someday I'll love to say hello

そんな時、デリックから声をかけられたのだった。およそ歌とは無縁で育ったデリックは、圭介の何か物悲しげに歌う歌に興味を持ったのだった。


「なかなか、いい歌じゃないか。俺は歌のことはよくわからんが、なにか深いものを感じるな」


とデリックは言った。

「昔の仲間とよく歌った歌なんです。」


「へえ~、仲間ねえ。いいもんだな、その歌で昔を振り返られる。そして前を向いて生きていける」


とデリックは自分の言った台詞をキザに思ったのか、頭をかいた。

「けっ、くせえこと言ってんじゃねえよ」


遠くから切れ味の鋭い目で睨んでいる若者がいる。見たことのない若者だ。どうやら新参者のようだ。

「相手にすんなよ、うちの隣に入ってきた太郎って若造だ。同室の奴とももめてな、厄介なやつらしい。な~に、ほっておけば問題ないさ」


とデリックは笑顔で圭介につげた。大人の余裕を感じさせるデリックの態度に太郎もそれ以上突っかかることができないようだ。
圭介を睨みつけ、けっ、と捨て台詞を吐きながら立ち去っていった。

太郎との出会いはこれが最初だった。妙に鋭い目つきと、何かに常に噛み付くような彼の姿勢は圭介の頭に強く刻まれた。その後も圭介は太郎を何度か収容所で見かけたが、大抵は揉め事の最中だった。当然のように彼の周りから人はいなくなった。


この収容所で揉め事を起こすことは、彼らの刑期を延ばしかねない。誰一人として一日でも早く出たいのである。
圭介には不思議だった。太郎にしても、刑期が延びることは好ましくないはずである。既に仮釈放の機会も揉め事により奪われている。


鋭い目つき、必要以上に他人につっかかるところなど、圭介はどうも太郎の態度が腑に落ちなかった。収容所に一生いさせてくれとでも言わんばかりの言動なのだ。
その後、圭介に対しても何度か突っかかってきた。圭介はデリックに忠告されたとおり、できるだけ相手にしないよう努めたが、昔の仲間について太郎に罵声を浴びせられ、我を失ってしまった。太郎の襟元を掴み、殴りかかろうとしたところを看守に止められたのである。



圭介は、今までの模範的行動や、太郎の今までの態度などから仮釈放の取り消しだけでことは済んだ。

圭介は相変わらず太郎の言動が腑に落ちなかった。太郎は何かに逆らっているというより、何かを必死で求めているような気もした。
圭介には一つだけ思い当たる節がある。いつも太郎との衝突がある時は、圭介が昔の仲間について話をしている時だった。


あいつ、妙に仲間に反応するな。そう言えば、あいつが入所した理由もしらねぇしな。


圭介は一人囚人部屋で考えた。なぜに仲間に対してそんなに敏感になるのか、あいつの過去に何かが隠されているのか。
5分もすると、圭介は考えるのを辞めた。もともと頭を使うより体が先に動くタイプである。いくら考えても、圭介の思考力ではそれがひどく無駄な作業のように思えた。
案ずるより、先ずは行動だ。圭介は太郎に近づいてみようと思った。

1998年 バンクーバー



一際高い塀に囲まれたこの一角は、付近の住民から忌み嫌われているバンクーバー囚人収容所だ。

雨の多いバンクーバーで、久しぶりの快晴の日も、この一帯だけはどんよりと雲がかかったように見える。6つの棟から成るこの建物は、50年以上前にここバンクーバーに設立された。

太郎は執行猶予なしの懲役1年3ヶ月の実刑判決により、この収容所に収容された。
実質、太郎は今回の事件が初犯にあたり、19の若者であることから執行猶予付きであってもおかしくない状況だったが、この裁判にはいろいろな思惑が入り乱れた。


被害者は全治3週間のけが。背後にあるマフィアの流れに疑いがもたれたが、これと言って事実関係は立証されていない。被害者との間で示談が成立していれば執行猶予にも結びついたかもしれないが、太郎には昔から両親はおらず、被害弁償に応じる金を持ち合わせていない。
検察側は太郎の今までの犯罪歴、ドラッグ密輸の疑い、殺人未遂、ギャングの一掃などから初犯であっても懲役5年の実刑判決を求刑したが、証拠の不足や(なぜか使用されたビール瓶は見つからなかった)、被害者が極度のドラック中毒者であったこと、背後関係が明確でなく、また太郎の迫真の演技による正当防衛の主張などから情状され、刑減されたのであった。
裁判官は被害者側の背後に見え隠れするチャイニーズマフィアの往復なども考慮した上で、太郎の身柄保護も含めて1年3ヶ月という実刑判決を下した。

5204番。それが圭介の呼称番号だ。

熊白圭介、ネルソン出身の19歳で、ドラックの密輸へ関与したことにより逮捕。この収容所に収容されてから半年弱の月日が経っている。圭介はこの収容所にいる他の囚人のような根っからの悪ではない。
どちらかというと、そこら辺の若者よりはよほど出来た人間だ。不幸なことに、圭介が逮捕された事件には莫大な裏金と黒幕が潜んでいたため、ただの密輸事件以上の処断が下された。


圭介は昨年起きたあの事件の真相を解明するために、どうしてもまとまった金銭が必要だった。そんな時友人から頼まれた仕事を引き受けた。その仕事は初めてやるまでドラックの密輸とは知らなかった。信頼していた友人の頼みだったため、微塵の疑いもなかったのである。
嵌められたといってもおかしくない状況であったが、圭介は依頼した友人を少しも恨んでいなかった。金に心を動かしたのは自分自身の失態だと思っているからだ。


圭介は、半年弱という期間を収容所で過ごしたため、ここの生活にも慣れてきていた。あまりにも厳しく規則化された毎日ではあるが、厳しさの合間にあるちょっとした時間や、そこで見つけた仲間などとの関係が幾らか収容所生活を楽にさせた。

カモメが悠々と飛ぶ平和なノースバンクーバー一帯に、けたたましいとサイレンの音が鳴り響いてきた。


「おい、逃げるぞ」


誰か通行人が通報したのだろう。Esplanede Streetを車で走れば、大抵のものがそこで起こった儀式がなんなのかを把握できるような場所だ。

巌の一言で皆ボルボに飛び乗り、足早にその場を立ち去った。


今日のRCMPはいつもよりしつこかった。逃げても逃げてもサイレンが追いかけてくる。近頃多発しているギャングを一斉に告発したい警察は、今回の事件をきっかけに壊滅させたいのであろう。

あるいは先ほどの少年は死んだのかもしれない。巌は見知らぬアパートにボルボを滑り込ませ、皆固まらないように逃げ始める。

集合場所はいつもの隠れ家だ。 30分ほど逃げ回っただろうか。辺りはまた平穏なノースバンクーバーに戻りつつある。サイレンの音も聞こえない。聞こえてくるのはカモメの鳴き声だけだ。


太郎はRYUに携帯で連絡をとり、いつもの隠れ家へと向かう。24hrsのコンビニの裏を抜け、THANKSの横道を駆け上る。Lonsdaleから4th Streetを西に曲がったところに太郎達の隠れ家はあった。



この辺りは家族向けのアパートやマンションが立ち並び、見るからに平和な住宅街だ。

ダウンタウンへと海路で渡るSea Bus Stationまで徒歩で10分ほどの距離にあるため、ノースバンクーバーでも人気のあるエリアだ。まさかこんなところに悪党が住み着いているとは警察も思わない。絶好の隠れ場所なのだ。

太郎は1階にある待ち合わせの駐車場にたどり着いた。巌、RYU、TAKASHIはそれぞれ警察を巻いたようだ。ノースバンクーバーを知り尽くしている彼らにとっては警察を巻くぐらい対したことではない。これから待ち受けている億単位の取引に、皆心躍らせているようだった。

その時、後ろから激しい怒声が響いた。


「待て!!!」


完全に巻いたと思っていたRCMPが後ろから迫ってくる。一瞬にして駐車場に緊張が走る。警察との距離は約10メートル。アパートへの入り口に駆け込めばなんとか逃げ切れる。誰もがそう思った。

巌、RYU、TAKASHI、太郎の順に入り口へ全力で走る。入り口までは10メートルほど。背後にとてつもない緊張感と圧迫感を感じる。 その時だった。


「チャリーン」


前方を走っていたTAKASHIが何かを落とした。鍵だ!

太郎はあせった。ここで拾ってしまえば捕まるかもしれない。しかし、この鍵一つで自分の今後が大きく変わる。背後から今にも手が届きそうな勢いで迫ってくる。駄目だ!思うよりも先に体が反応した。


急いで鍵を拾い上げる。まだいける! 掴んだ瞬間、信じられない出来事が目の前で起こっていた。


「ガチャン」


アパートへと続く扉が閉められたのだ。何が起こったのか理解できなかった。あわててドアのノブを回すが、既に中から鍵が掛けられている。

はめられた!


「おいっ!!空けろ!!おいっ!!早くしろ!!!!」


一瞬のうちに太郎は背後から来た警察に腕をねじ上げられ、今まで経験したことのない冷たく硬い手錠を両手につけられた。

1998年 バンクバー 秋

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「なかなか見つかんねえなあ」


携帯を片手に太郎はLonsdale Ave.とEspranade Streetの交差点を歩いている。

この街で生まれ、この街で育った太郎には相手がどこまで逃げようとも見つける自信がある。


まあ、どこに逃げようと見つかんべ。


獲物を狙うような目つきで薄ら笑いを浮かべる。
逃げる相手をとことん追い詰め、二度と歯向かえないように徹底的に痛めつける。太郎の最も好きな瞬間だ。


今頃相手は必死になって逃げ回っているだろう。太郎のほかにも3人の仲間がそれぞれノースバンクーバー一帯を探し回っている。どれだけ逃げ回ったところで袋叩きにされるのは時間の問題だ。


「大人しく鍵を渡してりゃあ済んだものを、、」。


不適に笑う太郎には、同情や哀れみといった感情は一切持ち合わせていない。ただ、逃げ惑う敵を追い詰め、打ちのめすという快感のために生きている。喧嘩は誰にも負けない自信があった。


喧嘩、ドラック、レイプ、恐喝。
悪いと言われることは一通りやってきた。最近は死ぬのさえ怖いと思えない。その前に自分が死ぬと思ったことはないが。

Lonsdale Queyの向こうには薄くガスがかったバンクーバーが見える。カモメの集団が気持ちよさそうに海の上を旋回する。

バンクーバーからノースバンクーバーへ向かい、シーバスが汽笛を鳴らしながら近づいてくる。それに呼応するかの如く、カモメが泣き声をあげてシーバスの周りを旋回し始める。平和なバンクーバーの光景が辺り一面に広がっていた。

携帯が鳴り、それが仲間のRYUからだと着信音でわかった。RYUはTAKASHIと共に探しているはずだ。


「太郎さん、いましたよ!Esplanedeの空き地です!すぐに来てください」


興奮気味に叫ぶRYUの声が耳元で鳴り響く。どうやらこの近くのようだ。


Esplanedeの空き地っていやあすぐそこだな。

太郎は今から起こる残酷な儀式にはやる心を抑えながら向かう。

Esplanedeの空き地にたどり着くと、遠くでRYUとTAKASHIが2人組を追いかけているのが見えた。

先刻から探している敵対グループの一味だ。
このノースバンクーバーにはいくつものギャングが存在する。数年前からチャイニーズマフィアの息のかかった面子がバンクーバーではばを利かせるようになっていた。

今日の獲物もその一派だ。先日、太郎達が狙っていたドラッグの隠し倉庫の鍵を横取りされたばかりだった。この鍵を持っているだけで億を越える金が転がり込んでくる。バンクーバー中の悪い連中が目をつけていた。あと少しのところで掻っ攫われたのである。

太郎が空き地に踏み入れると、横からボルボに乗った巌が近づいてきた。


長身の巌は太郎達のグループの頭だ。太郎達は互いの年齢や生い立ちなどは知らない。必要ないのだ。社会からのはみ出し者。それだけで十分仲間としてやっていける。巌が頭をはっているのも、太郎が同等の力を持っているのも、ただ今までの成り行きや犯罪歴によるものだ。
ただ同じ目的のために集まった悪い奴ら。それでも他のギャングとは一線張るだけの力を持っていた。たとえ相手がマフィアだとしてもだ。誰にも頭は下げたくねえ、そんな思いだけが彼らの奥底に強くある。

「太郎、乗れよ」


すかさず太郎はボルボの助手席に滑り込む。

RYUとTAKASHIが空き地の奥まで追いつめているのが見える。追い詰められた二人は見るのも無残なほど、青ざめている。自分達の置かれた状況を嫌なほど理解しているのだろう。


気の早いTAKASHIはすでに相手の一人に殴りかかっていた。太郎と巌が着いたころには抵抗の意志のない、まだ20歳にも届かないだろう少年ギャングが地面に転がっている。


しかし、中途半端に負かせるだけではいつ仕返しがくるかわからない。この世界はやられたらやり返す。終わりのない無限ループだ。
2度と自分達に歯向かわないように、徹底的に体に恐怖心を叩き込ませる。時には行き過ぎて、この世から去ってしまうものもいるが。

「太郎」

巌が足元に落ちていたビール瓶を太郎に向かって蹴飛ばした。ニヤついた顔で太郎に促している。RYUとTAKASHIもそれが自分に向けられたのではないとわかると、いくらか安心した面持ちで太郎に笑みを浮かべる。


「まじかよ、死んじまうぜ」

太郎は足元のビール瓶を持つと右手にしっかりと握りしめた。相手が死ぬかもしれないという恐怖はない。自分の服に返り血がつくのは嫌だな、と思う程度だ。太郎の下で今から殴られるだろう相手は完全に腰が抜けている。あまりの恐怖に声も出ないようだ。


太郎はじっと睨みつける。相手はRYUとTAKASHIに襲われた時から既に戦意を無くしていた。怯えの色が全身に広がっているのが感じ取れる。


ヨッシャー、太郎は右手を高く振り上げ、相手の脳天にビール瓶を強く振り下ろした。


ガコッ!


絶叫と同時に赤い鮮血があたり一面に飛び散る。殴られた衝撃で目は空ろになり、焦点が定まっていない。思ったよりも瓶が綺麗に割れたため、相手は死なないですんだようだった。絶叫を上げながら足元でのたうちまわっている。顔面だけでなく、まるでケチャップでもかけられたかの様に下の服も真っ赤に染まった。


3人はハイタッチで太郎の一撃を祝福する。こうやって何人の敵を倒してきたのだろうか。最後に手を下すのはいつも太郎の役目だった。
巌が呆然と立ち尽くすもう一人の敵に近づいていく。完全に戦意をなくし、目の前で起こった仲間の惨劇に顔を真っ青にしていた。自分だけは無傷で助かりたい、そんな思いがあるのだろう。

「あのさ~、鍵、持ってんだろ?」

180cmを軽く超える長身の巌に肩を組まれ、顔面蒼白な顔がより一層白くなっていく。この状況で反抗することがいかに愚かなことか、相手もよくわかっているようだ。もう一人のように全身血まみれになるのは目に見えている。時を待たずして左手がポケットの中から出され、巌の手の上に鍵がおかれた。

ありがとよ、巌は口元をニヤつかせながら自分のポケットに滑り込ませた。

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今朝早く、耳障りな携帯の着信音で茶子は目を覚ました。

昨夜はクリスマス前の賑わいで忙しく、最後の客を見送ったのが午前1時過ぎ。その後片付けなどに追われ、横になったのは午前4時である。今にも閉じそうな瞼をなんとかひらきながら、手探りで携帯を探す。


「誰だろ、こんな朝早くから」


聞きなれた着信音だが、こんな朝早くから流れると酷く嫌な曲に聞こえる。思ったより遠い位置に携帯があったことが茶子の気分をさらに重くさせた。


「もしもし、、、」


「メリークリスマース!!茶子ちゃん!」

「星子ちゃん??」

電話の主はネルソンからの同級生、星子だった。かれこれ15年ほどの付き合いになるだろうか。この小さな街、ネルソンで育ったものは大抵知っているが、星子を含めて数人の友人達は腹を割って話せる良き仲間である。

「ごめんね、朝早くから。今日雪姉さんの命日でしょ。今年こそは行きたかったんだけど、どうしても仕事で抜けられなくて、、。私の分まで雪姉さんに報告しといてほしいと思ってね、電話したの。」

移動中の車の中だろうか。外には都会の喧騒が聞こえる。星子は歌手としてその名の通りスター街道を駆け上っていた。

小さい頃から歌が好きで、みんなの前で自慢げに歌っていた。今では一般の人間はとても近づくことができないほどの人気ぶりだ。一時は疎遠になっていた星子だったが、昨年のあの事件以来頻繁に連絡を取り合うようになっている。

「うん、昼にはお墓参りに行くと思う。今年は2つ花を供えないといけないけど、、、」

「そうね、、、。2つ。クリスマスって楽しいものばかりだと思ってたけど、、なかなかその通りにはならないね。今年こそはいいクリスマスであってほしいわ」

茶子の姉、雪が亡くなって早4年の月日が経つ。


1997年12月24日、あの日も今日と同じように朝早くからの電話で起こされたのだった。
あれから4年、、、何を失い、何を得てきたのかな、、。そんなことをぼんやり考えながら、星子の話を聞いていた。

「なんか暗い話になっちゃったね。今年こそは正月をそっちで過ごせると思うから、その時はまたみんなで集まろうよ。また電話する」

星子からの電話はいつもこうだ。時間が不規則な彼女の生活に、他人の生活リズムなど関係ない。

空いた時間に電話をする。それが相手にとって電話をしてほしくない時間であっても。茶子は朝の出来事をなんとなく思い出しながら、30分に一本しか来ないネルソンのバスを待った。


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ここネルソンはブリティッシュコロンビア州の中ほどに位置する寒村であり、人口3000人ほどのこれと言って特徴のない良くある北米の田舎街だ。この街で生まれ、この街で育った。茶子は今年で22歳になる日系3世だ。

茶子の祖父母が移民として渡り、50年以上の月日が流た。

戦前、カナダを初め、アメリカ大陸に移住した日本人は多い。その多くが日本に近い西海岸に定住し、茶子の祖父母もカナダ西海岸バンクーバーへとたどり着いたのである。


その後間もなく第2次世界大戦が勃発し、敵国となる日本人はスパイになる恐れがあるため西海岸から内陸部へ強制的に異動させられたのである。


その結果、ネルソンをはじめその周辺の小さな街に小規模な日系人街が形成された。茶子の家族はその一つである。当時のことを完全な人権迫害だと祖父はいつも言っていた。茶子はそうなんだ、と祖父の話に相槌を打っていたが、成長するに従いその歴史も仕方のないことだったのかもしれないな、と思うようになっていた。

当時の日本の立場を考えると、無理もない処置だったのかもしれない。

祖父母にとっては申し訳ないが、そのおかげでネルソンという街で茶子は生まれることができたのだ。

茶子はこの街が大好きだ。山に四方を囲まれたこの街は、見るものによってはとても閉鎖的な街に映るが、茶子にとっては自然が満ち溢れたかけがえのない場所なのである。

しかしこの街で生まれたほとんどの者は、皆成人前に都会へ引越していく。

一種の習慣となりつつあるこの流れが、この過疎化が進む寒村の重大な問題になっていた。

山ばかりの閉鎖的な街。若者は都会に憧れ、人を恋しがる。この田舎街で一生を終えたくないのだ。
茶子が共に育った友人達もその例外ではない。毎年、一人、二人とこの街を出て行った。

いつもいくらか寂しげな面持ちでバスディーポから見送る茶子の姿があった。