1998年 バンクバー 秋
携帯を片手に太郎はLonsdale Ave.とEspranade Streetの交差点を歩いている。
この街で生まれ、この街で育った太郎には相手がどこまで逃げようとも見つける自信がある。
まあ、どこに逃げようと見つかんべ。
獲物を狙うような目つきで薄ら笑いを浮かべる。
逃げる相手をとことん追い詰め、二度と歯向かえないように徹底的に痛めつける。太郎の最も好きな瞬間だ。
今頃相手は必死になって逃げ回っているだろう。太郎のほかにも3人の仲間がそれぞれノースバンクーバー一帯を探し回っている。どれだけ逃げ回ったところで袋叩きにされるのは時間の問題だ。
「大人しく鍵を渡してりゃあ済んだものを、、」。
不適に笑う太郎には、同情や哀れみといった感情は一切持ち合わせていない。ただ、逃げ惑う敵を追い詰め、打ちのめすという快感のために生きている。喧嘩は誰にも負けない自信があった。
喧嘩、ドラック、レイプ、恐喝。
悪いと言われることは一通りやってきた。最近は死ぬのさえ怖いと思えない。その前に自分が死ぬと思ったことはないが。
Lonsdale Queyの向こうには薄くガスがかったバンクーバーが見える。カモメの集団が気持ちよさそうに海の上を旋回する。
バンクーバーからノースバンクーバーへ向かい、シーバスが汽笛を鳴らしながら近づいてくる。それに呼応するかの如く、カモメが泣き声をあげてシーバスの周りを旋回し始める。平和なバンクーバーの光景が辺り一面に広がっていた。
携帯が鳴り、それが仲間のRYUからだと着信音でわかった。RYUはTAKASHIと共に探しているはずだ。
「太郎さん、いましたよ!Esplanedeの空き地です!すぐに来てください」
興奮気味に叫ぶRYUの声が耳元で鳴り響く。どうやらこの近くのようだ。
Esplanedeの空き地っていやあすぐそこだな。
太郎は今から起こる残酷な儀式にはやる心を抑えながら向かう。
Esplanedeの空き地にたどり着くと、遠くでRYUとTAKASHIが2人組を追いかけているのが見えた。
先刻から探している敵対グループの一味だ。
このノースバンクーバーにはいくつものギャングが存在する。数年前からチャイニーズマフィアの息のかかった面子がバンクーバーではばを利かせるようになっていた。
今日の獲物もその一派だ。先日、太郎達が狙っていたドラッグの隠し倉庫の鍵を横取りされたばかりだった。この鍵を持っているだけで億を越える金が転がり込んでくる。バンクーバー中の悪い連中が目をつけていた。あと少しのところで掻っ攫われたのである。
太郎が空き地に踏み入れると、横からボルボに乗った巌が近づいてきた。
長身の巌は太郎達のグループの頭だ。太郎達は互いの年齢や生い立ちなどは知らない。必要ないのだ。社会からのはみ出し者。それだけで十分仲間としてやっていける。巌が頭をはっているのも、太郎が同等の力を持っているのも、ただ今までの成り行きや犯罪歴によるものだ。
ただ同じ目的のために集まった悪い奴ら。それでも他のギャングとは一線張るだけの力を持っていた。たとえ相手がマフィアだとしてもだ。誰にも頭は下げたくねえ、そんな思いだけが彼らの奥底に強くある。
「太郎、乗れよ」
すかさず太郎はボルボの助手席に滑り込む。
RYUとTAKASHIが空き地の奥まで追いつめているのが見える。追い詰められた二人は見るのも無残なほど、青ざめている。自分達の置かれた状況を嫌なほど理解しているのだろう。
気の早いTAKASHIはすでに相手の一人に殴りかかっていた。太郎と巌が着いたころには抵抗の意志のない、まだ20歳にも届かないだろう少年ギャングが地面に転がっている。
しかし、中途半端に負かせるだけではいつ仕返しがくるかわからない。この世界はやられたらやり返す。終わりのない無限ループだ。
2度と自分達に歯向かわないように、徹底的に体に恐怖心を叩き込ませる。時には行き過ぎて、この世から去ってしまうものもいるが。
「太郎」
巌が足元に落ちていたビール瓶を太郎に向かって蹴飛ばした。ニヤついた顔で太郎に促している。RYUとTAKASHIもそれが自分に向けられたのではないとわかると、いくらか安心した面持ちで太郎に笑みを浮かべる。
「まじかよ、死んじまうぜ」
太郎は足元のビール瓶を持つと右手にしっかりと握りしめた。相手が死ぬかもしれないという恐怖はない。自分の服に返り血がつくのは嫌だな、と思う程度だ。太郎の下で今から殴られるだろう相手は完全に腰が抜けている。あまりの恐怖に声も出ないようだ。
太郎はじっと睨みつける。相手はRYUとTAKASHIに襲われた時から既に戦意を無くしていた。怯えの色が全身に広がっているのが感じ取れる。
ヨッシャー、太郎は右手を高く振り上げ、相手の脳天にビール瓶を強く振り下ろした。
ガコッ!
絶叫と同時に赤い鮮血があたり一面に飛び散る。殴られた衝撃で目は空ろになり、焦点が定まっていない。思ったよりも瓶が綺麗に割れたため、相手は死なないですんだようだった。絶叫を上げながら足元でのたうちまわっている。顔面だけでなく、まるでケチャップでもかけられたかの様に下の服も真っ赤に染まった。
3人はハイタッチで太郎の一撃を祝福する。こうやって何人の敵を倒してきたのだろうか。最後に手を下すのはいつも太郎の役目だった。
巌が呆然と立ち尽くすもう一人の敵に近づいていく。完全に戦意をなくし、目の前で起こった仲間の惨劇に顔を真っ青にしていた。自分だけは無傷で助かりたい、そんな思いがあるのだろう。
「あのさ~、鍵、持ってんだろ?」
180cmを軽く超える長身の巌に肩を組まれ、顔面蒼白な顔がより一層白くなっていく。この状況で反抗することがいかに愚かなことか、相手もよくわかっているようだ。もう一人のように全身血まみれになるのは目に見えている。時を待たずして左手がポケットの中から出され、巌の手の上に鍵がおかれた。
ありがとよ、巌は口元をニヤつかせながら自分のポケットに滑り込ませた。



