こんばんは✨
「魂の望みを叶えるパートナー」矢作典加 のりか です 。
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。

昨年3月31日のヒーラー辞めます宣言から1年。
グラウンディングを教えていただいた
本郷綜海さんの完全復活ライブ 第1夜
『情熱の火を消す見えない力』を視聴しました。
アーカイブを見られるので、気になる方はぜひご視聴ください!
どのように、私たちは
自分のパッションに繋がることから離れて
生きることを選択しているか
~それはつまり、3歳までの幼い時に
自分のパッションから離れざるを得ない体験をして
あるいは無きものにする体験があって
そうすることで生き延びてきたからこそ~なのですが
とても腑に落ちたことがありました。
トラウマと神経系反応
3つの選択
戦うか、逃げるか、さもなければ凍りつくか
ああ
私は、父と戦ってきた
父と戦えなくなって、借金と戦ってきたのか。
そして、凍りつくことで生き延びる戦略 。
(死んだふりをして自分を守ろうとする戦略)
お腹の中での過酷な体験
3歳まで凍りつく体験
どちらも、しっかりあることを知っている。
そのトラウマによって
自分にパッションを感じなくさせる反応を身につけ
生きることが
--生命力を輝かせることではなく
--何とかしてこの危険な世界から生き残らなければいけない
というサバイバルになる
ああ、なるほど
戦うことをやめても
凍りつく戦略がまっていた。
私には、それをやる十分なトラウマがあった(笑)
(逆に言うと、父だから戦えた)
(借金だから戦えた)
たくさん癒して
随分変わってきたし
別人、と言われることもある
ほんの一月ほど前には
感謝ワークで深みに響き
父と母との関係性が、また大きく変わったこともあった。
でも、話を聴きながら
一人でいると安全
動かないと安全
死んだふり戦略
身に覚えがありすぎる。
外の世界に出ていく
仕事において、それをする
なんていうところに色濃く感じてきたそのことを
あらためて感じたのでした。
心の中が整理されながら
痛みに触れて涙がながれ
思い出したことがありました。
それは
もう9年も前のこと、八重桜が美しかった頃
そみさんのワークショップで開いた領域を扱うために
ヒーラーCさんのセッションを受けたのです。
お話を聴きながら
9年前の象徴的な場面が浮かんで来ました。
雨
私はひとりで傘をさして母の後をついていきます。
弟が生まれて、そう時間が経っていない頃、2歳頃のことです。
ひとりでちゃんとしているお姉ちゃんをやっていた
その奥には
傘なんて放り出して雨の中を走り回りたい
そんな私がいました。
お母さんに『ありがとう』と伝えるとしたら
どんな風に伝えますか。
そう聞かれて出てきたのは、くるっと廻って踊るように伝える私。。。
お話を聴きながら...
ふいに、この
『くるっと廻って踊るように伝える私』が浮かんで来て
ああ、これって
私のパッションじゃないか、って気づいたのです。
今でも、私は、嵐が来て雷がなると
外へ飛び出して踊りたい衝動にかられることがある。
(まだ、やったことはない)
道を歩けば、いつの間にか真ん中によっていっては
一緒に歩く人に心配される
『傘なんて放り出して雨の中を走り回りたい私』
『くるっと廻って踊るように伝える私』
そんな私のままで生きることが
私のパッションを生きることじゃないかと
心にしみた時間でした。
DAY1の気づきに感謝。
ありがとうございます。
これから続く旅の時間を楽しみにしています。
やりたいことがわからない
やりたいことは分かったけれど、情熱がわかない
情熱はあるけどいざ 行動に移そうとすると行動できない
それらは、どのように起きるのか?
こちらのライン登録でアーカイブ視聴できます。