ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

新年度がスタートしましたね!

 

街では、フレッシュマンっぽい人を、

多く見かけるようになりました(^^)

 

今回から、

エックハルト・トールさんの、

 

ニュー・アース

 

 

という本を紹介・解説します。

 

エックハルト・トールさんは、

世界的なスピリチュアル・マスターとして

有名ですが、

 

この本、なんと全米で580万部以上、

売れているんですね!

 

他にも、

飯田史彦さんが監修した、

さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる

 

という代表作もあります。

 

過去ブログで紹介しましたので、

よかったらご覧ください。

 

 

 

私、スピリチュアルの世界観は

とても好きなのですが、

 

少々理屈っぽいところがあるせいか、

あまりにもフワフワとした、

スピリチュアルというのは、

ちょっと苦手です(^^;

 

しかし、

エックハルト・トールさんの本は、

骨太で、かつ、

地に足がついた感じがするので、

とても納得感があります。

(少し難解な部分もありますが(^^;)

 

アプローチこそ違えども、

結論は、

臨床心理学の理論に通ずるところも、

あるような気がします。

 

本書のいちばんの目的は、

 

「意識を変化させること、

つまり、目覚めさせること」

 

たと述べられています。

 

 

目覚めに不可欠なのは、

目覚めていない自分を

自覚すること、

 

エゴイスティックに考え、

話し、行動する自分と、

そういう目覚めていない状態を

持続させている、

人類に刷り込まれた

思考プロセスを

認識することである。

 

 

まずは、

目覚めていない自分を

「自覚」する・・・

 

 

エゴと戦っても

勝ち目はない。

 

闇と戦えないのと、

同じである。

 

必要なのは

意識という光のみである。

 

そして、

その光は

あなたなのだ。

 

 

エゴとは、闇のようなもの、

「無意識」の世界の一部

ともいえます。

 

戦うのではなく、

そこに、

「意識」(自覚)という光をあてる。

 

そして、

その光は、あなたである・・・

 

この表現、素敵ですね(^^)

 

 

人間の歴史は、

おおまかに言えば

狂喜の歴史であると、

述べられています。

 

二十世紀に、

同じ人類の手で

暴力的な死を遂げた人々の数は、

 

なんと1億人を

上回るそうです・・・

 

それは、

恐怖と貪欲さと、

権力欲から生まれるという・・・

 

 

多くの

スピリチュアルな教えは、

恐怖と欲望を捨てなさいと言う。

 

だがこの試みは

たいていはうまくいかない。

 

機能不全の根源に

取り組んでいないからだ。

 

 

ここでいう

機能不全とは、

「エゴ」のことなんです。

 

で、エゴの根源とは?

 

 

もっと良い人間になろうと

努力するのは

確かに立派で

ほめられるべきことの

ようだが、

 

当人の意識に

変化が起こらない限り、

結局は成功しない。

 

 

どういうことでしょうか・・・

 

 

良い人間に

なろうとするもの

また同じ機能不全の一部で、

 

微妙にわかりにくい

形ながら、

やはりエゴイスティックな

高揚感、自意識や

自己イメージの強化を

求める欲であることに

変わりはない。

 

 

たしかに、

良い人間になろうとするのも、

エゴの一部かもしれません・・・

 

 

良い人間、

それは、

なろうとしてなれる

ものではない。

 

すでに

自分のなかにある善を発見し、

その善を引き出すことでしか、

良い人間にはなれない。

 

だがその善を

引き出すためには、

意識に根本的な変化が

起こる必要がある。

 

 

良い人間になるためには、

「自分のなかにある善」を発見し、

その善を引き出すしかない・・・

 

なるほど・・・

 

しかし、そのためには、

「意識」の根本的な変化が

必要だといいます。

 

いくら、

外的要因、制度をいじくっても、

上手くいかない。

 

もともと高潔な理想から始まった

共産主義がうまくいかなかったのも、

そのせいだと、

エックハルト・トールさんはいいます。

 

では、

「意識」の根本的な変化とは?

 

 

新しい意識の核心は

思考の枠を超えることにある。

 

思考よりも高い場所に上り、

思考よりもはるかに広い次元が

自分自身のなかにあることに

気づく新たな能力だ。

 

そのとき人は

自分のアイデンティティを、

自分が何者であるのかの根拠を、

 

いままで自分自身と

同一視していた

絶え間ない思考の流れには

求めなくなる。

 

 

「思考」は

「自分そのもの」ではないと

自覚する・・・

 

ここでいう、

「絶え間ない思考の流れ」

というのは、

心理学でいうところの、

「自動思考」のことでしょうか。

 

無意識の信念から生じる思考に、

反応的になってしまったり、

ぐるぐると悲観的になってしまう

ことですね。

 

 

「自分の頭のなかの声」

が実は自分ではないと気づくと、

すばらしい開放感を味わう。

 

では自分とは何なのか?

 

自分とは、

思考する自分を見ている者だ。

 

思考よりも前にある

気づきであり、

 

思考が

―あるいは感情や知覚が―

展開する場である。

 

 

「ほんとうの自分」とは、

「思考そのもの」ではなく、

思考する自分を「見ている者」。

 

すなわち、

「気づく自分」

 

心理学でいうところの

「観察自我」

に近いイメージでしょうか。

 

 

エゴとは、

形への自分の同一化にすぎない。

 

その形とは

何よりも思考の形である。

 

 

つまり、エゴとは、

無意識の(自動)思考から

「形」として生じる、

ということでしょうか。

 

・・・まとめると、

 

「気づく」自分が、

「意識」という「光」を当てれば、

 

「無意識」の自動思考、

すなわち、

「エゴ」という「闇」は小さくなる。

 

そうすれば、

そこに「善」を発見して、

引き出すことができる。

 

ということですね。

 

 

「悪」についても、

述べられています。

 

 

悪に現実性が

あるとしたら

 

―絶対的な現実性ではなく

相対的な現実性だが—

 

それもまた形

(物質的な形、

思考の形、感情の形)

との全的な同一化と

定義できる。

 

そのために、

自分が全体と

つながっていること、

 

すべての

「他者」及び

「生命の源」と

本質的に

結びついていることを

まったく認識できない。

 

この結びつきを

忘れること、

 

それが原罪であり、

苦しみであり、

妄想なのだ。

 

 

「悪」とは、

 

私たちが、

他者や生命の源と結びついていることを、

忘れること。

 

つまり、

バラバラだという意識。

 

それが、

苦しみや妄想につながる・・・

 

 

この分離、分裂が

すべての考え、言葉、

行動の底流にあり、

それらを律しているとしたら、

 

人はどんな世界を生み出すか?

 

その答えを知るには

人間同士の関わりを眺めれば、

歴史書をひもとけば、

 

あるいは

今夜のテレビニュースを

見ればいい。

 

人間の心の構造が

変化しなければ、

 

私たちはいつまでも

基本的に同じ世界を、

同じ悪を、同じ機能不全を

 

繰り返し

創造し続けるだろう。

 

 

狂喜の歴史・・・

今夜のテレビニュース・・・

 

同じ悪を、同じ機能不全を、

繰りかえす・・・

 

考えさせられます。

 

たしかに、

わたしたちはバラバラだという

分離、分裂の意識が、

世界中の不幸の

根本原因なのかもしれません。

 

 

スピリチュアルの世界では、

よく、

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

だといいます。

 

もちろん、

「個」は尊重すべきですし、

それがあまりにも行き過ぎると、

多様性の否定にもなりかねないのですが、

 

やはり、

私たちは、つながっていて、

本来は、ひとつの存在であると捉えた方が、

 

世界は平和になるような気がします(^^)

 

「世界はひとつ」

「わたしたちはひとつ」

 

 

・・・う~ん、

 

何だか抽象的で、

正直、ぴーんとこない感じもします。

 

なかなか実感として湧かない

自分がいるのも事実(^^;

 

では、

「ひとつ」だと

納得できるようになるには、

どうすればよいのでしょうか。

 

具体的に、何か私たちにできることは、

あるのでしょうか?

 

 

・・・参考までに、

 

私が、対人関係で、

人を見る時に、

心がけていることがあります。

 

 

この人も

私と同じだ。

 

幸せでありたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

苦痛を避けたいと

願っているんだ。

 

この人も

私と同じだ。

 

人生を通じて

学んでいるんだ・・・

 

 

 

カウンセリングの学びで、

野口嘉則先生から教わった言葉です。

 

まずは、目の前の人、

私と縁のある人に対して、

 

どんなに、腹が立っても、

ムカッとしても、

おかしいと思っても、

理解できなくても、

 

「この人も私と同じだ・・・」

 

「幸せでありたいと願っているんだ」

「苦痛を避けたいと願っているんだ」

「人生を通じて学んでいるんだ・・・」

 

という見方をする。

(事実そうですよね)

 

もちろん、

いつも出来るわけではありませんが(^^;

 

なるべく、私は、

このような捉え方をしようと

意識をしています。

 

ささやかですが、

それを積み重さねていくことで、

 

「わたしたちはひとつである」

 

という言葉が腑に落ちるように

なりたいと思っています😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます!

 

 

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おまけです(^^;

 

 

東丹沢の仏果山に登りました!

 

この山、暖かくなると、

ヤマビルが出始めるので、

今のうちに(^^;

(幸いにも、まだいませんでした💦)

 

 

 

併せて高取山も!

 

 

 

山頂より

 

 

 

宮ケ瀬湖

 

 

 

雄大です!

 

 

 

東京方面?

 

 

 

 

踊り念仏で有名な、

時宗の一遍上人ゆかりのお寺、

無量光寺

 

 

 

一遍上人の銅像が建っていました。

 

 

 

水面に桜の花びら🌸

これも趣がありますね。

 

 

 

 

誰もいない境内を、

一人で散策しました。

 

静かで広々として緑豊か、

素敵なお寺です😊