ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
精神科医・泉谷閑示さんの新書、
の内容から、
私の印象に残った箇所を
紹介、解説しております(^^)
今回は、
ニーチェの「三様の変化」、
駱駝・獅子・小児の比喩の箇所を
紹介させていただきます。
駱駝・獅子・小児の比喩は、
よく他の本でも紹介されていますが、
本書では、
精神の成熟過程を理解するうえで、
とても説得力を持って語られています。
このプロセス
(精神の成熟過程)には
三つの段階があって、
最初、人間は駱駝(らくだ)
として描かれています。
駱駝は、
従順さ、忍耐、努力、
勤勉さ等の象徴です。
「遠慮なく重いものを
積んで下さい。
もっと重いものは
ありませんか?」
と望むような存在です。
駱駝は元来、
龍の存在によって
駱駝にさせられたのでした。
この龍は
「汝なすべし」
という名前の龍で、
「私は絶対者なのだから、
私の言うことを聞いていれば
いいのです」と言う。
つまり、
龍以外の主体性を認めず、
ただ龍に従順に従えと
命ずるのです。
従っている限りは、
あなたを守ってあげましょう
ということです。
「龍」とは、
社会通念、道徳だったり、
心理学の精神分析でいえば、
「超自我」
のことだと考えます。
「駱駝」とは、
いわゆる社会人、
大人になるということですね。
本書でも出てきますが、
夏目漱石でいえば「他者本位」。
この駱駝が、
ある時自分が窮屈であることに
気付きます。
そして、駱駝は
獅子に変身し、
この龍を一気に倒してしまう。
そして獅子は
自由を獲得します。
つまり、
自分の場所や主体性を
獲得したのです。
この獅子の言葉は、
「われは欲す」です。
ここで「われ」
すなわち一人称の自分が
誕生したわけです。
この獅子は「怒り」
の化身です。
去勢されていたような駱駝が、
自分の不当な扱われ方に
疑問を感じ、
「怒り」の爆発とともに
獅子に変身し龍を倒したのです。
「獅子」になって「龍」を倒す!
というと
いかにも激しい感じがしますが、
「龍」はかなりの強敵ですので(^^;
私の感じだと、
やっつけるというよりも、
「龍」から精神の独立を勝ち取る
イメージでしょうか。
「自分らしさ」に目覚めて、
それを受け入れる。
簡単なことではありませんが、
「中年の危機」を乗り越えることも、
これにあたるかもしれません。
夏目漱石のいう
「自己本位」というやつですね。
このようにして
「われ」を獲得した獅子は、
そこで終わるのではなく、
つぎに小児に変身します。
この小児の言葉は、
「然り」です。
「然り」とは
「その通り」という意味で、
別の言い方をすれば、
「すべてはあるがままに」
ということです。
小児は、
創造的な遊びに没頭します。
これはとても
重要な点です。
自由を獲得するために
一度獅子になるが、
そのあと獅子の
「われ」は消えて
「あるがまま」の小児になり、
純真無垢で無心に
創造的な遊びに没頭していく。
これが、
人間の究極の姿
なのだということです。
「小児」になるというと、
「好々爺」のイメージが湧いてきますが、
この場合の「小児」は、
「駱駝」や「獅子」を経ての
「小児」といういうことが
ポイントですね。
これはただの小児ではなく
獅子を通ってきた小児です。
ですから、
純粋・繊細であると同時に
ゆるぎない自分を備えた
強さがあります。
ガラス細工のような脆さとは、
もはや無縁です。
本書では、
「敏感で太い自分」
という表現がされています。
普通は
鈍感で太いか、
繊細で細いか、
どちらかになりがちですが、
「駱駝」や「獅子」
を経た「小児」は、
「敏感で太く」
なれるということですね。
で、著者いわく、
このニーチェの
「三様の変化」は、
東洋思想の「十牛図」と
同じことを言っているといいます。
「十牛図」
簡単に紹介しますと、
(図解できないのが歯がゆいですが(^^;)
第一図、
若者は
牛はどこにいるだろうと
探している。
第二図、
若者は牛の足跡を見つける。
第三図、
やっと牛を見つけた。
第四図、
牛を捕まえる。
第五図、
牛がおとなしく
手綱でつながれ、
ひかれています。
第六図、
牛の背に乗って、
笛を吹きながら
楽しそうに家に帰る。
第七図、
牛は画面から消え、
人は月を拝んでいる。
第八図、
人も牛も共に忘れる。
つまり、どちらも
画面から消えている。
これがよく言われる
「円相」です。
そこには全く何もない、
空です。
第九図、
川が流れ、
木に花が咲いています。
ただそれだけです。
第十図、
布袋さんみたいな
立派なお腹の老人が
徳利をぶら下げて、
ニコニコとふもとの里に
現れる。
(これが昔の若者だと
考えても考えなくてもよい)。
ふもとに下りて来て、
若者と出会う。
若者はそこで
深い影響を受けます。
この一図から十図までを、
ぐるっと円にならべたものが、
「十牛図」です。
この「牛」とは、
「本当の自分」
のことを指しますが、
興味深いのは、
せっかく牛を捕まえて、
楽しそうに家に帰るのに、
なんと、その後に、
自分も牛も消えてしまうんですね😲
これは、
「本当の自分」を受け入れたことで、
「自我」が消えたということでしょうか。
あるがまま、
自然の境地。
しかし、
山奥で仙人になるわけではなく、
いわば小児のような自然体で、
里に下りて若者の前に現れる。
そして、若者は、
牛を探しに・・・
・・・こんなふうに、
「十牛図」は、
無限のループ(螺旋)になっているんですね。
本書では、
人間の精神の成熟過程は、
「螺旋の旅路」だと述べられていますが、
私も同感です。
ぐるっと360度回って、
振り出しに戻ると、
「結局成長しなかったのか・・・」
と思ってしまいがちですが、
実は、螺旋階段のように、
一段上のレベルに進化している。
もっとも、
螺旋階段を登るには、
「駱駝」から「獅子」への
苦しい葛藤の時期があるのですが、
それは決して無駄なことではない。
それを乗り超えれば、
最終的には
「小児」のような心境になれる(かも)。
そのような境地に達することは、
なかなか難しそうですが(^^;
「敏感で太い自分」
目指していきたいです😊
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回に続きます!
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おまけ写真集(^^)
新しいトレッキングシューズを買ったせいか、
毎週のように山歩きに行っています(^^;
一週間ほど前ですが、
今回は札掛方面から塔ノ岳へ!
ここもミツマタ咲いてました!
モリモリしててカワイイです(^^)
ええっ、
上級者向けということで、
少しビビりましたが(^^;
よく整備されていて、
そんなに危険な感じはありませんでした。
(整備して下さる人に感謝です😊)
沢を渡ります・・・
なかなかアドベンチャーで
おもしろいコースでした(^^)
ひたすら登ると・・・
塔の岳着きました!
が、上のほうは曇ってました・・・
富士山見えず😢
丹沢山方面は、完全にガスの中・・・
大山は見えました!
帰路、上のほうはまだ
雪が少し残ってました。
サクサクして気持ちいい歩み・・・
ヒノキ林、
何だか絵画のようですね。
下山後、相模国三ノ宮の、
比々多神社へ。
ご神木。
鈴緒が5本掛かっています。
高さのある独特な拝殿がかっこいいです!
これは今日のウチの庭。
コデマリがもりもり咲いてきました😊
















