手術室発、日本の医療へ

手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

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前回ブログを更新してから、かれこれ2年が経ってしまった。

その間、職場でのいろいろな出来事に翻弄され、今年の5月からまた新たな職場に移動した。

 

そして、慌ただしく半年がたった今、父親はもう居ない。

ふとしたときに、次は自分の番かと思うことがしばしばある。

否応無しに、この歳になると、死について考えることが増える。

 

親父は数年前から心房細動になり、体のむくみもでていたのでワーファリンで抗凝固と利尿薬を開始していた。

すべて心房細動の患者に本当に抗凝固が必要なのか、いまでも疑問であるが、これは今回はよしとしておく。

 

やはり、心房細動になり、三尖弁閉鎖不全症も合併し、心不全が徐々に進行していたのか、

今年にはいって、元気がなくなっていた。

大好きなゴルフも、徐々にうまくできなくなって、行っても楽しめなかったようだった。

 

春すぎには、どうも唇の色が悪く見えていたし、息も浅く早くなっていたので、どうしたかと思っていたが、

6月に、かかりつけを受診した際に、誤嚥性肺炎と心不全という診断で入院することになってしまった。

どちらが先立ったのかわからないが、肺炎で右心負荷が増して、心不全がひどくなったか、心不全から肺が調子悪くなったか、

胸水も溜まった状態で、苦しかったのだろう。

 

抗生物質と利尿薬で、症状は軽快したが、高齢者が3週間入院するとこうなるのか、ということを思い知らせた。

体重は落ち、筋力も低下して、起きて歩くことも大変になってしまった。

それから、退院してからも、ベッドで寝ていることが多くなり、

7月にはまた状態がわるくなったということで、かかりつけ医は、病院に搬送させてしまった。

 

実際には、もう徐々に心不全が進行していただけで、なにか急性期にできることなどはなかった。入院していても、食事はまずい上に、必要のない点滴もされて。。。元気はどんどんなくなっていった。これが現代の入院治療かと。。

 

このまま入院していても、どんどん元気がなくなり、そのまま病院で息を引き取ることになりそうだったので、さすがに、まずいかと思い、家に引き取ることに。

実家の母親も大変になるのはわかっていたが、急いで、在宅診療のドクターを紹介してもらい、介護も認定を取り直すなどして、準備を整えて、速攻で退院。

 

そこから、2ヶ月。

母親の献身的な介護で、少しは元気になったが、やはり心不全の進行を止めることはできず、

9月半ばからは、食欲もまったくなくなり、ある時、書くものをとってくれと言って、いろいろと世話になった、机の引き出しのものの件(遺言があった)をと書き残し、その翌日にそのまま消え入るように息を引き取った。

享年86歳。

 

私も兄もちょうど仕事が終わって実家に駆けつけて、家族がみな揃うことができ、

それに安心したかのように、血圧が下がり、呼吸も弱くなり、そのまま静かに逝ってしまった。

 

通常、人が死ぬと前に、9割の医療費がかかるというが、

親父の死に際は、非常に質素で、何の医療の世話になることもなく、

最後に、在宅の医師に死亡判定をしてもらっただけだった。

 

私自身、日頃から高齢者医療にはいろいろと考えることがあったが、

自分の親には、自然な形で最後を迎えてもらうことができて、僅かではあるが医師として少しは誇らしく思ったが、医師であったがゆえに、最後の数時間、もう少し呼吸を楽にさせてやったらよかったのか、あるいは、点滴で息を永らえたらよかったのか、悩みはあった。

 

生あるものはいずれは死を迎える。

それをどのように最後を迎えさせるかは、医師の見立てにもよるだろう。

 

これまで急性期医療に身を置いてきたが、最近、終末期医療に、以下に余計な医療費などをかけずに、しかも家族と静かに最後を迎えられるか、非常にやりがいのある仕事かと思うようになった。

最近、つくづく思うのは、80台、90台や、さまざまな病気で余命幾ばくもないかと思われるような元気のない老人への医療についてである。

 

急性期医療を担っている、一医療人として、どうしたものかと思う。

 

最近では、医療が発達して、循環器領域に限っても、さまざまなデバイスが発達してきた。大動脈解離や瘤に使えるステントグラフト、狭窄した弁を交換する血管内からのアクセスのできる人工弁、動かなくなった心臓に代わって、人工心臓+肺。などなど、さまざまな機器が使えるようになった。これらは、非常に便利なデバイスであり、有効に使うことで非常に有益な結果が得られるものである。しかし、昔なら、お看取りして終わっていたところに、助かる見込みが少しでもあるからといって、80台、90台あるいは、もうよれよれになった70台の老人にむやみにこうした機器を使うのはどうしたものかと思う。

 

もちろん、回復して社会復帰、あるいは自立できることが高く見込まれるのであれば、使い甲斐もあるというものだが、使用しても、ただ、延命だけ。とても退院すら見込めないような使い方というのは果たしていかがなものか。

 

年取って、あらゆる身体の部所が老化してくたびれてくるのは当たり前である。

それをどこか悪くなったからといって、すべての部分を取り替えていたら、キリがない。

血管だって、老化して、あるときには破裂してしまうこともあるだろう。弁だって、石灰化して動きが悪くなるのもある意味加齢変化である。これをすべて取り替えていくのが正しい医療のありかたかどうか。。。

応急処置程度で、だましだまし行くのが本来ではないか。

 

これらが、安いものであればまだしもであるが、一つの機器が、安いもので100万円から高いものでは500万円を超えてくるものもザラである。それにともない、さまざまな、治療費も加算されてくると、結果としてであるが、一週間で1000万円を超える医療費をつぎ込むことも稀ではない。

 

しかも、こうしたデバイスのほとんどは、海外特にアメリカ製である。使えばつかうほど、喜ぶのは、こうしたアメリカの医療機器メーカーである。日本の貴重な医療資源はこうして、アメリカに吸い取られているのが現状である。

 

こうした高額な医療費、すこしでも、いまの若い世代の教育、子育てに回せないものだろうか。実際は、真逆で、高齢者の医療に、若い世代の税金が使われているのである。

なんともやりきれない気持ちになるのは、我々医療者だけではないはずだ。

 

人間生まれてきた以上、いつかは死ぬ。命あるものの定めである。

寿命は永遠ではない。

 

医者が足りない、医療費が高騰する、という前に、まず、人間の寿命について、

真摯に考え直してみる必要があるのではないだろうか。

 

週刊現代の7/16号に全身麻酔に関する記事がのっていた。

一部、正しいことも書いてあるのだが、概ね、曲解、誤報で、誤解を招くことが多い。
どうして、こうも週刊誌の記者というのは無責任な記事をかけるのだろうか。

こんな記事で売れても、迷惑するのは患者自身になることも多いのに。。。

そんな思いで、昔は、自分も本を書いたが、
どうせなら、自著を宣伝でもして欲しかった。。。(笑)。


一部のコメントだけ切り取られて、好きなように編集されて、さぞ、迷惑しただろう、讃岐先生。
本当にお気の毒である。

唯一、よいことがあるとすると、この記事の影響で、、麻酔に対する関心を少しはもってもらえることだけだろうか。

医療の情報発信がもっと必要だ。
かれこれ、心臓麻酔専門医試験の立ち上げ当時からかかわり、結局今年まで5年ほどやってきたが、さすがに、あたりを見回すと、古株の先生たちはみないなくなり、私もそろそろフェードアウトさせていただくということで、今年は、オブザーバー気分で参加している。

昨年まで2回ほど、委員長としてまとめていたので、今年はよほど気が楽。
今年から委員長をお願いした先生も大変だと思うが、どうか、これからの専門医のため、頑張ってもらいたい。

昨日も朝から夕方まで、委員の先生方と缶詰状態で、専門医試験問題を検討していたが、
臨床問題に来て、不採用問題の多いことにびっくり。
そして、採用予定の問題であっても、微妙なところで、喧々諤々の議論が沸き起こり、ひどいときには炎上状態に。

まあ、もう少し、大人の議論をしてもよかろうと思うのであるが、それぞれの先生たちのプライドもあるのか、かなり厳しい追及もある。

つくづく臨床の現場が主観的に動いているものと思う。
それでも、外すべきではない、大筋の原則、10人の専門医がいれば、8人は賛成するような妥当なやり方というのが、落としどころになるのだろうが、難しいところである。

多くの人を落とす試験ではなく、外しちゃいけないところを外さないための確認試験でもあるので、そのあたりで、うまく妥協していければいいとは思うが。。。

あと、少しの検討が必要なようで、昨日は課題を残す形での終わりとなった。

委員の先生方も本当にお疲れ様でした。



ちまたを賑わせている専門医制度改革ですが、
現場としては、早くに軌道に乗って欲しいというのが本音です。

他科の状況はわかりませんが、麻酔科については、担当の先生方の尽力により、
かなり良い制度に変わっていく気配があったので、是非とも、その路線を継続、実施して欲しいと思います。

各大学のエゴばかりを聞くのではなく、広い視野を持って、地域の偏りない医師配分まで視野に入れた専門医制度改革を是非とも目指して欲しいと切に願います。

しばらく、ブログも更新しておりませんでしたが、またちょくちょく更新していきます。

先日、ある患者さんが胃がんで手術をうけることになっていた。

朝のカンファレンスで、術式を確認すると、開腹の幽門側胃切除だと。

最近は、当センターは、その手の初期のがんであれば、腹腔鏡補助下でやることが多く、
そのほうが侵襲がすこしでも少なくて済むので、どうして、その術式になっているのか疑問が生じた。

担当の外科医に聞いたところ、
「腹腔鏡手術もちゃんと提示したのですがね。例の群大の事件のせいで、患者さんが、『少しでもリスクがあるのなら、開腹でやってほしい』というものですから」
というではないですか。


あっぱれ。

最近は、そうした情報をきちんと自分で消化して、
手術の術式まで自分の意思で選択する患者さんもいるのだと、
感心した。

まあ、もちろん、当センターでは、この術式で群大のような事故はまず起こらないので、あまり心配してもらわなくてもよいのだが。。

意識の高い患者さんが、こうして増えることで、医療を提供する側でも、
気が引き締まるし、よりよい医療を提供できるよう、また努力しようと思うことになる。
非常によい話だ。

久しぶりに嬉しい一日だった。
お台場で開催されていた小児麻酔学会に参加してきた。

専門外のこともあって、この学会に恥ずかしながら参加したのは実は初めて。
過去にいろいろとお世話になった先生が会長を務めておられることもあって参加したのだが、

なかなか勉強になることも多かった。

最近、自分の所属する施設においても、小児外科が開設され、細々とではあるが、
乳児の手術も行われるようになり、当麻酔科としても、いろいろと対応する必要がでてきている。

乳児は、成人とはまったく別の生き物といってもよいくらいであり、
管理も慣れないものがやるべきではないので、当面、近隣の小児専門病院の慣れた専門家に現在は出張してもらい、指導をいただきながらなんとかやっている。
しかし、今後の体制を考えていと、果たして、当院のような規模の病院で、細々とやることが患者にとってよいことかどうか、よく考えて見る必要はあるだろう。
小児の医療だけではないが、いろいろと悩ましい、日本独特の非効率的な医療の現状が立ちはだかる。

実は、この学会、重鎮の先生方も言っておられたが、
小児を専門にするドクターはもとより、小児を普段は専門にしないドクターのために
どう啓蒙していくかということにも非常に大きな意義があるようで、

今回は、そのようなことを気づかせられた非常に貴重な機会だった。

実際、いくつかの講演を聞いて、非常に勉強になることが多い一日だった。

まだまだ、学ぶことが多い。
先週末は、学会の専門医資格試験の問題作成委員会の最終日。

委員の先生方には、はるばる遠くから集まっていただき、これまで散々に検討してきた問題を
実際と同じような時間で解いていただき、そして、最終検討をする機会だった。

これまで4年間にわたり、同じ仕事をしてきたが、今年は委員長としても、委員としても最後の年だったので、終わった時には、感無量。皆さんのご協力に、ただただ感謝するばかりであった。

やはり一委員として参加しているのと、まとめ役をしているのとでは責任感がまったく違うし、一日中喋っていなくてはならないので、それなりに疲れもする。この日までの問題チェックやその他の雑用もあって、疲労が蓄積していたのだろうか、久ぶりに翌日は、発熱をしてぐったりしていた。

今後の委員会もまだまだ課題の多いなか、次回からの委員長を引き受けていただけた先生には、是非とも無理のないよう、頑張っていただければと思う。

これからは、専門医試験問題作成を通して得た、貴重な体験、知識をもとに、自分の施設の若い人たちにより多くのものを還元できるようにできれるようになるかと思うと楽しみでもある。

来年度は、今の施設に異動してから、初めての心臓麻酔フェローを募集して、応募してくれた人が来てくれる年でもある。身が引き締まるとともに、非常に楽しみな年になる。今後も、そうした若い人たちの勉強になるような施設になるべく、環境を整えていきたいものである。

近頃、なにかと雑用が増えて、少々辟易している。

ないものねだりをしてもしょうがないが、それにしてもいまの職場、不要な、、とは言わないまでも、とにかく会議が多い。ほぼ、毎日夕方会議。会議。会議。

もちろん、それが、組織の活性化、改善につながる会議であれば、もちろんよし。
しかし、そうでない、ただの時間つぶしのような会議もかなり多い。
いずれにしても、会議をするからには、有効な議論、結論を導いていかなくてはならない。

せめて、自分の出席する会議は、意義あるものにしたい、とポジティブに考えることにする。

会議だけなら、まだしも、書類書類書類の山。
もっともくだらないのは、町の町内会の回覧さながら、ただたんに認め印を押すだけの回覧。
まったく紙と時間の無駄。
このご時世、メールでスムだろう!!!と少々怒りモードにも達する。

まあ、そうはいっても、最近この季節につきものの、施設の見学者、これは、嬉しいものである。
埼玉近辺の施設からはもちろん、遠く関西からも来てくれる。
やる気のある若い人に会えることは非常に刺激的である。

なんとか、そうした情熱のある若い人たちの役に立てればと、あらためて気合を入れ直すこの頃である。

大学の卒業式のスピーチとしては、スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学で行ったスピーチが有名であり、これには、私も以前非常に感動した記憶があるが、

先日Facebookで、ホリエモンが近畿大学の卒業式で行ったスピーチが流れていて、
興味半分に聴いてみたが、これがなかなか素晴らしいスピーチであった。

おそらく、本人もスティーブ・ジョブズを意識して、相当練りに練ったスピーチを作ったのであろう。ホリエモン渾身のスピーチだったと思うし、聞いていると、彼の必死ともいえるほどの、若者に伝えたいという情熱をひしひしと感じた、名スピーチであった。
時間があれば、是非聴いていただきたいと思う。

しかし、心配だったのは、これを聞いていた会場の卒業生たちの反応が、全くと言っていいほど伝わってこない。ほとんど無反応といってもいいくらい。
「いったい何言ってんだ、このおっさん」
とでもいわんばかりのしらけよう。

実社会にでてみないと日本の実情はわからないのかもしれない。
今の日本のおかれた立場を考えると、非常な危機感を覚えているひとりとしては、
共感を覚えていたのだが、学生の人たちには、そうした状況は理解できないのかもしれない。

これでは、これからの日本の将来が思い知らされる。
もっと若い人には、外に目を向けて、そして、日本のおかれた状況をよく考えてもらいたい。

医療の世界も同様で、国の中だけで、考えているだけではなく、国外にも目を向けて、
そして、日本のあるべき医療の姿を見つめなおすことをしないと、将来破綻するのは目に見えているのだが。。。

医療の世界にも、ホリエモンのような革命児が現れることを願っているが。。

私としては、日々の医療を淡々とこなしつつも、将来に思いを馳せる日々である。