高齢者への医療 | 手術室発、日本の医療へ

手術室発、日本の医療へ

毎日の麻酔業務におけるミクロなことから始まり、そこから浮かんでくるマクロな日本の医療全体についてまで、感じること、考えることを書き残していきます。専門的なことも書きますが、一般の方にも読んでいただければと思います。

最近、つくづく思うのは、80台、90台や、さまざまな病気で余命幾ばくもないかと思われるような元気のない老人への医療についてである。

 

急性期医療を担っている、一医療人として、どうしたものかと思う。

 

最近では、医療が発達して、循環器領域に限っても、さまざまなデバイスが発達してきた。大動脈解離や瘤に使えるステントグラフト、狭窄した弁を交換する血管内からのアクセスのできる人工弁、動かなくなった心臓に代わって、人工心臓+肺。などなど、さまざまな機器が使えるようになった。これらは、非常に便利なデバイスであり、有効に使うことで非常に有益な結果が得られるものである。しかし、昔なら、お看取りして終わっていたところに、助かる見込みが少しでもあるからといって、80台、90台あるいは、もうよれよれになった70台の老人にむやみにこうした機器を使うのはどうしたものかと思う。

 

もちろん、回復して社会復帰、あるいは自立できることが高く見込まれるのであれば、使い甲斐もあるというものだが、使用しても、ただ、延命だけ。とても退院すら見込めないような使い方というのは果たしていかがなものか。

 

年取って、あらゆる身体の部所が老化してくたびれてくるのは当たり前である。

それをどこか悪くなったからといって、すべての部分を取り替えていたら、キリがない。

血管だって、老化して、あるときには破裂してしまうこともあるだろう。弁だって、石灰化して動きが悪くなるのもある意味加齢変化である。これをすべて取り替えていくのが正しい医療のありかたかどうか。。。

応急処置程度で、だましだまし行くのが本来ではないか。

 

これらが、安いものであればまだしもであるが、一つの機器が、安いもので100万円から高いものでは500万円を超えてくるものもザラである。それにともない、さまざまな、治療費も加算されてくると、結果としてであるが、一週間で1000万円を超える医療費をつぎ込むことも稀ではない。

 

しかも、こうしたデバイスのほとんどは、海外特にアメリカ製である。使えばつかうほど、喜ぶのは、こうしたアメリカの医療機器メーカーである。日本の貴重な医療資源はこうして、アメリカに吸い取られているのが現状である。

 

こうした高額な医療費、すこしでも、いまの若い世代の教育、子育てに回せないものだろうか。実際は、真逆で、高齢者の医療に、若い世代の税金が使われているのである。

なんともやりきれない気持ちになるのは、我々医療者だけではないはずだ。

 

人間生まれてきた以上、いつかは死ぬ。命あるものの定めである。

寿命は永遠ではない。

 

医者が足りない、医療費が高騰する、という前に、まず、人間の寿命について、

真摯に考え直してみる必要があるのではないだろうか。