【回想】内的ビルドと外的デザイン -22歳2月-
この時期から明らかに文体の変化が見られる。文体が思想を成すものとして、自己の内在風景に反映・表象されるものであるのなら。内在風景・内的自己とは、単純なアイデンティティ獲得の過程で、自然発生的に確立されるものではないのだろう。外部から与えられる事もあれば、元々外部にあったものが何らかの転換により、意味を変え内在化される事もあるかもしれない。いや、寧ろフロイトの視点を援用するのであれば、この「内在化」或いは反意的に同義足り得る「完全阻害する外部化」こそ内在風景の確立に寄与すると言えるのか。「抽象的思考言語がつくりあげられてはじめて、言語現象の感覚的残滓は内的事象と結びつく事になり、それによって、内的事象そのものが、しだいに知覚されるようになったのである。」(フロイト全集12 トーテムとタブー)内面の外部への表明である言語が、その自他境界を持って内面化の過程に移行し、共感或いは差異により内的事象を規定する。内的自己たるものは、あるべくして初めからそこに存在するのではなければ、自分が何者かと問いかける主体がそれを存在足らしめるのでもないのだろう。ある種の転倒を持って、その瞬間に初めて立ち上がる。内向けの視点の転換と変換により、初めて知覚可能となる一つの現象…そんな見方は邪道であろうか?そして文体が、語る事が可能な風景…内在風景そのものを表現する手段であるのなら。Desired Idea of Node,or Designed Ideal Note.それは、自己を繋ぎ留めるための確固たる足場を望んだ結果なのか?或いは、自らの思想の変化を持って、自己の輪郭を描き出すようにデザインしていく工程か?朴訥と語られる言葉のように並べられたノート(音素)は、 独立した存在に過ぎないのかもしれない。でも、きっと耳を澄ませば、和音を築き、旋律を成す響きが聞こえる筈。あたかも五線譜に引かれたノーテーション(表現法)の如く。端からそこにあった筈の連綿と続く背景。それが内部と外部に分かたれ、新たな内在風景へと変わるための転換点とは。22歳2月のキミ。揺れ動く文体は、世界に向けられた定まらぬ視線の反映か、内部と外部の境界に自己の風景を見出そうとした自己表明の足掻きか。より客観への歩みを強めるこの変化が、外部による内部の制圧・優位性を意味した、分裂の季節。そして更なる加速を増す、22歳3月へ。