何も考えないのは楽で良い。
そして無駄なものほど楽しいものはない。
【22歳 2月24日のキミへ】
人間の誇れる能力の一つが、この無駄な物に価値を与える能力であろう。
本来的に本能というものが生存に利するための機能であるとすると、この能力は本能とは無縁の価値感覚。
これはまさに本能の余剰という意味での、持て余した生命活動を慰める遊び(マージン)の成せる業か?
この遊びの生み出す最たるもの、一例を挙げるならば、その一つがコレクションではないだろうか?
コレクションという概念自体の枠組み的価値に加え、そこに属する一つ一つのエレメントにも個別価値が付与される。
その価値の尺度となるレア度については、生産数・限定提供等の希少性に留まらず、エラー(例えばプリントミス等)にまで及ぶ始末だ。
更には各エレメントへの個人的嗜好とは無関係に、コンプリートする事自体にも特別な価値が見出される。
そして、それを評価する者もまた遊びを持って、時には当人とは異なる新たな価値さえ賦与する。(或いはしない。)
これは、生存本能に対する危機レベルが劇的に下がった結果の、進化の一形態と言えるものだろうか?
生存本能の錆び付きを慰めるように、無聊を弄ぶ…持て遊ぶ。
ラスティー・ネイル…
錆び付いた指先をドランブイの甘き蜜に浸し、琥珀色の揺らめきに視線は焦点を失い、増大の一途を辿る余剰本能のエントロピーは、酩酊と言う陶酔的逃避に変わる。
そして、このエントロピーの増大こそが、余剰志向の多様化と特殊化を生み出す源泉なのだろうか?
これぞまさしく、無聊による無駄な連想のアレイというものよ!
#得てして、新しい発想とは、この何も考えない無駄な瞬間にこそ、突然舞い降りるものだ。
#故に楽しいとも言えるのだろうか?例えそれに何の実益もなかったとしても。
そして無駄なものほど楽しいものはない。
【22歳 2月24日のキミへ】
人間の誇れる能力の一つが、この無駄な物に価値を与える能力であろう。
本来的に本能というものが生存に利するための機能であるとすると、この能力は本能とは無縁の価値感覚。
これはまさに本能の余剰という意味での、持て余した生命活動を慰める遊び(マージン)の成せる業か?
この遊びの生み出す最たるもの、一例を挙げるならば、その一つがコレクションではないだろうか?
コレクションという概念自体の枠組み的価値に加え、そこに属する一つ一つのエレメントにも個別価値が付与される。
その価値の尺度となるレア度については、生産数・限定提供等の希少性に留まらず、エラー(例えばプリントミス等)にまで及ぶ始末だ。
更には各エレメントへの個人的嗜好とは無関係に、コンプリートする事自体にも特別な価値が見出される。
そして、それを評価する者もまた遊びを持って、時には当人とは異なる新たな価値さえ賦与する。(或いはしない。)
これは、生存本能に対する危機レベルが劇的に下がった結果の、進化の一形態と言えるものだろうか?
生存本能の錆び付きを慰めるように、無聊を弄ぶ…持て遊ぶ。
ラスティー・ネイル…
錆び付いた指先をドランブイの甘き蜜に浸し、琥珀色の揺らめきに視線は焦点を失い、増大の一途を辿る余剰本能のエントロピーは、酩酊と言う陶酔的逃避に変わる。
そして、このエントロピーの増大こそが、余剰志向の多様化と特殊化を生み出す源泉なのだろうか?
これぞまさしく、無聊による無駄な連想のアレイというものよ!
#得てして、新しい発想とは、この何も考えない無駄な瞬間にこそ、突然舞い降りるものだ。
#故に楽しいとも言えるのだろうか?例えそれに何の実益もなかったとしても。