1970年代

1970年代の『ドカベン』単行本初刊の時期(月単位)

『ドカベン』の時代設定(1970年代)…現実の野球界と対照

 

無印『ドカベン』の中学~高校編では山田太郎は1974年(昭和49年)に明訓高校に入学。高2春センバツが1977~1978年。高2夏の予選と甲子園が1979年。山田たちが高校1年になったとき、江川卓は法政大学に入っていたが、5年後に江川が巨人に入ったとき、山田世代はまだ高2。

『ドカベン プロ野球編』では山田瀬田は1976年または1977年生まれ。土井垣は1974年生まれ。

 

1980年代

『大甲子園』単行本初刊の時期

2009-09-16 21:51:18

1980年代の『ドカベン』『大甲子園』単行本初刊の時期(月単位)

1980年代の『ドカベン』『大甲子園』年別内容変遷

ドカベン』の時代設定(1980年代)…『大甲子園』と『ドカベン プロ野球編

 

無印『ドカベン』の「明訓敗戦後」で1980年代に入る。山田世代は高2秋~高3春。『大甲子園』は山田世代高3春の話。

『プロ野球編』では山田世代が1983年(昭和58年)に小学校に入学し、1989年から中学生。『プロ編』の山田世代は『大甲子園』のサチ子とほぼ同世代。『プロ編』の太郎が小学4年生だったのは1976年春~77年春。5年生だったのは77年春~78年春。

 

1990年代

1990年代における『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』と『ドカベン プロ野球編』設定比較

 
『ドカベン(番外編)新潟明訓対神奈川明訓』では山田世代は1991年(平成3年)夏の時点で高校3年生。小林幹英と高3同士で対戦。
『ドカベン プロ野球編』では山田世代が高校3年生だったのは1994年度。高校入学は1992年春の設定になった。
小林幹英は広島に入団し、1998年(平成10年)の球宴で山田世代と再び対戦(プロ入団後は初対戦)。山田は小林幹英を「小林さん」と呼ぶようになっていた。つまり山田世代の学年は小林幹英よりも下になったわけだ。
しかし『プロ編』の山田世代は高校球児としては小林幹英と「入れ違い」である。『プロ編』の山田太郎は1991年夏の時点では鷹丘中学3年生だったことになる。『プロ編』の山田、岩鬼、殿馬、里中が神奈川明訓高校に入学したのは1992年春。この時期、小林幹英は新潟明訓を卒業していた。これでは「明訓」同士の対決は実現できなかっただろう。
 
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関連語句
〔#スポーツ虚実歴史〕(Ameba Blog)
ドカベンの時代設定(twilog)

参照