京都三昧、書き候
  • 08Dec
    • 下鴨神社、暮れゆく糺の森の画像

      下鴨神社、暮れゆく糺の森

      近畿の水がめ事、琵琶湖。先月末に水位マイナス68センチを記録し心配されていたが、一昨日から昨日の夕方まで途絶える事無く雨が降り続き、プラス8センチの水位60センチとなり、少し一安心。すでに京都の紅葉は終盤に入り、どことも平静を取り戻しつつあるが、いつも終盤近くに訪れるのが下鴨神社の糺の森。出町柳の桝形商店街の入り口の「出町ふたば」の前を通る。すでに書入れ時は終えていると思ったが、繁盛期でも二列の行列が何と三列になる程、「名代豆餅」を求めるお客さんで活況を呈していた。と云う事は、下鴨神社の観光客はかなりのものと思われる。下鴨神社摂社の河合神社には途絶える事無く、参拝者が鳥居を潜る。糺の森は色彩が無くなる寸前が趣があっていい。少し時期が早かったようだ!境内は人が多そうなので、糺の森を引き返す。まだ赤くなろうとしているカエデも多く、草も青々としている。瀬見の小川の反対側、西側はこの数年新しい祠が造られていて、景色が微妙に変化しつつある。この黄葉の落ち葉が印象的なこの施設?垂水(たるみ)?いつの間に出来たのか?新しい手水舎!飲めるの?分からない。看板以上の説明はなさそうだ。この背後に元庭園の遺構が残されていて、私のお気に入りだったが、いつも間にか立ち入り禁止となり、何か工事をしているな~と思っていた。まだ完成はしていないので入れないが、近くから全貌が垣間見れ、どうも新しい庭園、もしくは下鴨神社の神事施設が造られようとしていた。隆起した幹、暮れゆく糺の森。今年はもう訪れる事は無いと思うが、これから一週間が糺の森の晩秋がときめく瞬間でもある。

  • 07Dec
    • 京都御苑、凝華洞院跡大銀杏の落葉の画像

      京都御苑、凝華洞院跡大銀杏の落葉

      年々この季節に感じているのだが、昔確か目撃したと思っていた、眩い紅葉風景は単なる目の錯覚で、ひょっとして記憶装置が好意的にすり替えた画像で、元々そんな鮮やか紅葉はこの京都には無かったのでは、と思ってしまう位、概ね状況は悪い方向に向きつつある。只、この時期の色彩のもう一つの雄であるイチョウの黄葉は、ず~っと変わらず秋の移ろいを暖かく見守ってくれる。京都御苑には立派な銀杏が数多く存在する。その中でもこの数年欠かさず訪れているのが、建礼門を南に下った凝華洞院跡にある大銀杏。大銀杏の中でも最も絵画的なので、撮影の人気の的でもある。コロナ禍前は中国観光客が占拠していたので、思うようには撮れなかったが、国内観光客が思ったより京都に訪れているのか、最近よく見かけるコスプレをした集団が撮影をしていた。基本彼らは滞在時間が長いので、それ以上の撮影は諦めて移動する。最近のアニメは全く知らないが、どうも「鬼滅の刃」の登場人物のコスプレの様だった。周辺の枯れ紅葉景色を撮ろうとしたが、和服姿のお若い女性をモデルに撮影会がなされていて、これもままならず直ぐに移動。そこから数分で京都御所東側の学習院跡。この一帯はモミジも完全に黄葉化していて、イチョウの葉に同化して気持ち良いが、こちらも先客がおられた。こちらの方は愛犬をモデルに撮影奮闘中なので、こちらも時間が掛かりそうなので、接近もせず移動が続く。基本散歩みたいなものなので、積もった落ち葉を掻き分け枯葉の音を楽しむ。現在、御苑内では数か所で修復工事がなされているが、京都迎賓館の南側には新たな施設が出来そうだ。京都御苑の紅葉は今年は芳しくないと聞いていたが、迎賓館の拝観入り口辺りに紅葉らしさを発見!今回は黄葉景色で完璧に纏めようと思っていたのに、計画が潰れてしまった。今まで計画通りに行った試しなど一切無いのに、今更( ´艸`)!結局いつもの散歩コースに復帰。十日ほど前に訪れている「母と子の森」。その時残っていた大銀杏の葉は全て枯れ落ち、コオロギの里の僅かばかりメタセコイアの落葉。その向かいにやけに輝いている黄葉を発見。草なのか木なのか分からないが、ともかく黄金の草木としておこう( ´艸`)。

  • 05Dec
    • 泉涌寺、黄葉に眠る善能寺の庭園の画像

      泉涌寺、黄葉に眠る善能寺の庭園

      京都の紅葉は街中の建仁寺本坊の中庭、潮音庭を残すのみでほぼほぼ終了している。他府県ナンバーが慌ただしく往来していた千本通りも、ようやく日常を取り戻したかと思っていたら、年の瀬の師走が追いかけるようにやってきている。昨晩、我が千本通りをふと見ると、クリスマスのイルミネーションが飾り付けられていた。少し前に泉涌寺の塔頭寺院の紅葉を紹介した。あまり観光客が立ち寄らない善能寺は個人的に好きなお寺。と言うよりは、好きな庭園が眠っている。その時も実は撮影していたが、もっと良い光景が撮れないかと再びやってきた。12月に入っているのに山門前は未だに青葉が目立つ。それでも境内に入ると紅葉は期待できないが、今年特に際立っている黄葉景色。。。本堂横の池泉式庭園は晩秋の景色に横たわっている。前身は西八条猪熊二階堂町にあった二階観音堂で、823年に空海がこの寺に稲荷大明神(荼枳尼天)を祀って、寺の名称を善能寺に改めたと言われている。その後、1555年に後奈良天皇の命で泉涌寺の塔頭となり、今熊野観音寺の西北に移されたが、明治時代の廃仏毀釈で荒廃し、1887年にこの地に移され現在に至っている。現在の本堂は1971年のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により、航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されたもので、その時に作庭家の重森三玲によって池泉式庭園、遊仙苑が造られた。昭和を代表とする庭園デザイナーだが200近い作品の多くは枯山水で池泉式庭園は極めて少ない。と言っても、私が知った当時から池の水は抜かれたままで、この状態ではどう見ても枯山水( ´艸`)。小さな善能寺は常駐の住職はおられず、朝夕に泉涌寺の関係者がお勤めに来られているので、池の水や手入れが行き届かないのが現状のようだ。実際管理の行き届かない池は尽く澱み、悪臭を放つ、それならば枯らして自然に晒される方が健康的で正解かも?だから、手前の立石に無造作に巻かれた緑のホースは、それを物語っているのだろう。もっと言えば、お寺の関係者この庭園が昭和に最も革新的に制作活動した、一級の庭園デザイナーと言う認識がおそらく薄いのだろう。重森三玲の名が轟くのは1939年作の東福寺方丈庭園。ほぼ最後の1975年作の松尾大社庭園まで、36年の間に約190もの庭園の造営を精力的に行った。実に凄まじいが、それ故か、私は知る限り好きな庭園とそうでない庭園がある。それは元前衛華道家としての趣向が反映すのか、とんでもない様式、びっくりする収め方をする事がある。この遊仙苑は重森三玲の思いとは違った形で現存しているが、私の中では彼の作品の中ではかなり好きな方である。全てはアップしていないが、トータルで20回位は撮影している。多く写真に撮り、記録に残したいと思っている。出来れば春夏秋冬の変わりゆく雄姿を撮りたい。その為にはいつでも自由に撮影されなくてはならない。もしお寺関係者がこの存在価値が解り、整備して、それこそ拝観料でも撮るようになれば、私の計画がダメになる。だから立石に絡む緑のホースは、昔の前衛作家がよく用いていた表現方法と思えば。。。黄葉に眠る遊仙苑は曲がりながら捉える事が出来たか?赤くならないモミジの問題は残るとしても、一つ解決した想いを胸に善能寺の山門を出る。その奥山肌の階段を上がると泉涌寺の圧倒的な仏殿が現れる。頭上にはこの場に及んで、未だに赤くなろうとしているモミジを発見!

  • 03Dec
    • 南禅寺の最勝院、黄葉前線南下中!の画像

      南禅寺の最勝院、黄葉前線南下中!

      前回の南禅寺水路閣からの続きである。水路閣、蹴上インクラインはインスタ映えするので、取り分け若い人達に人気が高いエリアだった。その東山手は以前は年配者でもあまり見かけなかったが、この数年で年齢層関係なく頻繁に見かけるようになった。これは私みたいな細かい部分の京都情報を紹介する者と、その情報によってスマホ等で簡単にSNSで拡散する人達で、穴場も秘密の場所も白昼堂々の共通事項になってしまうご時世だから、これは誰も抗う事が出来ない現実であるが、取りようによっては不思議なバーチャルな世界とも言える。南禅院の塔頭寺院である最勝院。南禅寺本坊の裏山に建立されているせいか、こちらの参道はモミジは以前はひと際鮮やかに紅葉し、南禅寺境内は観光客で込み合っているエリアから、ほんの数百メートルしか離れていないのに、静かに思い存分に撮影できるのに少し後ろめたさもあるが、それ以上に優越感を感じる場所でもあった( ´艸`)。しかし、今年は以前に増して水路閣と同様に見渡す限り黄葉景色。以前よりまして水路閣からの訪問者が多く、人が入り込まない写真は時間掛かってしまう。今年はこのパターンが多い、多過ぎる!郷に入っては郷に従え、こんな異常気象の今日、綺麗に紅葉したモミジに出会うこと自体、無理難題になりつつあるでござる。それ故に出来る限り黄葉を綺麗に撮ってあげるのが私流。。。小さな境内に入っても殆どが黄葉のモミジだが、右手の紅葉がやけに目立ち、これならば黄葉の方が良かったのではと思ってしまう。朱に交われば赤くなる、黄に交わっても黄色くならないようだ!裏口から出ると、この山奥の先に奧之院があって、修験道が修行する駒ヶ滝があるらしい。いつも一度登ってみたいと思うのだが、未だになされていない。鬱蒼とした土地の岩とか壁が苔で緑色になるが、こちらは黄葉の影響か?不思議と黄色い褐色になっていた。只今、黄葉前線南下中?黄葉前線注意報!

  • 02Dec
    • 南禅寺の水路閣、黄葉真っ盛り!の画像

      南禅寺の水路閣、黄葉真っ盛り!

      本日昼下がりに東山通りを通ると、一週間前にあれほど観光客でごった返していた清水寺、八坂神社上がり口は落ち着き払っていた。一方、南禅寺の通常門にはタクシー、観光バスがひっきりなしに観光客を送り届けていた。南禅寺三門、法堂の参道には楓が植えられているが、私がこのブログを始めてから度々訪れているものの、綺麗に紅葉しているモミジを撮った事は実は無い( ´艸`)。今日の時点で散りだしているが、残念ながら綺麗に紅葉した気配は無い。それでも記念撮影に拝観者は撮影に余念が無い。境内で何度か撮影した事のあるのは法堂横の大きな楓。ところがご覧のように、黄緑、黄色、オレンジ、赤、一本の木で錦の色合いを表現してしまっていた。最もこの辺りで綺麗に紅葉する楓さえ、この状態。水路閣にも紅葉の気配なし。それでも若者中心に記念撮影!正面からまともに撮れないので水路閣の裏に回り込む。オヨヨ!背後の南禅院の間に枯山水の石組を発見!単なる草木に覆われた盛り土と思っていたが、草木が枯れて大量の石組が露出していた。南禅院の階段を上がると途中のモミジ、ちぢれも枯れもせず葉の形がキレイに残っているので、これはまともに紅葉しそう、それにしても遅い!とは言うものの、本日の水路閣は黄葉の真っ盛り!晩秋の京都の風情を先取り!こんな水路閣を想像していなかったが、これも思い存分楽しむのが私流儀、スコブル能天気( ´艸`)。

  • 01Dec
    • 法然院、師走の紅葉ナウの画像

      法然院、師走の紅葉ナウ

      とうとう12月の師走に入ってしまった。もちろんこの時の移ろいに、誰も抵抗できないので当然の事なのだが、何か後ろめたさを感じる季節でもある。とは言っても京都で住んでいる者としては、枯れゆく景色に愁いを覚えるのも事実。拙い写真で京都の師走を疾走する( ´艸`)。私の見る限りこの紅葉シーズンは、メジャーな観光地はほぼコロナ禍前に戻っているように見える。もちろん厳密なデーター分析ではなく印象として。只、その観光客の年齢層の割合が違っているよな気がする。男女比は別として取り分け中高年、高齢者を多く見かける。こちらの鹿ケ谷の安楽寺の山門でも。これは三日前の写真だが、暖かかった11月、更に雨不足の影響か、残念な事に12月直前で青葉の楓が目立っていた。安楽寺は通常非公開寺院だが、7月の鹿ヶ谷カボチャ供養、それと春と秋に一般公開されている。この秋は11月全土日・祝日、12月上旬の土日。その並びの法然院。茅葺の山門の風情が超有名になり、今では金閣寺を訪れた人の多くが、こちらにも立ち寄るようになっている。私が初めて訪れた40年ほど前、通りから山門、白砂壇、境内に至るまで、誰一人とも遭遇せず拝観できた事は今では夢の様である。法然院はブログを始めるようになり度々訪れているが、この数年この時期、紅葉せず、黄色く黄葉、青葉も多く、赤い山茶花がいつもと変わらず。残念ながらここでも紅葉とは程遠いが、白砂壇前には一列、二列となりスマホ、カメラに集中する拝観者で埋め尽くされていたので、正面から撮る事は諦めて端の方から。。。私はこのような場面は基本避けているので、何か咲いている花でも無いかと探すも。。。池にはいつの頃からか、倒木を橋のようにして利用されているのか?この丸みを帯びた橋を渡るのは至難の業である( ´艸`)。目ぼしい花も見つからず、白いキノコが笑っていた。そんなに大きくないお寺だが、人が立ち寄らない場所もあり、そこだけが幾分か紅葉していた。師走に入ろうとしているのに、以前は普通に紅葉していた山門の楓。青い葉と黄とオレンジ、モミジは少し異様である。急速に鮮やかな紅葉が消えつつある?地球温暖化問題がようやく全世界各国共通になりつつある。当ブログでも機会ある毎にこの事について問題提起してきた。特に紅葉の時期に感じるのは、自然の動植物の環境変化に対する反応は、AIによりコントロールされようとしている鈍感な人間より、数百、数万倍も敏感で繊細である。日本の赤い紅葉は日本の特別な環境、特別な気候の賜物で、自然環境が崩れると消滅するのではと懸念されていて、特に鮮やかに赤くなる仕組みは奇跡的に近いと言われている。

  • 30Nov
    • 真如堂の紅葉は晩秋の兆しの画像

      真如堂の紅葉は晩秋の兆し

      ちょっと早すぎたかもしれないが、既に私の気分は晩秋の散り紅葉を求めている。この二年間、旅行を断念していた京都好きな人達が一挙に押し寄せている感があり、メジャーな観光地はどことも混雑し、12月になると落ち着くがある意味これからが晩秋の京都を楽しむ絶好の時期となる。新型コロナの新しい変異株の動向は気になるものの。。。最もそれが近場で感じられるのは左京区の真如堂。と言っても次から次へと観光客が赤門を潜る。右手の参道は紅葉もせず落葉しているようだ。と思いきや、真っ赤に染まるモミジもある。本堂前、南側はいつの間にか寂しい限りだが、裏手に回り込むと紅葉がまだ生き生きとしている。最も風情のある本堂裏はもう少し。。。渡り廊下の額縁景色を発見!本堂北側は少し中途半端な感じ。観光客が意外と多かったので撮影には手こずったが、本堂前の石畳参道に晩秋を発見!11月は紅葉の季節としてはかなり暖かった。この数日で少し寒気を感じられるようになり、ようやく冬本番の寝具に替えた。それでも未だに真如堂赤門前の楓は全く紅葉の気配が無かった( ´艸`)。

  • 29Nov
    • 建仁寺、正伝永源院の紅葉の画像

      建仁寺、正伝永源院の紅葉

      祇園に伽藍を構える建仁寺方丈の潮音庭は、いつも一足も二足も遅く紅葉の時期を迎える。建仁寺塔頭の正伝永源院が、秋の特別公開をやっているので二日前に伺ってきた。やはり微妙な紅葉である。織田信長の弟であり茶人の織田有楽斎が再興した「正伝院」と熊本藩主・細川家の菩提寺「永源庵」が明治期に合併し、現在の「正伝永源院(しょうでんえいげんいん)」となる。客殿の前には池泉式庭園が設けられている。旧正伝院庭園は江戸時代『都林泉名所図会』で紹介され程だったが、現在の池泉式庭園はその当時のものでは無いらしい。その奥に国宝の茶室「如庵」の写しが復元されている。元々は織田有楽斎によって正伝院が再興された際に造られた茶室であるが、明治6年に正伝院は永源庵跡地に移転し、その際に祇園町の有志に払い下げられ、その後東京の三井本邸、神奈川県中郡大磯、現在は愛知県犬山市の有楽苑に移築され、昭和26年に国宝指定を受けている。この茶室「如庵」の写しについては、改めて当ブログ「京の茶席」で後日紹介したいと思っている。この様な状況なので客殿からの紅葉光景は期待できないので、お寺の関連ホームページよりの画像を紹介・・・↓こんなにも綺麗に人物も映り込まないで撮るのは素人では無理( ´艸`)。方丈の客殿は基本書院造りと思われるが、特に奥の八畳間の造りが渋い!襖絵と障壁画の色調が整えられていて、華美な装飾は排除され、造営者のセンスが窺い知れる。金箔もこの様に落ち着いている。花頭窓からの採光も時間の移ろいを感じるように設計されている。窓の上部には丸に桔梗紋、沢瀉紋が透かし彫りされ。。。比較的小さなお寺であったが、織田有楽斎のセンスが息づいているのか、端々にアッと驚く造作を見つけることが出来た。一つ残念だったのが、京狩野初代・狩野山楽(1559〜1635)蓮鷺図が通常ならば方丈襖絵で観れたのだが、この時は元首相・細川護煕氏筆の襖絵だった。仕方が無いのでパンフレットの画像でご勘弁!正伝永源院の特別公開は12月5日(日)まで。おそらく今日ぐらいから建仁寺方丈の潮音庭も見頃を迎えている頃、こちらも残り少ないですが、ラストチャンス!建仁寺の境内は比較的紅葉は少なめだが、放生池周りには暖かい落葉が敷き詰められていた。

  • 28Nov
    • 京都御苑の紅葉は黄葉?の画像

      京都御苑の紅葉は黄葉?

      京都の紅葉はすでに終盤を迎えつつある。大原・鞍馬・貴船の方面は散り始め、高雄方面は高山寺を残すのみだが、中心部はまだこれからの寺院も数多い。京都の中心と言えば京都御苑となるが、一週間前に伺った時は目ぼしい紅葉景色は見当たらず、撮るには撮ったがアップするまでも無くボツ。結局昨日もう一度立ち寄った。寺町通りの清和院御門、梨木神社鳥居横の萩が眩く黄葉していた。この鳥居を潜って本殿をお詣りする事は今は出来ない。開かずの金庫ならず、通り抜けできない鳥居( ´艸`)元参道には高級マンションが建てられていて、お詣りするには、このマンションを廻り込む必要がある。コオロギの里、染殿井、その先の「母と子の森」。一週間前もそうだったが楓の紅葉はイマイチ!大銀杏を中心に黄葉は例年通り。黄葉も紅葉もしないで枯れてしまうのか?倒木が高貴な方の棺のように横たわっていた。そのまま今出川御門の桂宮邸跡を確認しに行くが、現在大規模の修復工事をやっていて撮影する事は出来なかった。この桂宮邸はあの桂離宮を造営した八条宮家の本邸である。その敷地の東に中山邸跡、明治天皇の生誕の地でもあり、京都御苑三大名水のひとつ、祐井(さちのい)があるらしい。立ち入る事は出来ないが、敷地には明治天皇が誕生した時のうぶ屋が残っており、黒い塀越しに見ることができた。うぶ屋は慶子の出産にあたり御産所として新築したもので、当時のお金で100両の費用が掛ったそうだが、建物内は6畳と10畳の2室だけと簡素な造りのようだ。その東には大銀杏、正面には今出川通りを挟んで同志社女子の校舎が見える。京都御苑の紅葉はやはり今年も期待できそうも無いが、黄葉の景色は間違いなさそう。黄葉に染まりゆく「母と子の森」、家路を急ぐ。京都迎賓館の南端、今秋、ここかしこでよく見かけるツワブキの黄色い花。心も京都御苑も黄葉に包まれ暮れゆく。

  • 27Nov
    • 大池寺庭園の紅葉、沈み鳥居の画像

      大池寺庭園の紅葉、沈み鳥居

      先週、滋賀県の百済寺を紹介したが、数日前にも滋賀県水口町の大池寺に遠征した。目的は小堀遠州作の“蓬莱庭園”を撮影する為、ほぼ一日仕事だった。奈良時代の僧侶・行基がこの地に訪れた際、日照りに苦しむ農民の為に「心」の字の形に4つの池を掘り、灌漑用水を作った。そして、その中央に邯鄲山青蓮寺を建立し、一刀三礼の自刻の釈迦如来坐像を安置したと伝わる。その後子院を8ヶ寺持つ七堂伽藍を備える天台宗の寺院となるが、現在は臨済宗の寺院になっている。取り分け、遠州作のサツキの大刈込みの枯山水が有名で、日本庭園ファンの注目度は高い。まさか?山門前の参道右手に既にサツキの大刈込み庭園が展開しているでは無いか?こんなにも唐突に名作庭家の庭園が目の当たりにできるのか?余りにも唐突だったので興奮気味にシャッターを押していたが、どこを探しても、記憶の特徴ある刈り込みが見当たらない。広い庭園なのでどこかに隠されているのか?狐につままれたのか?嫌、そうでは無かった。狸に化かされたのだ( ´艸`)。なんぼセンスの欠片も無いオーナーでも大巨匠の庭園作品に、土産物的な信楽焼の狸をコラボするはずが無い!やはり!小堀遠州作の“蓬莱庭園”は本堂の書院前に造営されていて、表の枯山水庭園は比較的新しく造営されたものだと分かる。それでも庭園好きのサガと言うか、どうしても写真で残したいと思い、いろんな角度から撮影してしまった( ´艸`)。参道を挟んで反対側にはこじんまりとした枯山水、こちらも同様に新しい造営。この辺りが最も紅葉していた。この後本堂に上がり込み、“蓬莱庭園”に対面する事になるが、その模様は紅葉シーズンが終わって落ち着いてから、本ブログの「京の庭園巡り」で改めて紹介したいと思う次第。さて、お寺の横には名坂大池寺自然公園が隣接していて、その中に行基が農民の為に掘った池が存在する。「心」の字に掘られた4つの池とはこの弁天池のようだが、Googleマップで確認すると確かに4つの池は存在するが、どう見ても「心」の字には見えない。大体昔のお寺、高僧に関するエピソードは、芸人のデカ盛りのエピソードとまでは言わないものの、後世の関係者達が脚色した逸話も多く、単純に鵜呑みすると大いなる誤解を生む事もある。それとも地殻変動で池が移動したのか?その弁天池の中に石の鳥居が建っている。詳しい事は地元の人でも分からないそうだが、池の水が干上がると参道が現れるらしい、不思議?

  • 26Nov
    • 今熊野観音寺、泉涌寺塔頭の紅葉模様の画像

      今熊野観音寺、泉涌寺塔頭の紅葉模様

      先日、東山七条に伺ったその後、いつもの事だが近くの泉涌寺塔頭の三箇寺、今熊野観音寺、来迎院、善能寺にも回った。今熊野観音寺はネット等の情報によると、すでに紅葉の見頃を迎えていると聞いていたが、この時はそうでも無かった。まだこれからの感じがしたが、おそらく今週末以降が最も期待できるのでは。。。そう云う事もあり、いつもとは違ったアングルを試みる。大師堂前の枯れた藤棚越しの境内。子護大師を見下ろす角度は定番。普段はあまり撮影しない稲荷社、熊野権現社のエリア。大師堂裏まで回り込む。こんな所で最も鮮やかな紅葉を見つける。錦の紅葉に包まれる本堂。幾つかの絶景ポイントがあるが、やはり茶所の見晴らしテラスがベストとなる。もう少しで眩暈を誘うほどに紅葉する。2テンポ遅れで紅葉する鳥居橋を渡り、裏の来迎院、善能寺を目指す。来迎院はこの感じなので、今月末からようやく見頃は始まりそうだ。現在庫裏周りを修復工事中だが大石内蔵助建立の茶室、含翠軒を有する庭園は通常通り拝観できるみたいだ。重森三玲作の庭園・遊仙苑が眠る善能寺はまだ山門の楓は青々としていて。見頃は来月以降になりそうだ。泉涌寺の御座所庭園は既に見頃を終え、塔頭の雲龍院はまだ見頃を保っていると聞く。

  • 25Nov
    • 智積院の鐘楼周りの紅葉の画像

      智積院の鐘楼周りの紅葉

      昨日は久しぶりに東山七条の智積院に行ってきた。帰り道に清水寺、八坂神社の上り口には大勢の観光客が群れを成していた。観光事業で成り立っている京都市としては喜ばしい事だが。ヨーロッパのコロナ禍が再拡大している現状を見ると、手放しでは喜んでいられない。智積院の紅葉は数年前までは余り知られていなかったが、その割には綺麗に発色する楓が多いので結構撮影に伺っている。今年は紅葉の条件が良くないのでそんなにも期待はしていないが、境内に入りよく観てみると、それなりに紅葉していた。足元には更にツワブキが色を添えていた。現在鐘楼の南側が工事中で、何とか映り込まないように角度取るが、それにはかなり限界があるので、何卒ご了承の程。青葉も混じり錦の紅葉の趣。どうしても鐘楼周りになる( ´艸`)。その東側背後は真っ盛り!今年の初夏に発見した、宿坊智積院会館裏の築山枯山水はすっかり黄葉に覆われれ、黄葉の姿も一段と愛おしく感じられる。七変化の姿を見せる智積院の鐘楼。現在、鐘楼の南側だけでなく、金堂も修復工事で幌を被っているので、撮りづらいと言えば撮りづらいが、紅葉だけを撮影するには全く問題ない。心配性の想いに反し、艶やかな姿を惜しみなく降り注ぐ、一瞬!

  • 24Nov
    • 赤く染まる赤山禅院に咲く桜の画像

      赤く染まる赤山禅院に咲く桜

      前回、曼殊院ライトアップの時間待ちで伺ったのは、比較的近場の赤山禅院。閉門前だったのか、殆ど参拝客がいなかった。今年はやはり雨が少ない影響で、モミジの葉の生育が良くないので、ちぢれ紅葉、枯れ紅葉が目立ち、赤く発色せずして枯葉になるのもよく見かけている。その中では赤山禅院の紅葉はひと際赤い。これは名前がなせる業か?取り分け境内の楓は濃い赤目の品種のようだ。そして白いものは何かといえば、この時期から咲き出す不断桜。秋から次の年の春まで咲き続ける品種の桜なのだが、おそらくルーツは国指定天然記念物に指定されている、三重県の白子不断櫻だと思われるので、1年中枝のどこかに花をつけていると思われる。紅葉と同じ時期に見れるのは、言ってもそうそう無いのでアリガタイ!紅葉が芳しくない時に赤く染まる紅葉が拝めるのも、更にアリガタイ!本堂の屋根を見上げると、平安京東北の表鬼門を守る猿が鎮座。京都市を広く守り見渡している、アリガタイ!この後急いで曼殊院に向かう。西日に一段と赤く染まりだしたようだ。

  • 23Nov
    • 曼殊院の紅葉、庭園ライトアップの画像

      曼殊院の紅葉、庭園ライトアップ

      どうやら京都市全域の紅葉が概ね見頃を迎え、一段と観光地が慌ただしくなろうとしている。二日前に訪れたのは洛北の紅葉の名所曼殊院。野暮用を済ませてやってきたのは、4時は過ぎていた。イチヨウの葉が白壁塀辺りを覆う頃、見頃を迎える。その前の弁天島の弁天池も紅葉に覆われ、4、5年前に庭園を拝見した事があったが、それっきりだった。拝観受付の楓が最も赤く紅葉していた。案内を見ると夕暮れからライトアップをしていて、それもこの年で最後になるらしい。紅葉ライトアップは基本うまく撮れないので興味が無かったが、「最後」と聞くとついつい浅ましい気持ちが働き、ライトアップされる時間を伺い、近場の紅葉名所で時間を潰す事にした。それから一時間半後、再び参道に戻ってきた。大書院と小書院の前に開ける遠州好みの枯山水庭園。しかし難儀な事に、書院周りに張り巡らされた縁側にはびっしりと人影?鼠が入り込む隙も無く!本当の目的は庭園の全体像を写す事と、正確な構成、詳細の言及であった。その一つが左手の梟(ふくろう)の手水鉢。ライトアップを楽しまれているお若い女性には、"このおっさん何を撮っているの"と思われたかもしれないが、ともかく目的に近づきがたい。"二頭追うものは一頭も得ず"を又もや実感する( ´艸`)。智仁親王のご次男であり智忠親王の弟宮である良尚法親王は、曼殊院造営の際、桂離宮の最終造営者の智忠親王に多くの影響を受けていて、至る所にその痕跡を残している。それが小さな小さな桂離宮と言われる所以である。大書院前の鶴島には、飛翔する鶴が象られた樹齢400年の五葉松が植えられ、その根元に曼殊院型灯籠が立つ。右手の灯籠。曼殊院型灯籠は別名クルス灯籠、キリシタン灯籠とも呼ばれいて、母からの贈り物と言われている。縁側の拝観者が立ち去るのを待ちながら、大書院、小書院、竹の間、虎の間、孔雀の間の、仏像、美術品等を再観覧して時間を潰す。小書院前の亀島、左奥には滝石の立石、橋の石組。。。ようやく縁側の人が途絶え、撮りやすくなるもの、その時点で身体が秋の風に晒されギブアップ。敷地内は工事中の所もあり、依然と拝観順路が違っていた。知らなかった坪庭にも遭遇。いずれにせよ今回は第一目的が果たせなかったので、次回は5月初旬、霧島つつじが咲く頃の昼間に訪れてみよう。

  • 22Nov
    • 清滝から嵯峨鳥居本の紅葉の画像

      清滝から嵯峨鳥居本の紅葉

      昨年から清滝に積極的に来るようにしている。忘れられた京都の避暑地の供養と、出来ればこの地が大学生や文人たちに愛された、観光地として蘇らないかと言う、想いもあって。。。昨年の秋は時期が遅かったのか、すでに辺り一帯は晩秋の趣だったので、今回は前回より十日ほど早くやってきた。清滝川の畔に降りて見渡すが、昨年とあまり変わり映えしない?今年は紅葉直前の雨が少なかったので、それも影響しているのか?清滝川の巨岩越しに、数年前に閉鎖された旅館ますやを見上げるも。。。この一帯が寂れたのは第二次大戦で不要不急線と指定され、清滝までの線路が軍需物質不足に伴いレールを軍に供出し、清滝から愛宕山の愛宕神社に繋がる、ケーブルが廃線してしまった事が大きいのだろう。江戸時代、庶民の間で「‘お伊勢七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月詣り’」とまで詠われこの地だが、今は誰も知らないのだろう。辺りを一回りして愛宕神社登り口の鳥居横の元ケーブル清滝川駅跡。もう誰も乗せる事が出来ない元ケーブル駅から光景はその時とあまり変わっていないのだろうか?旅館ますや前の渡猿橋にも猿が渡る事もないのだろうか?錦の紅葉光景を撮るつもりで来たが、今回もダメだった、又、来年に持ち越しだ( ´艸`)。かつて三高 (京都大学の前身) の学生達が遊学に興じ、与謝野晶子と鉄幹が常宿とした旅館ますや。作家では織田作之助、梶井基次郎、三好達治、荒木文雄、政治家では濱口雄幸、幣原喜重郎、片山哲といった総理大臣経験者、後にノーベル賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎、江崎玲於奈など、多くの文化人や財界人が訪れたのに、その時の清らかな思い出は何処に消え去ったのだろう。この日は陽気が良かったので、それが救いだ。清滝トンネルを目指すこの坂の途中に、私の清い思い出が眠っている。こちらも随分前に廃業している小料理屋の"くれない茶屋"。もちろん再開されるはずは無いが、いつも気になっている、どこかで再開を願っている。晶子鉄幹 あそぶ清滝 今はなく暮れない時に 思いを込める清滝トンネルを抜けて数百メートルで嵯峨鳥居本。清滝から高々一キロしか離れていないのに、この艶やかさ。。。本来、愛宕詣での一之鳥居。江戸時代から変わらない風情で寂れていても良さそうなのに、こんなにもこんなにも艶やか。。。この時期から嵯峨野方面は紅葉真っ只中、

  • 21Nov
    • 湖東三山、百済寺の紅葉の画像

      湖東三山、百済寺の紅葉

      琵琶湖の水位低下が問題になりつつあるが、戦国武将の明智光秀が琵琶湖畔に築いた坂本城跡の石垣の一部が露出して話題になっている。一方、長浜市公園町の豊公園湖岸にある太閤井戸跡も大きく姿を現し、共に話題となっている。太閤井戸は秀吉が築いた長浜城で使われていたとされ、1929年に起きた琵琶湖の渇水で発見されている。共に戦国時代しのぎを削って築いた城が、琵琶湖を挟んみ湖岸で向き合っている姿を想像するのは、城、戦国ファンのみならず、胸躍るものがある。滋賀県は京都と比べたら寺院、庭園では注目されないが、近江国はかつて織田信長の居城・安土城があった場所。当時の城は無いものの、多くの寺院、庭園が造営され、その上、近江八幡出身の小堀遠州作の庭園も残されているので、最近は京都より滋賀県の庭園に興味が傾いている。三日前に訪れたのは東近江市にある百済寺。てっきり「くだらでら」と思っていたら、「ひゃくさいじ」と読む。重厚な石垣に覆われ、最後の山城の趣を今に残す紅葉スポットで、湖東三山の一つ。織田信長によって天正元年4月11日に焼討されたが、かつてポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国 一千坊」と絶賛した百済寺は、推古14年、聖徳太子によって創建された近江国最古級の寺院。坂道の参道が思ったよりも長い、ヤバい!ようやく拝観入口付近に辿り着く。一気に開ける本坊・喜見院の庭園。豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式庭園で、現代鈍穴(どんけつ)流の作法で作庭されている。鈍穴流とは遠州流の茶人・勝元宗益を初代とし、代々受け継がれている作庭スタイルは“鈍穴流”と呼ばれ、滋賀県の東近江地方に多くの庭園を残してる。寺社庭園としては県内最大級で巨石群の配置。この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配している。まだ紅葉が始まったばかりだが、ここが最も鮮やかだった。山肌を上がり本坊と池を見下ろす風情は、昨年伺った近江八幡の遠州作・教林坊の様でもある。この高低差を楽しむのは近江国の庭園の特徴なのか?この山肌の庭園を登ると。。。近江八幡、湖東の平野、琵琶湖、西方55キロ先には比叡山、ほぼ同一35度線上に太郎坊(八日市)、比叡山、次郎坊(鞍馬山)、更に880キロ先には渡来人の母国が位置している。この時は紅葉が始まったばかりだが、この見通しの良い木立が錦に色合いに染まるのは頃は、宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国 一千坊」と称した光景が展開するのだろう。日本初の僧正になった百済の渡来僧・観勒(かんろく)は、百済寺の建立に際し、祖国、百済の都であった熊津(公州)と同じ北緯35.1度線上に百済寺を建て、夕日の向こうに百済国を偲んだと言われている。長い参道を登ると大草鞋を吊り下げた仁王門の前で、お年を召した人たちが渋滞している。ここで最後の難所が待ち構える( ´艸`)。そこを制した者だけが本堂の正面に辿り着く。そこから参道を見下ろすと、おばさん方が愚痴をこぼしながら悪戦苦闘。私は一人だったので無言だったが、連れがいればおそらく「エライ!」と発しただろう( ´艸`)。かつて聖徳太子が山中に光を放つ霊木の杉と出会い、根が付いた立ち木のまま刻んだ十一面観音(植木観音)を囲むようにお堂を建てたのが始まり。延暦寺と共に百済寺も信長の焼討にあっているが、前夜、この十一面観音は持ち出され、内陣の厨子には秘仏本尊の2.6mもある、十一面観音立像(奈良時代)が安置されていた。この後予定では湖東三山の西明寺、金剛輪寺も巡るつもりだったが思いのほか時間と体力を使い、これにて近江国とオサラバ!

  • 20Nov
    • 嵯峨釈迦堂、清凉寺の紅葉の画像

      嵯峨釈迦堂、清凉寺の紅葉

      昨日清滝に向かう途中、寄るつもりは無かったが、聳え立つ清凉寺の仁王門を目にすると、ついつい吸い込まれるように境内に入っていた( ´艸`)。お隣の宝筐院も外から窺える紅葉は、まだ真っ盛りとは言えないものの、あと数日もすれば十分と思える。只、清凉寺の境内は予想以上に寂しく、本堂横の庫裏まで一目散。この時期の観光客としては、私の知る限り最も多く、その殆どが年配者だった。コロナ禍で旅行など我慢していた人々が、一斉に動き出しているのだろう。庭園の拝観は本堂からとなるが、こちらは余り人が立ち入らない庫裏の玄関。この門扉の内側には方丈があり、小堀遠州の枯山水庭園が設けられている。清凉寺の庭園は長年機会が得られず、昨年ようやく撮影出来た。これがその時撮った小堀遠州の枯山水庭園。楓は色んな種類があるが、これは特徴のある楓。細い何本もの枝がしな垂れる風情。緑から黄色、やがて赤くなるのだろう。同じ場所でも向かいのこの楓は、まだまだ青々としている。あと十日もすれば見事に染まるのでは。。。本堂裏に設けられた弁天堂の庭園は、参道奥から垣間見られるが、ほぼ見頃に近い。この下の写真は昨年の見頃時に撮った一枚。先を急ぐのでこれで去ろうとしたが、清凉寺に来て多宝塔を見ずして帰るのは、と思い目の前まで。多宝塔周辺のモミジは枯れ紅葉、ちぢれ紅葉気味!ハッキリして雨不足が葉を醜くしてしまっていた。その足元では山茶花が思いのほか咲いていた。山茶花は赤よりこのショッキングピンクが良い。正面からと見ると殆ど茶褐色しか見えないが、反対側から太陽光通すと何とか紅葉らしく見えている( ´艸`)。清凉寺の庭園は一日二日、境内は大まかに十日前後が見頃になりそうだ。

  • 19Nov
    • 真如堂、本堂前のモミジの画像

      真如堂、本堂前のモミジ

      琵琶湖の水位が17日、基準からマイナス65センチを記録した。過去30年の同時期に比べて低い水準で、マイナス60センチを下回るのは2007年以来、14年ぶりだそうだ。そう云えばこの一、二ヵ月京都もほとんど雨が降っていない。この期間の雨量が紅葉の鮮やかさに影響すると言われているので、今年は紅葉模様は少し厳しいかと思っているが、それでも気分がどこか凛と昂揚する時節なので、ささやかの紅葉風情お届けします。目指したのは左京区の紅葉の聖地、真如堂。北ドンツキ迎称寺の萩は僅かに枯葉を残すのみ。真如堂の赤門を潜り、青空に参道手前の紅葉が目を引くが、これは葉の形からしてモミジの木では無い。と言っても中央、両サイド参道の紅葉はこれからで、本堂裏の紅葉はもっと後になる。本堂北側の楓は幾分それらしくなってきている。三重塔がようやく黄葉、紅葉に霞みだした。到着した時の青空はいつの間にか消え去り。。。瞬時に赤味を増したようだ。今年の秋の「そうだ 京都、行こう。」の紅葉風景は何処の寺になったかは知らないが、2019年はこの真如堂本堂前のモミジだった。まだ本格的ではないが、西日に射抜かれ真の紅葉間近にときめいていた。最初に見かけた赤門前の紅葉の木は、どうもメグスリノの木のようだ。それだったらムクロジ科カエデ属の落葉高木なので、この紅さは当然と言えば、当然。この分で行くと、本堂前はこの数日、本堂周りはこの一週間、本堂裏は二週間、赤門前の楓は三週間、それ以降は晩秋の風情になる模様。

  • 17Nov
    • 金戒光明寺、栄摂院の一本の紅葉の画像

      金戒光明寺、栄摂院の一本の紅葉

      大手地図会社のゼンリンがSNSに投稿した真っ赤に紅葉した「五稜郭」画像が“加工しすぎ”と指摘が相次ぎ、ゼンリンは「誤解生んだ」として謝罪、削除。その画像はSNS上で今は見れないらしいが、その記事中の画像には、紅葉とは程遠いキモい、異様な光景の「五稜郭」が映し出されていた。インスタグラムもツイッターも写真映えを優先するあまり、実際とはかなり異なる光景が映し出されている傾向がある。個人が演出、遊び的にやるのは許される範囲と思うモノの、社会的に影響力ある企業がやるのは基本的にダメでしょ!元々写真加工は1990年初頭に開発された、Apple社のMacintosh(マッキントッシュ)専用の画像ソフト、アドビ社のフォトショップの専売特許だった。私が手に入れた時はイラストレーター共に、確か当時10万円もした高額ソフトで、それが今では無料で誰でも加工できるアプリで事が足りる( ´艸`)。私も写真加工アプリは使っているが、基本画像サイズの変更、画質を整える程度で、現実と余り開きが出ないように気を付けているが。。。さて、紅葉シーズンに入り、コロナ禍で人が途絶えて京都の観光地にも他府県ナンバー車が頻繁に往来するようになった。言ってもまだ絶好の紅葉風景には程遠い。昨日は仕方なく左京区の金戒光明寺の様子を見に行った。2017年に初めて境内の紅葉風景を撮影したが、それ以来、絶景風景に出会う事は無かった。この日も境内を一回りしたが、カメラキャップを外す事は無かった。奥の塔頭通りまで様子を窺う事に。。。通りには然したる紅いモノを目につかないが、栄摂院山門の奥にひと際紅い、一本のカエデ!三河の時代から徳川家康に仕えた木俣守勝ゆかりの寺で、普段は中門に結界が張られているので入る事が出来ないが、紅葉の時期だけは無料で拝観できる。本堂前には池泉鑑賞式庭園が開けている。正味この一本だけなので、赤味の色調はそのままで、角度を変えて撮ってみる。来訪者は私以外一人だけだったので、思い通りの角度から撮れるには撮れるが、変わり映えしない( ´艸`)。数年前までは紅葉の穴場的な場所だったが、今は結構な人が訪れるようになっている。これから周りの楓も徐々に紅葉しだすので、11月下旬頃までゆっくり楽しめるスポットである。

  • 15Nov
    • 桂離宮の考察(其五)の画像

      桂離宮の考察(其五)

      なかなか本格的な紅葉狩りが出来なくて困っている。今年は直前の天候が紅葉には適していないので、冴え渡った色鮮やかなモミジは期待薄だが、それなりの紅葉景色は撮るつもりでいるものの、躊躇している今日この頃。取りあえず現在考察中の桂離宮の続きを。。。桂離宮のモダニズム建築として注目させたのは、ヨーロッパの建築家達である。一般的にはドイツの建築家ブルーノ・タウトとされているが、タウトは表現主義、色彩感覚を基本とする、モダニズム建築とはかなり距離のある建築家である。フランス人のル・コルビュジエもいたが、最もモダニズム建築に共通項を見出したのは、ドイツ人のヴァルター・グロピウスで、彼が求めた機能的、合理的な造形理念に基づく建築・工芸・デザイン、無駄な装飾を廃して合理性を追求するモダニズムの源流となった教育機関バウハウスの設立者であり、建築家である。それは桂離宮の何処を指して言っているのか言うと、庭園でも五つの茶亭でもなく、御殿の古書院、中書院、新御殿の雁行型に配列された建築群である。西和夫著 『桂離宮物語―人と建築の風景』より三つとも建築時が異なる別荘風住居である。このズレは成立時だけではなく、平面、立面にも認められ、三つの建物は床高、天井高、屋根高が微妙にズレながら繋がっているが、何一つ欠ける事が許されない程に調和し、ポストモダン建築の旗手・磯崎新の指摘する、「たゆたうような快楽」や「微妙な諧調」に当たるのかもしれない。桂離宮の建物の建築様式は何かと言うと、寝殿造り?書院造り?数寄屋造り?恐らくどの様式にも当てはまらず、唯一無二の桂離宮様式と言えるものである。このクラスの建物にしては華奢な柱が、軽快なリズムと流れを作っている。一般的に宮家の寝殿、住居には瓦葺の反り屋根となるが、サワラやスギの柿葺むくり屋根を採用しているので、重厚な屋根の圧迫から解放され、実に軽快である。それでは最初に造られた、後に古書院と呼ばれる「瓜畑のかろき茶屋」はどのように作られたかを探ってみる。見ての通り至ってシンプルで、手の込んだ造作は一切なされていない。殆ど垂直と水平の材料しか使われていない。建築については素人だが、初代八条宮家智仁親王の類稀なる美的センスと、造作担当の大工によって作られた結果ではないだろうか?西和夫著 『桂離宮物語―人と建築の風景』より二条城、御所の建物は建築家に相当する作事奉行があてがわれるが、当初の「瓜畑のかろき茶屋」クラスでは、施主と大工の棟梁で打ち合わせで十分だと思われる。もちろん財政的余裕、幕府からの大きな支援も無かったので、単純明快、極めて質素な造りとなっているが、これが世界をリードするモダニズム建築家に刺さる事になる。類稀なる建築は意外と時の気まぐれで生まれた可能性がある。1620年、徳川和子の入内盛儀に智仁親王は出席を辞退し、桂のかろき茶屋で石川宗林と木下長嘯子に茶が振る舞われ、庭園の造営について意見を交換していた。その時幕府の所司代以下は二条城から内裏に総動員されていた。唐突に石川宗林と木下長嘯子の名前を出したが、共に関ヶ原の戦い経験した武将である。しかしそれをキッカケに隠棲し、宗林は茶人、長嘯子は歌人として不可解な人生を送るが、桂離宮の真のデザイナーを紐解くキーパーソンでもある。これについては最終章となる其六で再登場予定。初代八条宮家智仁親王の桂離宮の造営は幕府側と一定の距離がいつも保たれていたようだ。それ故に幕府のお抱えの小堀遠州とは親交はあるものの、茶の湯の指導、意見を頂く程度の社交的なモノに止まっていた。当初、「瓜畑のかろき茶屋」の襖絵は今出川本邸の襖絵や屏風を描いた海北友松に頼む予定をしていたが、既にこの時亡くなっていて、石川宗林も木下長嘯子も「桂の襖絵は唐紙になさいませ」と薦めていた。海北友松は建仁寺の「竹林七賢図」、「雲龍図襖」を手掛けた、智仁親王お気に入りの絵師であった。1629年5月29日、智仁親王の突然の死去、御年51歳。今出川通りを挟んで近くの相国寺の僧昕叔顕啅は驚き、八条宮の家臣は顕啅に葬儀の依頼をした。本葬は相国寺慈照院で1629年4月19日に営まわれた。盛大で華麗に行われ、建仁寺、高台寺、鹿苑寺の長老も出席。亡くなる6日前に顕啅が受け取った智仁親王の発句はけふきてハ 心もかろし 夏衣八条宮2代の智忠親王は数え年11歳、それから桂離宮は荒れてしまう。1641年の12年後、智忠親王により第二期工事が始まる。西和夫著 『桂離宮物語―人と建築の風景』より智忠親王1642年9月前田利常の四女・富子を妃とする。母は徳川秀忠の娘・球子。つまり富子は将軍家光、東福門院和子の姪に当たる。八条宮家としては将軍家、東福門院との結びつきはこの後の振る舞い、財政的にも有利に働く。第二期工事は財政的にも加賀百万石の前田家、幕府の援助も得られ、中書院の内部の造作は少し手の込んだものがモノが見られるようになった。その一つが江戸活躍していた狩野探幽・尚信・安信の3兄弟が襖絵を担当している。これは同じ時期、御所の新御殿を担当していた小堀遠州の取り計らいで、智忠親王は助言など頂くなど、八条宮家と幕府の関係は改善していたが、それ以上のモノでも無かったようだ。最初の書院の増築の時、智忠親王は今出川の本邸ように別棟を建て渡り廊下で繋ぐ、又、父上がお気に入りだった寝殿造りの透渡殿(すきわたどの)を考えていたが、最終的に建物を直接繋ぐ方式をとっている。これは智仁親王が生前「建物を廊下でつなげるのはもう古い。花山院が考え出された方法、建物を直接つなぐのが良い。」これは平安時代後期の歴史物語である「大鏡」に書かれていた、風流者の花山院が新しい御所を作る時に考案した斬新な方式だったが、この方式が採用された実際の建物は残っておらず、智仁親王の頭の中では生き続け、智忠親王はこれを桂離宮の造営時に蘇らせていた。それだけではない、風通し、見晴らしを考慮して新しい建物を少しズラして繋ぐげる、雁行型の建物群が登場する。続く第三期工事は1662年頃に行われたとみられる。現在「新御殿」と呼ばれる建物は、1663年の後水尾院桂御幸に備え、御幸御殿として整備されたとされている。それ故に最も贅が尽くされ、框一段分高くなった「上段」に著名な桂棚と付書院がある。桂棚は修学院離宮の「霞棚」、醍醐寺三宝院の「醍醐棚」と共に、「天下三名棚」に数えられるもので、黒檀。紫檀、伽羅、唐桐、唐桑など、輸入品を主とした18種の銘木を組み合わせて作られている。天袋に李白と林和靖図、地袋には円窓内の山水図を描き、狩野探幽の筆とされている。釘隠、襖の引手、板戸の引手などの細部に独創的なデザインが施され、水仙形の釘隠、「月」の字形の引手、春夏秋冬の花を盛った4種の手桶形引手、折松葉形の引手(楽器の間襖)、市女笠形の引手(楽器の間板戸)などが施され、外観の質素、簡潔なデザインから想像できない雅な造作がなされている。この様に古書院、中書院、新御殿の内部様式はハッキリ違うが、それが外観は一部のスキも無いように調和しているのは、唯一造営当初のスタイルを保っていた古書院、父が初めて造営した「瓜畑のかろき茶屋」の外観をどうしても残したいと思う智忠親王の父に対する敬意、その思いが見事に纏まり、調和を造る結果となったのでは!造営時期が異なる三つの書院の合体建築物が、二百年後のモダニズム建築をも凌駕する、華麗なる総体を見せつけるのは、この桂の地には計り知れない、類稀なる運命が備わっているような気もする。次回は最終章として、桂離宮の真の制作者に迫ります。紅葉便りも忘れずご報告する予定( ´艸`)。