遅めの梅雨に入っている。
こうなると撮影予定が立てられず、
と言って然したる花も咲いておらず、
雑多な世間づきあいに時間を費やす事になる。

もう一ヵ月が過ぎてしまったのか、
この時期、京大の百万遍あたりを徘徊していた。



知恩寺、日仏会館、吉田寮、京都国際写真祭の展示会場。
日本最古の吉田寮は取り壊しの危機にあったが、
学生側自治会の言い分が認められ、現在は小康状態。






京都大学吉田キャンパスに象徴的な建物がある。



日仏会館北側の荒れたエリアに西部講堂が建っている。





大学側は吉田寮をはじめ、
キャンパス内を時代に合わした形で整備、健全化したいと、
大学側、国同様、もしくは一部の建設関係者は近年思い続けているのだろう。

おそらく吉田寮よりこちらが本丸。こちらの方が大規模事業になる。



今は大屋根のペイントが剥がれ落ちているが、
私の知った1970年代はライトブルーに塗り上げれ、
青い空に白い雲が浮かび、赤いオリオン座の三ツ星が描かれ、
シュールレアリズム風と言うよりサイケ調、
殆ど剥がれ落ちて、さらに大きな木で見えないが、
今でも僅かに赤い星だけが確認できる。



西部講堂自体は1937年、皇太子明仁親王の生誕を祝して
京都帝国大学の時に建築され、1963年、現在地に移築。
うらぶれているモノの、ある意味、歴史的建造物でもある。



西部講堂が学生の自由の象徴として注目されたのは、
1969年、京大全共闘の指導部の一人であった高瀬泰司が、
同年、京大教養部で「バリ祭」「反大学」を起こし、
時計台の陥落、百万遍カルチェ、今出川解放区の壊滅のあと、
最後の砦である西部講堂で活動を開始し、
その後の音楽と総合芸術のステージを提供していく事になる。

「FUCK '70」、「なにが黄金の70年代や」、
「紅白だけが大晦日か」と題しコンサートが開かれ、
大晦日恒例になった徹夜のロックフェスティバルが行われていた。

私自身何度か伺った事があったが、
それよりも「オルフェの袋小路」が定期的に行っていた、
古典、アバンギャルドな映画は欠かさず観に行っていた。



ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』から、
ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる『アンダルシアの犬』、
フリッツ・ラングの『メトロポリス』、ジャン・コクトーの『詩人の血』、
何と言ってもケネス・アンガーのK.K.K.(Kustom Kar Kommandos)は、
自身で上映会を開くほど衝撃的な作品だった。

「オルフェの袋小路」主催では確かなかったと思うが、
先日触れたジミー・クリフの『ハーダー・ゼイ・カム』も西部講堂で観て、
いち早くレゲエ音楽に目覚める事になった。

 



その横には昔から自動車部が隣接していて、
当時から何とも言えない違和感があったが、それも変わりなく、
部員の一人がモクモクとラリーカーの手入れをしていたので、
唐突過ぎるのも怪しまれそうなので、
大屋根の視界を遮っている大木について、

 

 

 

 

 


「50年前はこの木はこんなにも大きく無く、
こんなにも大きくなる木は何なんでしょう?」
もちろん自動車部員が知っている筈も無く、
昔は西部講堂はロックと言うより、
実験的な音楽をやっていたフランク・ザッパが
「世界でもっともビューティフルでクレイジーな劇場」
と紹介した事もあり、世界で最も注目されていたストラングラーズ、
XTC、トーキング・ヘッズ、トム・ウェイツ、ポリス等も公演、
ロックの聖地的な存在だったと説明するも、
自動車部員には過去のミュージシャンはピンとこないようだった( ´艸`)。



もちろん日本の過激な村八分、頭脳警察、ザ・スターリンから、
ザ・モップス、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、Char、
かまやつひろし、カルメン・マキ、沢田研二、
頭角を現す前の矢沢永吉など、



昔ほど過激では無いが今でもロックコンサート、
演劇、舞踏等、多目的に利用されているようで、
吉田寮同様、学生による自主管理、自主運営が守られているらしい。



年と共に殆ど行く事も無くなったが、
80年代から90年代に情報誌をやっていた事もあり、
ちょうどその頃、関西のハードコア・パンクが西部講堂を拠点に、
ビート・クレイジーと言う団体が行なっていた。

何度か自治会で接触する機会があった、
共にコンチネンタル・キッズのメンバーのモヒカンのしのやん、
パンクの歌姫のケバいラン子さんはには圧倒されたが、
普段、進々堂カフェ、下鴨のバール・カフェジーニョで見かける
連中は屈託なく素直に映っていた。

ラン子さんはスペルマのボーカリストとしても活動していて、
バンド名も凄いが、全裸にスケスケの衣装で唄うラン子さんも凄い。
惜しい事に1997年、44歳の若さで亡くなれている。

今ではそんな自由な活動の拠点は、今の若い世代には忘れされようとしている。



日仏会館前を疾走するトラック?
これは愛用の馬鹿カメラのせいで、
トラックは極めて厳正な法定速度で走行中!