二世教育の将来を共に考える
価値観教育と為に生きる教育の関係
今回から、「価値観教育」と共に、もう一つの大切な柱である「為に生きる」生活教育について少しずつ考えていこうと思います。前回説明した様に、この教育を実践するに当たっては「正しい価値観」、「挑戦的訓練」、「手本になる家庭」と言う大きく分けて三つのポイントを抑えていく必要があると思われますが、まずその内の「正しい価値観」から述べてみたいと思います。
「為に生きる」実践は「正しい価値観」に基づいた正しい善悪観と方向性に従う事によって、初めて原理的に正しい「為に生きる」教育になるのであって、そうでない場合は、いわゆる人間的もしくは横的なだけの「為に生きる」活動に終わってしまい、長い目で見た場合、あまり効果的な教育にはならないと言う事です。
正しい善悪観で為に生きる
神の復帰摂理を知っている私達は方向性によって善悪やアベル・カインが決まる事を知っています。でも、小・中学生の子供達には、そういう複雑な神の復帰摂理から来る所の善悪観を理解するのは困難かもしれません。しかし、「内的価値観」を中心とした善悪観やアベル型・カイン型は子供達にとって比較的理解し易いものです。
子供達が思春期の年齢になって来ると、彼らの自我が目覚め、物事を客観的に見つめ始め、色々の意味で人生における価値観が立ち始める時期に入って来ます。私達親はその頃の子供達に対して、精神的で永遠的な幸福を中心として、人々の為に生きなければならない事を教え、一時的、物質的、肉体的な欲望を助ける事は、最終的にはその人達の為にならない事も教えます。
正しい方向性で為に生きる
「内的価値観」を中心として正しい善悪観が立って来ると、次に方向性の問題もハッキリして来ます。個人の人生のあり方から始まって、家庭、社会、国家、世界と、どの様に我々が最終的福地世界に進んで行かないといけないかが解って来ます。そして、社会の問題に対しても、政治や経済が最大の問題なのでなく、個人が未完成(堕落)であるのが最大の問題でり、それにより家庭が未完成(崩壊)であるのが諸悪の根元あることを生活と活動の中で教えて行きます。
以上の様な指導をふまえて、サービス活動を実践することにより、子供達は段々と正しい善悪観と方向性を理解しながら、原理の真理性と神の必要性も確信し始めます。そして出来れば大学に入る前までには原理全体から見た復帰摂理史観も学ばせたいものです。
より大きな善の為に生きる
それでは、顕進様は以上のことをコア・ヴァリューの中ではどの様に説明しておられるのでしょうか。顕進様は、ただ単純に「為に生きる」のではなく「より大きな善の為に生きる」としておられます。そしてその為には、神のヴィジョンとヴァリューとゴールにアラインしないといけないと説明されています。
神のヴィジョンとは神が人間と親子の関係になりたかった変わらない夢であり、ヴァリューとは神の真の愛を中心とした価値観であり、ゴールとはその為に我々が目指す天一国建設の摂理と考えて良いでしょう。そして、アライメントとはそれら全部に対する方向の一致であり、それにより我々が「為に生きる」にあたっての、正しい方向性が決まってきます。
コア・ヴァリューは私達食口や祝福子女の教育の為だけにまとめられたものではありませんが、私達にとって「より大きな善」とは正に「神」である事は明らかです。しかし顕進様は、ただ単純に宗教的、慣習的、組織的に神に従うのではなく、全ての人々(特に宗教人)が正しい価値観と動機で理解した上での、正しい目的に向かって、神と神の摂理の方向へ自発的に進んで欲しいと願っておられるのです。(次号につづく)
(2011年12月2日付)