二世教育の将来を共に考える (8) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

二世教育の将来を共に考える



              正午定着と報告生活

子供達が幼い時に「神」よりも「親」を意識するのは当たり前でそれは自然な姿です。しかし段々と子供が成長してくるに従って、いかに「親」から「神」に自然につなげていくかは、どれ程親達自身が日常生活のなかで「神」を意識した生活をしているかにかかっていると言っても過言ではないでしょう。

あたかも、私達が霊の子を伝道する時に最初は自分に心情的につなげて、しかし責任者と一体化しながら段々と教会につなげて行く様に、子供を育てる時も、真の御父母様と一体化しながら段々と神と神の摂理につなげて行けば良いのではないでしょうか。

その様な「神」を常に意識した生活とは、もし人間が堕落していなければ、本来は自然な生活で、宗教や教会を必要としない生活だったはずです。今は後天時代を生きる私達も出来る限りそれに近づくために、組織や人間関係を全ての中心にして生きるよりも、むしろ「良心」をより中心にして、いつも「神」を意識しながら生活することがもっと必要になってくるのではないでしょうか。そしてこれこそが、御父様が近年いつも繰り返し言っておられる「正午定着」や「透明性の生活」でありいつも神に「報告する生活」ではないでしょうか。


               為に生きる生活教育
さて次に、それらのアイデンティティー教育や価値観教育と一緒に並行していかないといけないもう一つの重要な教育は「為に生きる」生活教育でしょう。そしてこれは神の創造と復帰の根本原理であり、御父様と我々の運動の中心的伝統であるとも言えましょう。

しかしながら、この教育も次の三つのポイントを正しく抑えていかなければ、本当の意味で子供達が霊的に成長して、更に「神体験」をしていく事は難しいと思われます。その一つ目は、「為に生きる」教育も、正しい原理観を中心としなければ意味を持たないと言う事です。つまり、子供達が「内的価値観」の確立なしに あまり外的にだけ「為に生きる」活動をしようとすると、最終的に疲れてしまうだけでなく、知らないうちに人間的な間違った方向で人助けをしてしまう事も出て来ます。

二つ目のポイントは、「為に生きる」教育も中途半端にやっては自己満足で終わってしまって、なかなか成長出来ないと言う事です。「為に生きる」子女教育は、最初の動機付けをさせるには大変有効な教育ですが、どこかで少しづつでも限界に挑戦させて、それを超えさせて行かせなければ本当の意味での霊的成長は難しいと言う事です


更に三つ目のポイントは、その「為に生きる」生活を御旨や家庭の外でやるだけでなく、むしろ家の中で、特に夫婦の間でも実践していなければ子供達には理解され難いと言う事です。(次号につづく)



                  (2011年11月25日付)