二世教育の将来を共に考える
プレッシャーの中で生きている祝福子女達
先回も言いましたように、我々の子供達は無言、有言のプレッシャーの中で生活して来ています。勿論、親やコミュニティーの違いや さらに子供達の性格の違い等により その程度の差はありますが、基本的には回りからの色々な待遇と期待を「誇り」と感じるより、「二世」「三世」「祝福子女」「血統」と言う言葉も含めて、それらを「重荷」と感じてきた子のほうが多いのです。今は、二世のリーダーとしてがんばっている私の娘も高校生の時はそうだった様です。
その様な環境のなかで、もし子供達が「内的価値」を自ら追求し始める前に、そしてその延長上にある「神」の存在を意識し始める前に、親や回りの人達の「良い子でなくてはならない」と言う期待と要求をあまりにも強く感じていくならば、彼らは本当の意味での自分の「価値」を知る前に、ギブアップしてしまうかもしれません。
前回も言った様に価値を要求すること自体は決して間違ってることではなく、その動機は「神」に由縁するものであり、親として当然です。ポイントは「人」の評価や目を意識させる事よりも、「神」の価値観を中心として、「神」の評価や目を意識させるような指導をするという事です。そして何よりも大切な事は「神」がそれぞれの人間を個別な「個性真理体」として見つめる様に、私達親も「絶対的価値」にもとづいた「不変」で「比べない」愛で子供達を見つめ指導して行く事でしょう。それでは、今度は別な良い例を挙げながら具体的に説明します。
正しい神観を作り上げる親の言動
<例5>「OOちゃんには こういう皆にはない良い所があるんだね」とか「お母さんはOO君のこんな良い所を知っているんだよ」と言ってあげる。
これは、中途半端に一時しのぎでいっては逆効果です。しかも、勉強やスポーツの様な誰の目にも見えるものよりも、もっと内的で本質的なもので、心のなかの良い部分で 他人には無いものを見つけてあげることにより、子供達は親から内的価値観と絶対的愛で見つめられている事を感じて、そこを伸ばそうと努力し始めるのです。もし、私達親が、他人の誰も、更に本人すらも知らない子供の良い部分を見抜いてあげることが出来れば最高でしょう。
どの子供にも欠点はありますが、そこだけを指摘しても変りません。むしろ、良い所を伸ばしいくと、不思議なことに欠点もすこしずつ消えて行くものです。更にこの様な子供達の親に対する肯定的な心情が 彼らの「神観」の成長に将来良い影響を大きく与えて行く事は言うまでもありません。
<例6>何か小さな事でも良い事をした時に喜んであげながら、同時に「神様が知っているよ」とか「神様も喜んでいるよ」とか言ってあげる。更に、何か良い事や良い意味で不思議な事があった時も、「神様がしてくれたね」と言ってあげる。
この例は、子供の成長を通して喜びたい「神」を親の態度と重ねながら、自然に「神」を意識する生活をさせようとしています。これは、出来れば幼児教育期にしょっちゅう言ってあげれば大変効果的ですが、私は中・高校生の子供達にも時を見てタイミングよく言う様にしています。
そして、これもテクニックだけではなかなかうまくいかないものです。なぜならば、子供達に「神」を意識させる前に 親自らが「神」を意識する生活を先にしていないとタイミング良く出来ないからです。更に、口先だけで言っても子供はわかりますから、心からそう感じて言う必要があります。次に、何か失敗した時に「神様が見ているよ」とか「神様が怒っているよ」とかは、あまり言わない方が良いでしょう。「神様が悲しんでるよ」というのも良く聞く言葉ですが あまり幼い子にとって効果的とは思えません。(次号につづく)
(2011年11月18日付)