Chajinの 徒然フォトブログ -60ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

新型コロナウィールス自粛が始まって2カ月ぶりに、県内ではありますが遠距離ドライブ、白川郷へ
出かけました。
6月19日には都道府県境をまたぐ移動の自粛要請が全面的に解除されましたし、飛騨では同時に
「飛騨観光お目覚め」宣言が出されました。

訪れたのは解除前でこのような人気のない白川郷を見たのは40数年前、宿泊を含めて何度も仕事で
取材に訪れて以来でした。

お土産物屋さん、食堂は殆ど休業、もちろんここ数年、9割方と思われた中国の観光客はなく
村で出会った観光客は数えるほど、地元の方々も商売、生活が成り立たないと思われる所
申し訳けないのですが昔懐かしい白川村の姿でした。

私共も商売自営ですので他人ごとではありませんが、行き過ぎたインバウンド需要に頼り過ぎた
ツケが訪れてきたような。星野リゾートの社長が提唱しておられるような「マイクロツーリズム」、
地元の観光地を見直すような機会になるのかもしれません。

何時ものように荻町城址公園より白川郷を一望。






駐車場より合掌造り集落へ渡る庄川に架かる「であい橋」。









ふき替えられたばかりの合掌屋根。大きい家になると1千万円(2,30年に一度)要するそうです。



数少ない開いていた土産物屋さん。



国宝和田家前のスイレン池。






きれいな山水の流れる小川には鯉やニジマス。



村中にたくさん見られるフランス菊



 
上のような洋花に浸食されて見ることが少なくなったハハコグサ(母子草、春の七草御形ごぎょう)。


ヤマボウシ



ウツギ。 唱歌夏は来ぬの卯の花。
 


村内彼方此方に見られたグミ





明善寺(奥)と手前の庫裏。



明善寺鐘楼門。


雪が少し残る白山。



国道360号を白川村から天生峠を越え厳しい山道を飛騨市古川町へ向かいます。

 
途中の中滝。


天生峠手前の白山展望地。

天生湿原
 



山と川の林業の町、飛騨市河合町。その昔大勢の若い女性を野麦峠を越えて長野の紡績工場へ
送った「ああ野麦峠」で知られる旧河合村。




飛騨市国府町の山野草園のクリンソウ(九輪草)を楽しみに出かけました。






その姿が仏閣の屋根の「九輪」に似ることから付けられ、日本原産の人気の山野草。














お隣の宇津江四十八滝


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花フェスタ記念公園も3月28日から5月15日まで新型コロナウィルス感染防止のため
春、夏バラシーズンでしたが閉園しておりました。
すぐ近くの可児明智城址登山の後訪れてみましたが、入園にはマスク着用が必須ですし、
例年に比し入園者は3割程度の感じでした。





 


春バラ、秋バラのいずれかに殆ど毎年訪れていて、いつも頭が下がるのが、これだけ広いスペースに
数限りないバラが植えられているのに、散った花びらが殆ど見られないという手入れの素晴らしさ
でした。 今年は手入れにも制限があったようで初めての光景でした。





白バラガーデン。




ミズバショウなどと共にバラも純白の美しさに惹かれます。















園内をガイドと共に楽しむロードトレイン「ポッポ」。




アンネのバラ園。いつもは通らないコースで初めて訪れました。

アンネフランクを偲んで作られたアンネのバラ。



アンネフランク像





品種数、株数は非公開だそうですが、多数の中でも好みのバラは限られます。
  
























世界のバラ園。













甘い香りに包まれて素敵な一時を過ごしました。





家内の結婚記念日のプレゼント。オリジナル包装してあったので日本酒は分かっても中身までは
見ないで飾ってあったのですが、開けてびっくり、「明智光秀」でした。
可児市羽崎、林酒造製。
麒麟~を見ながら楽しみたいと思います。6月14日からは収録が出来ず、しばらく新しいシーンは
放映お休みのようです。

道三、義龍の長良川の戦い、今川義元、信長の桶狭間の戦いと、名シーンを楽しませて貰えました。



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可児の地もコロナ禍で休園されていて、花フェスタ公園内の可児大河ドラマ館が5月22日から
開館されるとともに明智城跡へも訪れることができるようになったようです。
 
遠出が難しい昨今、大河「麒麟がくる」に因んだ身近な地を再訪しております。
 
可児市瀬田地区、明智荘から明智城跡。
 
 
標高175mの明智城跡
     
     
 
上の写真の左方。
光秀の産湯井戸跡 昭和40年代の耕地整理前にはこんもりした茂みの一角に
井戸跡が残っていたそうですが、居館跡などと共に田になってしまいました。
今でも食器などが発掘されることがあるそうです。
 
 
大手門跡
 
       
 
桔梗坂と呼ばれる本丸へ至る登山道。
 
 
桔梗坂の青紅葉
 
 
本丸跡
 
 
        
 
 
        
 
 
休憩所に置かれていたパンフの明智氏相関図
 
 
 
 
展望台から北方の明智荘を一望。
 
 
手前中央の山が森蘭丸の金山城址
  https://ameblo.jp/ksuigyok/entry-12407062781.html
 
 
落城時に亡くなった7人の武将の七ツ塚。
 
 
 
曹洞宗 寛永2年(1625年)開山の天龍寺
 
 
今回はお参りし易いように本堂入り口に光秀の位牌、像が移されていました。
高さ184センチ、日本最大の光秀の位牌(平成に入って作られた新しいもの)。
 
       
 
明智家歴代の墓
 
 
朽ちて字などは読み取れません。
 
       
 
 
 
 
唯一明智の名が残る「名鉄広見線明智駅」。
 
 
最近私のブログをご覧頂いた方は下記も是非ご覧ください。
 光秀の福知山城、過去の歴史ブログ
  https://ameblo.jp/ksuigyok/entry-12570772710.html
 
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濃尾平野の北の端に位置する山県市大桑(おおが)、大桑城は407mの古城山の山頂

一帯にありました。

ふもとの柏野(かやの)地区の城下町跡。

大永5年(1525)、長井新左衛門(斉藤道三の父)等が頼芸の兄の美濃守護・頼武を

クーデターにより追い落とした後、頼芸が土岐家の家督を継承した。

頼芸は長良に居館を置いたが天文4年(1535)に長良川大洪水で甚大な被害が出たため

本拠地を大桑城へ移したと伝わる。天文8年(1539)に斉藤道三は稲葉山城改修と城下町の

建設に着手したとされ、時を同じくして大桑城で城と町の建設を始めた。大桑城は美濃国

最大の規模を誇る山城であったと伝わる。

 


 

 

 
土岐家桔梗紋
 
天文12年(1543)の戦いは斉藤道三が大桑城にいた土岐頼純派の勢力を駆逐すると
ともに守護頼芸が持つ道三からの独立を目指すのを排除するためと考えらている。
江戸時代に建てられた戦死六万墓碑には天文11年(1542)と記され、
戦いの後に南泉寺住職の仁岫宗寿が焼香を行ったと記されています。
(年記載異なりあり) 
 
最近の発掘では300体余であったようです。

 
六万墓の近くにあって現在も残る100mほどの「四国堀跡」。 城下町の入り口部には
四国堀のほか「越前堀」と呼ばれる様式も残されていて、他国との関係を伺わせる
地名が残る。
 
 
大桑城へ登るのには車で進める林道があり、駐車場から30分ほどの登山で城跡へ
訪れることができます。「麒麟がくる」の放映に合わせて登山道も整備されていました。

 
まず訪れたのが切り出し井戸、中学生の頃見たそのまま、水を湛えていました。
頼芸が落城時金鶏の置物をこの井戸に隠して逃れたと伝わることから
この城山を「金鶏山」とも呼んでいました。

 
大桑に住む子供は誰でも一度はこの山に登ったと思いますが、山麓から登って
この井戸の横を通った記憶があります。

 
井戸の近くに残る石垣跡。

 
崩れた石垣も。

 
井戸の少し上には台所跡と伝わる広場。


 




 
土岐頼芸城址碑。 裏には数藤鐵臣岐阜県知事(1941~1942)と
松尾國松岐阜市長(1926~1945)の名前が彫られていました。
 
 
407mの古城山頂上。
 

 

 
曇り模様でしたが頂上から真下に私が生まれ育った集落。一番遠方の山が金華山。
 
 
望遠でぼんやり金華山、岐阜城。
頼芸はどのような思いで稲葉山城を望んでいたことでしょう。
 
 
南泉寺。屋根瓦がふき替えられ、土塀も新しく塗り替え、改修工事中でした。
南泉寺で長良川の戦い前、道三が信長に宛て美濃の国を譲る旨、文を認めたとされます。
 
 
南泉寺に残る頼芸の鷹の画 (パンフより)
 
 
 
 
南泉寺の裏山の一番高所に土岐家の墓所
十代南泉寺殿 頼純 十一代東春殿 頼芸 が読み取れます。
 
 
頼芸が崇敬し本殿を改築し、石清水八幡宮を勧請、合祀して「十五社大権現」と改称。
子供の頃元旦には家族揃って初詣に訪れた懐かしい神社ですし、神主さんは私の小、中同級生。
 
     
    
 
道三は頼芸を追放して国盗りを成し遂げましたが、「大桑城で国中の仕置きをし、諸侍の
礼を受けた」と書かれており、守護の城である大桑城でなければ国盗り宣言はできなかった
のであろうとされる。
 
何処もかしこも幼いころの思い出がいっぱい残る大桑でした。
 
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道三は濃姫の婿、信長に一度会いたかった。信長は家中でもうつけとの評判も高いものの、
濃姫からの文で優れた人物と聞いており、ぜひ自分の目で本人を見て確かめたかった。

天文22年(1553)、富田の聖徳寺がその舞台であるが、木曽川は長年氾濫を繰り返し、
富田は美濃、羽島にあった時代もあり、木曽川が曲るあたり、葉栗郡にあったという説あり、
史実ははっきりしない。 
現、富田、一宮起(おこし)は美濃街道にあり、稲葉から3里、那古野から6里程の地、
下図の地、または美濃であったかもしれない。

家康が犬山から50km程、那古野側の堤防を高くして整備したため、美濃は洪水に悩まされる
ことになったものの、それ以前は氾濫を繰り返し、川筋も変えていた。
今でも河原、砂地が3,4km、川の流れの広さを見せる場所もある。




聖徳寺跡は木曽川堤防から150m程、堤防との間には住宅が立ち並び、何の寺院の跡も残されて
いないが、住宅に囲まれた狭い地に「聖徳寺旧跡碑」が立つ。



碑の揮毫は愛知県知事桑原幹根(1951年~1975年、長期にわたり知事を勤めた)。












昭和10年発刊の渡邊佐太郎著、「我等の美濃史」、道三の婿テスト。




富田の堤防から正面は稲葉山ではなく伊吹山。





富田から6Kmほど上流の葉栗郡、現木曽川町からは目の前に金華山、岐阜城。






コロナ禍で閉鎖の金華山ロープウェイは5月17日より再開、岐阜城は22日より開館。
さらに長良川鵜飼も22日開幕(観覧船は延期)。






南から、道三が長良川の義龍との戦いに備えて大桑を出て陣地とした鶴山。長良川支流、
大桑源流の鳥羽川が山を囲って堀の機能がある。長良川まで5km程。



北方から、
右が鶴山、左が岩崎山、小さく金華山、岐阜城。大桑からこの地までは山に囲まれ、この地を越えると
濃尾平野になる。

 




この後、私の故郷でもある大桑へ向かいます。


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