今年の1月から3月まで東濃の国指定史跡の山城、金山(かねやま)城、岩村城、苗木城跡を
制覇するスタンプラりーが開催されるなど、岐阜の宝もの、美濃の歴史、山城の美しさを見直そう、のキャンペーンが開催され、多くの人々が訪れるようになりました。
まず、森成利(なりとし)(長定)(森蘭丸、乱丸とも)生誕の金山城。
斉藤道三が下克上をした時期、古くから木曽川の湊町であった兼山の町に
斉藤大納言妙春が1537年に強力な山城、鳥峰城を造りました。
1548年に久々利城の土岐悪五郎に暗殺され、その後1565年、織田信長の家臣、
森可成(よしなり)が城主になり金山城に名前を変えました。
信長に信頼されましたが、1570年浅井、朝倉両軍との戦いで可成が48歳で死去、
次男長可(ながよし)が城主となりましたが、1584年、小牧・長久手の戦いで27歳で死去、
1665年(永禄8年)に金山城で生まれた三男、蘭丸は1577年(天正5年)には12歳にして
弟二人共々信長の小姓として召し抱えられ、以後信長の側近として活動。
1582年(天正10年)に甲州征伐に貢献のあった兄は信濃川中島に領地替えとなり蘭丸が
城主になりました。このとき17歳。岩村城の城主にもなりましたが、15歳には安土城で信長の
近衆として仕えており、それぞれの城を家老に城代を務めさせていたようです。
先に安土城址へ訪れた際には、森蘭丸邸跡の標識もありました。
同じ年、1582年には本能寺の変で信長、二人の弟共に亡くなっています。
山腹に新しく作られた「蘭丸広場」から標高277mの古城山。
山上に井戸はなくこの山腹の井戸水が使われ、蘭丸産湯の井戸とされています。
物見やぐらの近くの駐車場に車を置いて登山口です。
二の丸西面石垣。1600年、犬山城主石川光吉が城主となり、1601年犬山城主になった
小笠原吉次により破城されました。この石垣も破城のあとが見られるといいます。
石川光吉により犬山城に移築されたという伝承もありましたが、昭和36年の犬山城改築の際
その痕跡はみられず、改修に使用された程度とされました。
大手枡形、左手が本丸跡。
金山城址
眼下の木曽川、兼山ダム。
木曽川下流、美濃加茂市。
400年以上前の石垣がそのまま残されています。 本丸下。
山を下りて木曽川沿い、八百津旧道沿いの可成(かじょう)禅寺、嫡子の長可が可成の名を
冠した寺を建立しました。
中央が可成の墓標。
蘭丸の墓。 「瑞桂院殿鳳山智賢居士」
乱世の壮絶さ、蘭丸、信長に寵愛された若き美しき、有能の人に思いを馳せた金山城でした。
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