Chajinの 徒然フォトブログ -61ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         





5月11日快晴の日、今回は金華山南側、金華山ドライブウェイの岩戸公園口から初めての登山です。

岩戸公園は岐阜県自動車運転免許試験場、自動車学校があった場所。 昭和39年に三田洞へ移転、
年配の方々にとっては懐かしい地でありましょう。
この日、岩戸公園駐車場はコロナ対策のため閉鎖されており、先客のあるドライブウェイ沿いの
空き地に駐車させて頂きました。



ウグイスの鳴き声を聞きながら新緑に包まれた登山道からスタート。



道端にシャガの群生。



山つつじも点々と咲き始めていました。








七曲り登山道は岐阜城まで小一時間、登山道がきれいに整備されていて家族向けのコースと
言われます。


楽なコースとは言え、昨今自粛で長歩き、山登りもしていないため体力もなまっていて息を切らして
二ノ門跡へ到着。




1ノ門跡





青空に映えて美しい岐阜城。



濃尾平野を一望できる岐阜城は閉鎖中。 ロープウェイもストップしているため、常時散歩替わりに
登っておられるような高齢者がほとんど。

この日は西側の展望のみ。


先に訪れた鷺山も目の前ですが、道三の時代には競技場など一帯は長良川の河原の中、
鷺山には長良川から水を引いた庭園があったとの記録もあるようです。






20数回岐阜城を訪れていても、恥ずかしながら、南側の下道へ下りたのは初めてでした。



信長時代に整備されたと伝わる、一番はっきり見ることができる城の下の石垣群。



石垣下の本丸井戸。深さは分かりませんがが貯まっていました。




帰りはこちらも初めて東坂ルートへ。
岸壁の左上に岐阜城。 




岸壁の手前に大砲レンズのカメラを覗く方があり、お聞きするとハヤブサがいますよとのこと。
カメラを覗かせて頂いて場所を教えて頂きましたが、私の肉眼や300mmのレンズでは見つけられず。
いつも通っておられるベテラン氏に私のカメラで撮って頂きました。私もトライしてみましたが
捕えられませんでした。  3日通って全く出会えず空振りのこともあるとのこと、カメラにも
色々な趣味があるものです。



東坂からは東方の景色を楽しむことができますが、目の前は金華山と呼ばれるに至った
ツブラジイの花が咲き乱れていました。

古い話ですが東京からUターンして岐阜市内の会社へ勤めるようになった初夏、会社の屋上から眺めた
金華山系(岐阜城は望めませんでしたが)と水道山を覆う若葉とツブラジイの黄色(金色)に包まれた
美しさを初めて見て、会社の窓から見た4月の道三まつりの行列などと共に、岐阜の素晴らしさを
再認識したものでした。






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5月6日、地元岐阜新聞の全面広告。ヤフーニュースでも紹介されていましたのでご覧になった
方もあると思います。
営業局の若い社員さんが考えたデザインだそうです。 普通に目の前で新聞を広げたら何が書いて
あるか分からない。
「自分を守るため、大切な人を守るため、今は人との距離を保ちましょう!
またいつの日か、いつもの距離を取り戻すために、ソーシャルディスタンス。
2m以上離れて見てください。皆さんの想いが現れます。 一日も早く平穏な日常が取り戻せ
ますように」

離れていても心はひとつ



私の古巣でもあり(放送部門でしたが)、いまでも一番読みやすい岐阜新聞。





この季節に毎年訪れたいひるがの高原。水芭蕉の全面開花には10日以上早く、全くの無人状態
でした。



白山は雪に包まれ、スキー場で名高い大日岳は頂上部に残雪あり。



あやめ沢湿原。











純白の美しさ。私の最も好きな花の一つです。

水芭蕉、スパティフィラム、カラー、クワズイモなどは同じサトイモ科なので花がよく似ています。
白い花びらは仏炎苞と呼ばれ花でなく、中の白っぽい芯みたいなものが実際の花で、肉穂花序と
呼ばれる。.








ひるがの高原では他にも可憐な春の花々を楽しむことが出来ます。

カタクリ、ミスミソウ、土筆のコラボ。






小川べりのショウジョウバカマ(猩々袴)。



美濃の平地では見られない、猫の目草。



湿原植物園はコロナ問題で閉園中。

塀の外から、桜は咲き始め。後方が大日岳。








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新型コロナウィールス対策も第2段階にはいりましたが岐阜県が特定地域に指定
されていることもあり、大垣のような田舎街でもゴールデンウィーク中、経験したことの
ない静けさでした。高齢化が進む街でもあり、皆さん恐怖心から本当に気を付けておられます。
私共の喫茶部は岐阜県の閉店要請に従い、テイクアウト営業させて頂いております。

そんな中でも5月1日(今年はうるう年のため)には八十八夜を迎え、新茶をお求めに来店頂く
お客様も多く、家籠りの所為かお茶の消費が多いようですし、ネット販売もいつもになく多く、
忙しく過ごさせて頂いております。

お茶は千数百年以前から飽きることなく飲まれてきた唯一の飲み物で、新茶は特に不老長寿の
仙薬として尊ばれてきました。




摘み取るのがもったいないほどの若芽を手摘みされた新茶は黄金色から薄緑色になります。



旬そのもの、新茶のおいしさをお楽しみ頂きたいと思います。





先回の妻木城へ訪れた帰りに鷺山城址へ訪れました。

数年前の岐阜城天守からの西方の写真。




以前に訪れたことがありましたが、散歩帰りのご夫婦に、登っても見晴らしも良くないし、なにも
ないよとお聞きして登るのを止めたところです。
地元新聞などで、「麒麟がくる」の放映前に登り道の整備や木々が伐採され、岐阜城方面に
ついては見晴らしが良くなったと知り、改めて小雨降る日ではありましたが訪れてみました。

鷺山は高さ68mほどの小山ですが、すぐ東に岐阜城をのぞみ、南方、西方は障害物なく、
遠くまで見渡すことが出来ます。










濃飛名跡 鷺山城跡 碑。


斉藤道三自ら考案したと伝わる「ニ頭波頭立波紋」。



東方、目の前が岐阜市街地から岐阜城(稲葉城)ですが、この日は全く見通せず。



居館は山麓の現在の北野神社のあたりにあり、室町期から土岐氏がこちらに住み、土岐頼芸も
こちらに住まい、後には長良に館を設けたと伝わる。

濃姫、帰蝶は幼いころから鷺山で育ち、鷺山殿と呼ばれたとの記録もあるらしい。






鷺山から歩いても15分ほどの距離道三塚へ、こちらも二度目になります。
長良川で義龍と戦い弘治2年4月(1556)に63歳にて亡くなったあと、その頃には長良川河畔であり、水害の為現在地、現、道三町へ移されたと伝わる。








設置されている看板。






今回の大河に先がけて石碑にお堂が造られていました。
石碑には「弘治ニ年四月廿日 斉藤道三公塚」と刻まれ、卒塔婆には「圓覚院殿一翁道三日胎大居士」と
読めました。


道三塚は岐阜市道三町、数軒の民家の裏庭のような場所にあり、私の兄の友達は大河、国盗り物語が
放映された時、人々が押しかけて生活もままならずに引越しされたそうです。
長良北町から鷺山のメイン道路からほんの少し入った場所ですが、住民に迷惑を掛けたくないのか
何の看板もなく、民家の裏に幟が2本ほど立っているだけ、普通には探しづらい場所です。



さて大河では、いよいよ道三の最終章を迎えます。

私が生まれ育った、山県市大桑(おおが)、正面の古城山(407m)の頂上が大桑城址です。



山麓に土岐頼芸の居館、城下町があり、私共の祖先も頼芸の百姓侍でした。
今回のドラマでは省かれていましたが、道三は天文11年(1542)に土岐11代の頼芸を攻め、両軍の
間で激戦が繰り広げられました。山麓には戦闘で亡くなった霊を慰めるため「六万墓碑」が
設けられています。ただ実際には370人ほどであり、30年ほど前に遺骨調査も行われた
そうです。
天文16年(1547)には土岐頼純が討死

天文21年(1552)道三の三度目の大桑城攻め。
大桑の住人にとって道三はにっくき敵で、私が子供の頃でも土岐の殿様として崇められて
いたものです。急峻な山城を落とすのに道三は苦労し、頼芸の籠城中、水が豊富にあることを
示すために米を流して見せたとか、攻め倦んでいた道三方に山の裏側の青波地区の老婆が、
下から火を放ったら簡単とアドバイスして大桑城が落ち、頼芸は東国へ逃げ大桑城廃城。
大桑では私が子供の頃でも青波と姻戚関係を結ぶのを絶っていると聞いておりました。
頼芸は逃れて晩年揖斐谷汲で83年の余生を閉じましたが、墓を探してお聞きした村人方も
大桑と同じで、「土岐の殿様のお墓を探しておいでですか」と、今でも大切に思っておられることを
実感しました。

コロナウィールス問題でロケも出来ず何時まで放映されるか分からないようですが、ますます目が
離せません。


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新型コロナウィールス問題で日本中、外出が難しくなりましたが、車で訪問、私が訪れますのは
他の人が興味を抱かないような場所、この日は小雨が降る日でもありお許しを頂きたい。

NHKで明智光秀、「麒麟がくる」が放映されていて、30年ほど前から地上波はニュース以外視ず、
連続ドラマも視たこともなかったのですが、10年ほど前から私のブログに記載しておりますように
生まれ育った地が斉藤道三、土岐頼芸、織田信長、帰蝶、明智光秀などと繋がりがあることから
今回は毎回楽しみながら視ずにはいられません。

「麒麟」で少し前、光秀が幼馴染の妻木城の煕子(ひろこ)と再会し、妻になって欲しいと依頼する場面が
ありました。

以前、土岐市の曽木公園の逆さもみじを楽しみに出かけた際、妻木を通りましたが
煕子生誕の地とは知る由もありませんでした。

そこで今回は妻木城跡を訪れてみました。


妻木城はの妻木町を見下ろす標高409mの山頂に築かれた山城です。

稲葉山から可児明智城へは直線距離で20km、明智城から妻木城へは18kmほどの
位置になります。





山頂までの登り道の横には大きな岩が多数。 人口的に積んだ様にも見えますが、これは
「節理」と言われマグマが地表に現れた後花崗岩が変形したものだそうです。
城の石組には困らなかったと思われます。



巨石を割るために入れたノミのが残っています。


三の丸からは妻木を一望、天気が良ければ御嶽山、恵那山なども目の前、中央アルプスまで
望むことが出来るそうです。




真下には妻木氏菩提寺の崇禅寺。






二の丸から石組が残る本丸跡。



本丸跡から二の丸。






妻木城は江戸時代初頭まで機能しておりましたが廃城となり、その後八幡神社の社が設営されました。



土塁跡



井戸跡



光秀と夫婦仲は非常に良かったとされ、結婚直前に疱瘡にかかり、左頬にその後が残ってしまった
煕子を光秀は気にせず迎え、弘浩治2年(1556)斉藤義龍によって明智城が攻め落とされると、
身重の煕子を背負って越前へ逃亡したなどの逸話が残っています。
三女の珠(たま)は細川忠興に嫁ぎ、細川ガラシャとして知られます。
ただ生年、没年は、はっきりはしていないようです。

明智煕子の菩提寺坂本西教寺


妻木氏菩提寺の臨済宗崇禅寺。
土岐明智彦九郎頼重(妻木氏の祖)が文和3年(1354)に開山したと伝えられ、妻木氏の
代々菩提寺として栄えました。






妻木城主歴代廟所。 明智桔梗紋。



歴代墓地。墓碑は朽ちて読み取れず。



妻木氏は歴代陶器製作を奨励したため、城下には現在も製陶所や陶土工場などが多く、美濃焼を
広めた祖でもあります。

歴史に関しては門外漢に等しいのですが、今まで読んだ歴史書に記載されていなかった事項も
出てきて、ますます興味をそそられます。

過去に訪れた地を記載。


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全国に新型コロナウィールス緊急事態宣言、岐阜県にも休業要請が出され、私共の店も喫茶部は
テイクアウトはOKですが、5月6日まで店内閉店としたところです。 大垣市内や近隣のショッピング
モールも食品を除いてクローズ、レストラン等も閉店になり、街中は信じられない静けさです。


先の郡上八幡へ訪れた4月6日の昼前に関市武芸川町保木山のカタクリ群生地を訪れました。

15年ほど前から地域の老人クラブの皆さんが下刈りをしたり、遊歩道を整備してこられ、今年は
更に面積が拡げられていました。




山は満開のカタクリの可憐な紫の絨毯に覆われていました。

昔は片栗粉はカタクリの鱗茎のでんぷんから作られていましたが、現在はじゃがいもでんぷんから
作られています。



一年のほとんどを地下で過ごし、春先になると地上に現れ可憐な花を咲かせる事から
儚く、短い命という意味を込めてスプリング・エフェメラル、「春の妖精」と呼ばれます。












カタクリの花はサイズの大小も、色の濃淡もあり、下向きに咲いていますので、写真に納めるのは
難しいのですが、花弁の奥に見られる「桜」と呼ばれる模様の美しさが尊ばれます。








ギフチョウはこのカタクリの蜜を好むそうです。
この日も、数人の望遠レンズを付けたカメラマンの皆さんがギフチョウが現れるのを待っておられ
ましたがカメラを向けるのが間に合わない程素早く二匹が飛び去るのを見たのみでした。

いつも訪れる方からお聞きしたのですが、蝶は正式には牛馬のように1頭、2頭(head)と呼ぶのだ
そうです。普通には匹で呼ばれますが、西洋の動物園で珍しい蝶の飼育、展示をしていたことから、
他の動物と同じように数えられたのだそうです。

下のギフチョウは5年程前、偶然目の前に留ってくれ、ビギナーズラックで撮れた写真です。










今年も可憐な春の花、自然の美しさを楽しませて頂きました。

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